恋するジャガーノート

まふゆとら

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第三話「進化する生命」

 第一章「見知らぬ旧友」・②

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『続いてのニュースです──多数の死傷者が出た、福岡市の地下鉄線路内で起きた謎の崩落事故から一週間。今なおその爪痕は深く、復旧の目処はいまだ立っていません』

 居間のテレビから、アナウンサーの声が流れてくる。

「んじゃ、俺はもう出るわ。後はいつも通りジュンちゃんに任せてあるから」

「うん。わかった。気をつけてね」

 ジュンちゃんとは、副園長のほし 純子じゅんこさんの事だ。

 付き合いだ出張だと不在しがちな父さんに代わって、実務全般を取り仕切り、かつ、ライズマンステージと交互に公演しているキャラクターショーのリーダーも務めている。

 僕を含む「よこすかドリームランド」──「すかドリ」の従業員で、星さんに頭の上がる人はいないだろう。

 歯に衣着せぬ物言いで辣腕を振るう才女・・・本当に、どうしてこんな小さな遊園地の副園長なんてやってるんだろうと疑問に思うレベルの人材だ。

颯真はやまさん・・・また・・・シュッチョウ、ですか・・・?」

 ドアの陰に隠れながら、クロが父さんに問いかけた。

 初めて会った時は顔すら見れなかった事を考えると、これでもかなりの進歩だ。

「そうなんだよぉ~クロちゅわぁ~~ん! お義父とうさん大変なんだぁ~~」

 口を不気味に尖らせて、中年オヤジが猫撫で声と覚しき不快な音響を奏でた。

「ひぅっ!」

 またクロが引っ込んでしまう。

 人間の数倍の聴力を持つ彼女にとっては、父さんのこの絶妙にムカつく声は凶器となってしまうらしい。

 いや、単純に顔が怖いだけか。

 ところで今「おとうさん」の発音が妙だった気がするんだけど気のせいかな。

「クロちゃんったら恥ずかしがり屋さんだなぁ~~そんなんじゃ、結婚式で──」

「父さん、早く出て。すぐに」

 ・・・クロを拾って来てから、早いもので既に二週間が経過していた。

 さすがに我が家で暮らしてもらう以上、父さんに何も話さないわけにはいかず・・・

 先日帰って来た父さんに、皆にしたのと同じ、奥歯に物が挟まったような説明をしたところ─── 


「記憶喪失ってのは大変だなぁ。いいんじゃねぇか? エミリーちゃんの時もしばらく泊めてたろ? 今さら1人くらい増えたって何て事ねぇよ」


 ───との事で、あっさりと快諾されてしまった。

 ホームステイ先でトラブルに遭ったエミリーさんの時と違って、クロはどこから来たかすらわからないのに・・・本当にあっさりだった。
 
 余程信用されてるのか、考えなしなのか・・・僕としては助かったけど、息子としては父のテキトーさが心配になってしまった。

「まぁまぁそう怒んなハヤト。とはいえ、クロちゃんはお前に心を許してるのは間違いねぇし、あんな美人なかなかいねぇって! 今のうちに捕まえとくのが吉だぞ! ファッションセンスはちょっと父さんには難しい領域のそれだが」

