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第十八話
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「本当に……ご迷惑をお掛けしました。ほら、春もちゃんと謝りなさい」
「す、すみませんでした」
母親に促され、春も一緒に頭を下げる。
「迷惑だなんて思っていませんよ。だから、頭をあげてください。あと、よかったらこれ──」
千羽は、春の母親にいくつかのタッパーを渡して帰っていった。
千羽の車が見えなくなるまで見送った後、母親は大きくため息をつく。
「母さん、ごめん心配かけて」
恐る恐る見た母親の顔には、笑みが浮かんでいた。
「いいのよ。男の子なんだから、これくらいアクティブでないとね。もっと心配かけなさい! 春はいい子すぎるわよ」
そう言うと、タッパーの中身を気にしながらさっさと家の中に入ってしまう。母親のアクティブさに若干引きつつ、春もあとに続いた。
「しっかし驚いたわ。春のお友達があの有名人だったとはねぇ」
「え、母さん千羽さんのこと知ってるの?」
「そりゃもちろん。看護学校時代の友達が、雑誌の企画かなんかでその人にヘアメイクしてもらったってんで、うちの病院でも話題になってたわ」
「そうなんだ……」
言い出すなら今。リビングに入った時、春は意を決して切り出した。
「あのさ、母さん。話があるんだ」
***
クリスマスも終わり、華やかなイルミネーションも姿を消した町並みからは、一段と冷え込みを感じるようになった。
別に悪いことをしているわけではないが、春はドキドキしていた。
ドアレバーの上の差し込み口にカードを挿れると、ピッと音がしてロックが解除される。
「おぉ……」
素直に感動を覚えながら、春は千羽の家の中に足を踏み入れた。
事前に連絡は入れてある。千羽は仕事で遅れるとのことで、春が先に千羽の家にやって来たのだった。
まるで泥棒のように、抜き足差し足で廊下を進む。
「こんにちわ─……」
千羽は留守なので、当然返事はない。
「はいりますよー……電気つけますよー……冷蔵庫あけますよー……」
挨拶だけではなく、春は自分の一挙手一投足を声に出していった。
やることがなくなると、なんとも落ち着かない。
テレビでも見ながら待っていようとリモコンを探していると、テーブルの上に置かれた雑誌に目がとまった。例の美容専門学校の広告が載っているページが開きっぱなしになっている。
隣のページには、最近人気という若手俳優が載っていた。特集最後のページには、端っこの方に見えるか見えないかくらいの文字で千羽の名前が書かれている。
「いいなあ、こいつ……」
そういえば毬子が、現役高校生の人気俳優が──という話をしていたような。
クリスマス特集とかで派手な眼鏡をかけている顔になんとなく見覚えがあるような気がしたが、何かのテレビかドラマで見ただけかもしれないと、あまり気に留めなかった。
雑誌を読むのに夢中になっていたのか、いつの間にか時間が経っていた。春は、玄関の方でがちゃりと音がするのを聞いて我に返った。
「なんだ、静かだから寝てるかと思ったら、勉強熱心じゃないか」
「あ、いや……おかえり、なさい、ませ」
なぜか気まずくなって、春はそっと雑誌を閉じて丁寧にテーブルに置いた。
「なさいませってなんだよ。ただいま」
千羽はリビングに顔を出しただけで、すぐに廊下の方へ引っ込んだ。千羽が戻ってくるまでの間、春は身動きひとつせずに待っていた。
「おまたせ。メシは?」
「まだ、です……」
「ちょっと待ってな」
「あっ、あの」
春は、キッチンの方に歩いていく千羽を引き止めた。
「ん? なんだ?」
冷蔵庫を開け、それを取り出す。
「……これ、母さんから、です。お世話になるんだから持って行けって。あと、こないだのご飯のお礼と、入れ物、です」
千羽は小さく口笛を吹いた。
春が冷蔵庫から取り出したのは、紛れもなくビールの缶だった。しかも、高いやつ。
「そんな気遣わなくていいのに。お礼言っといてくれ」
「あ、はい」
春がヨソ行きなのが気になったが、それも面白かったので千羽はあえて突っ込まないことにした。
「それより、お母さんからってことは……話したんだな、ちゃんと」
「はい」
「許してもらえたか?」
「はい!」
態度がヨソ行きではあったが、春の顔は輝いていた。その顔を見て、千羽も安心する。
「まずは飯食ってからにしよう。テーブルの上準備してくれ」
「はーい!」
夕飯後。
春はやっと緊張がほぐれたのか、いつもの調子に戻っていた。
「──でさ、母さん千羽さんのこと知ってたんだよ。なんか、千羽さんにヘアメイクしてもらった看護師さんが知り合いだったみたいで。今度その人におれのこと自慢するってさ。ちょっと恥ずかしいけどなー」
ノロケ話のような口調で語る春に、千羽は透明な袋に入った書類を差し出した。
「じゃあ、自慢できるような美容師にならないとな」
