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30、昔の姿

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 泣きはらした瞳は、腫れぼったく膨れている。ティーナを連れて戻ってきたウェルナーは、部屋にいた女性陣からあまり嬉しくない目で見られていた。



「……母上、クラリス、エレン、言っておくが、私が泣かした訳ではないから。主な原因はヴィルだからな」


 ウェルナーは嫌そうな顔を隠しもせず、弁解しながらも居心地が悪いのを肌で感じ、逃げ腰の身体はもう扉のすぐ前にあった。


「へぇ~ そうなんですの。ふ~ん、で本当の理由は何かしら? クラリスもエレンも気になるわよね?」

 王妃メラルの風格ある声が響く。


「はい。お母様のおっしゃるように、何故お兄様がエルティーナ様と? 我が夫は? 一緒ではないのかしら?」

 この場を仕切る王妃メラルと妹王女のクラリスが、追及の手を出し続けてき、嫌気がさす。

 ティーナを預け「はい、さようなら」のつもりだったが、今やそう出来る状態ではなく、ウェルナーは途中退出したソードを憎たらしく感じていた。


「だ、大丈夫です、これは……その大丈夫です。アレンの……ヴ、ヴィルヘルム様の…本気がイマイチ理解できていなかった、私の間抜けさに……自分で呆れて…それが悔しくて……。
 本当に。皆様、ご迷惑をおかけ致しまして申し訳ございません!!」

 ティーナは もうこれ以上腰が曲がらないという所まで折り曲げ、頭を深く深く下げる。

 王妃メラルも、クラリスも、エレンも、その姿をじっと見つめ言葉を飲み込む。

 メラルの、次の言葉は決まっていた。



「……貴女は、ヴィルを愛して…いける?」


 母として、ヴィルヘルムを思う気持ちに偽りはない。〝あれ〟を知って果たしてティーナはヴィルヘルムの呪いじみた気持ちに答えられるか? それが一番の気がかりだった。


 夫や息子達が話を進めるなか、ヴィルヘルムの…当時アレンだった頃のエルティーナに向ける、狂気じみた想いを綴ったレオン陛下の日記は、メラルには憎む対象であり、この世から無くしたいモノだった。


「あれはあくまで昔で、今ではないのよ」そう言えればいいが 胸を張って言えない。ヴィルヘルムはもし今、同じことが起きれば、迷いなく同じことをするだろうと確信出来るからだ。

 そんな想いは消し去りたい、ティーナが知るまでに燃やしたいと、何度も繰り返し思っていた。

 メラルの冷静だが 震えの入る言葉に、部屋は皆の息遣いのみとなっていた。



「勿論です!! 私は、アレンの魂をもったヴィルヘルム様を愛しております!!! 」


 エルティーナの泣き腫らしたブラウンの瞳は、宝石が散りばめられたようにキラキラと輝いている。


「………そう、良かったわ……」王妃メラルは涙を隠すようにハンカチで顔を覆う。


 クラリスとエレンは、レオン陛下の日記云々は知らない。当然中身も知りえない。あくまでヴィルヘルムとの結婚に関しての心積もりを国王直々に聴く、としか話されていなかったからだ。

 何があったか詳しくは分からなくとも、以前どこか遠慮があったティーナの姿がもうなく、まぎれもなく生まれ変わったように感じていた。


「王妃メラル様、クラリス様、エレン様、……ウェルナー様、このエルティーナ姫姿も今日で最後です。勿論、ヴィルヘルム様のアレン姿も今日で見納めです。私は彼の全てを知った上で、これから愛を返していきます!!
 アレンは… 病だったのを乗り越え、私に会いに来てくれた。私が望む大好きな騎士で、何の見返りも求めずに、側に寄り添ってくれた。
 これほど愛されていたのに、あまりにもアレンが好き過ぎて彼の本心を、私は…見抜けなかった。
 行き過ぎた愛。どんと来いです!! 私の全てをかけて、アレンに、ヴィルヘルム様に愛を誓います!!」



