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第一章
第5話「もしかしたら、また会えるかな」
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翌日、オレは英語の講義を受けるために昨日より広めの講堂へとやって来ていた。
この講義に限っては、1年生全員が集まって授業を受けることになっているため、昨日のように個別で履修登録をするというわけにもいかない。この時間、この日にしかこの授業は開講していないのだ。……理不尽だ。
しかし、改めて見るとスゴい人数だ。
高校生の頃はほとんど通信で授業を受け、決められた日の夕方から授業というのが一般的だったために、同じクラスの人の顔も全く覚えていない。それ故に、こんな大勢で同じ授業を受けるという感覚が違和感でしかない。
1ヵ月間このメンツで受けてきたが……やっぱり、まだ3回目の講義なだけに慣れるのは当分先になりそうだ。……いや。もしかしたら、このまま慣れない方がいいのかもしれないな。
約90分──その場で資料と黒板を睨みつけ、ノートに必要事項を記入。こんなループ作業を繰り返す内、講堂に終了のチャイムが響き渡る。
「それじゃあ、本日はここまでとします。次回は、この続き『完了形の応用』から進めていきますので、復習しておくようにしてください。では、お疲れ様でした」
オレはその言葉と同時に、軽くため息を吐く。
周りは疲労を見せる奴らから、この後の予定について話し合う奴らまで。……きっと、ああいうのを『青春』と呼ぶのだろう。交友関係が広くなかったオレには、そう呼べる範囲が明確にはわからないが、オレは今後も『羨ましい』とは思わないんだろうな。
耳には既にイヤホンが付けられ、そこから流れるシンメトリな曲。
決して曲想は激しくない、かと言って落ち着いた曲想をしているわけでもない。どこか寂しさを織り交ぜたような……そんな、オレの心情とは真逆の曲想だ。
オレはすぐさま荷物をリュックに仕舞い、誰ともすれ違うことなく講堂を後にする。
講義を受けるためと割り切っても、長いことあの場所に居たいとは思わない。
あそこはリアルを充実している人間が集う場所だ。オレみたいに、普通が送れない人間にはただ単に居心地が悪くなるだけだ。
人が楽しく会話するところ。談笑し、ふざけ合うところ。
何の脈略もないはずが、あの悪夢の情景が頭の中を過って離れたくなる。もがきたくなる。逃げ出したくなる。……本当、重症だ。たったそれだけの、日常の中に転がる『普通』のことに拒絶反応が出てしまう。
このままじゃ、こうして大学へ通うことも出来なくなるかもしれない。
それだけはしてはいけない。また家族に迷惑をかける。もう……あんな顔は、させたくないんだ。そう決めたじゃないか。
「……はぁ。一旦ストップだ。気分転換しよう、悪い方に傾いてる」
一度深呼吸を入れ、大学の校門へ向かう足を反転させ、人気の少ない裏庭の方へと歩を進める。
既に4限目が始まっていることもあり、こんな裏通りには人影1つも残っていない。
校舎の裏側はまさに穴場。人が集まりやすい食堂や体育館、良く使用される講堂などからは完全に視界となっているため、ここには落ち着きたいときにやって来ることが多い。
誰が世話をしているのかもわからないお花や植物を眺め、静かな時間をゆったりと過ごす。こんな、ゆっくりと流れる時間が好きなのだ。
ここの花を眺めると、自然と心が落ち着いていく。
「……前から気になってたけど、これって誰が育ててるんだろ」
この場所を見つけたのは、今から1週間前。
次の授業までの休憩場所を探してここに辿り着いたが、この1週間、ここの世話をしている人には会ったことがない。オレの体質的には、寧ろそっちの方が通いやすいけど。でも、そういう不思議があった方が気が紛れていいかもしれない。
他人のことに探りを入れるのは良くない。
誰かが世話をしている──それだけの情報で十分だ。
「あ、そうだ。イベントの周回……!」
ふと、今日のログインボーナスを受け取っていないことを思い出し、オレはすぐにリュックからスマホを取り出す。
「……って、あれ?」
スマホを手に取った瞬間、リュックの中に生徒手帳が入っていないことに気がついた。
……あれ? もしかしてどっかに落としたのか?
