恋するジャガーノート

まふゆとら

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第十話「運命の宿敵 後編」

 第二章 「明かされる過去‼その力は誰が為に‼」・③

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 ・・・それから、疲れた体に鞭打ちながらも、どうにか歩き続け──

 いよいよ一歩も動けない・・・と零しそうになった直前で、お姉さまは足を止められました。

「よし。ひとまずここで腰を下ろそう」

 そこは、岩壁の根本を穿った穴・・・「天然の塹壕」とでも言うべきものでした。

 元は何かの動物──それこそガラムかも知れません──が住んでいた巣だったのでしょうが、穴の中には乾燥したフンしか残されていなかったので、元の住人が帰ってくる可能性は低いと判断し、そこを新たなベースキャンプとする事にしたのです。

 折りたたみ式のスコップを使ってスペースを確保して、私たちはようやく腰を下ろす事が出来ました。

 休息を取る前に、お姉さまはてきぱきと指示を出されていました。

「交代で見張りを立てよう。それと、すぐに動けるように極力荷物は背負ったままか、常に体の近くに置いておくようにしてくれ」

「アイ・サー・・・あ、いや、アイ・マム!」

「・・・慣れないな、これは」

 本人はむず痒い顔をされておいででしたが・・・お姉さまの指示は的確でしたし、既に隊長としての風格が備わり始めていらっしゃったような気もします。

「なぁに、すぐ慣れるさ。君はすぐに昇進するぞ? 生きて帰れればな、新隊長」

「隊長代理です。・・・ここで死んだら引き受け損ですから、やれるだけはやってみます」

「ふふ・・・またケンソンか?」

 先程のベースキャンプとは違って、「しっかりと身を隠せている」という安心感からか、少し緊張が緩んで、皆さんの口数も増えていらっしゃった気がします。

 ・・・ただ、目の前で交わされる会話も、いまいち私の頭には入って来ず・・・耳を通り過ぎるばかりでした。

 ガラムに殺されかけたあの時から、ずっとどこか上の空だったのです。

 すると、お姉さまが私の肩を優しく叩かれて、布巾を渡して下さいました。

「血を拭くんだ。あまり良い気分ではないだろう」

「・・・あぁ、はい・・・・・・」

 返事こそ口から出ましたが、手の上に乗せられた布巾を動かそうという気力すら起きず・・・私は何をするでもなく、虚空に目を向けておりました。

「全く。甘ったれめ」

 そんな私を見かねて・・・お姉さまは布巾を取り、私の顔と髪にべっとりと付いていた血を拭って下さったのです。車の汚れでも落とすかのように、力強く、ゴシゴシと。

「よし。こんなものだろう」

 髪型は余計にぐちゃぐちゃになり、布巾の擦れた頬はひりひりと痛み・・・

 お世話して頂いたにも関わらず、私は感じた事をそのまま口に出してしまいました。

「・・・痛い・・・ですわ・・・」

「そうか? これでも優しくやったつもり──」

「痛い・・・ですぅ・・・・・・っ!」

 ・・・そう。私はまだ・・・「痛い」と感じる事が出来たのです。

「わたくし・・・生き・・・てる・・・! 生きて・・・・・・うえっ・・・うえええぇぇ・・・‼」

 今考えれば、怪我を負った訳でもないのに何を大袈裟な事を、と自分にツッコミを入れたいところですが・・・

 あの時は脱出の目処も立たず、いつまた襲われるかも判らないという恐怖心から、正常な感性が働いているとは言えませんでした。

「うわああああぁぁぁぁんっ‼」

 ですので、私は私の裡から次々に湧き出る感情を処理出来ず・・・お姉さまに助けて頂いた時に引っ込んでしまった涙が再び溢れてくるのを、ただ垂れ流すしかなかったのです。

「・・・ハァ。やれやれ」

 溜め息を吐きながら、お姉さまは私の頭をぐっと抱き寄せられました。

「・・・・・・死ぬの、怖くなっただろう」

「えぐっ! はっ、はいぃ・・・! 怖い・・・でずぅ・・・っ!」

 抱き寄せたのは、私の声を抑える目的もあったのだと気付いたのは・・・だいぶ後になってからでした。

 ・・・なにせこの時の私は、赤ん坊のように、泣くので手一杯でしたから。

「なら、いい。安心しろ」

 そしてお姉さまは、優しく私の頭を撫でながら、言って下さったんです・・・ 

「私は──君の命を諦めてやらないからな」

 その言葉のお陰か・・・いつ襲われるとも判らない状況にも関わらず、私はしばらく泣いた後、糸が切れたように眠ってしまいました。

 幸いにも・・・ガラムの襲撃はありませんでした。

 ・・・次に目が覚めた時、眼の前は真っ暗でしたが──

 何か憑き物が落ちたというか、少し晴れやかな気分だったのを覚えています。

 死ぬ勇気もないのに死にたがりな・・・そんな甘ったれの自分が、涙に溶けて一緒に流れてしまったかのような・・・そんな気分でした。

 寝ぼけ眼で周囲に目を向けると、皆さんは装備の確認をされていらっしゃいました。

「食糧は2食分、銃火器はM4カービンM9ベレッタがそれぞれ4丁ずつ。残弾は・・・やや心許ないな」

 お姉さまは渋い顔をされていました。

 昨日一日走っただけでも、この洞窟はかなり深い事が判っていましたし・・・

 何より、水源がない事が一番の問題でした。

 救助を待つにしても、すぐに自分たちを見つけてもらう方法がない上に、生存可能な日数は短く・・・かと言って能動的に脱出するにしても、装備も人員も少なく敵の数は未知数・・・

