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第二章 炎と遠雷と赤

第四話

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 姉弟は帰宅すると、預かってきた人形の破損個所と服の採寸の確認を取るため、早速作業場の机に並べる。すると舞果がそれらを見つめながら樹に尋ねる。
 「母さんはこの子達にどんな記憶を託したと思う?」
 「人形に記憶を預けてる間は思い出せないんだし、やっぱりどうでもいい事や嫌な思い出ばかりじゃないかな」
 「見てみない?」
 「えー、身内のは見ないって約束したじゃないか」
 「だって、私達が母さんの作品に触れる機会ってあまりないじゃない。それに私達、あの火事の記憶が曖昧だし、何か手掛かりがあるかもしれないわよ?」
 「んー、確かに。大人になれば何となく理由が分かると思ってたけど、母さんが父さんと兄さんを手に掛けたって、やっぱり僕も信じられないんだ」
 「そうでしょ?もし母さんが大きなストレスを抱えていたのなら、その一部を人形に入れてる可能性だってあるわ。ま、この子達に入ってる記憶が母さんのものとは限らないけど」
 「でも姉さん、長く年月の経った人形の記憶は変質することだってあるのを忘れないで」
 「わかってるわよ」

 そう言って二人は二体の人形の上に手をかざし、少し意識を集中する。一呼吸置くと舞果が思わず笑った。
 「何よこれ、母さんの作業部屋で悪戯して怒られてる記憶じゃない。こっちは兄さんの小さい頃、こっちはあんた。さすがは兄弟ね」
 「なんだよ、自分だけいい子だったって言いたいのかい?」
 「そうよ」
 「バレてないだけだと思うけどな」
 「ふふ、時効よ」
 「でもこれじゃ何の手掛かりにもならないね」
 「あとで栗原のおば様に、他の人形のオーナーを知らないか聞いてみましょう」
 「そうだね、母さんが残した作品を改めて研究してみたいし」

 作業を始めるため、準備を進めていると店の扉が開く。樹が挨拶すると、そこには真琴の姿があった。そしてその後ろで、シワの残るくたびれたスーツを着た、白髪交じりの恰幅かっぷくの良い中年男性が、店内をきょろきょろと見回していた。はにかむ真琴は二人に軽く頭を下げ、
 「こんにちは、この前はどうも。実はちょっと見てもらいたい物がありまして、立ち寄らせていただきました。こちらは屋代やしろ刑事、私が職場で以前からお世話になっている方です」
 紹介された屋代は、あまり愛想なく片手をちょいと上げ挨拶をする。
 「ああ、すまない。ちょっと邪魔させてもらう」
 その少しだらしのない外見とは裏腹に、隠し持った眼力で、チラッと樹の顔を見ると再び店内を見渡す。何とも言えない威圧感に、一拍返事が遅れてしまった樹は真琴に、
 「えっと、というと例の調査ですか?」
 「はい、そうなのです。見てもらいたい物とはこれなのですが・・・・」
 彼女は鞄から一冊のファイルを取り出し、カウンターの上に開くと、そこには何体もの人形の写真が納められていた。覗き込む樹は口に手を当て、
 「これはもしかして・・・・」
と、息を呑んだ。真琴は話を進める。
 「全て人形殺人の現場に残されていた人形達です。一応は指紋の採取や製造元などの調査は済んでいるのですが、人形に詳しいお二人のご意見を伺えば、何か新たな突破口が開けるのではないかと思いまして」
 「そういう事なら微力ながら協力させてもらいます」
 真琴が感謝する前で、人知れず少し怪訝な表情を浮かべた舞果も、樹の捲るファイルを覗き込み一通り観察をする。
 「どう思う?姉さん」
 「ほぼ全部既製品で生産国や販売元、価格帯もバラバラ。そして、この子達には愛された形跡がない」
 「確かに」
 真琴は聞き返した。
 「愛された形跡がない?それはどういう意味ですか?」
 傍らで屋代も店内の物色を止め、姉弟の発言に意識を向ける。樹と舞果は続けた。
 「つまり、僕らが見た感じでは、この人形達は元々被害者が持っていたものではなく、誰かが即席で用意したような印象という事です。それは単に新しい人形だからというだけでなく、これみたいに少し劣化が進んだ人形も同じです」
 「今まで見向きもされなかった子が、急に連れてこられて殺人の小道具にされる・・・。不愉快ね」
 「それと気になる人形が一体ありました」

