狼の剥製

うさぎくま

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2、奇跡

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昼間怒鳴り散らした兄ロランと食事をするなんて辛いと思ったアルテミシアだが、基本食事は家族皆と一緒にとるべきだと豪語するロランに意見は出来ない。

昔から風邪でもなんでも、時にはアルテミシアを椅子に縛り付けてでも一緒に食事をとらされた。

『頭痛!? 風邪!? 骨折!? それは自らの弱さが招いた悪だ!!』とそれはそれは厳しく煩く〝両親〟ではなく〝兄〟に教育された。

おっとりバルー家夫婦は、自らに似た大人しい妹に怒鳴り散らす兄に、初めは注意をしていたが毎度のやり取りで今は諦め、アルテミシアを可哀想と思いながらもすでに放置となっていた。

『頭の固い子に育ったな…』
『ええ…まったく、私達を見て なぜあんな性格になるのかしら…』
との夫婦の会話は必ず一日一回はあったほど、ロランは口煩かった。

黙っていれば百人中九十人が振り返るだろう美貌を持つロランだが、全くモテない(一人と長続きしない)要因はまさしくこの内面であった。

家事も育児も仕事も完璧にこなす元シスターのジルダと出会えたのは、ロランには奇跡に近かったのだ。
アルテミシアの行き遅れを、とやかく言う資格はロランにはない。



長い回廊をゆっくり歩くアルテミシア。また怒られるのかと…溜め息が尽きない。
はっきり言って、兄の怒りは丸一日…以上は続く。

「はぁ………お腹減ってないわ。お兄様を見ながら食事なんて、不味くなるだけ……憂鬱……」

「アルテミシア様たったら…」

背後から呆れた、でも明るい聞き慣れた声が聞こえ、いきよいよく振り返る。

「っ!! 
………あっ……ジルダお姉様……だけですか……。
もう!! 驚かさないでください。お兄様もいらっしゃるかと思いました」

「ふふっ、では声に出したらダメです。それにアルテミシア様。ロラン様はとても美しいお顔をされているので、どんなに怒り狂っていたとしても、見目麗しいですよ。
眼福ですので、食事が美味しくなっても、不味くはなりません」

流石元シスターであるジルダ。あのロランを愛でれるのは尊敬に値する。

「……そう…?…です……か……??」

「そうですよ!!」迷いなく返答され、思わず強張った顔が緩む。

「……ジルダお姉様。毛布ありがとうございます、とても暖かくて……良い夢を見れました」

少し頬が紅くなるのを隠しながら、ジルダを礼を言う。

毛布をアルテミシアに掛けてくれるのはジルダだけ。父や母は剥製の横で眠っていたら決まって起こすし、ロランは論外、侍女らも精巧過ぎる狼の剥製が気味が悪いのか近づいてこない。
よって大好きな剥製の側で、眼が覚めるまで眠れるのは、ジルダに発見された時だけだった。


「良い夢が見れ、良かったですね」

「そうなの、彼とね、お話したのよ。綺麗な声だった……ような気がする?」

「話!? まさか!? なんておっしゃって!?」

少し距離をあけて歩いていた二人だが、ジルダに詰め寄られアルテミシアはヨタっとする。

「えっ と夢ですから、夢。私の願望ですよ、願望」

「で、なんておっしゃっていましたか!?」なおも突っ込むジルダに、夢を思い出しながら答える。

「……早く嫁に行け……と。呆れながら」


夢の内容は淡くであるから、何となくしか答えれない。

アルテミシアが見た夢は、『いつまでも子供ではいけない。いつまでも独り身は駄目。家族に迷惑をかけてはいけない。…早く嫁に行きなさい』と優しく諭された…夢だった。

当のシリルがこの夢の内容を聞いたら、「ふざけるな!!」と怒鳴っただろう。シリルが本当に話せたなら、絶対言わない。
剥製の姿が破られ生身の肉体を手に入れ、意思疎通が図れたなら、シリルはアルテミシアを独占している。
地球上にいる雄オスには絶対に触れさせないし、構い倒す。勿論贅沢もさせれる、シリルは金など溢れるように稼げたからだ。


先ほどまでのジルダの意気込みは、ふしゅ~と消える。
「はぁ……なんですか。本当にただの夢ですね」ジルダのガッカリ声に、違うとアルテミシアは言い返す。

「ジルダお姉様、確かに私の勝手な夢ですが、もしかすると正夢かもですよ。剥製様が私を心配して、夢枕に立ってくれた?…… とか……」

「そんな夢ありえません。あの剥製様がアルテミシア様に早く嫁に行けなんておっしゃっるはず、ございません。(むしろ結婚なんて壊したい気持ちでしょうから。言えませんが……)」

「そう……かしら?」
「そうです!!」

もう食事をする部屋が近く、互いに話を終える。剥製の話はロランの耳に入れてはいけないトップ1位だからだ。

会話は終わるが思考は終わらない為、アルテミシアは歩きながら、でも…と想像する。

主人を決めれない剥製の彼が思うのは、アルテミシアの行動や言動はきっと子供の我が儘で、醜いと思われていると推測できる。
そもそも焼け落ちた館から奪ってきたようなものだ、アルテミシアの前の持ち主がどんな人かは知らないが、偶然に手に入れた只人のアルテミシアが、好かれているかは微妙だ。