 考えれば考える程に、気の滅入る状況だったのです。

「それと、俺のリュックに手榴弾が2発ある。崩落の危険もあるし使えんだろうがな」

 そんな空気を察してか、ジャグジット中尉は壁に体を預けながら、つとめて明るい声でそうおっしゃいました。

「・・・そうですね。ですが、武器は多い方が選択肢も増えます。皆も、何か使えそうなものやアイデアがあれば忌憚なく提案してくれ」

 お姉さまも中尉の意思を受け取って、警備課の方々にも意見を求められていました。

「・・・あー・・・えっと・・・それじゃあ」

 すると、見張りをされていた警備課の方が──地面に置いていた何かを持ち上げて、全員に見えるように掲げられたのです。

「! さっきのヤツの・・・!」

 朱色の模様が入った、黒く硬質で鋭利な物体──それは、ガラムの爪でした。

「何かに使えるかと思って、死体から切り取ったんですけど・・・やっぱりとんでもなく硬いって事が判っただけでした。ナイフで削ろうとしても、傷一つ付かないんです」

 皆さんは貴重な情報と見て、闊達に意見を交わされていました。

「・・・銃弾を弾いたのは、見間違いじゃなかったんだな」

「しかしそうなると、有効な戦法はさっき新隊長がやってみせた接近戦だけですか」

「あれはそう何度も出来るものでもない。数で押し切られれば一巻の終わりだ」

 そこで、もう一人の警備課の方がぽつりと零されました。

「・・・耐熱性はどうですかね?」

 そう仰ると、ファイヤースターターを取り出して、火を点け始めたのです。

「薪もないのにマッチだけ持って来たのか・・・?」

 やや呆れ気味にお姉さまが指摘されると、笑いながら反論されておりました。

「お守りってヤツですよ新隊長。前隊長のS&Wリボルバーと一緒でね」

「おいおい俺のは一家に代々伝わる家宝だぞ! ・・・やたら装飾が付いちゃあいるが」

「新隊長も、お守りの一つくらい持ち歩いてるでしょ?」

「・・・・・・いや、私は・・・」

 お姉さまは言葉を濁しながら──おそらくは無意識に、胸に手を当てられていました。

 私にも話して下さった事はありませんが、胸の内ポケットに何か・・・お姉さまにとってのお守りが入っていたのだと思います。

 ・・・もしかしたら、今も・・・・・・

 ・・・失礼。話が逸れましたわ。

 持参されていた替えの靴下への着火に成功した警備課の方は、灯りが漏れないよう壁とリュックで火元を隠しながら、ガラムの爪を炙っていたのですが・・・・・・

「・・・うーん・・・焦げますが引火はしないみたいですね」

 バーグさんもご存知の通り、極端に熱に弱いと言った性質は見られませんでした。

 タンパク質に近い物質で構成されてはいますが・・・それが何故ダイヤモンドと同程度の硬度を誇っているのかすら、今なお判らないままですしね。

 ・・・・・・そういえばそこで、その方が妙な事を言い出されたのです。

「こいつの肉って・・・食えるんですかね?」

