おうち図書館と白狐さん

錦木

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1.太陽とおにぎり

〈1〉

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 青い空が、どこまでも広がっていた。
 山の木々は赤く橙に、黄色に色づきまるで日本画のような美しさだ。
 街を見下ろすと、木の柵から降りた。
 空気が湿っぽくなって重く感じた。
 もうじきに雨が降る。
 秋の空が変わりやすいとはよく言うが。
 世間とはこうコロコロと変わってしまうものなのか。
 白いフサフサした尻尾が野をかけて行った。


「よいしょっと」
 伊吹いぶき幸治ゆきはるは家の前に看板を出した。
「貸し本あります」
 看板にはそう書いてある。
「今日もいい天気になるといいな。お、美味しそうないわしぐも
 空を見上げながらのんきにそんなことを言う。
 それから家の中に引っこんだ。
 玄関から見える位置にある神棚の前に立って手を合わせる。
「今日もよろしくお願いします」
 礼をして、足を踏み出した拍子になにかが落ちていることに気づいた。
「おっとっと」
 大きめのカプセルが落ちていた。
 ガチャガチャを回して出てくるあれである。
「危ない危ない踏むところだった」
 拾い上げる。
 中になにか入っている。
 オモチャだろうか。
「俺のじゃないしな……。だれか置いていったのかな」
 とりあえず、玄関の棚に置いて部屋に戻る。
「朝飯にするか」


 一日、パソコンの前に座って仕事をしていると気づいたら赤い日の光が机を照らしていることに気づいた。
 いつの間にか夕方だ。
「ふう」
 眼鏡をとって眉間みけんをもむ。
 それからのそりと動き出した。
 玄関で物音がしたからだ。
「ゆきお兄さんー!こんにちは!」
 表から大きな声が聞こえる。
「ハイハイこんにちは」
 そう言って幸治は男の子を招き入れた。
「あったかー!外はちょっとさみーくなってきた」
 たしかに少し寒くなりはじめた秋の風が吹いていた。
「ゆきお兄さんこんにちは!」
 今度は男の子と女の子の二人連れだ。
「おお、ももちゃんとあおちゃん。今日もいっしょにきたんだ」
「ももちゃんゆうなし!」
 桃矢ももやという名前だからももちゃんと呼んでいるが本人は不服らしい。
「おじゃましまーす!」
 三人はそう言って幸治の家に上がりこんだ。
「どうぞー」
 幸治はニコニコと笑ってそれを見ている。

