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第5巻番外編

ある日の……

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 それは九の月のある晴れた日の午後の事、時間が空いたジェナサイトはユリウスの屋敷を訪ねに行った。しかしユリウスは不在でジェナサイトは屋敷を後にした。

 今日は休みだったはずだが……

 そう思いつつ歩いていると、なんと道の向こう側からユリウスが走ってくるではないか。
「ああ、ジェナサイト、来てたのか」
 ユリウスはジェナサイトの近くまで来て言った。動きやすそうなラフな上下を着ている。
「お前、何やってんだ?」
「何って……あはははは」
 ユリウスは足踏みをやめて笑い出した。
「…………」
 ジェナサイトの顔はいつもと違っていた。頬の右側に赤い蛇の尻尾がべったりくっついていたからだ。ジェナサイトが前にもらった子蛇はまだたまに移動を続けていて、今は頭は胸の辺りにあり顔に尻尾があるというわけだった。ジェナサイトとしては別に恥ずかしい事でもないので隠してもいない。
「とうとう顔にきたのかー、かわいいなあ……」
「俺の顔の事はどうでもいいんだ。そんな格好で何してるんだ?」
「走ってた」
 ユリウスはあっさり言った。
「走ってた?」
「王妃に聞いたんだが、出産って体力がいるらしいぞ。だからせめて体力でもつけようと思って……」
 と言ってユリウスは両手を左右に振り始めた。
「…………」

 この女は……ちっともじっとしてやしない……

 ユリウスも仕方なく今は最前線で戦ったりということはしてはいないのだが、じっとしている仕事はかなり退屈らしい。
「王妃はそういうつもりで言ったんじゃないだろう。あのな、激しい運動はしないでくれ、頼むから。何かあったらどうすんだ?」
 『何かあったらどうすんだ?』というのが最近のジェナサイトの口癖だった。
「先生も安定期に入ったら、多少の運動はいいって言ってたぞ?」
「走るのは多少じゃないだろ。歩け。せめて」
「えー……つまらないなあ……」
「一生の内の三年くらいじっとしてろ!」
 ジェナサイトはユリウスの腕を引いて屋敷に連れて行った。

「心配症だな。ジェナサイトは」
「お前は気にしなさすぎだ!」
 ジェナサイトとしてはいまだにユリウスのお腹に自分の子供がいるということ自体信じられないが、これで無事出産ができるのかかなり不安だ。
「お前は妊婦の勉強をした方がいいぞ。ユリウス」
「ちゃんと病院でいろいろ教えてもらってるぞ。そんなに激しくは走ってないし」
「走る事態、激しいだろ」
 毎度突っ込むのもばからしいと思いつつ、片時もユリウスから目が離せないジェナサイトだった。

