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第一章 彼女と新しく始まる

01 見える景色は違って

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「ただいま」
 二週間後。検査とリハビリを終えた湊は、一ヶ月ぶりに帰宅していた。
 自室に入り、荷物を置く。
「ずいぶん違って見えるな……」
 そんな言葉が口を突いて出る。
 女になって変わったことはいろいろとある。181cmあった身長は、175cmまで縮んだ。入院していたせいもあるだろうが、筋力が弱くなり荷物が重く感じる。
「それに……」
 顔を下に向ける。見事に「床がおっぱい」になっている。胸の膨らみは、下手をするとメートルを超えているかも知れない。
 ブラをまだしていないせいで、胸が重い。
(下着だけじゃなく、服も買い直さないとな……)
 タンスを開けてみる。
 当然のように、収まっているのは男物のLサイズばかりだ。女になった今では、完全にぶかぶかだ。丈も合わない。
「女に……なっちまったんだよな……」
 机の上に置いた鏡に顔を映してみる。
 ボーイッシュな少女が映っていた。これが間違いなく今の自分だ。
 未だに信じられなかった。
 セクストランス症候群という症例があることは聞いたことがあった。が、自分が女になるなど想像もしていなかった。
 自分の今までの人生を文章にしろと言われれば、レポート用紙一枚に収まってしまうだろう。
 ごくごくありふれた公務員の家庭に生まれた。家族には、恵まれた方だと思う。小中学校は公立で、高校から私立の進学校に入った。
 特別夢見ていることもないが、まるでやりたいことがないわけでもない。大学では法律や経済を学び、卒業後は報道関係の仕事をしたいと思っている。
 私生活に目を向ければ、長く女日照りだったが、最近クラスメイトに思い切って告白した。結果は成功。晴れてリア充の仲間入りを果たした。
(特別素敵なこともないが、そこそこに追い風が吹いてる……そう思ったのに……)
 自分の両手を見る。いつも見ている分、鏡を見るより違和感がある。
 記憶にあるのは、男らしい大きな手のひらだ。だが、今はどうだ。手はすっかり小さくなり、指はガラス細工のように繊細になっている。
(これからどうすればいい……?)
 女そのものの、手前味噌だが美しい手を見ながら思う。
 生物学的に女になった以上は、社会的にも女であることを求められるだろう。
 だが、男として生きた期間をリセットするのか?
 女であるからには、いずれ男と付き合い結婚し、子供を産むのか?
 どうにも違和感がある。
 まだ感性が男の部分を保っている。男に抱かれている自分、お腹が大きくなった自分、母になった自分が、どうしても想像できなかった。
「まあ先生にも言われたけど、女だからどうとかじゃなく、自分で決めることだもんな」
 湊は医者のアドバイスをあえて口に出すことで、迷いと違和感を忘れる。
 今は深く考えたくなかった。
 トイレや浴室はどちらを使うのか。外を歩くときは何を着ていくのか。なにより、折角できた彼女、雪美との関係はどうなるのか。
 先のことを真面目に考えるのが怖かったのだ。

 翌日。
「お待たせしました。こちらが性別転換証明書になります。行政手続きの際に必要ですので無くさないようにお願いします」
 湊は母親と一緒に役所を訪れていた。セクストランス症候群によって、男から女になったことを証明する身分証をもらうために。
 今後は、戸籍上も女として扱われる。
「性別が変わったことに悩む方も多いですが、自治体も全力で支援します。なにかお困りごとがあったら相談して下さい」
「はい……その時はよろしくお願いします……」
 にこやかに言う女性職員に、精一杯の笑顔で応答する。
 女になってからまだ二週間。湊にとって、まだ自分の性に悩む段階にさえ達していない。
「ご存じとは思いますが、性別転換された方にはご説明をさせて頂きます。まず……」
 職員が、今後の指針を説明していく。
 この国は、多様な性を肯定する世論の流れを受けて、同性婚を認めている。(当時発見されたセクストランス症候群による性別転換に対応する意味もあった)
 また、少子高齢化対策として、多夫多妻婚が合法化された。
 女になったからといって、男と付き合わなければいけない決まりはない。一方で、女同士でも付き合えるし結婚もできる。
 科学技術の進歩により、同性同士でも子供を作る方法も確立されている。
「要は、あなたのことはあなたが決めていいし、決める義務があるということです。女性になったからといって、前とは全く違う生き方をしなければいけないということは絶対にありません。そこはご安心下さい」
 女性職員が力強い笑顔で言う。
「はい。わかりました」
 湊もついつられて笑顔になる。
 恐らくこの職員は、自分のような存在を多数見て、アドバイスをしてきたのだろう。
〝あなたのことはあなたが決めていいし、決める義務がある〟
 心強い言葉だった。
 これが昔のように、男は男らしく、女は女らしく、を求められていたらどうなったか。最初から心が折れていたことだろう。
 役所での手続きが終わったところで、スマホに登録してある番号のひとつを呼び出す。
『あ、湊。どう? 役所の手続き終わった?』
 妹である麗美が出る。
「ああ。なにも問題ない。ちゃんと終わったよ」
 湊は無難に応答する。スマホに反響する自分の声が女そのもので(当たり前だが)違和感が半端ない。
『じゃ、ショッピングモールで待ち合わせね。時間厳守』
「わかったよ」
 仕事がある母と別れ、約束通り麗美と一緒に服を買うべく、待ち合わせ場所に向かう。
 二週間前まで男だったのだ。女物の服のことなど知らない。さりとて、いつまでもサイズの合わない男物を着ているわけにも行かない。
『みっともない格好でその辺歩き回るのは許可しないわよ』
 妹にきつく釘を刺され、一緒に服を見て回ることになったのだった。

