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19、隠し通された本心

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 ゆっくりと瞳が開いていく。

 吸い込まれそうな透明度を誇るフェリシーの黒曜石の瞳は、現在の状況を把握するべく、自身を覗き込むオリーブと知らない部屋を交互に見やっていた。

「ここは……?」

 ガタッ!!! いい具合にオリーブが座っていた椅子が後ろに吹っ飛んだ。

「っ!! フェル様っ、大丈夫か!!!」

 相変わらず言葉はキツめだが、心の底から心配しているのが全面に出ているオリーブの顔に、微笑みを返す。

 もちろん大丈夫に決まっている。リュシアンが側にいながらフェリシーを傷つけることは万一もない。


「オリーブさん、大丈夫です。あの…ここはどこですか?」

「ああ、いきなりだと驚く訳だ。ここは王宮の救護室で、王宮で働く我々が通う病院みたいなものだ」

「………え…ええ……」

 フェリシーは苦笑いだ。

 ここ救護室に寝かされている現状には、驚かない。そうなるだろうと気絶する前に思っていたからだ。


 しかし今、フェリシーの複雑な表情(オリーブが吹っ飛ばして壊れた椅子に対して)をオリーブはそう捉えてない。

「あの、と、突然倒れたと聞いた。とても心配した…起きたては水が飲みたいだろうと。今、ルークが水をもってきてくれる。しばし待て」

「ありがとうございます。あの、オリーブさんが私をここに運んでくれたのですか?」

「私じゃない。運んだのはアリア王女様だ」

「えっ!?」


 思わず驚くフェリシーに、オリーブは何故か慌てながら必死に何かから? 言い訳をし続ける。

 それはフェリシーがリュシアンと出ていったのをオリーブも知るところ。彼が追いかけたのを知っているのに、フェリシーが倒れて運んできたのがリュシアンの実妹である王女アリア。

 普通に考えたなら、わざわざ追いかけたが目の前で勝手に倒れ面倒になり、優しい妹に頼んだ……と、とれた。

 真実、その想像は間違いであったがオリーブは必死に言い訳を並べていた。

そんなオリーブの考えも虚しくフェリシーはこの状況を(「まぁ、こうなって当然です」)と達観していた。

 魂の母と父である二人を無意識にくっつけようとしていた、オリーブとルークだ。
フェリシーがリュシアンに対して負の感情を持ってしまうと感じただけで、慌てるのは当然。
しかし、二人の不安は見事に的中していた。


「違う、違う! 女性だから、フェル様は女性だから同じ女性であるアリア王女に頼まれた! と…思う。
 決して面倒とか、呆れたとか、救護室が少し遠いからとか、そういうのではないからな」

突如何かが弾けたように、叫びだすオリーブにフェリシーは疑問しか感じえない。
何をそんなに必死なのかと…。

(「…そんな力一杯リュシアン様を庇わなくても…余計真実を口にしてます…オリーブさん。
 全部オリーブさんがいうのが、事実なんだと私は思う。
 …あの優しいリュシアン様が、面倒とは流石に思わないだろうけど、執務もあるだろうからこれ以上私に関わるのは時間が許さなくて、他の人に頼まれたのですね。
 面倒ではなく、時間がないってのがきっと真実。
 リュシアン様…お身体は大丈夫でしょうか?…身体を慰めるだけの相手なら沢山いらっしゃるだろう。
 私なんかが、相手にならず良かった。…関係をもたなくて本当に良かった。
 …あんな甘い経験はそうそうないのに、自分から放棄する私って……馬鹿ですね。
 ……私がもっと男女の睦み合いに準じていて、沢山経験があれば……。リュシアン様の性欲を鎮めて差し上げられたのだけど、今さら考えても…仕方ない…です……」)