 西の空に赤みが差してくる頃、シャナーンは国で一番大きな図書館で読書中だった。椅子に座って本を読んでいるのはほとんど戦士か一族の者達らで一般市民の姿は見えない。そんなシャナーンの横に女性が寄ってきた。シャナーンが顔を向けた。
「こんにちは、シャナーン様」
 にこりと笑っていったのは、かつてミカエルの恋人だったクロエだった。相変わらずのスレンダーボディだ。肩までの黒髪には軽くウエーブがかかっていた。前はストレートだったので髪型を変えたようだ。小さめの顔はかわいらしくピンク色の唇も男心をそそるには十分だったが、シャナーンは「こんにちは」といってすぐ本に視線を戻してしまった。
「シャナーン様って、相変わらずつれないですね」
 クロエが唇を尖らせた。クロエは胸を強調する服を着ていた。でもシャナーンはあんまり興味がないようだ。
「まあいいですよ。実は珍しい本が入ったんですよ。まだ表には出してないんですが、シャナーン様が好きそうな本だから先に貸してあげようと思って」
 クロエがそう言うと、シャナーンはまた顔を向けた。
「珍しい本? どんな本です?」
「それは見てからのお楽しみですよ。書庫の方に一緒にどうぞ」
 シャナーンはかなり本好きである。珍しい本という言葉に惹かれて、クロエについて書庫の方へと向っていった。一階の扉の奥に入っていくと、クロエはばたんと扉を閉めた。その部屋には本が積まれた棚がずらりと並べられている。
「こっちですよ」
 クロエが行く方についていくと、部屋の真ん中辺りでクロエは立ち止まり、棚から一冊の本を出してシャナーンに見せた。それは古代語の本らしかった。
「ああ、この本なら研究所の方でみかけましたよ」
 シャナーンはぱらぱらとめくっていった。
「そうなんですか?」
「……何してるんです?」
「抱きついてるんです」
 クロエは横からぺったりシャナーンに抱きついていた。
「こうでもしないと二人きりになれないんですもん」
「あなたってほんと懲りない人ですね……」
 シャナーンはちょっと呆れたように言った。
「だってえ、シャナーン様年々良い男になっていくんですもん。遊びでもいいですから、ちょっと付き合ってみません?」
「いやです」
「そう言わずにい」
 ちょっと悲しげに見つめてみたものの、シャナーンの冷たげな顔つきは全然変わることはなかった。
「あなたは一途さが売りだったのでは?」
「私は今でも一途ですよ。遊びから本気の恋に発展することってよくあるらしいじゃないですか」
 どうやらそれを狙っているらしい。
「一度仲良くなれば、シャナーン様の気も変わるかもしれませんよ?」
「興味ないです」
「もういけず!」
 クロエがしぶしぶ手を離すと、シャナーンはさっさと行ってしまった。

 くそう、私のお色気作戦も全く通じないとは……
 一度抱かれればこっちのもんなのになあ……

 クロエは口を尖らせて書庫から出た。

 遊びから本気の恋に発展し、恋愛小説によくあるような「もう私にはあなたしか見えない……」というセリフを言わせる計画だったのだが、最初の段階で挫折してしまった。クロエは色気にも自信があった。そこそこの男達相手なら簡単なのだが、力が上の連中はなかなか難しい。

「あ、クロエこんな所にいたのかあ。終わったら一緒にメシ食いに行こうぜ」
 クロエの姿を見かけて一人の男が近づいてきた。黒い戦士服を着た緑の髪の男だ。
「どうしたんだ? 口尖らせて」
「別にい……」
 その男はミカエルと別れた後にクロエが赤い月を過ごした男だった。

 ああ、この私がなんでこんな下級戦士の、しかもタレ目の男と……

 男の目尻は下がっていて美男子という顔立ちではなかった。だがブサイクということもない。まあ普通だろう。筋肉質で背も高く見た目は男らしい。だが階級は下級戦士で肌に一匹の蛇もなく、蛇の胴体部分がちょっとあるだけだった。
 クロエとしては下級戦士と付き合う気は全然なかったのだが、この男、なぜか性欲だけは有り余っていて、そこで意気投合してしまったのだった。遊びのつもりがずるずるとってやつだ。クロエも一族の女性の中では性欲が強い方で普段でも抱かれても平気なくらいなので、つい誘いに乗ってしまい、この男と赤い月も一緒に過ごしてしまったのだった。
 クロエは男を見てはあと息をはいた。
「なんだよー?」
「せめてあんたが中級戦士だったらなあ」
「まだ言ってるのかよ。いいじゃないかよ。俺達の間には愛があるんだから」
 男がさらに目尻を下げていった。
「愛? そんなのないわよ。どこにも」
 クロエが横目で睨んで言う。
「へー、よく言うぜ。赤い月の時は泣くほど喜んでたくせに」
「ぐ……」
「月があけた後には立てないほどだったもんなあ。はははは」
 男は笑っていた。
 確かに赤い月ではクロエは十日間満足しまくったほどだった。ミカエルの恋人だった時は、十日全部ミカエルと過ごすなんて無理だったのでそこが不服だったのだが、この男の時はそんなことはなかった。しかも普段も望むままに抱いてくれるのだからかなりまれな男だ。これで力が強い男なら申し分はないのだが、相手はしがない下級戦士だった。愛があれば力なんて関係ない、とは言うが、やはり関係ある。女の本能が「もっと強い男と引っ付きたい」と騒ぐのだ。愛したミカエルとは赤い月を満足できず、下級戦士のことは愛してはいないが赤い月は満足なのだ。
 どちらが自分にとっていいのか、クロエにはわからない。男のことを全くなんとも思っていないかと問われれば、赤い月を一緒に過ごしてしまった以上はちょっとは好意は感じているのだ。

 それが愛に発展することも? やだー!!!

