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第四章
軍事侵攻
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02
話はやや遡る。新暦102年蠍月21日。異世界のロランセア、ナゴワンド両大陸に激震が走った。
北に位置するロランセア大陸中央に位置する大国、ドゥベ公国が、突如として西にあるメグレス連合と、エルディル海峡を挟んで南、ナゴワンド大陸中央にあるミザール同盟に軍事侵攻を開始したのだ。
戦闘に対する事前準備をしていなかったメグレス、ミザール両国の対応は後手に回り、メグレスは国境に位置していた五麗湖とその周辺を、ミザールは北端のグルトップ半島と、首都であるメッサーティーガー周辺を瞬く間に軍事占領されてしまった。
ドゥベの軍事侵攻があまりにも突然で予想がつかなかったから。...ではない。こうなる兆候はいくらでもあったのだ。
ドゥベ内部で極右政治団体が台頭し、国粋主義を国民に流布して扇動していたこと。五麗湖およびグルトップ半島は、もとはドゥベの領土であり、取り戻されるべきという論調がドゥベの若手の政治家や軍人を中心に広がっていたこと。ドゥベ政府の人事刷新が行われ、国粋主義達が高い地位について行ったこと。かつて存在した帝国の血を引くドゥベを中心に、帝国を再興し、両大陸に統一国家を打ち立てるべし、という政治路線を唱える者たちが、ドゥベ政府の主流派となりつつあったこと。訓練や治安維持を口実に、メグレスとミザールの国境付近に軍を送っていたこと。挙句に、「領土回復法」という、言うなれば軍事侵攻の大義名分となる法律が制定され、これを根拠として、軍に非常呼集、待機命令が下されていたのだ。
これら全てが、ドゥベの内外で周知の事実であったにもかかわらず、周辺諸国は特に対策を講じていなかったのだ。ともあれ、それをして周辺諸国の無為無策と断じるのは後知恵と言えた。地球でも、かつてドイツが条約に違反して非武装中立地帯に軍を置き、民族問題を口実に隣国を保護国とするという暴挙に出ても、周辺諸国はそれで戦争が防げるならやむなしと、事なかれ主義で応答したのだった。もちろん当時のドイツの野心がそこで収まるわけもなく、ポーランド侵攻、フランス占領という最悪の結果へと流れていったのだった。
結局のところ、人は危機感は持っても、明日戦争が起こるとは往々にして想像できないものだ。そして、避戦のためのはずの選択が、却って相手を増長させ、戦争のきっかけになってしまうことも、よくあることだった。
そして、いざ戦闘が始まってみると、ドゥベ軍は強かった。ドゥベは伝統的に軍事に力を入れた政策を一貫して取っており、将兵の士気も高い。加えて、ドゥベを支援する地球側の国家、同盟国は、地球の世界で第一位、それもぶっちぎりのトップである軍事力を持つ国家なのだ。初戦に置いて、メグレス、ミザールに駐留していたロシア、EU英連邦から派遣された義勇軍はたちまち蹴散らされ、領土を切り取られてしまったのであった。
ベネトナーシュ王国王都ハープストリング。行政府第3会議室に集合した国の幹部たちは、一様に渋面を浮かべていた。
ドゥベ軍が五麗湖とグルトップ半島に侵攻し、ずうずうしくもその後でメグレス、ミザール両国に対する宣戦布告を行ってからわずか半日。王都にあるドゥベ大使館から使者が送られ、ベネトナーシュ側が状況を判断するより先に、敵対か同盟(という名の服属)か選べという要求が突き付けられたのだ。
「はっきり言って、とても呑める要求ではありませんな」
国防大臣が、空になった紅茶のカップをソーサーの上で回しながら言う。
「同感だね。やつら、もう我が国を属国にしたつもりでいるのか」
主席報道官が椅子に寄りかかって相手をする。とにかく要求の内容がめちゃくちゃなのだ。それは、日本の協力のもとに王国が進めてきた政策の全否定。
奴隷制度の実施的な復活。小作人に対する土地の解放の無期限凍結。王権を制限し、法の支配を規定する国家憲章の即時破棄。租税法律主義の廃止。司法権の独立の実質的停止。地方自治の制限。現在王国が進めている、議会の設立の中止。などなど。