「なにこれ」
「出願書類だよ。未成年だと保護者が記入する欄もあるから、帰ってお母さんにも読んでもらいな。もちろん、ハルもよく読めよ」
「う……うん」
広告に載っていた美容専門学校の入学願書だった。
「休みが明けたら、担任の先生にもちゃんと話すんだぞ。高校の内申書とかも必要だからな。あと、ペンで書く前にえんぴつで下書きして俺に見せろ。チェックしてやるから」
「うん……あ、はい」
書類にびっしり書かれた文字を見て頭が痛くなっていた春は、それを聞いて少し安心した。願書の書き方は高校でも習ったことがあるが、ちゃんと覚えていない。
これで、進路調査の紙を堂々と提出することができる。春は新学期を待ち遠しく感じ、姿勢を正した。
「ところで……」千羽は腕組みをし、真面目な口調になる。「ハル、アルバイトはどうするんだ?」
「へ?」
急な話の方向転換に、春は思考が一時停止した。
「ほら、バイトしてるって言ってただろこの前。そのバイト、年明けからも続けるつもりなのか?」
「あ、ああ、あれは──」
元々京都への旅費を稼ぐだけのアルバイトのはずだった。なぜか必死になって目標額を大幅に超えた上に、京都へも結局行かなかったので当分金に困ることはなさそうだ。
「──元々短期のバイトだったし、年内で終わってるよ。えーと、出願料くらいは払えるかと……って、え? その話じゃなくて?」
千羽の顔が段々険しくなっていくので、春は必死に頭を回した。
何か重要なことを見逃したかと思い、出願書類を最初から読んでみる。
だが、千羽は春の顔から書類を剥がして言った。
「……その話じゃなくて」
「なくて……?」
「まあ、金がかかることに変わりはないからな。出願料もそうだし、合格したら入学金に授業料、道具代……実際のところ、高校生が一ヶ月バイトしたくらいじゃ足りない」
──やっぱり、考えが甘かったかな。また新しいバイト探さないと……。
早くも失望されたかと青ざめる春に、千羽は悪戯っぽい笑みを投げかけた。
「だから、年明けたらウチの店でバイトしろ」
「えっ? お、おれ、まだ……」
「安心しな。バイトに免許なんかいらない。床掃除、鏡拭き、客の話し相手……って雑用ばっかだが、あの空間にいたら仕事の流れとか道具の名前とか、自然に覚えるだろ」
「おれで、いいの……?」
「ああ。年明けたら店に来い。しばらくメンテナンスもしてないから、それもやらないとな」
春は身を乗り出した。
「うん! おれ、なんでもやるよ!」
「頼りにしてるよ、ハル」
また千羽と一緒の時間を過ごす機会が増えた。そう喜ぶ春は、千羽の店には因縁の相手がいることをすっかり忘れているようだった。
「す、すみませんでした」
母親に促され、春も一緒に頭を下げる。
「迷惑だなんて思っていませんよ。だから、頭をあげてください。あと、よかったらこれ──」
千羽は、春の母親にいくつかのタッパーを渡して帰っていった。
千羽の車が見えなくなるまで見送った後、母親は大きくため息をつく。
「母さん、ごめん心配かけて」
恐る恐る見た母親の顔には、笑みが浮かんでいた。
「いいのよ。男の子なんだから、これくらいアクティブでないとね。もっと心配かけなさい! 春はいい子すぎるわよ」
そう言うと、タッパーの中身を気にしながらさっさと家の中に入ってしまう。母親のアクティブさに若干引きつつ、春もあとに続いた。
「しっかし驚いたわ。春のお友達があの有名人だったとはねぇ」
「え、母さん千羽さんのこと知ってるの?」
「そりゃもちろん。看護学校時代の友達が、雑誌の企画かなんかでその人にヘアメイクしてもらったってんで、うちの病院でも話題になってたわ」
「そうなんだ……」
言い出すなら今。リビングに入った時、春は意を決して切り出した。
「あのさ、母さん。話があるんだ」
***
クリスマスも終わり、華やかなイルミネーションも姿を消した町並みからは、一段と冷え込みを感じるようになった。
別に悪いことをしているわけではないが、春はドキドキしていた。
ドアレバーの上の差し込み口にカードを挿れると、ピッと音がしてロックが解除される。
「おぉ……」
素直に感動を覚えながら、春は千羽の家の中に足を踏み入れた。
事前に連絡は入れてある。千羽は仕事で遅れるとのことで、春が先に千羽の家にやって来たのだった。
まるで泥棒のように、抜き足差し足で廊下を進む。
「こんにちわ─……」
千羽は留守なので、当然返事はない。
「はいりますよー……電気つけますよー……冷蔵庫あけますよー……」
挨拶だけではなく、春は自分の一挙手一投足を声に出していった。
やることがなくなると、なんとも落ち着かない。
テレビでも見ながら待っていようとリモコンを探していると、テーブルの上に置かれた雑誌に目がとまった。例の美容専門学校の広告が載っているページが開きっぱなしになっている。
隣のページには、最近人気という若手俳優が載っていた。特集最後のページには、端っこの方に見えるか見えないかくらいの文字で千羽の名前が書かれている。
