8 / 24
第四章 生き人形
第七話
しおりを挟む
翌朝、人形工房の開店時間になっても、そこに樹の姿はなかった。だが棚に掛けられた布などは取り払われており、いつもより早く開店準備が早く済んでいるのを見ると、舞果は樹がすぐに戻ってくるだろうと察していた。
昨日の事が気がかりで、ぼんやりした頭で新たな服のデザインをノートに描きながら店番をしていると、樹が可愛らしい柄の入った買い物袋を手に戻ってきた。
「何買って来たの?」
「人形だよ、ちょっと実験用」
「え?」
「母さんとの約束破ろうと思って」
そう言いながら塩ビで出来た安物の人形を袋から取り出す。テーブルにそれを三体並べると、樹は舞果を見て言う。
「僕らの持つ能力、ちゃんと知っておくいい機会だと思わない?」
「そうかも・・、しれないわね・・・・」
姉弟が十八歳の時、児童施設を出る歳となった二人は、共に暮らすようになる。昔から手先が器用だった二人は、いつしか人形作りの才能に目覚めていた。そこで二人は母の記憶を辿るように、いつか人形工房を開こうと約束する。
数年後、工房の新規開店準備を進めている最中、作った人形を陳列していた二人は奇妙な感覚に襲われた。
それは自身の記憶の回廊の中に立って、一枚一枚飾られた小さな絵画を眺めている気分だった。やがてその一つを掬い上げ、空っぽの人形の頭の中に移せる事に気が付く。人形に記憶が沁み込んでいくと、幼いころ聞いた母の言葉を思い出す。
「母さんが作る人形にはね、思いが宿っているの。でも人形が持てる心は一つだけ。複雑な心を持った人形は、もう人形とは呼べないわ。それはとっても怖い何かなの。あなた達が人形に触れて、不思議な何かを見れるようになったときには、必ず今言った事を思い出して」
すると、手元の人形からは作った時よりも、不思議な魅力が溢れているように見えた。姉弟はたった今起きた不思議な感覚の事を互いに話すと、他の人形を手に取り試行錯誤する。しかし、誰に咎められるでもないのに、今の今まで母の教えを守ったのは、人間の記憶というものを扱うという事に、二人はどこか畏怖の念を抱いていたからであった。
既製品の人形の前で、樹はメモ帳に昨日の夕食と今朝の朝食の内容を書いている。舞果はテーブルに置かれた人形達を眺めながら尋ねる。
「でもどうしてそんな人形?うちは人形屋よ?」
「あの関節の摩耗跡が気になってね。商品に傷がつくような何かが起こるかもしれないと思ってさ」
そう言いながら人形を包装するビニールを破り、樹は一体を手にする。
「人形とは呼べない何か、か・・・。姉さんが止めろって言うならやらないけど?」
「やりましょう。私たち家族に何があったか知るためにも」
舞果はカウンターの外に出てくると、その様子を見守る。樹は自身の二つの記憶を人形に注ぎ込み、人形を床に置いた。二人はそれを固唾を飲んで注意深く変化を観察する。
すると人形の四肢がピクリピクリと動き出したと思うと、ぎこちなく立ち上がったのだった。その光景に目を見張る二人。歪に関節を曲げながらギシギシカタカタと音を立て舞果に向かって歩いていく。
「姉さん下がって!」
樹のその声に舞果は、斜め後ろに一歩下がる。だが人形は舞果に目もくれず、そのまま彼女の横を通り過ぎ、その小さな拳でカウンターの下に貼られた板を叩きつける。そして、人形は右腕を突き出した体勢のまま固まり、仰向けに倒れた。
「と、止まった・・・」
人形を確認するため樹が近寄ると、そこには人形によって潰された蜘蛛の屍骸があった。
「なんだ?姉さんではなく、初めからこの蜘蛛に向かって行ったのか・・・?」
「樹、これって・・・・」
「うん、真琴さんの見た動く人形と同じだった」
樹は人形を拾い上げると、すぐに人形の関節を外し観察する。
「削れてる。似たような跡だよ」
「恐ろしい何かを感じたわ。母さんはこの事を知っていたから、何度も私達に忠告していたのね」
「きっとそうだろうね。母さんの言葉通りだったんだ。小さい頃、僕らが人形に悪戯しないように、母さんはわざとそんな事言ってるだけだって、兄さんはよく言ってたけど」