 皆の少し驚いた顔を見渡し、ティーナは満面の笑みを浮かべる。

 少女と大人の狭間のエルティーナの美しい姿は、見惚れるに値する素晴らしいものだった。



 ***




 建国記念日が終わると本格的な暑さがやってくる。少しづつ長くなる太陽神が支配する光の時間。それでも、太陽神が眠らない訳ではない。

 あたりが薄っすらと暗くなった頃、衣装合わせが終わり「エル様と、軽食でも一緒に」と部屋を訪ねたヴィルヘルムは何故かティーナに会えなかった。

 理由も言わず追い帰され、現在キレる一歩手前。普段クールな為、キレると恐い。

 ヴィルヘルムの護衛騎士ラメールと同僚のコンラートは、とばっちりを食らわないように息を潜め、まるで部屋の調度品のように、微動だにせず静かに立っていた。


「ヴィルヘルム様、ソード様がお見えになっております。御通し致します」

 侍従の声と共に入ってきた人物に、やっと今の状況を聞けるのかと 安心する気持ち以上に、ソードに掴みかかりそうになる怒りと、意味が分からない恐怖からくる不安が、ヴィルヘルムの身体を蝕む。

 静かに頭を下げ入ってくるソードに、ヴィルヘルムは一言も話す隙を与えず詰問する。


「ソード、何故エル様と合わせてもらえない!? 彼女は私の恋人で未来の妻だろう? 王族だから、国だから といって離される謂れはない」


「あぁ、帰りたい。帰りたい」コンラートとラメールは、極寒の如きヴィルヘルムの有り様に、完全に硬直していた。


 しかし、投げかれたソードは穏やかだ。


「……ヴィルヘルム様、そう思うのなら。そのまま乗り込めばよろしいのでは? 私の妻だから返せと」

 流石、ソード。ヴィルヘルムの怒りを真っ向から受け止め、軽くいなす。


「……それが出来たら、王宮に居ながらにして顔を合わせない、ふざけた現状にはなっていない」

「出来ないならば、それはヴィルヘルム様の選択であって我々とは関係ない。
 過去がどうであれ 今は貴方が王族、彼女は一般市民。泣いて嫌がるなら、手足を紐でしばったらいかがでしょうか?? 貴方でも引き千切れないような紐をご用意いたしましょうか?」


 コンラートとラメールの、カラカラに乾いた喉はすでにヒューヒューと空気しか通っていない。

 ヴィルヘルムは静かに椅子から立ち上がり、ソードの前に立つ。


 首を締めるのか? はたまたぶっ飛ばすのか? ラメールとコンラートは二者択一と思っていた。

 それはソードも同じで、このような態度で話し 無傷でいれるとは思っていない。しかしヴィルヘルムの行動は誰も予想していなかったもの、なんとその場で床に膝をつき、頭を下げたのだ。

 予想だにしなかったヴィルヘルムの行動に、三人は茫然と固まる。


「ソード、頼む。エル様と離さないでほしい。この時期は…とくに離れたくない…。完全に暗くなる前に会いたい、離れていると悪い事ばかりが 頭を過る」

「申し訳ございません! ヴィルヘルム様、立ってください。意地悪が過ぎましたね…」


 立ち上がろうとしないヴィルヘルムに、ソードもその場に膝をつける。
 目線が同じになり、視線が合わさってから意識して言葉を紡ぐ。


「兄上、大丈夫ですよ。エルティーナ様は生まれ変わって、さらに図太くおなりですから、そう簡単には死にません」

 深刻な雰囲気が霧散する。

「はっ???」

 口には出さないが、ラメールとコンラートの脳内には疑問符が飛び交っている。


「…何…を、言って…」

「何を? ふっっっ。ですから、エルティーナ様は病気で血を吐いている兄上の服を脱がし、自らも真っ裸になり、当たり前のように兄上の上に跨り、事に及ぼうとするほどパワフルですから、王妃やクラリスに負けず楽しくやっています。
 美しく仕上がってますよ、舞踏会が楽しみですね。
 いいかげん遺体ばかりを愛でてないで、温かい生身のエルティーナ様を抱きしめて口付けをどうぞお楽しみ下さいませ。
 兄上、楽しみは後で、ですよ」


