上 下
20 / 72

20、エルティーナとアレンの関係

しおりを挟む
「わぁ!!! 高いわ!!!」

 馬上のエルティーナは思わず叫ぶ。馬に乗るのは初めてではないが、軍馬にそれもサラブレッドに乗るのは生まれて初めての体験だった。

 エルティーナを馬に乗せた直後、アレンが騎乗してきた。

 馬の背の筋肉が動いたのが分かる。そして背後にぴったりと人の気配がする。
 いつもはパニエの上にドレスを着ている為、人との距離が遠く、直接人と密着する事がない。
 しかしエルティーナは今、町娘の格好になっている。
 くるぶしの丈のストライプ柄ワンピースに、編み上げのジョッキブーツという出で立ちだ。

 アレンも普段と違う姿で、真っ黒なトラウザーズに白いシャツに黒いベスト、茶色のジョッキブーツという、驚くほど簡素な姿だった。レオンやレオンの護衛達もほぼ同じ姿だ。
 どんな姿でもアレンの神がかった美貌は衰えることはない。

 洋服が違う…それはいいのだ。それは…。ただ、その格好がいけなかった…。

 エルティーナは今の状況に息ができなくなっており、酸欠状態。

 騎士の軍服は厚手であり、金モールや腕章が付いた重量感たっぷりの仕様となっているので、身体が密着しても、とくに体温なんてものは感じない。
 エルティーナはいつもレオンに抱きついている為 知っている。

 しかし今の洋服は、アレンの体温が鼓動が直に身体に響くのだ!!

 背中にあたる逞しい胸板が…。
 エルティーナの肩を挟む力強い両腕が…。
 風のイタズラで舞い上がるアレンの柔らかい髪が頬をなで…。
 エルティーナの身体を挟んでいる、筋肉の筋が分かる両太腿が…。
 そして、身体から匂うアレン独特の甘い香りが…。


(無理……恥ずかしい……息が出来ない……)



「っ!? エルティーナ様! エルティーナ様!!」

 パシンッ!! 頬が叩かれる。


「はっ!!…お兄…様……」エルティーナは、少しぼぅ~とした状態で兄のレオンを呼んだ…。


 レオンはエルティーナのすぐ横まで馬を並行につけ、意識が朦朧としているエルティーナを馬上から、思い切り引っ叩いたのだ。


「お兄様…痛いです…。そんっな思い切り叩かなくてもいいのではないですか!? まだ、頬っぺた痛いです!!」

「気絶しそうだった奴が、よく言う」

「…うっ…」

「…エルティーナ様…本当に大丈夫ですか…? ………レオン…加減がなさすぎる。思い切り叩きすぎだ。
 ……赤くなっている」


 心配そうにエルティーナの顔を覗き込むアレン…。
 兄に叩かれた自分が間抜け過ぎて、大きなブラウンの瞳からは涙が溢れてきた。

 その涙がまた情けなくて、恥ずかしくて、エルティーナは乱暴にワンピースの袖で涙を拭った。


「…はぁ~………アレンを見て気絶する奴はよく見てきたが…エルまで……とは…。
 …仕方ないな、エルは俺と一緒に乗れ。一度馬から降りろ」

「……いや」

「エル!!」

「もう大丈夫です!! もう大丈夫!!!びっくりしただけ」


 例え大好きな兄の言葉でも嫌だった。これほど珍しい機会は、今回で最初で最後だと分かっている。
 兄がエルティーナを遊びに誘ってくれた本当の意味を理解している。

 エルティーナがフリゲルン伯爵に嫁ぐから。もう今みたいに気軽に兄に会えなくなる…。そしてアレンとの関係も終わる…。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 最後の思い出だから、もう我が儘は言わないから、だから絶対に譲れない。

