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第一章
第3話「妹の願いさえ叶えてあげられない」
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大学から電車で一駅、最寄り駅から目を鼻の先にある8階建てのマンションの一室。
オレは誰もいない家に「ただいま…」と呟いて、リュックを部屋へ置き、そのままベッドへと横になる。
「……はぁああ」
他人との関わりを無くして早5年。
元々交友関係も広くなかったオレは実家を離れ、大学に近いこの家で1人暮らしをしている。だがこの話、親や妹には最後まで反対され続けた。
でも、それも当然だろう。
1人で家事をすることになるし何より……周りには、助けてくれる家族がいない。
あの事件があって約半年。毎日通い続けてくれた妹と、週末には会いに来てくれた両親のお陰も相まって、何とか家族とは普通の距離感で接せられるようになった。……だがその事実は同時に、それ以外は無理という、1つの根拠を押し付けてきた。
病室の外に広がった景色。
半年ぶりの、家族と先生以外の人々。
そして……所狭しと広がる、喜怒哀楽が詰まった無数の声。
たった数分、たった数秒間外に居ただけで、オレは無性の吐き気に襲われた。人付き合いが多くなかったことで感じなかった人の気配を、より一層感じるようになってしまった。それが五感と記憶を刺激し、恐怖症という病状を明らかとさせた。
お陰で中学の残り1年は学校に通えず、そこから通信教育が可能な高校へと進むこととなった。
そして去年、大学への進学を決めなければならなかった時期──オレは、あの日をまるで疑似再現されているかのような、そんな悪夢を見てしまった。
突然悲鳴をあげたオレを気にして、その夜はずっと、家族が側に居てくれた。
もう二度と、感じることはなかったはずの男達の手、笑い声、そして泣き叫ぶ自分自身。
そんな悪夢を見るようになってから、オレは何回か、同じ夢を見るようになった。その度にみんなは起きて、オレの介抱をしてくれて……それが一番、申し訳なく思ってしまった。
だから決めた。
この家を出ることを。もう、迷惑をかけないために。
だが、そう簡単に納得はしてもらえなかった。悪夢を見る度に起き上がり、大量の汗を流し、その度に泣き崩れる。そんな現状を知る親だからこそ、受け入れてはもらえなかった。
実際今住んでいるこの場所も、実家からそう遠くない。歩けば帰れる距離だ。
でも、それでいい。
一つ同じ屋根の下、という環境でなければそれで。
家族がオレの悲鳴を聞く度に起きることも、受験を控えた妹を妨害することも無くなるなら、それでいい。
進学先の大学が決まってからも曲げなかったオレに骨が折れたのか、幾つかの条件の下、実家を出てもいいという許可が下りた。
1つ、週1で実家には帰ってくること。
1つ、今日あったことを随時報告すること。
1つ、家族の誰かと電話すること。
大まかに括ると以上の3つだ。
大学生になってからの1ヵ月間、この約束を破ったことはない。平日は妹が、休日には実家に帰って1週間にあったことなどを報告している。とはいえ、交友関係が特にないオレからの報告なんて、講義内容が難しかったとか、そんなことしか話せない。もちろん、好きな人だのは論外だ。他人と関われないオレに、恋愛話などタブーすぎる。
そのため、妹の恋愛話なども話題の中には浮上しない。
全員、オレに気を遣ってくれているのだ。……本当、どこまで優しい家族なんだろう。
けど、だからこそ、その家族にも言えないことがある。
優しいから……どこまでも心配してくれるから。
だから、言えない。──その悪夢を見る頻度が、増しているということを。
(…………)
寝返りを打とうとした途端、スマホに着信が入る。
現在は平日の午後4時過ぎ。……となれば必然的に相手は1人、妹だ。
「……もしもし」
スマホの画面を見るまでもなく、オレはその電話に応答した。
『もっしもーし! 元気? お兄ちゃん!』
「……お前は、って言うまでも無さそうだな、千夏」
『うん! もうすぐ体育祭だからね! 何かこう、腕が鳴るっていうかさ~!』
