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第五章 迷い、見失い、それでも
01 迷子の心
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相葉湊が再び女になってから、一ヶ月が過ぎた。
「おはよ、麗美」
「おはよう湊。ちゃんと早起きできてるじゃん。いいことね」
「女は……朝の準備を怠っちゃいけないからね……」
洗面所で、先に起きていた妹の麗美とそんな会話を交わす。
トイレを済ませ、顔を洗い歯を磨く。そして、朝の身だしなみだ。
「なんか最近湊って、盛ってるよね……? ネイルまでするんだ?」
「友達に勧められてさ。やってみたらけっこういい感じでね」
形を整えた爪を、好みの色に染めていく。
女子力を上げるため。それ以上でも以下でもない。女に美しくなってどうすると問うのは、鳥に飛んでどうすると問うようなものだ。
よけいなことは考えず、ネイルに集中する。
いや、本当はわかっていた。そうすることで嫌なことから逃げているのだと。
「それで、性別転換してから健康状態はどうかしら?」
「生理はちゃんと来ました。最近はまた冷え性と便秘が少し気になりますか……」
「周りの女の子たちとは、うまくやれてるかな?」
「はい。お帰りって感じで、割と普通に受け入れられてます」
放課後の保健室。保険医の舞のカウンセリングを受ける。
一度性別転換した者が元の性に戻ること自体珍しい。なのに、さらにもう一度転換するのは全く前例がないそうだ。
学園側も、なにより舞自信が湊の扱いには慎重にならざるを得ない。
「ねえ相葉さん、言いづらいんだけど……」
最初からいぶかしげだった舞が、意を決した様子になる。
「なんでしょう……?」
湊には、保険医の難しい顔の理由がわからなかった。
「最近あなた、キャラ作ってない? 無理に女っぽく振る舞おうとしているっていうか……女をやろうとしてるっていうか……」
痛いところを突かれた言葉だった。だがそれだけだ。今の湊には、だからどうということもない。
「私……どこか変ですか……?」
とぼける。そうすることで問題から逃げるように。
「変なところがないのが問題というか……。例えば、一人称も〝私〟にしてるし……。以前のあなたと違いすぎる気がするのよ」
舞は、若者のセクストランス症候群とその対処に関しては第一人者だ。その彼女をして、どう言っていいかわからない。今の自分はそんな状況らしい。
「前のあなたは、女になった時も、男に戻ったときも、必死なところがあった。性別が変わってしまった自分と全力で向き合ってたと思うの。例えるなら、必死で泳いでるみたいに。今のあなたは……なんというか……流されるままにプカプカ浮いてるような気がするのよ……」
保険医の言葉が胸に刺さる。そうなっている自覚が、湊にはあるからだ。
「なにか問題ありますか……? たまには力を抜くことも必要だと気づいたんです。時が来たら、全力で泳ぐつもりでいますとも」
大嘘だった。それは舞にもばれている。ともあれ、彼女は大人だ。それをとがめても、今の湊にとって意味がないのは承知している。
「おせっかいだと思って聞いて。性別転換が起きて、自分を見失ってしまった生徒たちを、残念ながらわたしは何人も見てきたの。あなたがそうだとは言い切らないけど……。今のあなたは、本当にあなた自身が望んだ自分かしら?」
そう言って、卓上鏡をかざす。
湊は自分の虚像を見つめてみる。
髪は再び女になってから、揃える程度しか切っていない。ショートヘアと言える程度に伸びている。以前は面倒だった化粧も、凝るようになった。Yシャツを第二ボタンまで外し、ネックレスをしてギャルっぽさを演出している。
(自身が望んだ自分……? そんなのわからないよ……)
思考停止して、鏡から目をそらす。考えるのが面倒だった。
自分がどうしたいのか。なにを望むのかさえ。
舞の言うとおり、以前の自分は性に悩みながらも必死だったように思える。だが、もう泳ぐのに疲れた。プカプカ浮いていられるのなら、そうしていたかった。