 父さんは昔っから僕が女の子といるとすぐにこうだ。
 
 何かにつけて「孫の顔が見たい」だの「老後が心配だなぁ」だのと・・・
 
 自分が早めに恋愛結婚したからって・・・僕まだ二十一歳だし、周りだって全然なんだから、正直言うと放っておいて欲しい。
 
 ついでに息子の嫁候補にやたら猫撫で声を使うのも恥ずかしいから止めて欲しい。

「父さん、早く出て。すぐに」

「わかったわかった・・・怒ると表情消えるトコは母ちゃんそっくりだなお前・・・」

 こめかみを掻きつつ、父さんが居間の隣の和室へ。

 慣れた手付きで線香を上げ、母さんの仏壇に手を合わせる。

「行ってきます・・・つぐみ」

 父さんが出掛ける前に、これを欠かした所を見た事がない。

 おちゃらけたように見えて、一途なところもあるんだよな、といつも思っている。

「んじゃな、帰りは来週・・・の予定だ!」

 これは最悪来月になるな、と直感した。幼い頃からの蓄積というやつだ。

「そうそう。俺が見た限りクロちゃん全然外出してねーじゃんか! たまにはどっか連れてってやれよ~!」

 最低限の着替えと書類が入ったバッグを肩にかけ、そんな捨て台詞と共に父さんは出かけて行った。

「・・・外出、ですか?」

「・・・あ~~・・・えっと・・・そうだね、そのうち、ね・・・」

 父さんの言う所の「ファッションセンス」の問題で、初めて職場に連れて行ったあの時以来、クロは家の中と庭の間しか行き来していない。

 不健康だとは思いつつ、なかなか踏ん切りがつかないでいる。

 頭にツノが生えている事もそうだけど・・・ステージの最中に「力を解放しかけた」というシルフィから聞いた話が、どうにも恐ろしくて・・・頭にこびり付いて離れないのだ。

「と、とにかくご飯にしよう! ねっ!」

 ただでさえ、今でも昼休みに抜け出したり、終業後もすぐに帰ったりと頻繁に様子を見ているような状況なのだ。

 心配しすぎだとは思ってるけど、クロも僕が長時間いないと不安に思うみたいで、時たまシルフィから耳打ちされるのも事実。

 今日も、これから出掛けるわけだし・・・うぅ・・・僕がいない間、心配だなぁ。

 ・・・でも、少しずつ。少しずつだけど、僕がいなくても大丈夫な時間が伸びている。

 クロは臆病で泣き虫だけど、それはまだ心が子どもだから。子どもは成長が早い。

 きっと近いうちに、「一人でいる事」と「独りでいる事」の違いも理解できる・・・はずだ。

「お待たせ! ハヤト特製チャーハンだよ!」

「・・・! やっぱり・・・です・・・! においで、わかりました・・・!」

 うだうだと悩みながらも、手だけは勝手に動いてくれる。

 少ないレパートリーの中から、クロが「おいしかったです」と言ってくれたチャーハンをチョイスした。

 自分の部屋へ戻ると、待ってました!とばかりに目を輝かせるクロが出迎えてくれる。

 これだけ喜んでくれると、作った甲斐もあるというものだ。

「ほら、座って座って」

「はい・・・!」

 お皿をちゃぶ台の上に置くと、クロが近付いてきて、「おすわり」した。

「ちょっと待った! ち、違う違う! そっちじゃなくてっ!」

 慌てて、クロの方に駆け寄ってポーズを修正する。

 おかしいな・・・シルフィ曰く、僕の言葉はニュアンスで伝わってるはずなんだけど・・・

 というか・・・大股開きで「おすわり」をする女性って・・・なんというか・・・その・・・い、いやいけない。

 僕はクロにとっては親みたいなものなんだ。一つ一つ、教えていかないと。うん。

「ごめん、なさい・・・ハヤトさん・・・私、何か・・・まずい事を・・・」

「い、いいんだよ! クロ! これから少しずつ覚えていけば、さ!」

 改めて、ちゃぶ台に向かい合って座る。

 手を合わせて目配せすると、クロも僕の真似をする。

「いただきます! ・・・言ってみて?」

「い、いただき・・・ます・・・?」

「そう! ごはんを食べる前には、こうしていただきます、って言うんだよ」

 にっこり笑ってみせると、笑顔が返ってきた。

 そういえば・・・クロと顔を突き合わせながらご飯を食べるのは初めてだな、と気づく。

 朝はクロの分のご飯作ったら日課のランニングで出ちゃうし、昼休みも抜け出して夜の分までご飯用意したらすぐ職場に戻ってるし、クロは寝るのが早いから夜帰るともうご飯を済ませてしまっているし・・・

 思い返してみると、一緒に食卓を囲った記憶がない。

 ・・・そうか。母さんが死んで出張ばかりの父さんと二人暮らしになってから、僕にとっては一人でご飯を食べるのがずっと普通になってたんだ・・・今の今まで気づかなかった・・・。

 心の中で、クロに謝る。

 「ひとりじゃない」なんて言っておいてこんな調子じゃ、まだまだ約束を守れてるとは言えないな。

 今度からはもっと気をつけよう、と自分に誓った。

「いただき・・・ます・・・」

 クロは優しい笑みを浮かべながら、もう一度「いただきます」を口にする。

 さおりちゃんに「ありがとう」と言われたあの日以来、クロの笑顔を見る事も少しずつ多くなってきた。

 思わず自分まで笑顔になった所で、クロがお皿を持ち上げ、床に置く。

 顔を下に向けると、垂れてきた長い髪を小指で掬って耳にかける。

 小ぶりな舌を出しながら口を開け、つくりの良いその顔を、床に置いたお皿へ近づけて───

「ちょっとッ‼ ちょッ‼ ちょっと待ってぇッッ‼」

「はい?」

 悲鳴じみた僕の叫びが、何とか決定的瞬間が訪れる事を食い止める。 

 しかしあまりに自然な仕草でやってたって事は、そういう事なのか。

 今まで気づかなかっただけでずっとそうしていたのか。

 いつも綺麗に食べてくれたお皿以上にピッカピカなスプーンになぜ気づかなかったのか、色々な後悔が波濤のように押し寄せ、食事の前だというのに僕の胃は悲鳴を上げていた。

 無限にも感じられる3秒間の懊悩の後──僕は、何とか言葉を絞り出した。

「とりあえず・・・スプーンの使い方から教えるね・・・・・・」

 胃痛のあまり、胸をさする。

 ふと指に引っかかったペンダントでその存在を思い出し、静寂を守っていたその姿を探すと・・・

 声もなく大爆笑している妖精が、見えた。

 ・・・・・・アノヨウセイ・・・シッテタナ・・・・・・ッ‼

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