「……そっか。もうそんな時期か」
オレの妹──『伊澄千夏』は、とにかくアグレッシブだ。
中学3年生ともなると、普通は身だしなみだとかメイクだとかに気を遣い始めたり、気にするようになる歳頃だろうが、千夏にはそんな思春期は存在しない。
実際、千夏の部屋にはファッション雑誌などが並ぶことも、化粧セットで鞄が圧縮されるようなこともなく、少年漫画やライトノベル、雑誌もスポーツ系統ものしか置いていない始末。
うん、実にお年頃とは言い難い妹だ。
これはオレに対しての配慮などではなく、これは終始の事実である。
『お兄ちゃんは? 来週の土曜なんだけど』
「どうだろうな。課題の進み具合による」
『そっかぁ。あ、でも、無理しないでいいからね? お兄ちゃん、人混みもまだダメでしょ?』
「……、……お前が気にすることは何もないよ。安心しろ」
『……そう? なら、いいんだけど』
通話の向こう側から聞こえる千夏の声は、いつも通りの元気良さと、どこか遠慮している部分が感じられた。
そうか。もうすぐ千夏の学校、体育祭だって言ってたな。
そしておそらく千夏は、オレに対しての配慮をしているんだろう。
体育祭──学生ならば楽しみに待つ人も多い、全校生徒参加の合同運動祭。一般の人達も自由に出入りすることが可能なこの行事には、当然ながら生徒の親御さん達が大勢見に来る。そんな学校行事に、オレのような体質を持つ人間には見に行くことさえ困難だ。
決して行きたくないわけじゃない。出来ることなら行ってやりたい。先程の千夏の発言からしてみても、オレにも来てほしい意思表示だったことには違いないだろうし。
……こういうときに、改めて自覚させられる。
どうしてオレは、こんな病状になったんだと。
どうしてオレは、妹の願いさえ叶えてあげられないんだと。
「…………」
いっそのこと、無理して突撃してみるか? ……いや、その前に大勢の生徒達の楽しさ溢れる声に、身体が拒絶反応を起こしたら元も子もない。
それなら、ビデオっていう選択肢もある。
あれだったら多少は症状が軽減されるだろうし、千夏が出る種目だけ送ってもらえれば何とかなるかもしれない。後で、母さんに連絡取ってみよう。
オレは誰もいない家に「ただいま…」と呟いて、リュックを部屋へ置き、そのままベッドへと横になる。
「……はぁああ」
他人との関わりを無くして早5年。
元々交友関係も広くなかったオレは実家を離れ、大学に近いこの家で1人暮らしをしている。だがこの話、親や妹には最後まで反対され続けた。
でも、それも当然だろう。
1人で家事をすることになるし何より……周りには、助けてくれる家族がいない。
あの事件があって約半年。毎日通い続けてくれた妹と、週末には会いに来てくれた両親のお陰も相まって、何とか家族とは普通の距離感で接せられるようになった。……だがその事実は同時に、それ以外は無理という、1つの根拠を押し付けてきた。
病室の外に広がった景色。
半年ぶりの、家族と先生以外の人々。
そして……所狭しと広がる、喜怒哀楽が詰まった無数の声。
たった数分、たった数秒間外に居ただけで、オレは無性の吐き気に襲われた。人付き合いが多くなかったことで感じなかった人の気配を、より一層感じるようになってしまった。それが五感と記憶を刺激し、恐怖症という病状を明らかとさせた。
お陰で中学の残り1年は学校に通えず、そこから通信教育が可能な高校へと進むこととなった。
そして去年、大学への進学を決めなければならなかった時期──オレは、あの日をまるで疑似再現されているかのような、そんな悪夢を見てしまった。
突然悲鳴をあげたオレを気にして、その夜はずっと、家族が側に居てくれた。
もう二度と、感じることはなかったはずの男達の手、笑い声、そして泣き叫ぶ自分自身。
そんな悪夢を見るようになってから、オレは何回か、同じ夢を見るようになった。その度にみんなは起きて、オレの介抱をしてくれて……それが一番、申し訳なく思ってしまった。
だから決めた。
この家を出ることを。もう、迷惑をかけないために。