「私は……望んでこうしてますから……。でもなにか悩みがあったら、また先生に相談させてもらいます。その時は……」
「ええ……遠慮せずなんでも言って。わたしは味方よ」
舞は引き下がる。湊の本音をこの場で引き出すことは不可能と判断したらしい。
彼女は優秀で面倒見がいいが、過保護でない。問題のアドバイスはするが、最終的にどう向き合い解決するかは本人が決めること。それが信条だ。
「ありがとうございました」
湊は頭を下げて、保健室を後にする。
また逃げている。それを自覚しながら。
………………………………………………………………………………………………………
『湊ちゃん、今日買い物でもいかがですか?』
『ごめん、トワたちとオケりに行く予定があるから。次は一緒します』
雪美からのSNSのメッセージに、そっけなく返信する。即答するのは失礼だからと、数分間を置いて。
この一ヶ月湊はずっとこの調子だ。なにかと理由をつけては、雪美から逃げている。
そう、逃げているのだ。
また女になってしまった。恥を承知で雪美も梓も好きだと宣言して、受け入れてもらえた矢先に。
(また女になったの……私の心が弱いからだよね……)
胸に手を当てて、そう自覚する。
男に戻ったときと同じ。これが、運が悪かったなら自分と向き合うこともできただろう。
だが、再び性別転換してまたしても雪美のはしごを外してしまった。それは、間違いなく自身の不徳のせいだ。
男の身体で初めて雪美を抱いたとき、失礼にも梓と比較した。
雪美と本当に男女の関係になれば、男としてけじめをつけなければならない。梓との関係にも決着をつけなければ。あの瞬間、自分はそれを恐れ、めんどくさがった。
その結果がこれだ。病院で目を覚ましてみれば、また女になっていた。
自分と周囲と向き合うのが怖かった。向き合えば、自分の心の弱さを認めなければならない。雪美に、なぜまた女になってしまったのかを正直に言わなければならないから。
それは問題の先送りでさえない。完全な逃避だった。
(でも……私にどうしろって言うのさ……)
雪美は今でも自分に優しい。それがむしろ辛かった。
あんな優しくてかわいい、包容力のある彼女に、自分はとんでもなく失礼なことをしてしまった。
会わせる顔がないとはこのことだ。
今日もまた、湊は雪美から逃げていた。
「みなとっちぃ、次はこれ一緒しね?」
「うん、一緒しようトワ。この歌好きなんだ」
湊はギャル友四人と、カラオケに興じている。
再び女になってから付き合いを深めた少女たちだ。
ギャルっぷりはそれぞれだが、ひとつ共通点がある。全員、元は男だったということだ。
「でさー。そいつうぜえのなんのって! お嬢様ぶって男の気ぃ引こうったって、ほんとはビッチなのばれてるっつーの!」
「ぎゃははははっ! やつが育ちのいいお嬢とかまじありえねー。ま、男にしてみりゃー最終的に股開いてくれりゃおkじゃねーの? どうせヤリ目だしー」
正直、ギャルの集まりはかなりゲスい。話題といえば男のことと他の女の悪口ばかりだ。
だが、湊は楽しむことに決めていた。
彼女たちとつるんでいる時は、思考をやめて嫌なことを忘れていられる。
「ねえね、みなとっち。今度合コンあんだけどさー、あんたも来ない? イケメンそろってるよー? みなとっちかわいいから、男どもも気に入ると思うんだわー」
ギャルのひとりがスマホの写真を見せる。
トワたちが、イケメンだがチャラそうな男たちと一緒に映っていた。
なんとなくわかる。彼女たちのいう合コンとは、要するに乱交パーティーだ。
このメンバーの股の緩さは、学校でも有名だ。実際、湊も彼女たちがいつも違う男を連れて歩いているのを見ている。
セックス依存症なのだろうか。
舞に聞いたことがある。男から女になって、気持ちが不安定なまま、あるいは好奇心を暴走させ、性依存になってしまう例は多いと。
「ごめん、その日予定あるんだ……。また誘ってね……。確かにいい男そろってるし……」
遠回しにお断りしておく。
(まだ……そこまでは……)
全部がめんどくさくなっているが、まだそこまで諦観して、即物的な快楽に溺れようとは思わない。でも、いずれは彼女たちに混じるのもいいかもしれない。