 どうやら、炙っている最中に、爪の根元の指もいい具合に焼き上がっていたようでして・・・お腹も空いていたのか、皆さんが止める前に一も二も無くかぶりついてしまわれました。

「・・・あー・・・これはあれだ・・・」

 私などは正直ドン引きだったのですが・・・警備課の方は神妙な顔のまま、じっくりと指の肉を咀嚼され・・・そして飲み込んだ後、こう仰ったのです。

「・・・・・・鶏肉みたいな味」

「ブッ‼ 笑わせんなよ! ぷっ・・・くくっ・・・!」

 ご存知かも知れませんが、「鶏肉みたいな味」はウサギやカエルやワニなど、色んな動物の肉の表現に使われる常套句クリシェで・・・どうやらそれがジャグジット中尉のツボに入ってしまったらしく、声を抑え切れずに吹き出してしまったのです。

「・・・そういやお前、もしかして人類で初めてジャガーノート食った男なんじゃないか?」

「・・・・・・それって名誉なんですか?」

 その何とも言えない表情は、余計に周囲の笑いを誘い──そして───

「ふふっ・・・」

 気付けば、私まで笑っていたんです。

「・・・ラムパールさん、ようやく笑ってくれたな?」

 向けられた中尉の笑顔が、何だか恥ずかしくて・・・咄嗟に「知りません!」と、意味のない否定をしてしまいました。

 ・・・今思い出しても、顔が赤くなりますわ。

 そして中尉は、鬱屈とした空気を何とかするなら今しかない──と思われたのでしょう。

「よし! 今から願掛けしよう! 全員でコイツの肉を食うんだ!」

 突然・・・そんな提案をされたんです。

「いいか? 俺たちはヤツらに食われるんじゃない! 食らう側になるんだよ!」

 正直、中尉は失血のせいでまともな思考が出来なくなっていらっしゃるのではないかと、本気で心配してしまったのですが──

 きっと道化を演じてでも、全員に一体感を持たせたかったのだと思います。・・・私は食べておりませんが。

「さっ! まずは新隊長から!」

「・・・毒でも入ってたらどうするんです?」

「貴重なタンパク源かもしれないだろ?」

「・・・・・・ハァ・・・判りました」

 溜め息混じりに、渡されたガラムの爪を渋々掴むと・・・もう一度深く溜め息を吐いてから、お姉さまは指の部分を少しかじって、口の中に含みました。

「どうだ?」

 そして、味の付いていない肉を無表情のまま咀嚼し、飲み込むと──

「・・・・・・鶏肉、ですね・・・」

 どこかで聞いた感想が、お姉さまの口から飛び出したんです。あの鉄面皮からですよ?

 堪え切れずに、全員が声を殺して笑ってしまいました。・・・勿論、私も。

 今思えば、中尉の「作戦」は大成功でしたね。

「よし! じゃあ次は前隊長の俺が──」

 手応えを感じたのか、次は中尉が笑顔を浮かべたまま名乗りを上げられると──

 そこで突然、洞窟の中に、サアァ・・・と微かな音がし始めたのです。

「これは・・・雨音・・・?」

 音の正体に気付いて──お姉さまは、何かを思いついた素振りをされました。
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