ようするに王国の自由主義的な政策を全て破棄し、昔に戻せ。というよりは、全ての自由を否定して、今のドゥベに都合のいい体制を作れ。と要求している。完全な内政干渉といえる要求ばかりだった。
ドゥベ国内で、経済の破綻やデフレ不況、失業率の高止まり、貿易赤字の拡大、不況にともなう治安の悪化、社会不安などから、”自由より安全を””理屈や能書きより仕事と今日の食扶持を”という考えが国民の間にも広がっている。そういう事情から、自分たちの生活を保証してくれる強い指導者をドゥベ国民が求めた結果、反自由主義を掲げる極右政治団体が国政に深くかかわり始め、強権的、復古的で、自由を秩序の敵として排撃する政策が公然と実行されているということは知られている。しかし、そういう事情があっても、ドゥベの体制をベネトナーシュにまで押し付けようという傲慢で短絡的な要求は、とても納得できるものではなかった。
「しかし、この言い回しを見る限り、要求を拒否すれば戦争も辞さないということになる...」
外務大臣が額の汗をぬぐいながら誰にともなくつぶやく。実際、最近ドゥベから航空隊がたびたび飛び立ち、ベネトナーシュの領空ぎりぎりを飛行して、実践訓練を行うという、明らかな恫喝が行われているのだ。はったりや虚勢と片づけるにはあまりにきな臭い事態だった。
「では要求を呑みますか?戦争は避けられても、我々は彼らの奴隷に身を落とすことになりますよ?」
会議の中では少数の女性の一人である、内務大臣が混ぜ返す。戦争か隷属か。この二つに一つであることは、この場にいる全員が認識していた。
「だが、戦って負ければ、結局は奴隷暮らしが待っているのでは?」
「だが、ここで屈してその先はどうなる?調子に乗ったやつらが次はどんな要求をしてくるか」
全員が、戦争は避けたいが、要求を呑むことは亡国だという点では一致しているだけに、議論は紛糾していく。
「そうとも、だいたい、ルナティシア姫をドゥベの公子の妃にというのは論外だ!姫様はこの国の後継者。それを政略結婚に差し出せと言っているんだからな!」
要求条件の最後に書かれた、この点が一番の問題だった。王国の象徴とも言えるルナティシアを政略結婚させるということは、名実ともにドゥベに服属することを認めることになってしまう。ドゥベもそれを狙っているのだ。
「皆さん、一度落ち着きましょう。わたくしには、どうもドゥベの意図が読めないように思うのです」
円卓の上座に座る、女王、アンジェリーヌ・フレイヤ・フェルメールが重々しく口を開く。
「このような要求、われわれには簡単には呑めないことをあちらも知っているはず。どういうことでしょう?われわれを服属させたい?挑発して参戦させたい?」
これも、この場にいる全員の一致した認識というか疑問だった。ベネトナーシュを自陣営に取り込むか、あるいは最低限中立を保たせて邪魔にならないようにするなら、もっと他にやりようはある。この要求は、見ようによってはベネトナーシュ側を怒らせようとしているようにも取れるのだ。
「確かに、あちらもこの要求が非常識なことくらい理解しているはずだ...」
「国内むけの宣伝に、国民のナショナリズムを煽るようなことを言っているだけで、本当に要求を呑ませるつもりはないとも考えられますか」
その考えは、全員のかすかな希望になったが、もし戦争となれば多くの血が流れる。希望的観測に従って決定を下すことも、またできなかった。
「女王陛下。大変申し訳ありませんが、われわれには決断できかねます。陛下が決定を下されれば、われわれはそれに従います。ご決断を」
議論は出尽くして、どん詰まりと判断した宰相がアンジェリーヌに話を投げる。こうなれば、君主であるアンジェリーヌの決断に一任し、その決断がどのようなものであっても従う。他の道はなかった。
「全員のお気持ちはわかりました。ただ、この場で即答というわけにはまいりません。わたくしに少し時間をください」