 オリーブの切実な言葉は思ったようにフェリシーには伝わらず、当の本人は何ら考えこむように黙りこくってしまう。

 どうしたらリュシアンが悪くないように納得してもらえるか? フェリシーに印象良く伝わるか? オリーブの頭は大混乱し、自身の言葉の拙さに涙が出そうであった。

 そんなオリーブの心情をよそに、フェリシーはさらに深く考え混んでしまう。どうみても、リュシアンを良くは思ってない表情である。
オリーブの焦りがより膨らんでいった。


 静まり返った室内に、やっと救世主か? ルークが水をもって入室してきた。

 コンコンッ。

「はいるよ~。 あっ!! フェル!! 良かったっ 目が覚めたんだね。水持ってきたよ、どうぞ」

微妙な雰囲気を破ってくれた救世主であるルークだが、オリーブの焦りはそのままである。


「ルークさん、ありがとうございます」

 ルークから受け取ったコップは、中の水の冷たさからか冷んやりとしており、色んな出来事が怒涛に過ぎた今を少し冷静に冷やしてくれたように感じ、気持ちが安らいでいく。

 グラスに口をつけて、ゆっくりと傾けるとレモンの香りが鼻を抜ける。
味は無味なのに香りが付いていて、飲みやすく爽やかな気分にもしてくれる美味しい水だった。


「凄い、レモンの香りがする水?? 美味しいです」

「喜んで貰って嬉しいよ。レモンの皮を漬け込んで匂いつけしたんだ。他の果物で試してみたんだけど、レモンが一番後味が爽快で喉の渇きが引くだろ?」

 ルークの説明を聞きながら、もう一度レモン水に口をつける。今度はグラスの傾きをより強くし、口内にいっきに流し込むように注いだ。まるで何かを洗い流すように。


 ルークやオリーブに会った事。

 侍女の真似事をして料理を手伝った事。

 ミラの大国の舞踏会を見た事。

 ミラ神の遣いである黄金の獅子に会った事。

 黄金の獅子とちょっとエッチな行為をした事。

 そしてリュシアンを近くで拝見できて、思わぬハプニングで普段ではあり得ない状況に……。

 ミラの大国の王子であるリュシアンにとっては、苦々しい状況だったかもしれないが、フェリシーにとっては違う。

(「一生で一度の、最高のハプニングです…」)

 フェリシーの唇は、その甘い時間を思い出し自然と弧を描く。


 もう奇跡の体験は終わりにするつもりだ。これ以上は辛くなる。また偶然があるかもしれないが、二度目の偶然は普通ではいられない。
 すがりついて『好き』だと言ってしまう。

(「リュシアン様を嫌いな人なんて、存在しません。素敵に思えるのは当然です。
 惹かれるのは、私だけではない。私の感情は誰でも当然に起こり得る事なのです…」)

 きっちり分析できた自分の思考に、笑えてならない。

(「私は、ルキシール国の人間。ミラの王国の人間ではないです。
 今日この場をもって、ルークさん、オリーブさんとはお別れにします。
 幸せな遊びは終わりです」)

 フェリシーは固く固く自分に言い聞かせた。
 手の中にあるグラスのレモン水を全て飲みきって、フェリシーはもう一度二人に礼を言う。

「ルークさん、オリーブさん、色々ありがとうございます。そろそろルキシール国に帰る準備も必要になりますので、お手伝いも今日までに致します。
 短い間でしたが、貴重な経験をありがとうございました」

 まさかのフェリシーからの礼と、さようならの言葉に二人は動揺する。

「フェル、何を言ってるんだよ!! イレーヌ王女はダリウス様と結婚されるんだから、イレーヌ王女の侍女の君はミラ国に残るんだろ? 」

「残りません。私はルキシール国民です、イレーヌ王女の侍女と言っても、下っ端の下っ端。私は相手にもされない人間ですので。
 イレーヌ王女にはスペシャリストの侍女が付きますので、私には関係ありません」