 樹はファイルのページを数枚戻すと一つの写真を指差す。
 「これは良く出来てますが、手作りの人形ですよ」
 そう言われて二人の刑事はファイルに目線を落とした。真琴が、
 「屋代さん、これって」
と、屋代の顔を見る。
 「ああ、製造元が分からなかったやつだな。作者は分かるか?」
 姉弟はお互いの顔色を窺うと首を横に振り、樹はファイルを閉じ真琴に差し出しながら言う。
 「写真だけだと今は何とも。現物を見られれば何か分かるかもしれませんが」
 ファイルをしまいながら真琴は、
 「屋代さんなら外部に持ち出せるんじゃないですか?」
と尋ねた。屋代は一瞬考え込むと姉弟の顔を見る。
 「ああそうだな。日を改めてもう一度顔を出してもいいか?」
 「ええ、どうぞ」
 樹がそう返事をすると、屋代は姉弟の顔を今一度見据え、改まって質問する。
 「ところで、君らの父親は啓一けいいちという名か?」
 「啓一は確かに僕らの父の名前ですけど」
 「そうか、やっぱり山納の子供だったか」
 「父を知ってるんですか?」
 「俺は元同僚だった、と言っても若いとき何度か組んでたって程度だが。あいつはすぐ偉くなっちまったからな」
 「そうだったんですか、父は家で仕事の話を滅多しない人だったので」
 「賢明だろうな。人が毎日のように悪事を働いたり死んだりするんだ。・・・もう、十五年ほど経つか?」
 「はい」

 一人事情が分からない真琴は、少し重くなった空気を感じて押し黙っていると、屋代と姉弟との間でその後も交わされる会話から、二人の生い立ちを漠然と理解する。胸を痛める真琴の横で、屋代は更に会話を続けた。
 「実はな、あの時の現場検証に、俺も立ち会っていたんだ」
 その言葉を聞き、姉弟はハッとし樹が質問をする。
 「あの、僕らと母が倒れていた近くに人形は落ちていませんでしたか?」
 「人形?ああ、覚えがあるな。子供があの状況で持ち出すには苦労しそうな大きさだったから、違和感を覚えて回収を指示した記憶がある」
 「今もどこかに保管されていたりしますか?」
 「たぶんあると思うぞ。本来なら遺族に返すもんだ、後で探しておいてやる」
 「ありがとうございます」
 「礼には及ばん。客でもないのに一方的に押し掛けた詫びだ。そろそろ行くぞ、日笠」
 屋代は感謝の意を込め、また片手を軽く上げる。それに続き真琴が礼を述べると、二人は店を後にした。

 扉がパタンと閉まり、舞果は樹を横目にいたずらな表情で話しかける。
 「ああいう子が好みなのね」
 「え?」
 「やけにあの子の事だと協力的じゃない」
 「ふ、普通だって。それに母さんの人形が戻ってくる事になったし、いいじゃないか」
 「普通ねぇ。人形の事はありがたいけど、物騒な事にはあまり深入りしないでよ?」
 「わかってるよ。でも人形殺人は十年以上起きていないんだ、そうそう危ない事にはならないよ」
 舞果はため息をつくと、栗原から預かった人形を手に、自身の作業部屋へと入って行った。


 店を後にした屋代は、真琴が運転する車の中の助手席で、
 「しかし世間てのは狭いもんだな。お前に付いて来てみれば、昔の元相棒の子供がやってる店だったとは。ところで、よくあんな店知ってたな」
 「ええ、ちょっと・・・・」
 「人形ねぇ。ま、お前も女の子だもんな。・・・それに樹と言ったか?年も近いし良いじゃないか」
 「な、何を言ってるんですかあ!」
 「前見ろ、前」
 「ああ、すみません!もう、やだなぁ、屋代さんってば。ところで、この後他に用は?」
 「今日は大人しく仕事に戻る。もうすぐ定年だしな、職務怠慢でクビになったら困る。非番なのに手伝ってもらって悪かったな」
 「いえ。しかし人形殺人は何故止んだのでしょう?犯人は既に死亡しているのか、余程辛抱強いのか・・・・」
 「どちらかと言えば後者だな。昔の捜査本部の連中は、犯人死亡と考えてる奴らが多いみたいだが、俺は何か犯人に誤算があって中断したと思っている。ただの勘だがな。それにさっき店で話してた、あいつら家族の心中放火事件、あれがどうも引っかかる」
 「人形殺人に関係があると?確かに犯行の止んだ年と重なりはしますが」
 「ま、俺の考えすぎかもしれんがな」
 蝉が鳴き始めた並木道を、二人の乗った車は駆け抜けて行った。



 その頃、夕日が水面を照らし、琥珀を撒いたようになった街外れの貯水池。場所によってはもう既に薄暗く、すっかり人気は無い。
 一人の女性がその周囲をランニングしていると、不意に気配を感じ辺りを見渡す。不穏な空気を紛らわすように首から下げたイヤホンを耳に戻しペースを速める。
 そして、一本の大きな柳の木を通り過ぎようとしたとき、後頭部に激しい衝撃が走り、同時に意識を失った。

 女性の体はガサガサと水辺の葦の茂みへ、何者かによって引きずり込まれていく。力なく横たわったその体に、何度も刃物が突き立てられた。下の枯れ草は流れ出る赤銅色の体温を、渇きを癒すように吸い込むのだった。その様子を一体の人形が見つめていた。

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