「俺にはクロエだけだぜ♪」

 独り占めできればいいってもんじゃないのよー!!!

 クロエは心の中で絶叫していた。愛する男を自分だけのものにと、かつては願っていたが、今はもっと力が上の男と付き合いたいと願っていた。困ったものである。
「もちろん来年もびっしり可愛がってやるからな。その前に今夜な」
「あー全く世の中ってままならないもんねえ……」
 クロエはため息交じりにいった。
「そんなことないさ。俺とお前体の相性ぴったんこじゃないか。世の中うまいことできてるよ。出会うべくして出会ったのさ」
「えー」
「お前を満足させられるのは俺だけだって」
「ちぇ」
「じゃあ二階で待ってるからよ」
「わかったわよ」
 男は階段を上がっていった。

 あーあ、かなり不服だけど……でも今夜の事を考えるとちょっと体がむずむずしちゃうかも
 結局来年もあいつと過ごすことになっちゃうんだろうなあ……

「王妃様、女の幸せって何なのでしょう?」
 クロエは城にいるであろうゆりに話し掛けていた。
「あのまま余計なことをしなければ……でもねえ、やっぱり赤い月は十日愛されまくりたい! だって、そのための赤い月なんだもの! まあ当分あいつでしょうがないかあ……」
 そう思いつつクロエは仕事に戻ったのだった。


「わー本当だ、顔にいる!」
 数日後、ジェナサイトは城のゆりの元にきていた。顔に子蛇がいるというのを聞いてゆりが見たがったからだ。子蛇の尻尾は頬に引っかかる程度だったが、くるりと先が丸まっていた。
「かわいいー!」
 ゆりは喜んで赤い蛇を眺めていた。じっと眺めているとジェナサイトの頬がちょっと赤くなってきた。ジェナサイトがユリウスといい仲になってからは、ゆりもさすがにジェナサイトに子蛇を見せてとはいいにくかったので、久しぶりに見せてもらったくらいだった。
「ユリウスは元気にしてる?」
「元気すぎますよ。この前なんて体力づくりとかいって一時間も走り回ってるし」
「ははは、ユリウスらしいね」
 ゆりはちょっと引きつった笑いを浮かべて言った。
「全然じっとしてないんですよ」
「まあ軽い運動はいいらしいけどね。私は散歩くらいしかしないけど」
「妊婦だっていう自覚が全然ないんですから……」
「ふふふ……ジェナサイトとしては心配よねー。まあ三年って結構長いからユリウスも家でじっとしてるのもやだろうしねえ、たまには適当に発散させた方がいいかもよ」
「はあ……」
「心配しなくてもユリウスもそんな激しいこともしないでしょう。ちゃんとわかってるって」

 いえ、全然分かってないと思います

 ジェナサイトはそう思った。
「今度会った時には妊婦の心得でも教えてやってください」
「はははは」


 その夜、ジェナサイトがユリウスの屋敷に行ってみると、ユリウスは部屋で鉄の塊のようなものをあげたり下げたりしていた。
「お前、何やってんだ?」
 ジェナサイトが目を真ん丸くして聞いた。部屋の中には四つほどの大きさの違うダンベルが置いてあった。どれも女性が持つようなかわいらしい大きさのものではない。
「部屋の中でじっとして体力づくりしてるんだ」
 ユリウスは真顔で言っていた。確かにユリウスは椅子にじっと座っているが、妊婦があんな塊を上げ下げしてもいいのだろうか。

 もうユリウスには何を言っても無理かも……我が子よ、元気に育つんだぞ!

 ジェナサイトはユリウスのぺったんこのお腹を見つめてそう願ったのだった。
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