 幸治は主に子ども向けに家の一室を開放していた。
「おうち図書館」。
 みんなにはそう呼ばれている。
 玄関から入ってすぐにある畳の部屋に児童書がたくさん入った本棚がならんでいる。
 もともとは本、特に児童書が好きな祖母がはじめたことだが、放課後の子どもに人気があってよく何人かが訪れるようになった。
 幸治の家の近くには小学校と中学校があり、幸治もそこに通っていた。
 その学校の生徒がやってきて本を読んでいくのだ。
「今日はなに読もうかなー」
「ねーそれ、あたしも読みたい」
「ハイハイ、仲良くね」
 取り合いになる前に釘をさしておく。
 ジャンケンで先にももちゃんが読むことになったようだ。
 不服そうにしながらもあおちゃんは違う絵本を選んで夢中で読みはじめた。
 本を読むためにここにくる子、時間をつぶしにくる子さまざまだがいろいろな子がやってくる。
 それを見守るのが幸治の役目だ。
 どれ、今日は自分もなにか読んでみようかと腰をおろしかけたとき玄関からカラン、という音がなった。
 今日もまたきたかと思う。
 玄関には、おかっぱ頭の女の子が立っていた。
 年は小学校一、二年生くらいで赤い着物に金の刺繍ししゅうがついた黒い帯をしめている。
 着物は少し寸足らずで細い足がのぞいている。
いねちゃんこんにちは」
 幸治がそう言うと稲は少し頭を下げた。
 ゆっくり上げた顔は幼い外見に反して冷たくて感情に乏しいほぼ無表情だ。
 子どもらしい無邪気さや明るさがない。
 それもそのはず、この子は人間ではない。
「あっ稲ちゃんだ」
「やっほー」
 振られた手に手を振りかえす。
 そして、畳に座った。
 この子の正体がなんであるかはしらない。
 いわゆる妖と呼ばれる存在であるらしい。
 なにかが化けたものか、もとは人間なのかはわからないが、たしかなことは年を取らないのだ。
 しかも、年を取らないということを周りのものは気づいていない。
 昔会った人はリセットされて久しぶりから初めて会ったねに変わったり、しばらく会わなかったらそういえばそんな子いたねと曖昧な記憶になったりする。
 幸治と祖母、祖父だけが彼女が年を取らないことを知っていた。
 大人しく絵本を読んでいる姿を見ると、普通の子どもに見えるんだけどなと思う。
 子どもたちは妖だとは気づいてないみたいだし、悪さはしないので追い出したりはしない。
 隣にならんで普通に本を読んでいる。
 そしていつも気づけばフラリと帰っているのだ。
 幸治も本を手に取り読みはじめたとき、台所でなにやらゴソゴソとした音が聞こえた気がした。
 そろっと立ち上がって忍び足ながらも急いで台所に行く。
 モヤモヤした黒い毛玉みたいなものが煎餅せんべいの袋を漁っていた。
 ため息をつく。
 むしろ迷惑なのはこういう連中のほうだ。
「コラ、それ仏壇に供えるやつだぞ。勝手に食べるな」
 小声でそう言って袋をむしり取る。
 毛玉はすり抜けて逃げていった。
「あ、待て!」
 バタン、と菓子を入れておいた棚が勝手に開く。
 菓子の袋が宙を舞った。
「ウソだろ」
 必死に空中で集めてなんとか床に滑りこむ。
「セーフ……」
「ゆきお兄さんなにドタバタしてるの?」
 子どもたちが聞きつけてやってきた。
 慌ててあたりを見渡す。
 毛玉は消えていた。
 ホッとする。
「いやちょっと整理しようとしていたら、お菓子の袋が棚から落ちてきちゃって……。だれか煎餅食べたい?」
「わー!食べる食べる!」
 みんな手に手に煎餅を持っていく。
「稲ちゃんもはいどうぞ!」
 手渡された煎餅を黙って受け取った。
 稲は基本しゃべらない。
 だれも声を聞いたことがない。
 それでもみんなそんなものだと思っている。
 ぺこり、と稲は幸治に頭を下げた。
 みんなが部屋に戻る中、一人で玄関から出て行く。
 カランコロン。
 下駄の音が遠ざかっていった。
「あれ、稲ちゃん今日はもう帰っちゃうんだね」
「そうだね」
 入れ替わりに騒々しい声がした。
「伊吹さんー!こんにちはー!」
 ブレザーの制服を着た女子が立っている。
「あっ、満月みつきだ!」
「よっ、満月!」
 子どもたちはじゃれつく。
「ええい、落ち着きたまえ!それに呼び捨てやめ!満月じゃなくてせめて、さんつけてよ」
 満月は小学生に負けず劣らず元気いっぱいの女子高校生だ。
 よくやってきては小さい子の面倒を見てくれるので助かっている。
「こんにちは、満月さん」
「こんにちは。うーちょっと寒くなってきたな。中で温まってもいいですか?」
 ももちゃんがちょんちょんと膝を突きながら言う。
「そんな短いスカートはいてるからだろ?」
「やかましい。女の子のオシャレは気合いなのです」
 たしかに膝丈のスカートは寒そうだ。
「どうぞ、ほら中に入って」
「おじゃましまーす!」
 そう言って入ってきて、満月は子どもたちにせがまれて読み聞かせをはじめた。
「あっ、そうだ。伊吹さんに聞こうと思ってたんだった」
「なに?」
「あの、周斗しゅうときてません?サッカーやってる色黒い子なんだけど」
 その子のことならなんとなく覚えていた。
 たしか去年くらいまで何回かきていたか。
「ここ最近は見てないな。今日きたのはここにいる子たちだけだし」
 言ってからあ、稲ちゃんもかと思う。
 まあ数のうちに入れなくても大丈夫だろう。
「そっかー。どこ行っちゃったんだろうな……」
 満月はしゅんとしてしまった。
「どうかしたの?」
「最近サッカーの練習休んでどこかに行ったりしてるみたいなんですけど、だれにも居場所言わないって。それで、兄弟が心配してて……」
 満月もその子と知り合いで心配なのだろう。
 声のトーンが落ちている。
「わかった。見かけたら声かけておくね」
 一応、そうとだけ言っておく。
「ありがとうございます」
 満月もそう言って少し微笑んだ。
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