アンジェリーヌのこの言葉を最後に、その日の会議は閉会となった。
「引くも地獄、押すも地獄ですか...」
そうつぶやいたアンジェリーヌの脳裏に浮かんだのは、生まれたばかりの時の、娘、ルナティシアの顔だった。自分のお腹を痛めて産んだ我が子は、1日抱いていても飽きないほど可愛かった。
自分がどう決断しようとも、大切な娘を危険にさらしてしまうだろう。その事実が悲しく、腹立たしかった。
所変わって、こちらは日本。東京は首相官邸。首相執務室には、麻倉太一郎総理の大声が響いていた。
「それでは条約の趣旨に反するでしょう?われわれが異世界に介入した目的は、確か武力の拮抗で平和を担保することだったはずです!」
『別に条約の趣旨を忘れてはおらんよ。ただ、ドゥベの軍事行動に関しては、私が口を挟めることではない』
電話の相手であるアメリカ大統領、ジョナサン・ウェスカーはにべもなく返答する。ばかな、あちらで侵略の主力になってるのはあんたの国から派遣された義勇軍だろ!麻倉は思うが、建前としてはウェスカーのいう通りだ。
「ではせめて、そちらの義勇兵の派遣の凍結と、ドゥベへの補給の停止をすぐ実行してください!このままでは本当に全面戦争ですよ!」
とにかくなんでも要求してみる以外にはない。そう断じた麻倉は、可能な限り現実的な話をすることにした。ドゥベの義勇軍はアメリカ本土からの補給で持っている。アメリカが全面戦争までは望まないとなれば、補給を絶たせることでドゥベの動きを封じることは可能なはずだった。
『もちろん、ステイツは平和を望んでいる。すでに義勇兵の追加派遣と補給は無期限の凍結とする命令を出したところだ。だが、国内にあるものでも、すでにドゥベに引き渡されたものに関しては、差し止める権限は我が国にはない』
なんてことだ。麻倉は受話器を握りつぶさんばかりに手に力を込める。こちらで独自に知らべさせたところでは、引き渡しの終わっている物資や装備が加われば、ドゥベ軍の軍事力は20%も増強される。元は米軍であるだけに義勇軍は大飯ぐらいだが、補給物資の量は、義勇軍全軍が3か月は戦い続けられるくらいあるらしい。強力なドゥベ軍にそれだけの継線能力があれば、結果がどうあれ、あちらの世界には深刻な戦災の爪痕が残る。いや、ドゥベは周辺諸国を軍事的に屈服させることができてしまうかも知れなかった。
「侵略を受けた国は当然抵抗します。軍事力だけで勝利できるとは限らない。大統領、あなたは異世界をベトナムにするおつもりですか?」
『そうならないように努力はしているよ。
というか、ベトナムとは言い方が乱暴ではないかな?
ご存じのようにあちらは戦国時代だ。やり方は乱暴かもしれないが、誰かが統一国家を作り、戦争をなくせるならそれは悪い話じゃないはずだ。かつての君の国のようにね』
麻倉は目の前が真っ暗になる思いがした。世界最強の国のトップとは、こうも世間知らずで、他人の痛みがわからず、自分に都合のいい解釈しかできない人間なのか?
「お言葉ですが、織田信長が天下不布武を実現できたのは、まじめで実直な人物だったからです。愛と誠意をもって多くの人に接してきたからです。決して他人を裏切らず約束を破らず、不実には厳しいが、誠意には誠意をもって応じる。そのやり方が多くの人間の共感を得て、彼の作る体制であれば従ってもいいと思えたからです!
決して力だけで天下布武を進めたわけではない」
『今のドゥベは違うといいたいのかね?』
麻倉は一度言葉を区切り、口の中を唾液で濡らす。
「知日派として知られる大統領であれば、武田信玄の一生はご存知ですな?
確かに戦上手で、経済や内政にも才能があった。しかし、他者への誠意が致命的に欠けていた。すぐに人を裏切り、約束を破り、降伏したものさえ虐殺する。目先の利益のために戦をしかけ、他国との信頼関係を失うこともまったくいとわない。身内に対してもわがままで猜疑心が強く、恐れられてはいても愛されてはいなかった。
そのやり方のツケは、彼の死後にやってきました。長年恨みと不信を買った武田家は、四面楚歌となり、家臣からも見限られ、ついには滅んでしまったのです!