リュックのどこを探しても見つからず、どこかに落とした、もしくはあの講堂に置いてきたのだろうか? 出席確認用紙に学籍番号を書くときに机の上に出してたし……。
「……とりあえず、4限目が終わったら講堂に行って、それでなかったら事務局に行くしか」
「――あの!」
すると、人気が無かったはずの裏庭に、聞き慣れない声に呼び止められる。
……誰だ? この時間に学校にいるとすれば教職員か、今現在講堂で講義を受けている学生だけで、ほとんどの学生はそっちに行ってるはず。
となれば、可能性として教職員が来たっていうのがありそうだけど……。
「……っ」
突然の呼びかけに、対人恐怖症を抱えたオレがその場で立ち止まる義理はない。
オレは徐々に近づく気配を察知しながら、後方へ足を退かせる。本当は一気に逃げたいところだが、それで相手が追いかけてきたら意味がない。必然的に体力が少ないオレが負けるのは明確。
ならばここは、遠距離を保ったまま、徐々にスピードを上げて逃げるのが得策。
「……あのぉ。ひょっとして、さっき一緒の講堂で講義受けてた人ですか? あ、さっきっていうのは1年生合同の必修英語のことなんだけど」
「…………それが、何か」
「やっぱりそっか! あ、斜め前に座ってた子だ!」
そう言って木陰から姿を見せた声の主は、急にこちらへと小走りしてきた。
濃すぎない緑色の髪に赤いヘアピン、そして天然色のように澄み切ったエメラルドグリーンの瞳。彼から滲み出る謎のオーラに、オレは数歩、後退る。
「あ、ご、ごめん。驚かせて」
「……………」
驚かせた、という自覚はあるらしく彼はオレが取っていた距離とほぼ変わらない位置から、それ以上動こうとはしなかった。
「……さっきの、何」
「さっきの、って?」
「……何かオレのこと、知ってる風な口ぶりだっただろ」
「あぁ、それのことか! 実はさ、君の落とし物を届けようと思ってあちこち探し回ってたんだよね」
「……落とし物?」
「あまり話したことなかったし、普段も見かけないから別の学科かなと思ってて、探してないここを探したら、事務局の方に届けようと思ってたんだ。でも、冷静に考えたら、大人しく届けるのが正解なんだろうけどね。自分で言うまで忘れてた」
すると彼は、肩に下げる鞄から『生徒手帳』を取り出した。
それは考えるまでもなく、今さっき気がついたオレの落とし物だった。
「……え、あ、えっと。……ありがと」
他人にお礼をするなんて、いつぶりのことだろう。
最後に家族以外の声をまともに聞いたのは、いつのことだっただろう。
夜、前触れもなく夢の中に現れる男達とは違った……優しくて、透き通った、綺麗な声だ。それにこの声、どこかで聞いたことがある気がした。
そんな感傷に浸っていると、オレは俯いていた顔をそっと上げた。……が。
「……あ。やっとこっち見た! はい、これ!」
「……っ、……ゃ」
顔を上げた先には、さっきまで10メートルは離れていたはずの他人の顔が、ほんの数センチにまで迫っていた。
昨日見たあの日の悪夢のせいだろうか。
それとも、他人と関わりを絶ってきた影響だろうか。
気がつくと目の前にあった他人の気配に、オレの頭の中は『怖い』という言葉だけが取り残された状態へと陥った。蹲りたい、逃げたい、助けてと叫びたい。そんな感情が押し通される中、オレは伸ばされた“見知らぬ手”を払いのけ、何も考えずにその場を離れる。
「あ、ちょっ!」
聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない────っ!!