 きっ!!!っと睨んでくる妹を見て、レオンは呆れていた。

 そんな硬直状態をやぶったのは、アレンだった…。



「エルティーナ様。今は大丈夫ですか? 頭が痛いとか、吐き気がするとかはございませんか?」

「…え、ええ」

「でしたら、このままで…。どのような状況になっても、私が貴女を離す事はありません。落馬の恐れは無しです。…例え命にかえても御守り致します」


 エルティーナは視界の端で、周りの人が息を呑み硬まるのが分かる。

 アレンは、まるで壊れ物を扱うように…レオンに叩かれて赤くなった頬に、厚くて大きな手を触れるか触れないかくらいで添える。

 そして…柔らかく…優しく…包み込むように腕の中へ…エルティーナを囲う……。

 恥ずかしいとか、怒られて哀しいとか、もう今はどうでもよかった。

 大切にされているのが分かる。
 護られているのが分かる。
 この世でアレンの腕の中ほど安全な場所はない。


 エルティーナの身体は自然に…動いた…。

 馬上で上半身を捻り…そして…思い切り両手をひらき…安心しかない胸元に飛び込み、アレンの大きな背中に手を回す。

 最後に…アレンの甘い匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。



「ええ。絶対に離さないでね」


 エルティーナの天使のように清麗で甘い声があたりに響く。

 パトリックとフローレンスは、この王都散策の意味を…レオンの意図を…知っていた。

 エルティーナがフリゲルン伯爵への降嫁決定に基づくものだと。

 だからこそ、疑問に思わずにはいられなかった。
 エルティーナ様とアレン様が何故…これほど愛し合っていて男女の関係にならないのか?

 …何故…夫婦にならないのか? …自分達が知っている全ての人の中で、二人ほど魂で結びあっている人を知らない。


 バシッ!!!

 レオンは、二人の空気をあえて壊すべくアレンの後頭部を叩いた。


「ぬぁ!? お兄様!! なんてことするの!! 頭を叩くだなんて!!!」

「なんてことだと。エル、それはこちらのセリフだ。
 爽やかに王都散策に向かおうとしているのに。今から夜の営みに突入しようかという甘ったるい雰囲気が出ていたから、その空気を壊しただけだ。褒められて然るべきだ」

「お、お兄様!! アレンに失礼な事を言わないで下さい!!!
 騎士として、在るべき姿を見せてくれたの!! 今は…今はまだ、アレンは私の護衛騎士だから!!!」

 出したこともない大きな声で、涙をこらえながらエルティーナは叫んだ。


「…うっ…わ、悪かった…大人気なかったな……機嫌直せ」

 レオンは、赤くなったエルティーナの頬を軽くつねった。いつものように親しみをこめて。


 ぎーゅーーぃーーー。

「痛いぃぃぃ!! 痛ぃぃぃぃ!!!」

 しかし涙目になるのは、今度はレオンの番だった。
 アレンは、エルティーナの頬をつねったレオンの腕を力加減することなく捻り上げた。


「レオン。エルティーナ様に触れるな」

 絶対零度のアレンに、流石のレオンも硬まる。

「本当よ、本当」とエルティーナは、頬をガードしながら、プリプリっと可愛らしく怒っているが背後のアレンは恐怖ものだ…。

 柔らかさの欠片もない硬質な美貌のアレンが本気で怒ると、視界に入るだけでも身体が凍りつくのだと、パトリックとフローレンスは改めて理解した…。
 そして、今の状況に泣きたくなった……。


((もう嫌だ…))

 二人は心の中で、今から始まる長い一日、アレンによって精神が破壊されないか不安で仕方がなかった。


(お願いです。レオン殿下……。これ以上…アレン様を怒らせないで下さい……。我々が…これ以上もちません……)


 二人の懇願に憮然とした態度で、一応了承したレオン。
 前にいるアレンとエルティーナを見て、不安がよぎるのだった。


 王都メルカの中心部に行く為に、エルティーナ、アレン、レオン、パトリック、フローレンスはやっと城の門を出た。

しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

関係を終わらせる勢いで留学して数年後、犬猿の仲の狼王子がおかしいことになっている

百門一新
恋愛
人族貴族の公爵令嬢であるシェスティと、獣人族であり六歳年上の第一王子カディオが、出会った時からずっと犬猿の仲なのは有名な話だった。賢い彼女はある日、それを終わらせるべく(全部捨てる勢いで)隣国へ保留学した。だが、それから数年、彼女のもとに「――カディオが、私を見ないと動機息切れが収まらないので来てくれ、というお願いはなんなの?」という変な手紙か実家から来て、帰国することに。そうしたら、彼の様子が変で……? ※さくっと読める短篇です、お楽しみいだたけましたら幸いです! ※他サイト様にも掲載

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。

石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。 助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。 バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。 もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。

【12/29にて公開終了】愛するつもりなぞないんでしょうから

真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」  期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。    ※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。  ※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。  ※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。 ※コミカライズにより12/29にて公開を終了させていただきます。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

処理中です...