今のドゥベを見て、あなたはどちらを想起しますか?」
短い沈黙が走る。麻倉は、ウェスカーが自分の言葉を理解してくれることを祈った。
『全て結果から見ての話だな。武田信玄が後10年生きていたら、日本の歴史は変わっていたとも言われているじゃないか。どんなことをなすにも産みの苦しみはあるものだ。血も流れる。それは仕方のないことだよ。
とにかく、我が国はもう少し様子を見たいと思っている』
取り付く島もないか。麻倉はそう判断して話を切り上げ、受話器を置く。そして、電話機の電話帳から外務省のダイヤルインの番号を呼び出し、コールする。
「ああ、外務大臣、ロシアとEUに特使を派遣する件、急いでくれ。ベネトナーシュはまだ去就を明らかにしちゃいねえが、いよいよとなったら一致団結してことに当たる必要がある!
こうなった以上、腹括るしかねえようだ」
電話の向こうでは、外務大臣の小清水が重い口調で『わかりました』と応じる。むろん、麻倉も平和を望んでいる。というか、本来ならアメリカとその同盟国を向こうに回すなど問題外だ。だが、今回ばかりは簡単に身を引くわけにはいかない。日本はベネトナーシュ王国を守ると約束したのだ。それに、独裁国家の悪政や侵略を放置しておいていい結果になったためしはない。まあこれは、日本もあまり人のことはいえない過去があるが。
麻倉はパソコンを開くと、現在の異世界の情勢を簡単にまとめた略地図を呼び出す。最悪の場合、もっとも小さいリスクで戦争を終わらせるのはどの選択肢か?必死で考えを巡らせる。
戦いは戦闘の現場だけで行われるものではない。はるか後方の政治の場でも、皆が必死で戦っていたのだった。
話はやや遡る。新暦102年蠍月21日。異世界のロランセア、ナゴワンド両大陸に激震が走った。
北に位置するロランセア大陸中央に位置する大国、ドゥベ公国が、突如として西にあるメグレス連合と、エルディル海峡を挟んで南、ナゴワンド大陸中央にあるミザール同盟に軍事侵攻を開始したのだ。
戦闘に対する事前準備をしていなかったメグレス、ミザール両国の対応は後手に回り、メグレスは国境に位置していた五麗湖とその周辺を、ミザールは北端のグルトップ半島と、首都であるメッサーティーガー周辺を瞬く間に軍事占領されてしまった。
ドゥベの軍事侵攻があまりにも突然で予想がつかなかったから。...ではない。こうなる兆候はいくらでもあったのだ。
ドゥベ内部で極右政治団体が台頭し、国粋主義を国民に流布して扇動していたこと。五麗湖およびグルトップ半島は、もとはドゥベの領土であり、取り戻されるべきという論調がドゥベの若手の政治家や軍人を中心に広がっていたこと。ドゥベ政府の人事刷新が行われ、国粋主義達が高い地位について行ったこと。かつて存在した帝国の血を引くドゥベを中心に、帝国を再興し、両大陸に統一国家を打ち立てるべし、という政治路線を唱える者たちが、ドゥベ政府の主流派となりつつあったこと。訓練や治安維持を口実に、メグレスとミザールの国境付近に軍を送っていたこと。挙句に、「領土回復法」という、言うなれば軍事侵攻の大義名分となる法律が制定され、これを根拠として、軍に非常呼集、待機命令が下されていたのだ。
これら全てが、ドゥベの内外で周知の事実であったにもかかわらず、周辺諸国は特に対策を講じていなかったのだ。ともあれ、それをして周辺諸国の無為無策と断じるのは後知恵と言えた。地球でも、かつてドイツが条約に違反して非武装中立地帯に軍を置き、民族問題を口実に隣国を保護国とするという暴挙に出ても、周辺諸国はそれで戦争が防げるならやむなしと、事なかれ主義で応答したのだった。もちろん当時のドイツの野心がそこで収まるわけもなく、ポーランド侵攻、フランス占領という最悪の結果へと流れていったのだった。
結局のところ、人は危機感は持っても、明日戦争が起こるとは往々にして想像できないものだ。そして、避戦のためのはずの選択が、却って相手を増長させ、戦争のきっかけになってしまうことも、よくあることだった。