 流暢な話口調に懐かしさを感じる。


「…まさ…か……キャット…なのか………」

「ええ、そのまさかです」


 あまり表情を崩さないヴィルヘルムだが、目がかるく見開いている。


「あっ、もちろん、兄上やエルティーナ様のようにガッツリ前世の記憶がある訳ではないですよ。
 私が前世を知るのは、いつも舞台のワンシーンのように…夢で見ます。
 夢の中で私はいつもキャット・メルタージュです。だから私の前世はキャットでしょう。なので文献では知り得ない内容もチラホラ分かります。
 メルタージュ家での、エルティーナ様の痴女暴挙は王宮の方々は誰も知りませんからね」


「襲われたというな。……別に抵抗していないから、同意の上だ…」

「全くそうは見えませんでしたけど?」


「………………」あの場面をしっかり見られていた本人を前にはこれ以上は、弁明出来ない。

 ソードはくすくす笑いながら、両手に抱えていた布の塊をヴィルヘルムに渡した。


「? 何だ? 」

「兄上にプレゼントです。エルティーナ様の舞踏会用ドレスは予想どおりかと。では、やはりヴィルヘルム様も最後のアレン様姿には、これしかないかと」


 ヴィルヘルムは不思議に思いながら、布の塊を受け取り包みを開けて………時は……止まる……。


 手の中には慣れ親しんだ…白の軍服があった。


 以前、母や姉、兄が面白半分で似せて造った白銀の騎士の軍服ではない。あれは王子であるヴィルヘルム用に煌びやかに仕立ててあった。

 白銀の騎士アレン=白い軍服は一般常識。でも実際にどういう生地だったかは今を生きる人には分からない。
 ヴィルヘルム用に真似て造られた〝白銀の騎士〟の衣装には、白い布地に浮き上がるような繊細な刺繍がふんだんに使われていて、やはり正真正銘王族の舞踏会衣装だった。

 だが、これは違う。

 色自体は煌びやかな白だが、舞踏会衣装ではない。戦うように、身体を守るように 造られた軍服だ。厚さのある革地は何の宝飾品も付かない真っ白で、手にする重さは当時のまま、エルティーナの護衛騎士になってこれ以外は着用しなかった。

「私は他者と違います」と、そう分かってもらう為の無言の想い。
 愛する彼女の瞳の中に映り込み、そして刻み込むように、毎日毎日この寸分の狂いもない真っ白の軍服を着続けた。

 洗脳のように…。


「懐かしいですか? 私はメルタージュ家の当主です。メルタージュ家の宝物庫に、数着保管してあります。兄上が亡くなられた後のことですから、知らなくて当然。
 ちなみに、私も今世で当主になるまで知りませんでしたからね。父とメルタージュ家の侍従長しか知らず、代々当主自ら虫干しをするといった徹底具合。
 兄上はボルタージュで知らない人はいない有名人ですからね、このようなモノが残っているのですよ」


「……で、これを着ろと?」


「えぇ  勿論。正真正銘本物の〝白銀の騎士と王女〟ですよ。三百年前に戻って、そして、 またこちらに戻ってきて下さい。
 きっと、その美しい姿も…今日で見納めですから…」


 ソードが話す意味全ては分からないヴィルヘルムだが、背徳感もかさなり気分は高揚していた。


「これを着てエル様にお会いしたら、きっと可愛らしい反応を見せてくれる。…エル様は…どんな姿でも可愛いがな……」


「ご馳走様」と三者三様皆が思う。

 凍りつくような美貌のアレン姿のヴィルヘルムが放つ、極上の微笑みは、ここで視線を外したら人生最大の後悔…と言えるくらい、人知を超えた美しさを魅せていた。




 ***



 王族専用の談話室は現在、女の園となっていた。美しく着飾った女性達が鈴の音ごとく軽やかに、しかし耳に残る声を遠慮なく響かせていた。


「そろそろお化粧して大丈夫かしら…」


 クラリスは瞼を冷やす為に顔にのせていた布を、ティーナの顔から優しくとる。
 泣き過ぎて腫れぼったくなっていた瞳は、大分腫れもひき見れるようになっていた。
 柔らかい色彩のブラウンの瞳が恥ずかしそうに彷徨っている。


「も、申し訳ございません、手間ばかりかけて…」

「何を言うのエルティーナ姫、私達が無理矢理連れてきて、一方的にヴィルを押し付けている様なものだもの。
 貴女はまだ若いし、本当はこれから恋をしていくはずだったのにね。
 ヴィル相手では、どんな男性が来ても勝負する前から完敗よ…選択の余地がないもの」