だが、そう簡単に納得はしてもらえなかった。悪夢を見る度に起き上がり、大量の汗を流し、その度に泣き崩れる。そんな現状を知る親だからこそ、受け入れてはもらえなかった。
実際今住んでいるこの場所も、実家からそう遠くない。歩けば帰れる距離だ。
でも、それでいい。
一つ同じ屋根の下、という環境でなければそれで。
家族がオレの悲鳴を聞く度に起きることも、受験を控えた妹を妨害することも無くなるなら、それでいい。
進学先の大学が決まってからも曲げなかったオレに骨が折れたのか、幾つかの条件の下、実家を出てもいいという許可が下りた。
1つ、週1で実家には帰ってくること。
1つ、今日あったことを随時報告すること。
1つ、家族の誰かと電話すること。
大まかに括ると以上の3つだ。
大学生になってからの1ヵ月間、この約束を破ったことはない。平日は妹が、休日には実家に帰って1週間にあったことなどを報告している。とはいえ、交友関係が特にないオレからの報告なんて、講義内容が難しかったとか、そんなことしか話せない。もちろん、好きな人だのは論外だ。他人と関われないオレに、恋愛話などタブーすぎる。
そのため、妹の恋愛話なども話題の中には浮上しない。
全員、オレに気を遣ってくれているのだ。……本当、どこまで優しい家族なんだろう。
けど、だからこそ、その家族にも言えないことがある。
優しいから……どこまでも心配してくれるから。
だから、言えない。──その悪夢を見る頻度が、増しているということを。
(…………)
寝返りを打とうとした途端、スマホに着信が入る。
現在は平日の午後4時過ぎ。……となれば必然的に相手は1人、妹だ。
「……もしもし」
スマホの画面を見るまでもなく、オレはその電話に応答した。
『もっしもーし! 元気? お兄ちゃん!』
「……お前は、って言うまでも無さそうだな、千夏」
『うん! もうすぐ体育祭だからね! 何かこう、腕が鳴るっていうかさ~!』
「……そっか。もうそんな時期か」
オレの妹──『伊澄千夏』は、とにかくアグレッシブだ。
中学3年生ともなると、普通は身だしなみだとかメイクだとかに気を遣い始めたり、気にするようになる歳頃だろうが、千夏にはそんな思春期は存在しない。
実際、千夏の部屋にはファッション雑誌などが並ぶことも、化粧セットで鞄が圧縮されるようなこともなく、少年漫画やライトノベル、雑誌もスポーツ系統ものしか置いていない始末。
うん、実にお年頃とは言い難い妹だ。
これはオレに対しての配慮などではなく、これは終始の事実である。
『お兄ちゃんは? 来週の土曜なんだけど』
「どうだろうな。課題の進み具合による」
『そっかぁ。あ、でも、無理しないでいいからね? お兄ちゃん、人混みもまだダメでしょ?』
「……、……お前が気にすることは何もないよ。安心しろ」
『……そう? なら、いいんだけど』
通話の向こう側から聞こえる千夏の声は、いつも通りの元気良さと、どこか遠慮している部分が感じられた。
そうか。もうすぐ千夏の学校、体育祭だって言ってたな。
そしておそらく千夏は、オレに対しての配慮をしているんだろう。
体育祭──学生ならば楽しみに待つ人も多い、全校生徒参加の合同運動祭。一般の人達も自由に出入りすることが可能なこの行事には、当然ながら生徒の親御さん達が大勢見に来る。そんな学校行事に、オレのような体質を持つ人間には見に行くことさえ困難だ。
決して行きたくないわけじゃない。出来ることなら行ってやりたい。先程の千夏の発言からしてみても、オレにも来てほしい意思表示だったことには違いないだろうし。
……こういうときに、改めて自覚させられる。
どうしてオレは、こんな病状になったんだと。
どうしてオレは、妹の願いさえ叶えてあげられないんだと。
「…………」
いっそのこと、無理して突撃してみるか? ……いや、その前に大勢の生徒達の楽しさ溢れる声に、身体が拒絶反応を起こしたら元も子もない。
それなら、ビデオっていう選択肢もある。
あれだったら多少は症状が軽減されるだろうし、千夏が出る種目だけ送ってもらえれば何とかなるかもしれない。後で、母さんに連絡取ってみよう。
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