すっかり逃げの思考にはまっている湊は、そんなことを思ってしまうのだった。
「おはよ、麗美」
「おはよう湊。ちゃんと早起きできてるじゃん。いいことね」
「女は……朝の準備を怠っちゃいけないからね……」
洗面所で、先に起きていた妹の麗美とそんな会話を交わす。
トイレを済ませ、顔を洗い歯を磨く。そして、朝の身だしなみだ。
「なんか最近湊って、盛ってるよね……? ネイルまでするんだ?」
「友達に勧められてさ。やってみたらけっこういい感じでね」
形を整えた爪を、好みの色に染めていく。
女子力を上げるため。それ以上でも以下でもない。女に美しくなってどうすると問うのは、鳥に飛んでどうすると問うようなものだ。
よけいなことは考えず、ネイルに集中する。
いや、本当はわかっていた。そうすることで嫌なことから逃げているのだと。
「それで、性別転換してから健康状態はどうかしら?」
「生理はちゃんと来ました。最近はまた冷え性と便秘が少し気になりますか……」
「周りの女の子たちとは、うまくやれてるかな?」
「はい。お帰りって感じで、割と普通に受け入れられてます」
放課後の保健室。保険医の舞のカウンセリングを受ける。
一度性別転換した者が元の性に戻ること自体珍しい。なのに、さらにもう一度転換するのは全く前例がないそうだ。
学園側も、なにより舞自信が湊の扱いには慎重にならざるを得ない。
「ねえ相葉さん、言いづらいんだけど……」
最初からいぶかしげだった舞が、意を決した様子になる。
「なんでしょう……?」
湊には、保険医の難しい顔の理由がわからなかった。
「最近あなた、キャラ作ってない? 無理に女っぽく振る舞おうとしているっていうか……女をやろうとしてるっていうか……」
痛いところを突かれた言葉だった。だがそれだけだ。今の湊には、だからどうということもない。
「私……どこか変ですか……?」
とぼける。そうすることで問題から逃げるように。
「変なところがないのが問題というか……。例えば、一人称も〝私〟にしてるし……。以前のあなたと違いすぎる気がするのよ」
舞は、若者のセクストランス症候群とその対処に関しては第一人者だ。その彼女をして、どう言っていいかわからない。今の自分はそんな状況らしい。
「前のあなたは、女になった時も、男に戻ったときも、必死なところがあった。性別が変わってしまった自分と全力で向き合ってたと思うの。例えるなら、必死で泳いでるみたいに。今のあなたは……なんというか……流されるままにプカプカ浮いてるような気がするのよ……」
保険医の言葉が胸に刺さる。そうなっている自覚が、湊にはあるからだ。
「なにか問題ありますか……? たまには力を抜くことも必要だと気づいたんです。時が来たら、全力で泳ぐつもりでいますとも」
大嘘だった。それは舞にもばれている。ともあれ、彼女は大人だ。それをとがめても、今の湊にとって意味がないのは承知している。
「おせっかいだと思って聞いて。性別転換が起きて、自分を見失ってしまった生徒たちを、残念ながらわたしは何人も見てきたの。あなたがそうだとは言い切らないけど……。今のあなたは、本当にあなた自身が望んだ自分かしら?」
そう言って、卓上鏡をかざす。
湊は自分の虚像を見つめてみる。
髪は再び女になってから、揃える程度しか切っていない。ショートヘアと言える程度に伸びている。以前は面倒だった化粧も、凝るようになった。Yシャツを第二ボタンまで外し、ネックレスをしてギャルっぽさを演出している。
(自身が望んだ自分……? そんなのわからないよ……)
思考停止して、鏡から目をそらす。考えるのが面倒だった。
自分がどうしたいのか。なにを望むのかさえ。
舞の言うとおり、以前の自分は性に悩みながらも必死だったように思える。だが、もう泳ぐのに疲れた。プカプカ浮いていられるのなら、そうしていたかった。
「私は……望んでこうしてますから……。でもなにか悩みがあったら、また先生に相談させてもらいます。その時は……」
「ええ……遠慮せずなんでも言って。わたしは味方よ」