 ふぅ~ と可愛らしく顎に手を置き、反省している風を出している王妃メラルだが、あまりそうは見えない。むしろ我が子の自慢をしているようにしか見えない。

 メラルが強気にでれるのも、ティーナがレオン陛下の日記を読んで、ヴィルヘルムの行き過ぎた愛を受け止めたからこそ言えることだ。


「ふっふっ、そうですね。アレンに恋をした時点で、もう 他の人は選べないです。カッコ良すぎますから!!
 昔…全く眼中にないってしっかりガッツリ理解していても……諦めらきれなかったので。ずるずると…」


 自身も大概 行き過ぎた恋だと思い、それが急に恥ずかしくなり、あははははっ とカラ笑で誤魔化す。


「エルティーナ姫、顔 真っ赤」


 エレンに指摘され、さらに赤が濃くなる。そんな可愛いやり取りがなされながら、和気あいあいとエルティーナの準備が進められていく。

 王妃メラル、クラリス、エレンらは、全て完了しているから基本暇で、エルティーナの準備に口をはさむ。

 王妃付きの侍女三人と王妃らの六人で、エルティーナの頬紅の色は、口紅の色は、身に付ける宝飾品は、と あーでもないこーでもないと楽しい時間は過ぎていった。



「さぁ、後は髪の毛ね!! 」


 クラリスが気合い入れるように叫んだ。それにエレンは大きく頷き、メラルは考え込む。


「そうね、どういうのが素敵かしら? そのままおろしておくのも良いけど、やはり何かしたいわよね…」

「そうですわね、この淡い綿菓子のような金色の髪を殺さずにいかしたいですわ」


 メラルの疑問にエレンは、自身の希望を入れてきた。侍女もどうしたらいいのか、静かにひかえている。
 ティーナは鏡に映る自分を見て、本当にあの頃に戻った感覚におちいっていた。



(不思議だわ、…この姿で、王宮にいるなんて……。お兄様、 お姉様、クルト、ラズラ様……アレン……あの頃に戻ったみたい…)


 王妃ら三人が共に「う~ん、う~ん、う~ん、」と唸っているのを耳にしながら、ティーナはゆっくりと瞳を閉じる。



(もし…昔、アレンの気持ちが分かっていたら、何か変わっていたかしら……)

 変わってないだろう。だってアレンだ。

 エルティーナの側にいる選択が宦官だ。罪人であってもそれはしないと撤廃された制度。あんな馬鹿なことする人間がいたなんて…信じられない。


 医者から病は移らないと言われていた。実際に うつってないのに、アレンは最後まで本当の意味で、信じていなかった。


(きっと、子供の頃…凄く凄く苦しんだから……、私では想像出来ない苦しさだったから、恐かったのよね…。
 だから…私に指一本触れてこなかった。愛していても……うぅん、愛していたから…。
 ふんっ。馬っ鹿じゃないの!! 
 ……でもそんなアレンだから…私は好きになったのよね。あぁーー!! 思いの丈をぶちまけて早くエッチしたいわ!!
 アレンの身体、綺麗だろうなぁ~)


 シリアスな感じを纏い瞳を閉じたはずが、途中からいかにヴィルヘルムとセックスするかに重点が置かれた思考になり、ぶあっと顔が熱くなる。

 ティーナは瞳を開けた後、冷静になる為、膝の上に広がる圧巻の出来のドレスを睨んでいたら、いやに部屋が静かで「あれ?」と思う。


 王妃様達が…静か…?

 奇妙な感じに答えが欲しく、ティーナは顔を上げる。静寂の答えはすぐに理解出来た。




 鏡越しに〝彼〟が見える。



 そう、まさしく 今。

 ティーナであった自分の全てが、自らが創り出した妄想の中で、実はまだエルティーナの人生は続いていて、ラズラ様もお兄様も大好きなアレンも、まだエルティーナの側にいる。のか?


 ……どこからどこまでが現実か、脳がめちゃくちゃになるほどの…懐かしい、あまりにも懐かしい姿。


 ボルタージュ王国の至宝。


『白銀の騎士』、『歩く宝石』と言われ続けた〝アレン〟の姿がそこにあった。



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