人形の頭に手を当てた樹は、注意深く先ほど注いだ自身の記憶を覗き込んだ。
「この人形、入れた記憶は残ってる。でも人形殺人に使われたものには記憶は無かった」
「それってつまり、あの事件の犯人は、私たちと似た力を持っていて、記憶を持ち去っているとでも言いたいの・・・・?」
「持ち去ったのが犯人かどうかはわからないけど、この摩耗跡から考えるに、この生き人形を生成出来る人物の可能性はあるかも」
「生き人形?」
「仮称だよ。この現象に呼び名が無いと困るかなって」
「なるほどね。ところで、その生き人形になった後の記憶を、元の人間に戻して大丈夫なのかしら?とても不気味に感じたのだけれど」
「やってみるよ」
「今度はあんたが暴れだすとかやめてよ?」
樹は微笑み返すと人形に再び手を当て、自らに記憶を戻すと違和感に気づく。
「ん?なんだこれ?これは、人形から見た光景なのか・・・?さっき記憶を覗いた時には無かったのに」
「ちょっと、大丈夫なの!?」
先ほど書いたメモ帳の内容と、自身の記憶を照らし合わせながら樹は答える。
「うん、人形が見た記憶が足されている以外何も問題ないよ」
「人形が見た記憶が足されてる?ねえ、それならあの人形に入ってる記憶を私たちに戻したら、あの日、火事の中で、あの子が何を見たか分かるんじゃないかしら?」
「そうだね。あの記憶を戻すのは、色々辛いけど、何か分かるなら・・・・」
店内の商品棚とは別の、人目に付かない棚に置かれた星与の作った人形は、何かを語りたそうに宙を見つめていた。
昨日の事が気がかりで、ぼんやりした頭で新たな服のデザインをノートに描きながら店番をしていると、樹が可愛らしい柄の入った買い物袋を手に戻ってきた。
「何買って来たの?」
「人形だよ、ちょっと実験用」
「え?」
「母さんとの約束破ろうと思って」
そう言いながら塩ビで出来た安物の人形を袋から取り出す。テーブルにそれを三体並べると、樹は舞果を見て言う。
「僕らの持つ能力、ちゃんと知っておくいい機会だと思わない?」
「そうかも・・、しれないわね・・・・」
姉弟が十八歳の時、児童施設を出る歳となった二人は、共に暮らすようになる。昔から手先が器用だった二人は、いつしか人形作りの才能に目覚めていた。そこで二人は母の記憶を辿るように、いつか人形工房を開こうと約束する。
数年後、工房の新規開店準備を進めている最中、作った人形を陳列していた二人は奇妙な感覚に襲われた。
それは自身の記憶の回廊の中に立って、一枚一枚飾られた小さな絵画を眺めている気分だった。やがてその一つを掬い上げ、空っぽの人形の頭の中に移せる事に気が付く。人形に記憶が沁み込んでいくと、幼いころ聞いた母の言葉を思い出す。
「母さんが作る人形にはね、思いが宿っているの。でも人形が持てる心は一つだけ。複雑な心を持った人形は、もう人形とは呼べないわ。それはとっても怖い何かなの。あなた達が人形に触れて、不思議な何かを見れるようになったときには、必ず今言った事を思い出して」
すると、手元の人形からは作った時よりも、不思議な魅力が溢れているように見えた。姉弟はたった今起きた不思議な感覚の事を互いに話すと、他の人形を手に取り試行錯誤する。しかし、誰に咎められるでもないのに、今の今まで母の教えを守ったのは、人間の記憶というものを扱うという事に、二人はどこか畏怖の念を抱いていたからであった。
既製品の人形の前で、樹はメモ帳に昨日の夕食と今朝の朝食の内容を書いている。舞果はテーブルに置かれた人形達を眺めながら尋ねる。
「でもどうしてそんな人形?うちは人形屋よ?」
「あの関節の摩耗跡が気になってね。商品に傷がつくような何かが起こるかもしれないと思ってさ」
そう言いながら人形を包装するビニールを破り、樹は一体を手にする。
「人形とは呼べない何か、か・・・。姉さんが止めろって言うならやらないけど?」
「やりましょう。私たち家族に何があったか知るためにも」