「あれ、雪美ちゃん?」
 意外なことに、待ち合わせ場所で待っていたのは妹だけではなかった。
「湊君が服を買うって聞いたから。私も来ちゃいました」
 最近付き合い始めた彼女である雪美が、麗美と一緒に待っていたのだ。制服姿であることからして、学校から直接来たのだろう。
「あたしと雪美先輩で、しっかり湊の服を選んじゃうよー!」
 麗美はやたらとハイテンションだった。姉を着せ替え人形にして遊ぶつもりらしい。
「どんな服が似合うか、楽しみですね」
 雪美はいつも通りおっとりした様子だが、楽しそうだった。考えていることは、麗美と同じらしい。
「その……。俺としてはワゴンセールしてるようなのでもいいんだが……」
 湊はあまり気乗りしなかった。
 今の自分は女だ。が、男が抜け切れていない部分がある。婦人服売り場で着る物を大真面目に選ぶのは、さすがに恥ずかしかった。
 が……。
「そんなのだめに決まってるじゃん!」
 麗美がぴしゃりと遮る。
「こんなでかいの、入るのがワゴンセールで売ってるわけないでしょ。ちゃんとしたところで買わなきゃだめ!」
 湊の胸の膨らみをツンツンとつつきながら、妹が不機嫌そうになる。
 常日頃、身長と胸が育たないのがコンプレックスだ。悔しいのだろう。
「そうですね。せっかく美人なんだから、ちゃんと選びましょう?」
 にこやかな雪美も、目が微妙に笑っていない。彼女の胸の膨らみも決して小さくはない。むしろ、立派だとさえ言える。
 だが、比較対象が悪い。アンダーの大きさを勘定に入れるとしても、湊のそれと比べるとどうしても見劣りしてしまうのだ。
「わかったよ……。行けばいいんでしょ、婦人服売り場に……」
 観念した湊は、ふたりについて婦人服売り場に向かうのだった。
(うわ……まぶしい……)
 覚悟はしていたことだが、婦人服売り場、特に下着売り場は、男子禁制の女の聖域だった。
 色とりどり、デザインも多種多様な下着が並んでいる。
 女になりたて、感性も半分以上男のままの身としては、いささか気後れしてしまう。
「すごい。この大きさでもかわいいのいっぱいあるんだ」
「ですねー。あ、これなんかセクシーでいいかも」
 麗美と雪美は、完全に女子会モードだった。
(つけるの俺だってことをお忘れじゃありませんか?)
 湊はそんなことを思うが、ふたりがあまりに楽しそうなので口を挟みにくい。
「湊、これなんかよくない?」
 麗美が差し出したのは、ピンクフリフリのあまりに少女趣味な下着だった。
「湊君、折角背が高いしイケメン女子なんですし……」
 雪美が掲げたのは、シルクの凝ったデザインの大人っぽいものだった。しかも黒。
 ふたりとも、あまりに過激で極端だ。
 見る分には悪くない。むしろおしゃれだと思う。だが、自分がこれを着る?
 とても想像も及ばなかった。
「あのー……もう少し大人しいのを……」
「だめよ。そんな素敵な身体してるんだから」
「だめですよ。折角なんですから」
 湊の抗弁はマッハで却下される。
 ふたりとも、なんとしてでも湊にセクシーな下着やかわいい下着を着せるつもりでいる。
「まずは、ブラの付け方から教えるわよ」
「そうですね。初めてつけるのに、それだけ胸が大きいんですから」
 少女ふたりは女として初心者の湊に、まず下着の付け方を教えることにする。
「もう、下手ねえ。胸をちゃんとカップに入れてからだってば。そんなんじゃすぐに形崩れるわよ!」
「ストラップの長さ、いい加減に調節しちゃだめですよ。それじゃ歩くときに苦しいし、肩もこりますって」
 慣れないブラに加え、重い堂々たる胸の膨らみ。二週間前女になったばかりの湊には、いきなりハードモードだった。
「勘弁してくれよーー……」
 情けない声が、下着売り場の試着室に響いた。
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