ただ遠ざけたい。
自分一人の世界から、もう傷つきたくないと願う欲望から。
オレはもう、誰かと関わるのは無理なんだ。
既に出来上がってしまったのだ。他人を拒絶する壁を、言葉を。
病室から見ていた景色はどんな色をしていただろう。一人しかいない病室に夕方になれば妹が来てくれて、休日になれば家族で来てくれて。
……きっと、それがオレの世界となってしまったのだろう。
これはただの──自己防衛だ。
一方、裏庭に取り残されてしまった青年は、少々困り果てた表情を浮かべていた。
「……どうしよ、これ。見つけたのはいいけど、何か拒否られちゃったし、挙句には逃げられちゃったし。やっぱ、事務局に届けた方が賢明かなぁ。……って、あれ。僕と同じ文学部? しかも英語の授業同じだから学年も一緒。……もしかしたら、また会えるかな」
この講義に限っては、1年生全員が集まって授業を受けることになっているため、昨日のように個別で履修登録をするというわけにもいかない。この時間、この日にしかこの授業は開講していないのだ。……理不尽だ。
しかし、改めて見るとスゴい人数だ。
高校生の頃はほとんど通信で授業を受け、決められた日の夕方から授業というのが一般的だったために、同じクラスの人の顔も全く覚えていない。それ故に、こんな大勢で同じ授業を受けるという感覚が違和感でしかない。
1ヵ月間このメンツで受けてきたが……やっぱり、まだ3回目の講義なだけに慣れるのは当分先になりそうだ。……いや。もしかしたら、このまま慣れない方がいいのかもしれないな。
約90分──その場で資料と黒板を睨みつけ、ノートに必要事項を記入。こんなループ作業を繰り返す内、講堂に終了のチャイムが響き渡る。
「それじゃあ、本日はここまでとします。次回は、この続き『完了形の応用』から進めていきますので、復習しておくようにしてください。では、お疲れ様でした」
オレはその言葉と同時に、軽くため息を吐く。
周りは疲労を見せる奴らから、この後の予定について話し合う奴らまで。……きっと、ああいうのを『青春』と呼ぶのだろう。交友関係が広くなかったオレには、そう呼べる範囲が明確にはわからないが、オレは今後も『羨ましい』とは思わないんだろうな。
耳には既にイヤホンが付けられ、そこから流れるシンメトリな曲。
決して曲想は激しくない、かと言って落ち着いた曲想をしているわけでもない。どこか寂しさを織り交ぜたような……そんな、オレの心情とは真逆の曲想だ。
オレはすぐさま荷物をリュックに仕舞い、誰ともすれ違うことなく講堂を後にする。
講義を受けるためと割り切っても、長いことあの場所に居たいとは思わない。
あそこはリアルを充実している人間が集う場所だ。オレみたいに、普通が送れない人間にはただ単に居心地が悪くなるだけだ。
人が楽しく会話するところ。談笑し、ふざけ合うところ。
何の脈略もないはずが、あの悪夢の情景が頭の中を過って離れたくなる。もがきたくなる。逃げ出したくなる。……本当、重症だ。たったそれだけの、日常の中に転がる『普通』のことに拒絶反応が出てしまう。
このままじゃ、こうして大学へ通うことも出来なくなるかもしれない。
それだけはしてはいけない。また家族に迷惑をかける。もう……あんな顔は、させたくないんだ。そう決めたじゃないか。
「……はぁ。一旦ストップだ。気分転換しよう、悪い方に傾いてる」
一度深呼吸を入れ、大学の校門へ向かう足を反転させ、人気の少ない裏庭の方へと歩を進める。
既に4限目が始まっていることもあり、こんな裏通りには人影1つも残っていない。
校舎の裏側はまさに穴場。人が集まりやすい食堂や体育館、良く使用される講堂などからは完全に視界となっているため、ここには落ち着きたいときにやって来ることが多い。
誰が世話をしているのかもわからないお花や植物を眺め、静かな時間をゆったりと過ごす。こんな、ゆっくりと流れる時間が好きなのだ。
ここの花を眺めると、自然と心が落ち着いていく。
「……前から気になってたけど、これって誰が育ててるんだろ」
この場所を見つけたのは、今から1週間前。
次の授業までの休憩場所を探してここに辿り着いたが、この1週間、ここの世話をしている人には会ったことがない。オレの体質的には、寧ろそっちの方が通いやすいけど。でも、そういう不思議があった方が気が紛れていいかもしれない。
他人のことに探りを入れるのは良くない。
誰かが世話をしている──それだけの情報で十分だ。
「あ、そうだ。イベントの周回……!」
ふと、今日のログインボーナスを受け取っていないことを思い出し、オレはすぐにリュックからスマホを取り出す。
「……って、あれ?」
スマホを手に取った瞬間、リュックの中に生徒手帳が入っていないことに気がついた。
……あれ? もしかしてどっかに落としたのか?