 嘘に嘘を塗り込むことにフェリシーは疲れていた。

 この国で起きた事は、全て夢とまぼろしだった。そう思えばストンっと心に落ちる。


「そんなぁ……」

 ルークの頼りない声に、フェリシーは満面の笑みを返す。

「今までお世話になりました。本当にありがとうございました」

 有無を言わせないフェリシーの言動に、ルークもオリーブも何も言葉を発せない。

 態度も言動も柔らかく下手に出るフェリシーだが、実はこうと決めたら梃子でも動かない頑固な性格。

 他者には可愛くないと映るかもしれないが、フェリシーのこの強い在り方は必要なのだ。
種の限界、絶対の強さを持つリュシアンの伴侶となるには、フェリシーほど心の強い人でないと、王国は潰れてしまう。

 ミラ大国の王子であり、未来の王で、神の子であるリュシアンが、万に一つ 道を踏み外した時。
 自らの命を盾にリュシアンから国民を護れる強さ。決して流されない強さは伴侶に必要不可欠なのだ。



 ***


 リュシアンの自室は、一言でいえば殺風景。宝飾品はほぼなく、飾られているのは宝石が埋め込まれた弓矢や剣といった武器で、誰がみても殺風景としか思えない。

 ただ一つの贅沢は、王宮のどの部屋よりも広い事だった。

 獅子姿でも軽く走れるほどはある。本当は三部屋あったのをリュシアンの為にぶち抜いて、つなげたのだ。

 獅子姿でもゆうに寝れるほどの大きなソファーにリュシアンはいた。

 背もたれに身体を預け椅子の淵に頭をのせ、瞳は閉じている状態。昼間の姿のまま。
 簡易な黒いトラウザーズに、肌の色が透けるほど薄いシャツは肌けており、見事に盛り上がる胸筋が見えている。
 眠っているのか、綺麗なブルーサファイアの瞳は固く閉じられていた。

 トントン トントン 。

 何度か扉の鈍い音が室内に響く。中にいるはずの人からは反応がなく、それでも諦めず呼びかけは続く。

「……お兄様」

 しばらく待つが中から声どころか、物音もしない。普段から足音を極力させない兄の行動がこういう時は憎い。

 フェリシーを王宮の医務局に運んだ報告…とは名ばかりで、大好きな兄の状態が気になってアリアはリュシアンの自室を訪ねたのだ。


(「また 森に行ったのかしら?」)

 仕方ない と諦め、兄の自室から離れようとしてやっと声が返ってくる。


「……アリア、用事か?」

「まっ!! お、お兄様!! 入っていい!?」

「あぁ………」

 覇気のない受け答えでも、入室を許してくれた兄の思いにアリアは嬉しくなる。

 入室すればそこはいつ見ても殺風景な室内。その場所を唯一鮮やかに彩っているのは自慢の兄。
 教会や王宮に描かれた どの神々よりも神秘的で荘厳な姿。アリア エリザと同じ色彩の金髪碧眼でも、その輝きがまるでリュシアンとは違う。
王女として賛美は嫌というほど聞いており、皆がリュシアンをひっくるめて神々のように美しい王子王女様方と讃えてくるが、それは違うとアリアは常日頃思っていた。

アリアは自信の見た目を他者とくらべ、確かに優れていると冷静にみれていた。ただそれは宝石やドレス、立ち振る舞いなど全てを合わせて品位のある姿としての美しさだ。

何もその身に付けずとも、兄は眩しかった。自分達と兄は違うと理解していた…だからこそ今まで兄リュシアンは、アリアには絶対的な〝何か〟だった。

(「……お兄様をまともに、それこそ手が届く位置で見てみるといいのよ。私達と同じな訳がないわ。
恐れ多い。私とは雲泥の差ほどの美しさがお兄様にはあるのよ」)

