木漏れ日とダンスを

三輪

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雲をも貫くかのような、レンガ造りの煙突の向こう。

そこには、''森''が住んでいると、街の人々は噂する。

それはこの世のものと思えぬほど美しく、そして冷酷なものであると。

















''森''はいつものように木の葉を踊らせて暇を潰していた。
何百年も前に、ヒトの足跡は残らず消えてしまった。地面には、茶色くなった葉が幾重にも重なり、時たまに''森''のため息で冷たい空気の中を低く舞う。
''森は、この大木がヒトの膝ほどの時から宿る精霊である。
この森の中に入ってしまえば、もう視界に入るのは木と、花と、それから時々キノコだけ。

ほかの''森''からのお便りは、数十年前から途絶えていた。あの頃は楽しかった。隣町の''森''からは、毎年小鳥の配達員さんでドングリが贈られてきた。そのまた隣の''森''からは、暖かくなると花粉が届いて春を知らせてくれた。

この前、花の種を隣町の''森''に贈ったけれど、返事がこない。いつもなら、お礼に育って咲いた綺麗な花のブーケを、すぐにリスさんが届けてくれたのに。


''森''はいつものように目覚め、木の葉を揺らした。
「チチチ、森さん。誰かくる。」
小鳥が''森''の腕にとまって言った。
『誰か?』
「チチチ、ヒトだ。ヒトが歩いてる。」
小鳥は小さく羽音をたてて飛び立った。
乾いた落ち葉が、パリパリと音をたてた。それはまるで時計の秒針のようにリズムを刻みながら、此方へ近づいてくる。
「今日...天気は晴れ時々くも......、星が....」
ザザ、という音が随所に紛れる、変な喋り方をするやつだ。
ヒトには長らく会っていないが、こんな喋り方していたっけ。''森''は、ボロボロの服を着たヒトが歩いているのをじっとみた。
真っ直ぐにも歩けておらず、今にも倒れそうだった。
そこで、''森''は、木のコップにハチミツ入りの紅茶をいれてやった。
それは、ひょろっとしたヒトの青年であった。
ヒトは、そのそばかす顔をとろけさせるように微笑んだ。
「ありがとう。」
ぞわ。
「街の人が思ってるより、君はずっとずっと優しいね。」
ぞわわ。
『...まちのひと?』
''森''が聞くと、ヒトは一瞬バツの悪そうな顔をした。
「あ...いや、なんでもないよ。」
そばかす顔のヒトは、さっき聞いたのとは違う喋り方だった。その代わり、ヒトが腰からぶら下げている小さな箱からその声は聞こえていた。
「...には...かい日が続.....気温が....」
ヒトではない何かを、あの中に閉じ込めているのだろうか。ひどいやつだ。
ヒトは、紅茶を飲んで、ふーっと息を吐いた。青白かった頬に少し赤みがかかった。
「君の名前を聞いていい?」
ヒトの緑色の瞳が、''森''を見つめた。
『...。』
''森''が黙っていると、ヒトは目を泳がせた。
「ごめん、突然。」
『名前はない、ただ、''森''、だ。』
「僕はヨルク。ありがとう、''森''さん。お礼をしたいんだ。」
ヨルクは少し考え、自信なさげに口を開いた。
「何か欲しい物とか...ない?」
そんなこと突然言われても困る。
『...ヨルクは何故こんな所にいるんだ?』
ヨルクはへへ、と力なく笑った。
「森にいる植物を調べてるんだ。皆は僕にちゃんとした仕事をしろって言うんだけどね。」
『そうか。』
「....次に....です.....う....市長...」
箱の中の「何か」は、ずっと喋り続けていた。ヨルクはそれとは会話はしていないらしい。少し可哀想だ。
「僕は植物の研究のために世界中を旅するんだ。まだまだこれからだけどね。」
ヨルクは空を見上げた。赤く染まった空が、葉の合間から覗いている。
「それで、今日この森の植物を調べてたら、夢中になりすぎて...道に迷っちゃった。」
恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。
「途中で荷物なくしちゃったし...まあ替えは一応あるからいいんだけどね。」
それで服がボロボロなのか。''森''は、ヨルクのことが少し知れて、少し嬉しくなった。
『...ヨルク、お礼と言ったな?』
「ああ。」
『わたしは...友達が欲しい。沢山友達が欲しい。』
ヨルクは面食らったような顔をした。無理なお願いなのだろうか。ちょっと申し訳なくなった。
「ごめん...今すぐにはあげられないや。言い出しっぺなのに。」
ヨルクは頭をかいた。赤毛のくせっ毛が更にボサボサになった。
『...それじゃあ、それが欲しい。』
「どれ?」
''森''は、箱の上に葉っぱを落とした。
「ああ、ラジオか。いいよ、ボロだけど...。」
らじお。初めて聞いた。不思議な名前の生き物だ。
ヨルクはラジオを''森''の腕に掛けた。
「そ...しいで.....ねー...もうち.....」
ザザーっと鳴き声をあげながら、らじおが喋った。
「本当にありがとう。」
''森''を優しく撫で、ヨルクは背を向けた。
その細い猫背に、葉っぱがざわざわいった。止めようと思っても、なかなか止まらなかった。
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