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第一巻番外編

ある日の王 前編

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 大きな命の灯火が消えようとしていた。

 ─すまない……本当にすまない……

 病床で、王は何度も何度もその言葉を繰り返し息子に告げた。
「ハザーク様……どうか息子を見守ってやってください……」
 王はベッドの横にいたハザークに言った。
「王よ、どうか安らかに……」
 ハザークの言葉が終わらない内に、王の命は事切れてしまった。

 国王が崩御された。
 そのことを一族の者達はすぐに理解した。国を覆っていたわずかな王の気が消えてしまったのだ。悲しみにくれる暇はなかった。今この時、すでに国の北部では大きな戦いが行われていた。城の周りでも戦士達が戦っている。早朝から行われた戦いに、王子は王の間の玉座で一族の者達に力を送っていた。父親の気が消えて、その瞬間、王子は王になった。まだ大人になっていない、少年の王だった。
 国王が亡くなったことに敵も気づいたようだった。
「お悔やみ申し上げる。だが、国王もさびしくはないだろう。大勢の殉死者と共に死出の旅に出られるのだから」
 敵の指揮官が告げた。

 国王の寿命が近づいている。そのことを知り、龍の国は、ここぞとばかりに大量の人数で攻め込んでいた。蛇の国は大きな戦いともなると国王の力に頼る所が大きいと知ってのことだった。しかも、一人っきりの王子は成人してはいない。成人していない王に、大きな力は使えないのだ。

 この戦いで味方は奮戦したものの、大きな犠牲が出てしまった。王子は城の結界はかろうじて守りきり城の中に敵を入れることはなかったのだが、敵の大きな魔法を防ぎきれなかった。北の大地で龍は暴れまくり、夕方になると敵は満足したように消えて行った。

 父が死んだ
 兄が
 息子が
 娘が

 一族の嘆きを受けながら、王子は手で顔を覆っていた。

 せめて成人していたならば、もっと力が使えたのに……

 父親の死を嘆く暇も王子にはなかった。王子には兄弟も親戚もいなかった。力で誰かを頼ることはもうできないのだ。
 その日から国王の重責が王子に重くのしかかった。

「早く大人になりたい」
 それが王の口癖だった。王の年齢は五十歳である。蛇の一族は五十から六十ほどで皆成人するので、早ければもう成人しても良いはずだ。
 もちろんいろいろ努力はした。成人を促すものはみな試している。
「その兆候は見えておりますから、もう少しの辛抱ですよ。王」
 医師のフレイが王を慰めるように告げた。
「もう少しもう少しって、確か三年も前から言ってないか?」
 王は不機嫌そうだった。
「そうでしたかな?」
「そうだよ」
「ですが兆候は出ておりますので、二年の内にはすっかり大人になると思います」
「二年! そんなにかかるのか?」
「お辛いのはわかりますがもうしばらくは辛抱なさってくだされ」
「……苦いお茶飲んで損した」
「わしは今飲んでも効果はないと申したではないですか」
「あーもうつまらん、なんかこう楽しい話はないのか?」
 王は髪をかきむしって聞いた。
「はあ……」
 フレイは考えたが、何も楽しい話は思い浮かばなかったようだ。
「もう行っていいぞ」
 王はあきらめたように告げた。

 自分が国王になって、楽しい話など何もなかった。
 街の住民が逃げ出しているだの、治安が悪化しているだの嫌な話ばかりだ。
 おまけに今年は酒が不作ときたもんだ。
「どうやら酒の神にも見放されたらしい」
 王はいじけていた。


 ある夜一人さびしく部屋で酒を飲んでいるとハザークがやってきた。
「最近寝てないようだな」
 ハザークは王を見るなりそう言った。
「眠りたくても眠れない」
「心配ごとが多くても寝た方がいいぞ」
「……はあ……」
 王は大きなため息をついていた。
「僕が眠れないのはハザークにもちょっとは原因があるんだぞ」
 王は恨めしげにハザークを見て言った。
「我が?」
「戦いが終わった夜に言っただろう。『たとえ滅んでもお前のせいじゃない』って。あれから滅びという言葉が頭から離れない」
「……我がそんなこと言ったか?」
 ハザークは首をかしげていた。
「言った!」
「そうだったかな? 慰めようとしていっただけなんだが……」
「ぜんぜん慰めになってなかったぞ」
「そうか……」
 ハザークはほんのちょっとすまなそうにしていた。

 まったく……自分はすっかり言ったことを忘れていたとは……

「まあせっかくだから、ハザークも酒を飲んだらどうだ?」
「うむ」
 王はハザークに酒をついでやった。

 ハザークは長い長い時を生きている蛇だ。先代の王はとてもハザークを敬っていた。
 先代の王はハザークのことを「ハザーク様」と言っていたが、王は「ハザーク」と呼び捨てにしていた。父親に「様」をつけなさいといわれても反抗してつけなかった。

 ハザークなんてただ長生きしてるだけの蛇じゃないか!

 そう思っていたからだ。

 「生き神様」ならもっとなんとかしてくれよ!

 子供心にそう思っていた。

 数年前に「大人にしてくれ」とハザークに頼んだことがあった。結局無理だったのだが。

 そういえば父様を若くしてくれと無茶な頼みをしたこともあったっけ……

 当然ハザークにそんな力はなく、父が若返ることはなかった。

 だが今はハザークに感謝していることがあった。それは、ハザークがずっと自分の力の補佐をしてくれていると気づいたからだった。
 それならそうと言ってくれればいいのに、と思ったが、ハザークはそのことについては何も言わない。
 ハザークにとってはこれが精一杯の助けなのか、ちょっとした助けなのかはなぞだが、王にとってはありがたいことだった。

 今さら「様」付けで呼ぶのもなんだし……まあ呼び捨てでいいか……

 王はそう思い、今後も呼び捨てのまま行くことにした。

「一年の内にすっかり大人になるんじゃないか?」
 酒を飲み干したハザークがそう言った。
「え? 本当に?」
「ああ、そういう気がする」
「気がする……だけなのか?」
「多分」
「そうか……なんにせよ早く大人になりたい」
「王妃候補は決まったのか?」
「いや」
「そうか……」
 王妃候補、それも頭が痛い問題の一つだった。
 国王は一番強い一族の女を王妃に娶るのが常識なのだが、困ったことに今は強い女がいないのだ。
 まったくいないわけでもない。
 中年以降の女性ならばいるのだが、もはや子供が産める年齢ではない。しかも皆前国王と関係があった女性達だった。上級の女か、せめて中級の上の女でなければ、王の子供を産むことはできない。王の力は特殊なため、力の差がありすぎると子供ができないというのが定説であった。

「なあ、力がない女が王の子供を産んだ例って今まであったか?」
 王はハザークに聞いてみた。
「さあなあ……ないんじゃないか?」
「そうか……」
「いい女がいないのか?」
「強い女がぜんぜんいない」
「そうか……」
「僕ほど悩みが多い王は、そういないだろうな」
 王がそういうと、「そうだろうな」とハザークは同意していた。
 やっぱり歴代の王の中では自分が一番悲惨らしい。そう王は痛感した。

 
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