誰への言い訳か、アリアはぐっと腹に力を入れた。
そして、美しい兄と瞳を合わす。



「………お兄様は…ほんと、綺麗ね」

 まるで挨拶のように賛辞を送ってくる妹に、リュシアンの肩の力は抜けていく。

「アリア。慰めはいらないよ。それに私におべっかを使っても意味がない」

「あらっ、おべっかではなくタダの感想よ。…慰めではなく、今後の対策を練りにきたの」

 力なくソファーに座るリュシアンの前に、アリアは移動し向かい合わせに配置された同じ意匠のソファーに腰掛けた。

「相談?」

「そうよ。相談。えっと、先ずは。お兄様は……もうフェリシー様を諦めるのかしら?」

 アリアの思いもしない言葉に、ふやけていた意識がはっきりしてくる。

「諦めるとは? どうしてそうなる。私は一度でも諦めるとは言ってないけどね」

 殺気まではいかないが、怒気をはらんだリュシアンの台詞にアリアは恐怖と歓喜が同時にやってくる。

「良かった……お兄様が誰でもいいなら、次があるわ。とオススメ出来るのだけど、そうならなさそうだから…嬉しい。
 お兄様の気を引こうとベタベタしてくる あざとい女よりは断然いいわ!! 
 お兄様!! そもそも男女経験のない女性に、いきなり股間を触らせるなんてしては駄目ですのよ。
 きっと、嫌で失神したのではなくて、衝撃と羞恥心から倒れたと思いますわ」

 恋愛初心者のリュシアンには、女性の機微などは読めない。機微の問題だけではないのだが、それはひとまず忘れている。
 だからこそ夜会で着用する衣服を妹であるアリア達から助言を受けたのだ。

 ありとあらゆる男性を虜にしてきたアリアが、最終選んだのは女遊びをした事もない純朴な男、ダミアンだった。


「嫌と 感じてない…と、言い切ってくれるのは、少し気持ちが楽になるよ……。
 …諦めるのは無理だろう。フェリシーが私でない男と肩を並べ笑いながら歩いているだけでも、発狂できる自信があるからね……。
 もう病気の域だと思うよ」

 決してないとは言えない恐ろしい未来に、アリアは寒気を感じて両腕をさする。

(「こ、恐いわ、お兄様…まぁ、でも…他人に興味が湧くのは進歩かしら…。
 少し…いえ、だいぶ振り切れてますけど…」)


 アリアは兄リュシアンの行き過ぎた発言を軽く肯定しながら、大好きな兄の初恋が叶うように笑顔を意識してつくり背を伸ばして、思いの丈をぶつける。

「何を当たり前な事を言うのですか。お兄様ほどではなくても、基本、皆がそうですわ。
 お兄様は美しくて強く、皆からの羨望しか受けてこなかったのです。
 醜い嫉妬や妬み、独占欲、そういった感情を経験されてないの。
 口には出さなくても、大なり小なり皆が思う感情ですわ。実際に、旦那様に浮気をされ涙をのんで我慢する者、では私も…と若い燕を飼う者、結構いるのですよ。
 殿方が知らないだけで、女だけのお茶会は、常にそんな話が飛び交ってます。
 お兄様のような素敵な人が、自分一人を愛してくれるなんて夢物語は空想の世界だけ。
 それが叶うのです。
 身分違いでもなし、年齢も釣り合う。お兄様とフェリシー様の間に壁はございませんわ」

 アリアの紡がれる言葉の数々に、リュシアンは癒されていく。
 嫌われてないなら、まだ望みがある。今日の昼には失神されたが、未来に夫婦となれば当たり前の行為に過ぎない。
 とリュシアンは思っている(若干ずれてはいるが…)。

 希望が見えた未来に、落ちつきを取り戻したリュシアンは、アリアと今後を話し合う。

 燭台がなければ真っすぐ歩く事も出来ないほどの暗闇になるまで、二人の話し合いは続いた。




「と、いう感じでお兄様の素晴らしさを見せていけばいいわ!!」

「今度こそ上手くいくようにだね…」

「ええ。お兄様…間違っても性的な触れ合いは禁止!! ですわよ」

「………分かっている、………一応…」


 釘を刺してもなお不満気なリュシアンに、怒った風を見せたアリア。

 バツが悪そうな態度の兄を見て、(「大丈夫かしら…」)と不安を拭えなかった。


 そしてまさかこの日の数日後、兄リュシアンが愛しているはずのフェリシーを無理矢理組み敷く未来が待っているとは、アリアは…思いもしなかった。
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