そう改めて現実を直視すると、胸がチリッと痛む。

剥製は美術品ではない。実際この世を生きていたのだ。そして人の贅沢を満たす為だけに無残に殺された。
命を奪った後は、皮を剥がれ、臓器は食べれたか捨てられたか、最後はあんな見世物にされ、〝彼〟が人アルテミシアを恨んでないはずはない。
美しく産まれたが故にの……屈辱だ。

(「……そうね。あれだけ美しれば、奥さんや〝彼〟にそっくりな子供も沢山いただろうし、狼は死ぬまで番いを変えないって聞くから…きっと辛かったに違いない。百発百中、人間を恨んでるわね……。
私の願望がみせた夢みたいに、優しく嫁に行けとは言わないわ。あの夢は私の希望……だもの……」)


空気が落ちているのは分かるが、ジルダも自らの不思議な能力を口に出せない。
形ない直感を言葉にはできないのだ。それでも…と思う。


「……アルテミシア様。話してみたいですか?」誰と…とはあえて言わない。


扉はもう視界に入っていて、侍女や侍従が扉に控えているのが見える。
彼らを視界に入れながら、アルテミシアはジルダに悲しみを秘めて微笑んだ。

「いいえ、話したくないわ。だって話さなければ、嫌われていても分からないもの……」


嫌う訳がない、むしろきっと…愛しているのに。そうジルダは叫びたい
でも自分自身も剥製とは話せないのに、『剥製様はアルテミシア様を愛しておりますよ』とは決して言えなかった。



***



兄に怒鳴られた日から5日がたったが、まだ蒸し返して注意されていた。今回は想像を超える長さだ。

『お前は夢を見過ぎだ。どうしてそう軽いんだ。男なら誰にでも欲情して恥ずかしくないのか。
ムスタ卿に対して服を脱ぐなど恥ずかしい真似はするなよ。卿はお前みたいな下の軽い女でも良いと言われている有り難い方なんだ』

この兄の言動にはアルテミシアもいい加減、腹が立つ。
が、
『私が脱いだのではなく、彼らが脱がしたんです。嫁になるなら絶対に抵抗するな、と言われたから!!』
そう叫びたかった。
しかし言い訳をしたところで、無駄。泣きながら抵抗し、組み敷かれている姿なら別だが。
アルテミシアは普通に真っ裸で、見合い相手は衣服の乱れはなく陰茎のみ出している姿、これなら何を言ったところでアルテミシアの発言は信用されない。



未来の夫になるかもしれないムスタとの顔合わせは今日の昼過ぎ。
出来るだけ清楚に見えるようにと、ドレスから身に付ける宝石、髪型や髪飾りまでありとあらゆる手を尽くして今に至る。

アルテミシアだって、着飾るのは好きだ。綺麗にされるといつもの日常が、さらに素敵なものになる気がするから。それが未来の旦那様の為なら尚の事。
自分の両親を見ていると、仲の良い夫婦には憧れもある。

ジルダや侍女らと、どうしたらムスタに気に入って貰えるのか、話すのは楽しい。しかしその場にロランがいるのが不服で、どうしても顔が笑えなかった。

そんな態度が気に障ったのか、5日前の失敗したお見合いにプラスして、今まで断られた男らの感想まで聞かされたアルテミシアは精神的にも肉体的にも打ちのめされていた。

ムスタを出迎える為の用意が必要と、昼食はかなり早く済ませたバルー家。
せっかくの昼食も兄ロランの暴言で涙が瞳を覆う。

それを兄に知られたくなくて我慢する。だから大好きなスープに口もつけず、しかし席を立つ事も出来ず、料理が運ばれ皆が食べ終わった瞬間、その場を離れ大好きな〝彼〟がいる部屋に逃げ込んだ。




見慣れた室内は我慢していた気持ちが弾けるのには、十分だった。

「お兄様の馬鹿ぁ!! 意地悪っ!! 」

涙は決壊し深紅の絨毯を濡らしていく。目の前はぼやけて何も見えない。

「私は拒んでない!! 私は何も望んでないのに…どうして? みんな、私の何が嫌なの…」

自分の声に本音に更に自らを追い詰め、傷ついていく。それでも誰かに問いたかったのだ。

沢山沢山傷ついて、今自分が立っているのかもあやふやになった頃、視界に映るのは真っ白な塊。

アルテミシアは本能に従い、視界いっぱいに広がる真っ白な塊に足を向けた。





(「…アルテミシアを抱きしめてやりたい。君こそ素晴らしい女性はいないと元気づけてやりたい。
……ただ一度でいい。その先の生を望まない。ミラ、私にひと時の生を頼めないか? 人型とはいわない、このままで構わない。
……頼む……」)

『嫌、だ。シリル、は、何も、分かっ、て、いない、聞けぬ、な』

ブチッ!!!
(「ミラ!!! 聞けない理由を言え!!! 」)