「いいなあ、こいつ……」
そういえば毬子が、現役高校生の人気俳優が──という話をしていたような。
クリスマス特集とかで派手な眼鏡をかけている顔になんとなく見覚えがあるような気がしたが、何かのテレビかドラマで見ただけかもしれないと、あまり気に留めなかった。
雑誌を読むのに夢中になっていたのか、いつの間にか時間が経っていた。春は、玄関の方でがちゃりと音がするのを聞いて我に返った。
「なんだ、静かだから寝てるかと思ったら、勉強熱心じゃないか」
「あ、いや……おかえり、なさい、ませ」
なぜか気まずくなって、春はそっと雑誌を閉じて丁寧にテーブルに置いた。
「なさいませってなんだよ。ただいま」
千羽はリビングに顔を出しただけで、すぐに廊下の方へ引っ込んだ。千羽が戻ってくるまでの間、春は身動きひとつせずに待っていた。
「おまたせ。メシは?」
「まだ、です……」
「ちょっと待ってな」
「あっ、あの」
春は、キッチンの方に歩いていく千羽を引き止めた。
「ん? なんだ?」
冷蔵庫を開け、それを取り出す。
「……これ、母さんから、です。お世話になるんだから持って行けって。あと、こないだのご飯のお礼と、入れ物、です」
千羽は小さく口笛を吹いた。
春が冷蔵庫から取り出したのは、紛れもなくビールの缶だった。しかも、高いやつ。
「そんな気遣わなくていいのに。お礼言っといてくれ」
「あ、はい」
春がヨソ行きなのが気になったが、それも面白かったので千羽はあえて突っ込まないことにした。
「それより、お母さんからってことは……話したんだな、ちゃんと」
「はい」
「許してもらえたか?」
「はい!」
態度がヨソ行きではあったが、春の顔は輝いていた。その顔を見て、千羽も安心する。
「まずは飯食ってからにしよう。テーブルの上準備してくれ」
「はーい!」
夕飯後。
春はやっと緊張がほぐれたのか、いつもの調子に戻っていた。
「──でさ、母さん千羽さんのこと知ってたんだよ。なんか、千羽さんにヘアメイクしてもらった看護師さんが知り合いだったみたいで。今度その人におれのこと自慢するってさ。ちょっと恥ずかしいけどなー」
ノロケ話のような口調で語る春に、千羽は透明な袋に入った書類を差し出した。
「じゃあ、自慢できるような美容師にならないとな」
「なにこれ」
「出願書類だよ。未成年だと保護者が記入する欄もあるから、帰ってお母さんにも読んでもらいな。もちろん、ハルもよく読めよ」
「う……うん」
広告に載っていた美容専門学校の入学願書だった。
「休みが明けたら、担任の先生にもちゃんと話すんだぞ。高校の内申書とかも必要だからな。あと、ペンで書く前にえんぴつで下書きして俺に見せろ。チェックしてやるから」
「うん……あ、はい」
書類にびっしり書かれた文字を見て頭が痛くなっていた春は、それを聞いて少し安心した。願書の書き方は高校でも習ったことがあるが、ちゃんと覚えていない。
これで、進路調査の紙を堂々と提出することができる。春は新学期を待ち遠しく感じ、姿勢を正した。
「ところで……」千羽は腕組みをし、真面目な口調になる。「ハル、アルバイトはどうするんだ?」
「へ?」
急な話の方向転換に、春は思考が一時停止した。
「ほら、バイトしてるって言ってただろこの前。そのバイト、年明けからも続けるつもりなのか?」
「あ、ああ、あれは──」
元々京都への旅費を稼ぐだけのアルバイトのはずだった。なぜか必死になって目標額を大幅に超えた上に、京都へも結局行かなかったので当分金に困ることはなさそうだ。
「──元々短期のバイトだったし、年内で終わってるよ。えーと、出願料くらいは払えるかと……って、え? その話じゃなくて?」
千羽の顔が段々険しくなっていくので、春は必死に頭を回した。
何か重要なことを見逃したかと思い、出願書類を最初から読んでみる。
だが、千羽は春の顔から書類を剥がして言った。
「……その話じゃなくて」
「なくて……?」
「まあ、金がかかることに変わりはないからな。出願料もそうだし、合格したら入学金に授業料、道具代……実際のところ、高校生が一ヶ月バイトしたくらいじゃ足りない」
──やっぱり、考えが甘かったかな。また新しいバイト探さないと……。
早くも失望されたかと青ざめる春に、千羽は悪戯っぽい笑みを投げかけた。
「だから、年明けたらウチの店でバイトしろ」
「えっ? お、おれ、まだ……」
「安心しな。バイトに免許なんかいらない。床掃除、鏡拭き、客の話し相手……って雑用ばっかだが、あの空間にいたら仕事の流れとか道具の名前とか、自然に覚えるだろ」
「おれで、いいの……?」
「ああ。年明けたら店に来い。しばらくメンテナンスもしてないから、それもやらないとな」
春は身を乗り出した。
「うん! おれ、なんでもやるよ!」
「頼りにしてるよ、ハル」
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