そして、いざ戦闘が始まってみると、ドゥベ軍は強かった。ドゥベは伝統的に軍事に力を入れた政策を一貫して取っており、将兵の士気も高い。加えて、ドゥベを支援する地球側の国家、同盟国は、地球の世界で第一位、それもぶっちぎりのトップである軍事力を持つ国家なのだ。初戦に置いて、メグレス、ミザールに駐留していたロシア、EU英連邦から派遣された義勇軍はたちまち蹴散らされ、領土を切り取られてしまったのであった。
ベネトナーシュ王国王都ハープストリング。行政府第3会議室に集合した国の幹部たちは、一様に渋面を浮かべていた。
ドゥベ軍が五麗湖とグルトップ半島に侵攻し、ずうずうしくもその後でメグレス、ミザール両国に対する宣戦布告を行ってからわずか半日。王都にあるドゥベ大使館から使者が送られ、ベネトナーシュ側が状況を判断するより先に、敵対か同盟(という名の服属)か選べという要求が突き付けられたのだ。
「はっきり言って、とても呑める要求ではありませんな」
国防大臣が、空になった紅茶のカップをソーサーの上で回しながら言う。
「同感だね。やつら、もう我が国を属国にしたつもりでいるのか」
主席報道官が椅子に寄りかかって相手をする。とにかく要求の内容がめちゃくちゃなのだ。それは、日本の協力のもとに王国が進めてきた政策の全否定。
奴隷制度の実施的な復活。小作人に対する土地の解放の無期限凍結。王権を制限し、法の支配を規定する国家憲章の即時破棄。租税法律主義の廃止。司法権の独立の実質的停止。地方自治の制限。現在王国が進めている、議会の設立の中止。などなど。
ようするに王国の自由主義的な政策を全て破棄し、昔に戻せ。というよりは、全ての自由を否定して、今のドゥベに都合のいい体制を作れ。と要求している。完全な内政干渉といえる要求ばかりだった。
ドゥベ国内で、経済の破綻やデフレ不況、失業率の高止まり、貿易赤字の拡大、不況にともなう治安の悪化、社会不安などから、”自由より安全を””理屈や能書きより仕事と今日の食扶持を”という考えが国民の間にも広がっている。そういう事情から、自分たちの生活を保証してくれる強い指導者をドゥベ国民が求めた結果、反自由主義を掲げる極右政治団体が国政に深くかかわり始め、強権的、復古的で、自由を秩序の敵として排撃する政策が公然と実行されているということは知られている。しかし、そういう事情があっても、ドゥベの体制をベネトナーシュにまで押し付けようという傲慢で短絡的な要求は、とても納得できるものではなかった。
「しかし、この言い回しを見る限り、要求を拒否すれば戦争も辞さないということになる...」
外務大臣が額の汗をぬぐいながら誰にともなくつぶやく。実際、最近ドゥベから航空隊がたびたび飛び立ち、ベネトナーシュの領空ぎりぎりを飛行して、実践訓練を行うという、明らかな恫喝が行われているのだ。はったりや虚勢と片づけるにはあまりにきな臭い事態だった。
「では要求を呑みますか?戦争は避けられても、我々は彼らの奴隷に身を落とすことになりますよ?」
会議の中では少数の女性の一人である、内務大臣が混ぜ返す。戦争か隷属か。この二つに一つであることは、この場にいる全員が認識していた。
「だが、戦って負ければ、結局は奴隷暮らしが待っているのでは?」
「だが、ここで屈してその先はどうなる?調子に乗ったやつらが次はどんな要求をしてくるか」
全員が、戦争は避けたいが、要求を呑むことは亡国だという点では一致しているだけに、議論は紛糾していく。
「そうとも、だいたい、ルナティシア姫をドゥベの公子の妃にというのは論外だ!姫様はこの国の後継者。それを政略結婚に差し出せと言っているんだからな!」
要求条件の最後に書かれた、この点が一番の問題だった。王国の象徴とも言えるルナティシアを政略結婚させるということは、名実ともにドゥベに服属することを認めることになってしまう。ドゥベもそれを狙っているのだ。
「皆さん、一度落ち着きましょう。わたくしには、どうもドゥベの意図が読めないように思うのです」
円卓の上座に座る、女王、アンジェリーヌ・フレイヤ・フェルメールが重々しく口を開く。
「このような要求、われわれには簡単には呑めないことをあちらも知っているはず。どういうことでしょう?われわれを服属させたい?挑発して参戦させたい?」
これも、この場にいる全員の一致した認識というか疑問だった。ベネトナーシュを自陣営に取り込むか、あるいは最低限中立を保たせて邪魔にならないようにするなら、もっと他にやりようはある。この要求は、見ようによってはベネトナーシュ側を怒らせようとしているようにも取れるのだ。
「確かに、あちらもこの要求が非常識なことくらい理解しているはずだ...」
「国内むけの宣伝に、国民のナショナリズムを煽るようなことを言っているだけで、本当に要求を呑ませるつもりはないとも考えられますか」
その考えは、全員のかすかな希望になったが、もし戦争となれば多くの血が流れる。希望的観測に従って決定を下すことも、またできなかった。
「女王陛下。大変申し訳ありませんが、われわれには決断できかねます。陛下が決定を下されれば、われわれはそれに従います。ご決断を」
議論は出尽くして、どん詰まりと判断した宰相がアンジェリーヌに話を投げる。こうなれば、君主であるアンジェリーヌの決断に一任し、その決断がどのようなものであっても従う。他の道はなかった。
「全員のお気持ちはわかりました。ただ、この場で即答というわけにはまいりません。わたくしに少し時間をください」
アンジェリーヌのこの言葉を最後に、その日の会議は閉会となった。
「引くも地獄、押すも地獄ですか...」
そうつぶやいたアンジェリーヌの脳裏に浮かんだのは、生まれたばかりの時の、娘、ルナティシアの顔だった。自分のお腹を痛めて産んだ我が子は、1日抱いていても飽きないほど可愛かった。
自分がどう決断しようとも、大切な娘を危険にさらしてしまうだろう。その事実が悲しく、腹立たしかった。
所変わって、こちらは日本。東京は首相官邸。首相執務室には、麻倉太一郎総理の大声が響いていた。
「それでは条約の趣旨に反するでしょう?われわれが異世界に介入した目的は、確か武力の拮抗で平和を担保することだったはずです!」
『別に条約の趣旨を忘れてはおらんよ。ただ、ドゥベの軍事行動に関しては、私が口を挟めることではない』
電話の相手であるアメリカ大統領、ジョナサン・ウェスカーはにべもなく返答する。ばかな、あちらで侵略の主力になってるのはあんたの国から派遣された義勇軍だろ!麻倉は思うが、建前としてはウェスカーのいう通りだ。
「ではせめて、そちらの義勇兵の派遣の凍結と、ドゥベへの補給の停止をすぐ実行してください!このままでは本当に全面戦争ですよ!」
とにかくなんでも要求してみる以外にはない。そう断じた麻倉は、可能な限り現実的な話をすることにした。ドゥベの義勇軍はアメリカ本土からの補給で持っている。アメリカが全面戦争までは望まないとなれば、補給を絶たせることでドゥベの動きを封じることは可能なはずだった。
『もちろん、ステイツは平和を望んでいる。すでに義勇兵の追加派遣と補給は無期限の凍結とする命令を出したところだ。だが、国内にあるものでも、すでにドゥベに引き渡されたものに関しては、差し止める権限は我が国にはない』
なんてことだ。麻倉は受話器を握りつぶさんばかりに手に力を込める。こちらで独自に知らべさせたところでは、引き渡しの終わっている物資や装備が加われば、ドゥベ軍の軍事力は20%も増強される。元は米軍であるだけに義勇軍は大飯ぐらいだが、補給物資の量は、義勇軍全軍が3か月は戦い続けられるくらいあるらしい。強力なドゥベ軍にそれだけの継線能力があれば、結果がどうあれ、あちらの世界には深刻な戦災の爪痕が残る。いや、ドゥベは周辺諸国を軍事的に屈服させることができてしまうかも知れなかった。
「侵略を受けた国は当然抵抗します。軍事力だけで勝利できるとは限らない。大統領、あなたは異世界をベトナムにするおつもりですか?」
『そうならないように努力はしているよ。
というか、ベトナムとは言い方が乱暴ではないかな?
ご存じのようにあちらは戦国時代だ。やり方は乱暴かもしれないが、誰かが統一国家を作り、戦争をなくせるならそれは悪い話じゃないはずだ。かつての君の国のようにね』
麻倉は目の前が真っ暗になる思いがした。世界最強の国のトップとは、こうも世間知らずで、他人の痛みがわからず、自分に都合のいい解釈しかできない人間なのか?
「お言葉ですが、織田信長が天下不布武を実現できたのは、まじめで実直な人物だったからです。愛と誠意をもって多くの人に接してきたからです。決して他人を裏切らず約束を破らず、不実には厳しいが、誠意には誠意をもって応じる。そのやり方が多くの人間の共感を得て、彼の作る体制であれば従ってもいいと思えたからです!
決して力だけで天下布武を進めたわけではない」
『今のドゥベは違うといいたいのかね?』
麻倉は一度言葉を区切り、口の中を唾液で濡らす。
「知日派として知られる大統領であれば、武田信玄の一生はご存知ですな?
確かに戦上手で、経済や内政にも才能があった。しかし、他者への誠意が致命的に欠けていた。すぐに人を裏切り、約束を破り、降伏したものさえ虐殺する。目先の利益のために戦をしかけ、他国との信頼関係を失うこともまったくいとわない。身内に対してもわがままで猜疑心が強く、恐れられてはいても愛されてはいなかった。
そのやり方のツケは、彼の死後にやってきました。長年恨みと不信を買った武田家は、四面楚歌となり、家臣からも見限られ、ついには滅んでしまったのです!
今のドゥベを見て、あなたはどちらを想起しますか?」
短い沈黙が走る。麻倉は、ウェスカーが自分の言葉を理解してくれることを祈った。
『全て結果から見ての話だな。武田信玄が後10年生きていたら、日本の歴史は変わっていたとも言われているじゃないか。どんなことをなすにも産みの苦しみはあるものだ。血も流れる。それは仕方のないことだよ。
とにかく、我が国はもう少し様子を見たいと思っている』
取り付く島もないか。麻倉はそう判断して話を切り上げ、受話器を置く。そして、電話機の電話帳から外務省のダイヤルインの番号を呼び出し、コールする。
「ああ、外務大臣、ロシアとEUに特使を派遣する件、急いでくれ。ベネトナーシュはまだ去就を明らかにしちゃいねえが、いよいよとなったら一致団結してことに当たる必要がある!
こうなった以上、腹括るしかねえようだ」
電話の向こうでは、外務大臣の小清水が重い口調で『わかりました』と応じる。むろん、麻倉も平和を望んでいる。というか、本来ならアメリカとその同盟国を向こうに回すなど問題外だ。だが、今回ばかりは簡単に身を引くわけにはいかない。日本はベネトナーシュ王国を守ると約束したのだ。それに、独裁国家の悪政や侵略を放置しておいていい結果になったためしはない。まあこれは、日本もあまり人のことはいえない過去があるが。
麻倉はパソコンを開くと、現在の異世界の情勢を簡単にまとめた略地図を呼び出す。最悪の場合、もっとも小さいリスクで戦争を終わらせるのはどの選択肢か?必死で考えを巡らせる。
戦いは戦闘の現場だけで行われるものではない。はるか後方の政治の場でも、皆が必死で戦っていたのだった。
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この世界では自身の強さ、もしくは弱さを知られる『ステータス』が存在する。
そして、どんな人でも、亜人でも、動物でも、魔物でも、生まれつきスキルを授かる。
それは、平凡か希少か、1つか2つ以上か、そういった差はあれ不変の理だ。
しかし、この物語の主人公、ギル・フィオネットは、スキルを授からなかった。
正確には、どんなスキルも得られない体質だったのだ。
そんな彼は、田舎の小さな村で生まれ暮らしていた。
スキルを得られない体質の彼を、村は温かく迎え・・・はしなかった。
迫害はしなかったが、かといって歓迎もしなかった。
父親は彼の体質を知るや否や雲隠れし、母は長年の無理がたたり病気で亡くなった。
一人残された彼は、安い賃金で雑用をこなし、その日暮らしを続けていた。
そんな彼の唯一の日課は、村のはずれにある古びた小さな祠の掃除である。
毎日毎日、少しずつ、汚れをふき取り、欠けてしまった所を何とか直した。
そんなある日。
『ありがとう。君のおかげで私はここに取り残されずに済んだ。これは、せめてものお礼だ。君の好きなようにしてくれてかまわない。本当に、今までありがとう。』
「・・・・・・え?」
祠に宿っていた、太古の時代を支配していた古代龍が、感謝の言葉と祠とともに消えていった。
「祠が消えた?」
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「ま、いっか。」
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