舞は引き下がる。湊の本音をこの場で引き出すことは不可能と判断したらしい。
彼女は優秀で面倒見がいいが、過保護でない。問題のアドバイスはするが、最終的にどう向き合い解決するかは本人が決めること。それが信条だ。
「ありがとうございました」
湊は頭を下げて、保健室を後にする。
また逃げている。それを自覚しながら。
………………………………………………………………………………………………………
『湊ちゃん、今日買い物でもいかがですか?』
『ごめん、トワたちとオケりに行く予定があるから。次は一緒します』
雪美からのSNSのメッセージに、そっけなく返信する。即答するのは失礼だからと、数分間を置いて。
この一ヶ月湊はずっとこの調子だ。なにかと理由をつけては、雪美から逃げている。
そう、逃げているのだ。
また女になってしまった。恥を承知で雪美も梓も好きだと宣言して、受け入れてもらえた矢先に。
(また女になったの……私の心が弱いからだよね……)
胸に手を当てて、そう自覚する。
男に戻ったときと同じ。これが、運が悪かったなら自分と向き合うこともできただろう。
だが、再び性別転換してまたしても雪美のはしごを外してしまった。それは、間違いなく自身の不徳のせいだ。
男の身体で初めて雪美を抱いたとき、失礼にも梓と比較した。
雪美と本当に男女の関係になれば、男としてけじめをつけなければならない。梓との関係にも決着をつけなければ。あの瞬間、自分はそれを恐れ、めんどくさがった。
その結果がこれだ。病院で目を覚ましてみれば、また女になっていた。
自分と周囲と向き合うのが怖かった。向き合えば、自分の心の弱さを認めなければならない。雪美に、なぜまた女になってしまったのかを正直に言わなければならないから。
それは問題の先送りでさえない。完全な逃避だった。
(でも……私にどうしろって言うのさ……)
雪美は今でも自分に優しい。それがむしろ辛かった。
あんな優しくてかわいい、包容力のある彼女に、自分はとんでもなく失礼なことをしてしまった。
会わせる顔がないとはこのことだ。
今日もまた、湊は雪美から逃げていた。
「みなとっちぃ、次はこれ一緒しね?」
「うん、一緒しようトワ。この歌好きなんだ」
湊はギャル友四人と、カラオケに興じている。
再び女になってから付き合いを深めた少女たちだ。
ギャルっぷりはそれぞれだが、ひとつ共通点がある。全員、元は男だったということだ。
「でさー。そいつうぜえのなんのって! お嬢様ぶって男の気ぃ引こうったって、ほんとはビッチなのばれてるっつーの!」
「ぎゃははははっ! やつが育ちのいいお嬢とかまじありえねー。ま、男にしてみりゃー最終的に股開いてくれりゃおkじゃねーの? どうせヤリ目だしー」
正直、ギャルの集まりはかなりゲスい。話題といえば男のことと他の女の悪口ばかりだ。
だが、湊は楽しむことに決めていた。
彼女たちとつるんでいる時は、思考をやめて嫌なことを忘れていられる。
「ねえね、みなとっち。今度合コンあんだけどさー、あんたも来ない? イケメンそろってるよー? みなとっちかわいいから、男どもも気に入ると思うんだわー」
ギャルのひとりがスマホの写真を見せる。
トワたちが、イケメンだがチャラそうな男たちと一緒に映っていた。
なんとなくわかる。彼女たちのいう合コンとは、要するに乱交パーティーだ。
このメンバーの股の緩さは、学校でも有名だ。実際、湊も彼女たちがいつも違う男を連れて歩いているのを見ている。
セックス依存症なのだろうか。
舞に聞いたことがある。男から女になって、気持ちが不安定なまま、あるいは好奇心を暴走させ、性依存になってしまう例は多いと。
「ごめん、その日予定あるんだ……。また誘ってね……。確かにいい男そろってるし……」
遠回しにお断りしておく。
(まだ……そこまでは……)
全部がめんどくさくなっているが、まだそこまで諦観して、即物的な快楽に溺れようとは思わない。でも、いずれは彼女たちに混じるのもいいかもしれない。
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