舞果はカウンターの外に出てくると、その様子を見守る。樹は自身の二つの記憶を人形に注ぎ込み、人形を床に置いた。二人はそれを固唾を飲んで注意深く変化を観察する。
すると人形の四肢がピクリピクリと動き出したと思うと、ぎこちなく立ち上がったのだった。その光景に目を見張る二人。歪に関節を曲げながらギシギシカタカタと音を立て舞果に向かって歩いていく。
「姉さん下がって!」
樹のその声に舞果は、斜め後ろに一歩下がる。だが人形は舞果に目もくれず、そのまま彼女の横を通り過ぎ、その小さな拳でカウンターの下に貼られた板を叩きつける。そして、人形は右腕を突き出した体勢のまま固まり、仰向けに倒れた。
「と、止まった・・・」
人形を確認するため樹が近寄ると、そこには人形によって潰された蜘蛛の屍骸があった。
「なんだ?姉さんではなく、初めからこの蜘蛛に向かって行ったのか・・・?」
「樹、これって・・・・」
「うん、真琴さんの見た動く人形と同じだった」
樹は人形を拾い上げると、すぐに人形の関節を外し観察する。
「削れてる。似たような跡だよ」
「恐ろしい何かを感じたわ。母さんはこの事を知っていたから、何度も私達に忠告していたのね」
「きっとそうだろうね。母さんの言葉通りだったんだ。小さい頃、僕らが人形に悪戯しないように、母さんはわざとそんな事言ってるだけだって、兄さんはよく言ってたけど」
人形の頭に手を当てた樹は、注意深く先ほど注いだ自身の記憶を覗き込んだ。
「この人形、入れた記憶は残ってる。でも人形殺人に使われたものには記憶は無かった」
「それってつまり、あの事件の犯人は、私たちと似た力を持っていて、記憶を持ち去っているとでも言いたいの・・・・?」
「持ち去ったのが犯人かどうかはわからないけど、この摩耗跡から考えるに、この生き人形を生成出来る人物の可能性はあるかも」
「生き人形?」
「仮称だよ。この現象に呼び名が無いと困るかなって」
「なるほどね。ところで、その生き人形になった後の記憶を、元の人間に戻して大丈夫なのかしら?とても不気味に感じたのだけれど」
「やってみるよ」
「今度はあんたが暴れだすとかやめてよ?」
樹は微笑み返すと人形に再び手を当て、自らに記憶を戻すと違和感に気づく。
「ん?なんだこれ?これは、人形から見た光景なのか・・・?さっき記憶を覗いた時には無かったのに」
「ちょっと、大丈夫なの!?」
先ほど書いたメモ帳の内容と、自身の記憶を照らし合わせながら樹は答える。
「うん、人形が見た記憶が足されている以外何も問題ないよ」
「人形が見た記憶が足されてる?ねえ、それならあの人形に入ってる記憶を私たちに戻したら、あの日、火事の中で、あの子が何を見たか分かるんじゃないかしら?」
「そうだね。あの記憶を戻すのは、色々辛いけど、何か分かるなら・・・・」
店内の商品棚とは別の、人目に付かない棚に置かれた星与の作った人形は、何かを語りたそうに宙を見つめていた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
意識転移鏡像 ~ 歪む時間、崩壊する自我 ~
葉羽
ミステリー
「時間」を操り、人間の「意識」を弄ぶ、前代未聞の猟奇事件が発生。古びた洋館を改造した私設研究所で、昏睡状態の患者たちが次々と不審死を遂げる。死因は病死や事故死とされたが、その裏には恐るべき実験が隠されていた。被害者たちは、鏡像体と呼ばれる自身の複製へと意識を転移させられ、時間逆行による老化と若返りを繰り返していたのだ。歪む時間軸、変質する記憶、そして崩壊していく自我。天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、この難解な謎に挑む。しかし、彼らの前に立ちはだかるのは、想像を絶する恐怖と真実への迷宮だった。果たして葉羽は、禁断の実験の真相を暴き、被害者たちの魂を救うことができるのか?そして、事件の背後に潜む驚愕のどんでん返しとは?究極の本格推理ミステリーが今、幕を開ける。
【完結】少女探偵・小林声と13の物理トリック