激昂したシリルにも、ミラ神はおっとり通常運転だった。

『シリルは、人を、導く、存在。何故、小娘、一人、の、為、命をかける? そんな、都合は、知らぬ』

(「ぐっ。……ではどうしたら話を聞いてくれる? 私に出来る事ならなんでもしよう」)

『シリルは、馬鹿、か。私は神。人一人に、力、なんて、使えぬ。馬鹿』

呆れたようなミラ神の発言に、更に怒りがわき上がる。怒りからもう言葉も出ない有り様で、シリルは唸り続けていた。

『まぁ、まぁ、シリル、なるよう、に、なる。全て、は、心の、まま、に。
我れら、が、友、リュシアンが、やっと、運命、の、出会い、を、果たす、のだよ。
もうすぐ、だ。ほらっ、二人が、出会う、私、には、視える。
あぁ、リュシアン、そんな、風に、舐めては、ふふっ。
彼女が、よい匂い、だからと、いっても。そんなに、腰を、振って、あぁ、あの子は、純粋で、可愛いね。
……さあ、馬鹿、な、シリル。
母フェリシーと、父リュシアンが、揃った、時、沢山、私の、大切な、子供達に、最上の、幸せ、が 、届くよ。
お前も、見届け、なくては 』

シリルの願いを聞いていたはずのミラ神は、途中から意味が理解できない実況をしながら、陶酔気味。
頭が常に花畑のミラ神に、シリルは本気で殺意が芽生えた。

(「ふんっ 何が友だ。女どころか、自分にも他人にも興味がない、あのリュシアンが運命の出会い!? 何が最上の幸せだ。世迷言を」)

毒づくシリルに、ミラはおっとり笑っていた。シリルに〝今から訪れる奇跡〟を言うのは簡単、でもそれだけではミラ神は満足していない。もっと、もっと、生を求めてもらいたいのだ。

(『リュシアンに、運命の、出会い、が。そして、シリルにも、運命の、出会い、が。
ヒト、とは、運命とは、素晴らしい…ヒトは、醜い、だけ、では、ないよ、シリル。
リュシアンへ、の、評価は、相変わらず、だが…。三千年、生きて、やっと、愛する、こと、を、学んだ、シリル、には、言われたく、ない、だろう。
くくくっ 』)

そんなミラ神の心の内はシリルには届かず、まだ唸り続けていた。しかしその怒りも、ふらふらと歩くアルテミシアに意識を戻した瞬間 霧散した。




こちらに歩いてくるアルテミシアを、身体全てで感じる。同じ部屋にアルテミシアの存在を感じるだけで、シリルの身体は芯から燃え上がる。

シリルの正面に座り込むアルテミシア。薄い黄色のドレスは、今や涙で色が変わりつつあった。

(「アルテミシア……君は悪くない」)

話せないが、声は絶対に伝わらないが、それでも言葉を紡ぎ続ける。

(「アルテミシアは優しく美しい人だ」)

泣き崩れる姿はシリルの心を焼き縮める。伝わらないと理解していても止めるつもりがないシリルは、アルテミシアがいかに素晴らしいか何度も言い聞かせる。声にならないのを苦しく思いながらも…。

突然。嗚咽だけの室内に、甘く甘く響く男特有な低音の透き通る声がはっきりと響く。


「アルテミシア………愛して…いる…よ」


えっ!?
うんっ!?

室内にいるアルテミシアとシリルはまさかの展開に同時に硬直(すでにシリルは固まった状態であるが…)。

徐々に先ほどの麗しい甘い声が、アルテミシアの脳内をリプレイする。信じられない奇跡を体験し、泣き顔が一気に真っ赤に色づき、頬は香りがするような薔薇色にそまる。


「… えっ!? 今、男の人の…声が………? 」


空耳ではないと断言できるほどしっかり耳に聞こえた。アルテミシアはこの〝贈り物〟に喜びを爆発させる。

「こ、声、聞こえたわ!! 私の、名前を呼んでくれた!! 愛しているとも言ってくれた。貴方よね、そうよね。うそじゃないわよね」

動かないシリルに必死に話しかける。返答はない。

「や、やだ、凄く凄く凄く綺麗な声だった…。今まで会った殿方の中で一番…素敵……」

そう奇跡は何度もある訳はない。でも確認したくなる。


「ねぇ、もう一度だけ、話してください………」

「聞きたいです……」

「………………………無理…か……」ポツポツと話すが、勿論 狼の剥製から返答はない。



二度はないただ一度でも、アルテミシアには堪らない幸せを運んだ。

「あぁ!! もう、幸せでどうにかなりそうだわ。
剥製様は見た目も美しいですけど、声もとても素敵です! まだ胸が…はぁぁぁ、ドキドキしてます………」

そう言ってアルテミシアは自身の豊満な胸をグッと押してみせた。




逢瀬とは言えないほどの短い時間。愛しているアルテミシアと触れ合いはしないが、彼女に想いを伝えて悲しく流れていた涙を消せた。
シリルにとって、それで充分だった。


(「……ミラ……ありがとう」)

シリルからの感謝の言葉に、ミラ神からの返答はなかった。





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