リュックのどこを探しても見つからず、どこかに落とした、もしくはあの講堂に置いてきたのだろうか? 出席確認用紙に学籍番号を書くときに机の上に出してたし……。
「……とりあえず、4限目が終わったら講堂に行って、それでなかったら事務局に行くしか」
「――あの!」
すると、人気が無かったはずの裏庭に、聞き慣れない声に呼び止められる。
……誰だ? この時間に学校にいるとすれば教職員か、今現在講堂で講義を受けている学生だけで、ほとんどの学生はそっちに行ってるはず。
となれば、可能性として教職員が来たっていうのがありそうだけど……。
「……っ」
突然の呼びかけに、対人恐怖症を抱えたオレがその場で立ち止まる義理はない。
オレは徐々に近づく気配を察知しながら、後方へ足を退かせる。本当は一気に逃げたいところだが、それで相手が追いかけてきたら意味がない。必然的に体力が少ないオレが負けるのは明確。
ならばここは、遠距離を保ったまま、徐々にスピードを上げて逃げるのが得策。
「……あのぉ。ひょっとして、さっき一緒の講堂で講義受けてた人ですか? あ、さっきっていうのは1年生合同の必修英語のことなんだけど」
「…………それが、何か」
「やっぱりそっか! あ、斜め前に座ってた子だ!」
そう言って木陰から姿を見せた声の主は、急にこちらへと小走りしてきた。
濃すぎない緑色の髪に赤いヘアピン、そして天然色のように澄み切ったエメラルドグリーンの瞳。彼から滲み出る謎のオーラに、オレは数歩、後退る。
「あ、ご、ごめん。驚かせて」
「……………」
驚かせた、という自覚はあるらしく彼はオレが取っていた距離とほぼ変わらない位置から、それ以上動こうとはしなかった。
「……さっきの、何」
「さっきの、って?」
「……何かオレのこと、知ってる風な口ぶりだっただろ」
「あぁ、それのことか! 実はさ、君の落とし物を届けようと思ってあちこち探し回ってたんだよね」
「……落とし物?」
「あまり話したことなかったし、普段も見かけないから別の学科かなと思ってて、探してないここを探したら、事務局の方に届けようと思ってたんだ。でも、冷静に考えたら、大人しく届けるのが正解なんだろうけどね。自分で言うまで忘れてた」
すると彼は、肩に下げる鞄から『生徒手帳』を取り出した。
それは考えるまでもなく、今さっき気がついたオレの落とし物だった。
「……え、あ、えっと。……ありがと」
他人にお礼をするなんて、いつぶりのことだろう。
最後に家族以外の声をまともに聞いたのは、いつのことだっただろう。
夜、前触れもなく夢の中に現れる男達とは違った……優しくて、透き通った、綺麗な声だ。それにこの声、どこかで聞いたことがある気がした。
そんな感傷に浸っていると、オレは俯いていた顔をそっと上げた。……が。
「……あ。やっとこっち見た! はい、これ!」
「……っ、……ゃ」
顔を上げた先には、さっきまで10メートルは離れていたはずの他人の顔が、ほんの数センチにまで迫っていた。
昨日見たあの日の悪夢のせいだろうか。
それとも、他人と関わりを絶ってきた影響だろうか。
気がつくと目の前にあった他人の気配に、オレの頭の中は『怖い』という言葉だけが取り残された状態へと陥った。蹲りたい、逃げたい、助けてと叫びたい。そんな感情が押し通される中、オレは伸ばされた“見知らぬ手”を払いのけ、何も考えずにその場を離れる。
「あ、ちょっ!」
聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない────っ!!
ただ遠ざけたい。
自分一人の世界から、もう傷つきたくないと願う欲望から。
オレはもう、誰かと関わるのは無理なんだ。
既に出来上がってしまったのだ。他人を拒絶する壁を、言葉を。
病室から見ていた景色はどんな色をしていただろう。一人しかいない病室に夕方になれば妹が来てくれて、休日になれば家族で来てくれて。
……きっと、それがオレの世界となってしまったのだろう。
これはただの──自己防衛だ。
一方、裏庭に取り残されてしまった青年は、少々困り果てた表情を浮かべていた。
「……どうしよ、これ。見つけたのはいいけど、何か拒否られちゃったし、挙句には逃げられちゃったし。やっぱ、事務局に届けた方が賢明かなぁ。……って、あれ。僕と同じ文学部? しかも英語の授業同じだから学年も一緒。……もしかしたら、また会えるかな」
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