暗闇坂九死郞
ミステリー
私立探偵の鏑木俊はある事件をきっかけに、小学生男児のような外見の女子高生・小林声を助手に迎える。二人が遭遇する13の謎とトリック。
鏑木 俊 【かぶらき しゅん】……殺人事件が嫌いな私立探偵。
小林 声 【こばやし こえ】……探偵助手にして名探偵の少女。事件解決の為なら手段は選ばない。
隠蔽(T大法医学教室シリーズ・ミステリー)
桜坂詠恋
ミステリー
若き法医学者、月見里流星の元に、一人の弁護士がやって来た。
自殺とされた少年の死の真実を、再解剖にて調べて欲しいと言う。
しかし、解剖には鑑定処分許可状が必要であるが、警察には再捜査しないと言い渡されていた。
葬儀は翌日──。
遺体が火葬されてしまっては、真実は闇の中だ。
たまたま同席していた月見里の親友、警視庁・特殊事件対策室の刑事、高瀬と共に、3人は事件を調べていく中で、いくつもの事実が判明する。
果たして3人は鑑定処分許可状を手に入れ、少年の死の真実を暴くことが出来るのか。
霊山の裁き
聖岳郎
ミステリー
製薬会社のMRを辞め、探偵となった空木健介。登山と下山後の一杯をこよなく愛する探偵が、初の探偵仕事で事件に巻き込まれる。初仕事は不倫調査の尾行だったが、その男は滋賀県と岐阜県の県境に位置する霊仙山の廃屋で死体で見つかった。死体は一体誰?さらに、空木の元に、女性からの手紙が届き、山形県の霊山、月山に来るように依頼される。その月山の山中でも、死体が発見される。転落死した会社員は事故だったのか?
とある製薬会社の仙台支店に渦巻く、保身とエゴが空木健介によって暴かれていく山岳推理小説。
===とある乞食の少女が謳う幸福論===
銀灰
ミステリー
金銭の単位と同じ名《めい》を名付けられたその少女は、街中を徘徊する乞食であった。
――ある日少女は、葦の群生地に溜まった水たまりで身を清めているところ、一人の身なりの良い貴族とばったり顔を突き合わせる。
貴族は非礼を詫び立ち去ったが――どういうわけか、その後も貴族は少女が水浴びをしているところへ、人目を忍び現れるようになった。
そしてついに、ある日のこと。
少女は貴族の男に誘われ、彼の家へ招かれることとなった。
貴族はどうやら、少女を家族として迎え入れるつもりのようだが――貴族には四人の妻がいた。
反対、観察、誘い、三者三様の反応で少女に接する妻たち。
前途多難な暗雲が漂う少女の行く先だが――暗雲は予想外の形で屋敷に滴れた。
騒然となる屋敷内。
明らかな他者による凶行。
屋敷内で、殺人が発生したのだ――。
被害者は、四人の妻の一人。
――果たして、少女の辿る結末は……?
真実の先に見えた笑顔
しまおか
ミステリー
損害保険会社の事務職の英美が働く八階フロアの冷蔵庫から、飲食物が続けて紛失。男性総合職の浦里と元刑事でSC課の賠償主事、三箇の力を借りて問題解決に動き犯人を特定。その過程で着任したばかりの総合職、久我埼の噂が広がる。過去に相性の悪い上司が事故や病気で三人死亡しており、彼は死に神と呼ばれていた。会社内で起こる小さな事件を解決していくうちに、久我埼の上司の死の真相を探り始めた主人公達。果たしてその結末は?
空の船 〜奈緒の事件帳〜
たまご
ミステリー
4年前、事故で彼氏の裕人(ヒロト)を失った奈緒(ナオ)は、彼の姉である千奈津(チナツ)と未だ交流を続けていた。あくる日のこと、千奈津が「知人宅へ一緒に行って欲しい」と頼み込んだことで、奈緒は、千奈津に同行するが、知人宅を訪れると、知人の夫が倒れているのを発見してしまい…。
秘密と自殺と片想い
松藤 四十弐
ミステリー
友達が死んだのは、2004年9月の下旬。首を吊り、自らを殺した。十七歳だった。
あいつは誰にも何も言わず、なぜ自殺をしたのか。俺はそれを知ることにした。
※若きウェルテルの悩み、初恋(ツルネーゲフ)、友情(武者小路実篤)のネタバレを含みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる