時空を駆ける荒鷲 F-15J未智の空へ

ブラックウォーター

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第三章

終わりの始まり

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 07
 4日後、新暦102年天秤月19日。
 「復興は順調に進んでいます。孤立していた集落との交通も回復しています。避難していた被災者たちも、家に戻り始めています。みな表情は明るく、家に帰れることを喜んでいるようです」
 風水害で荒れ果てていた港町が、再び活気を取り戻していく姿を、アイシアは明るい声で報道している。アイシアは今、港町ミーミルに、ベネトナーシュ王国、メグレス連合公認のジャーナリストとして滞在し、比較的自由に報道を行っていた。まさか、被災地で自由に報道を行える日が来るとは。ジャーナリスト冥利に尽きる話だった。まあ、きっかけは大ばくちだったわけだが。あの時は、ここまでうまくいくとは思っていなかった。

 ”港町ミーミルで再び大規模な水害が発生しています。
 船は波止場に叩き付けられて破壊されています。川はまた増水し、新たに家屋への浸水が拡大しています。土砂崩れで孤立した集落の住民たちは、非難することすらできません。
 この放送をお聞きになっている全ての方々にお願いします。ミーミルはじめ、メグレス連合西南部沿岸部は、災害救助および支援を必要としています。どのような形の支援でも構いません。被災した方々を救っていただけるよう、繰り返しお願いします!”
 ミーミルの惨状を放置しておけなくなったアイシアは、オープン回線で現場の状況を伝えるという、暴挙とも呼べるやり方に出た。特戦の隊員から、ドローミ海の戦闘がすでにベネトナーシュ側の勝利に決していたと聞いていたこともある。
 もちろん、危険であることに変わりはない。身分を隠してこの地で取材をし、報道をしていた自分たちは、メグレス側からすればスパイともいわれかねない。だが、それでも、水害で孤立無援状態のミーミルを救えるのは自分たちしかいないという使命感が、アイシアに危険を冒させた。最初は難色を示した特戦の隊員たちも、元は陸上自衛隊の人間であることに変わりはない。災害で命の危機に瀕している人々を見捨てることは、災害救助のプロを自負する自分たちの存在を否定するに等しい。最終的には、オープン回線での支援の呼びかけに同意してくれた。
 本来なら、ジャーナリストとは事実をありのまま伝えるのが仕事で、報道に自分たちの主観や願望を差しはさむべきではない。だが、ここで救えるはずの命を見殺しにして、何のための自分か、ジャーナリズムかという気持ちもあった。
 そして、アイシアの決断は結果として吉と出た。

 「メグレス連合軍指揮官応答願います。わたくしは、ベネトナーシュ王国第一王女、ルナティシア・フレイヤ・フェルメールです。王国を代表して、休戦を申し入れます。これ以上の戦闘は、互いに意味を持ちません」
 ベネトナーシュ王立軍インギャルド基地。Su-47の部隊が壊滅し、海竜の群れも北西に引き上げていったのを確認したルナティシアは、いち早くメグレス連合側に休戦を申し入れた。まあ、アイシアの報道によって、メグレス連合の南部沿岸が災害に合い、壊滅寸前であることを知って、休戦のいい口実だと判断していたこともある。
 
 ドローミ海で生き残ったメグレス軍側の最高階級者だったゴルチェンコ大尉は難色を示したが、アイシアの放送をコックピットの無線で聞いていたため、最終的に休戦を受け入れることにした。本音を言えば、彼も無茶な軍事行動をやめる理由を欲しがっていたのだ。
 ルナティシアの交渉、言い回しが実に巧みであったこともある。
 「なお、メグレス軍が今後予定している、貴国南沿岸部の災害救助に関し、わがベネトナーシュ王立軍は支援を惜しまないことをお約束します」
 この言葉が、ゴルチェンコにとっての免罪符になった。これが、”災害救助のために王立軍をメグレス領内に入れろ”と居丈高に言われたものであれば、ゴルチェンコも同意しなかったろう。だが、災害救助の主力はあくまでメグレス軍にあり、王立軍はお手伝いだと言われれば、面子を言い訳に拒否するわけにもいかない。災害は現在進行形で南部沿岸を襲っているからだ。ためらっている時間は1秒たりともなかった。
 花道を強引に用意されては是非もない。ゴルチェンコは最も被害の大きい場所であるミーミル近くの牧草地に愛機、Mig-29Mを着陸させ、独断で王立軍の災害救助部隊の受け入れ準備を始めた。先ほどの、王立軍の正体不明の強力なソフト・キルによって、メグレス軍全体の電子機器やネットワークが壊滅的なダメージを受けていたという事情もある。メグレス軍には災害救助を行う意思も力も期待できず、今ミーミルを救えるのは王立軍、わけても災害救助のプロと名高い、元陸自の義勇軍だけなのが現実だった。ゴルチェンコが墜落せずに済んだのは、早期警戒管制機が無力化され、データリンクが断たれて機体が一時的スタンドアローンとなっていたために、ソフト・キルを免れたからに過ぎない。彼は味方の支援を当てにするのは諦めていた。

 王立軍が到着すると、後はペースは早かった。
 水や食料、テントが配布され、とりあえずの衣食住はまかなわれる。CH-47J輸送ヘリによって、孤立した集落の人々が救出される(着陸できる場所がない場合、ランプドアを地面につけたままホバリングするという離れ技で)。土砂崩れで塞がれた道は、施設化出身の義勇兵たちによって、シャベルともっことくい打ちの作業で何とか通れるようになる。
 ドローミ海に停泊する”はぐろ”を即席のガソリンスタンドとして、航続距離を延長したエアクッション揚陸艇によって重機や資材が搬入され始めると、すでに作戦は災害救助から町の機能の復旧の段階に入っていた。増水で崩れた橋に変えて、07式機動支援橋によって橋がかけられ、交通が回復する。港湾をふさぐ破損した船舶を、エアクッション揚陸艇が牽引して、邪魔にならないところに移す。修理不可能と判断された家屋はブルドーザーによって倒され、地ならしがされる。
 地元領主の手勢や、ロシア人義勇軍も負けてはいなかった。とにかく人手が足りない。大きな仕事は王立軍が担当してくれるから、重いものを運び、スコップで土を掘り、川沿いの浸水地域に土嚢を積み上げるのが彼らのしごとになった。先だってのベネトナーシュに対する侵攻が、海竜を怒らせて水害を誘発することもいとわない、要するに、本来守るべき民を犠牲にする、軍や権力者として本末転倒な作戦だったというやましさを皆で抱えていたこともある。ここは、誠意とかっこいいところを民に見せるチャンスなのだ。
 ミーミルやその周辺の住民たちは、当初恐怖し、困惑した。王立軍が来たということは、メグレス連合は戦争に負けてしまったのか?男は殺され、女は凌辱され、子供は奴隷として売られるのではないか?災害救助の支援のためにやって来たという、日本人義勇兵たちの言葉を額面通り受け取る気にはとてもなれなかったのだ。
 王立軍が恐ろしいほどの効率と手際の良さで復旧作業を開始し、領主たちやロシア人義勇兵たちも作業に参加し、がたがただった町がどうにか機能を回復していくと、住民たちは別の不安を感じ始めた。ここまでしてもらって、ただというわけにはいかないだろう。代価はいくらだろう?王立軍はミーミルにこのまま駐留するのだろうか?自分たちの商売は?交易は?新しい税金は徴収されるのか?
 だが、その不安はゴルチェンコが取り除いてくれた。
 「彼らは自分の友人だから、心配はいらない。ここ、ミーミルが壊滅したら、彼らとて交易ができなくて困る。だから力を貸してくれているんだよ」
 メグレス南部では、その人格とパイロットとしての技量から、多くの住民に人気があるゴルチェンコの言葉であれば、信じていいと思えたのだった。
 こうして港町ミーミルは最悪の事態を回避した。もちろん、全てが再建されて元通りになるには時間が必要だった。だが、また以前のように、ハブ港として、ロランセア、ナゴワンド両大陸の各地に船を送り出して大きな商売をしていくめどがついたのだった。

 「アイシアさん、本当に有り難う。あなたが王立軍に助けを呼んでくださらなんだら、わしらはみんな死んでいたかもしれん。このご恩は一生忘れませんぞ」
 「いえ、とんでもない。人として当然のことです。皆さんがご無事で、本当に良かった」
 2週間後、取材を終えて、ティルトローター機、V-22オスプレイでベネトナーシュへの帰路につこうとしていたアイシアには、ミーミルの町を挙げて見送りが行われていた。高齢の町の自治会長の言葉に、アイシアは照れながら返答する。
 「また来てください」「お気をつけて」「お元気で」
 住民たちが手を振りながら口々に見送りの言葉をかける姿が、たちまち小さくなる。ティルトローターの角度が0度になり、水平飛行に入ると陸地はたちまち見えなくなり、眼下には海が広がる。戦争も嵐もない、船が風をいっぱいに受けて航行する平和な海が。
 これで一件落着だろうか。とアイシアは思う。
 メグレス連合の軍事侵攻は、一部の強硬派が扇動して行ったもので、国全体の意思ではなかったということで、ベネトナーシュ王国との間にとりあえずの話し合いはついた。もちろん本音ではそんな責任逃れを認める気には誰もなれなかったが、とにかく休戦と講和が最優先と考えた王国は、その言い分を受け入れた。もちろんただというわけにはいかず、謝罪と賠償、関係者の処罰、貿易の拡大、関税の引き下げなどの条件はつけられたのだが。
 寄り合い所帯のメグレス連合は、この戦いと、それに伴って人為的に引き起こされた風水害によって、皮肉にも内部結束と同胞意識を育むことになる。目先の利益や面子だけ追って、結果商売や物流が滞れば、自分たちは食っていけなくなる。船が動かなければ、現金収入は得られない。国の中でさえまとまりがなく、自分たちの面倒さえまともに見られない有様で、戦争などやっている場合じゃない。
 困った時はお互い様。相手がいなければ商売は成り立たない。みんなでよろしくやって、日々食っていくためには、習慣や部族、人種や信仰、言語などの違いなど些末な物だ。自分たちはメグレス連合という運命共同体じゃないか。
 今回のことをきっかけに、ご近所にも関わらず、あまり仲が良いとは言えなかったメグレス国内の町や村、荘園、遊牧民などの間で、これを機に積極的に交流を持とうという運動が広く行われているという。いいことじゃないの。とアイシアは思う。お隣同士なのに、疑い、いがみ合っているなんてもったいない。メグレス領内をこの2週間、取材がてら王立軍の車両と人を借りて旅行したが、どこも素晴らしい文化や食べ物、芸術や技術がある。今まで互いに壁を作っていたなんて、とても損をしていたように思えたのだ。
 これで当分の間は、内部に結束を保つために敵を作り、戦いを起こすなんてことはしなくて済むはずだ。
 だが、万事が解決したかとなると…。とアイシアは考える。
 今回の戦いが引き起こされた背景を探っていたが、どうにもきな臭い。貿易赤字の拡大や、作物の不作からくる国内不安が起きて、それが結果的にベネトナーシュ王国に侵攻するという動きになってしまった。だが、今回の場合、問題と結論の間がすっぽりと抜け落ちていて、どういう経緯でそういう結論に至ったかが全く見えてこないのだ。
 誰かが扇動した?アイシアはそう推理を巡らせる。メグレス政府が言うような、国内の過激分子ではなく、他の、もっと正体のよくわからない、もっと狡猾で冷酷な存在が。
 首都スケルタスで調べて見たところ、休戦と前後して不可解なことがいくつか起きていた。
 まず、中央の幕僚で、主戦派の筆頭だったザスト将軍が拳銃で自決を遂げた。首都の当局は、戦犯として責任を問われたこと、男娼であったロシア人が戦死したことで絶望して命を絶ったと考えていた。
 しかし、遺書は見つかっていないし、書斎での拳銃自殺というのが気になった。メグレス東部の伝統では、周囲を血や汚物で汚す自害は晩節を汚すとされる。汚したところをきれいにする後始末は、残された者がやらなければならないからだ。自決するのであれば、屋外でのどを切り裂くか、服毒自殺が習慣的に行われてきた。ついでに、拳銃がいつ、どこから、どうやって入手されたものか、結局調べはつかなかった。
 次に、メグレス軍のそこそこに立場のある軍人たちが集団で、突然隣国のドゥベ公国に亡命してしまったこと。理由は全く不明。いろいろ憶測は飛んでいたが。
 さらに、首都で軍人や官僚の組織的な汚職、背任疑惑を追っていた司法官が、溺死体になって発見された。当局は、酒に酔って誤って川に落ちた事故として処理した。しかし、遺族や関係者の話では、その司法官は酒をたしなまなかったという。
 「これが終わりの始まりでなければいいのだけど…」
 自分たちの知らないところで、巨大な陰謀が動き始めている。そんな嫌な予感がしてしかたないアイシアは、自分の推理が杞憂であることを祈ることしかできなかった。

  さて、後に”ドローミ海海戦”と呼ばれる戦いの立役者である、潮崎、橋本、両二等空尉になにが起きたのか?
 「本当に俺が潮崎なんです!信じて下さい!」
 外見は小柄な金髪の美女、橋本そのものの人物が、男の口調で必死で訴える。
 「あたしも信じたくはないけど、どうやらこうなってしまったようですねえ…」
 長身のそこそこイケメン、潮崎にしか見えない人物が、おねえ口調でそういう。
 結論から言うと、二人が入れ替わってしまっていたのだ。最初は何かの冗談だと思っていた周辺も、両親の名前、元の住所、卒業した高校の名前、自衛隊時代の運動会で担当した種目など、それぞれ潮崎と橋本しか答えを知らない質問をしてみて、二人が入れ替わっていることを確信した。
 「まさか女に…しかも橋本になっちまうなんて…」
 橋本(潮崎)が、手鏡で自分の顔を見ながら、この世の終わりのような顔をしている。
 「まさかこんなことがあるとはねえ…。ほう、男の身体ってこんな風なのか」
 潮崎(橋本)は、興味深そうに、自分の身体をぺたぺたと触って感触を確かめている。
 一見ラノベかラブコメ漫画に出てきそうな状況だが、まったく笑い話ではない。F-15JSとF-2は、部品やアビオニクスの共通化こそ可能な限り図られているが、操縦の仕方は全く異なる。入れ替わってしまった二人が墜落せずに帰還できたのは、僥倖としか言いようがなかった。
 「ねえ、メイリン、なんとかならんのん?シオザキがハシモトで、ハシモトがシオザキなんてあんまりじゃないの?」
 「そうは言われてもねえ…。だから、サイコシンクロニシティ200%はなにが起こるかわからないって言ったのに…」
 1度取材を切り上げて、ベネトナーシュに戻って来ていたアイシアが、困惑した調子で問う。メイリンは同じように困惑した様子で答える。メイリンが二人の脳波や心拍、思念波のパターンなど、もろもろの情報を分析した所では、サイコシンクロニシティ200%の状態でシステムがロックされてしまった結果、潮崎と橋本は意識が一時的に肉体から解き放たれ、ワンランク上位の存在となっていた。有り体にいうなら、神となっていたらしい。そして、サイコシンクロニシティが低下し、肉体に戻るときに、互いに戻る先を間違えたらしい。
 「うーん、しかし、女になってしまって困惑するシオザキ殿、ちょっと可愛いかも…」
 「ディーネ卿、それを言わないで。わたくしだって萌えたら負けだと思って我慢しているんです!」
 実は柔らかい腐女子で、女体化萌え、入れ替わり萌え属性のあるディーネとルナティシアがそんなやりとりを交わす。
 「まあまあ、皆の衆、とりあえず慌ててもしかたあるまい。今は休憩して、その後で善後策を検討しても遅くはなかろう?まずは風呂でも浴びようではないか」
 人生経験の長いシグレが、とりあえず落ち着こうと呼びかける。 
 「えと…しかし、風呂ってどっちに入ればいいんだ…?」
 「そういや問題だね。宿舎やトイレ、どうすりゃいいんだろ?」
 そういって、橋本(潮崎)と、潮崎(橋本)が顔を見合わせる。単純に考えれば、現状の性別にあった方を使えばよさそうなものだが、中身が異性となれば、他の人間が風呂やトイレ、宿舎を共に使うことを納得するかが問題だ。
 「ん?別に、この場にいるわれらだけなら、一緒に入っても良いのではないか?われは日本で言う裸のつき合いというのがなかなか良いと思ってな」
 シグレの提案に、アイシアたち、他の潮崎ガールズは息を呑む。少し抵抗はあるけど、橋本(潮崎)が望むならやぶさかではない…。
 「いえ、遠慮しておきます!」
 「あたしは大歓迎だけど…まあ潮崎がそういう以上は…」
 橋本(潮崎)の殺気のこもった視線を向けられた潮崎(橋本)は、そう答えたのだった。

 結局、二人が元に戻るまでに1週間かかったのだった。どうやって元に戻ったのか。
 潮崎は「口が裂けても言えない!」
 橋本は「もし他言したら、潮崎があたしの身体のまま絶壁から身を投げてやるといってるから秘密」
 メイリンは「守秘義務というものがあるので」
 ということで、三人以外は知らないままだった。
 一つ言えることは、サイコシンクロニシティは危険だということだった。今回は二人が入れ替わるだけで済んだからいいようなものの、悪用すれば、多くの人間の精神を念じるだけで破壊したり、不特定多数の人間の心身を乗っ取って意のままに操るようなことさえ、理論上可能だった。
 サイコトランスミッターとサイコセンサーには厳重にリミッターがかけられ、開発運用そのものも、安全性が確保されるまで凍結という扱いにされたのだった。

 
 08
 新暦102年蠍月20日。
 ナゴワンド大陸中央に位置する大国ミザール同盟。その最北端に位置するグルトップ半島は、海を挟んで北にロランセア大陸は、ドゥベ公国のノーアトゥーン半島を臨む。漁港や大規模な造船施設、いくつもの大型の船を停泊させられる港を持つ、交通、物流の要衝。そして、鉄鉱石や銅、金、ダイヤモンドなどを算出する資源の宝庫でもあった。最近では天然ガスや石油も発見され、地球側の同盟国であるEU及び英連邦の協力の下、試掘が進んでいる。そして、現在では、EU、英連邦の義勇軍が駐留し、海賊や周辺国の動きに目を光らせている、軍事上の拠点でもあった。
 その日の半島は、珍しく未明から霧に覆われていた。地元の漁師は、今日は漁は見合わせるべきかと考えていた。しかし、この時期のこの海は脂ののった魚が期待できる。なんとか霧が晴れないかと北の空を見上げる。
 「?」ふと漁師は霧の向こうに鳥の影を見た気がした。いや、鳥ではない。翼を全く動かしていない。凧だろうか?しかし、誰がどうやって海上のあんな高さに上げている?しかもすごい速さで近づいてくるように見える。それはみるみる大きくなり、巨大な二等辺三角形のシルエットを鮮明にする。漁師が呆然と見上げるのを尻目に、それは風切り音を響かせて飛び去る。次の瞬間、漁師の後方で爆発が起きた。
 B-2ステルス爆撃機が、グルトップ半島のEU、英連邦義勇軍の軍事施設に攻撃を開始したのだった。
 不意を突かれた義勇軍はレーダーや滑走路などを電撃的に破壊され、応戦もままならない。結果、北方から飛来したC-17輸送機から降下する空挺部隊の侵攻を許してしまった。

 同時刻、ミザール同盟北部、ヘルヴェグ湾、港町グナー。
 霧が立ちこめる早朝の港湾、灯台から周辺を筒眼鏡で見ていた見張り番は、ふと違和感を覚えた。
「おかしい…あんなところに小島があったか?」 
 まだこの仕事を拝命して日が浅いとはいえ、小島がある位置を覚えていないようでは仕事にならない。筒眼鏡でよく見ていると、彼はとんでもないことに気づいた。
「島が…動いている…?」
 一瞬目の錯覚を疑ったが、その巨大な影はゆっくりと、だが確実に近づいてくる。さらに見ていると、島から鳥が飛び立っていくように見える。一羽ではない、三、いやもっといる。その鳥のような影は突然加速し、急速に近づいてくる。そして、耳をつんざくような轟音を発して、灯台の上を駆け抜けて行ったのだった。
 
 グナーより南に10キロ、ミザール同盟首都、メッサーティーガー。
 メッサーティーガーの市民たちは、突然鳴り響き始めた轟音と、爆発音に寝ぼけ眼を覚まされることになる。最初は義勇軍の演習かと思った。地球の兵器は演習でさえ、派手でたいそうやかましい音を出すことは、ここ数ヶ月でよく知っていたからだ。
 だが、上空を見上げて、見たこともない形のセントウキが飛び交い、こちらの軍事施設を空爆し、義勇軍のセントウキと交戦している状況を見て、ようやく現実に気づく。
 「せ…戦争だ――っ!」
 自分たちの日常、平和が奪われたことを、市民たちは理解するのが早かった。ミザールがそれなりに平和になったのは最近のこと。異世界から義勇軍が派遣されてくるまでは、内乱や盗賊、暴動で命と財産を脅かされることなど珍しくなかったからだ。しかし、なぜここに来て突然戦争が始まる?あのすさまじい力を持つ義勇軍同士が戦い始めてしまったら、この首都は、この国はどうなってしまうのだ?市民たちは避難しながらも、そんなことを思っていた。
 ステルス性能に優れるF-35B戦闘機による奇襲は成功し、首都の対空防御施設やレーダーサイトはいち早く無力化されていった。
 ついで、空中格闘性能と信頼性に優れるFA-18E戦闘攻撃機の部隊が、スクランブル発進したミザール軍のサーブ 39 グリペン戦闘機や、ユーロファイター タイフーン戦闘機の混成部隊に襲いかかる。ミザール軍側は懸命に応戦するが、奇襲を受けて十分な数の航空兵力を上げることができなかったことに加え、F-35BやFA-18Eの常識外れの回避性能と、まるでこちらの思考が読めるかのように機動を先読みをしつつ放ってくるミサイル攻撃に、みるみる数を減らしていく。
 そして、メッサーティーガーに駐留していたミザール軍と義勇軍の地上部隊は、隊列を整える暇もなく弾雨にさらされることになる。AH-1Z ヴァイパー攻撃ヘリの支援を受けた、V-22オスプレイ輸送機および、CH-53Eスーパースタリオン輸送ヘリによって行われたヘリボーンによって、首都の各所が攻撃を受け、通信が寸断され、味方の兵力が分断され身動きが取れなくなっていく。
 当然のように、ミザール政府と首都防衛部隊は、他の軍事拠点に応援を要請したが、他の軍事拠点も攻撃を受けていることを知る。結局、応援が到着する前に、ヘルヴェグ湾に投錨した強襲揚陸艦から陸揚げされた機械化部隊によって、メッサーティーガーは制圧されてしまうことになる。
 LAV-25を主力とする装甲車部隊が町になだれ込むと、その火力に抗しきれないミザール軍はついに南に向けて撤退を余儀なくされる。
 こうして、わずか10時間ほどの戦闘で、グルトップ半島および、首都メッサーティーガー周辺は、軍事占領を受けてしまったのだった。

 それは終わりの始まり。
 やっと異世界に構築されかけた、軍事力の拮抗による平和が、粉々に砕かれた瞬間だった。

 翌日、新暦102年蠍月21日。ドゥベ公国より、周辺国に向けて、じゃんけんの後出しに等しい戦線布告がなされる。
 後に“ドゥベ戦争”と呼ばれる大規模な国家間戦争の火ぶたは、こうして切って落とされた。


つづく
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