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第三章
海の猛獣の脅威
しおりを挟む03
話はここで、章の冒頭の戦闘の翌日、新暦102年天秤月9日に移る。
ベネトナーシュ王国、北ベネトナーシュ島に建設が進んでいる、インギャルド基地司令部は重苦しい空気に満たされていた。本来北ベネトナーシュ島には近づいてこないはずの海竜 が危険なほど南下してくるのは今月に入ってもう4回目だ。現場からの報告では、海竜は攻撃をうけてもなお、どういうわけか南下を続けようとしたというから、これはもう野生動物を用いた人為的な攻撃の可能性を疑うべき問題だった。そして、ついに昨日、所属不明機がベネトナーシュ領空に現れ、こちらのF-2を撃墜した。これはもう、軍事侵攻だという確信を誰もが抱いていた。
「所属不明機の身元は割り出せそうかね?」
「はい、フライトレコーダーに残っていた映像と、橋本二尉の記憶を照合した結果、こいつに間違いなさそうです」
基地司令である鴨下法道空将補の問いかけに、情報分析担当の三尉が応じて、会議室のスクリーンにいくつかの映像を映し出す。
「なんてことだ...。とうとうやつらがちょっかいを出して来たということか...」
幹部の中からそんな声が漏れる。スクリーンに映ったいくつかの画像と資料は、昨日の所属不明機がロシアの戦闘機、スホーイSu-47であることを示していた。尾翼と特徴的な前進翼、カナード翼を持つ。上から見ると星形のように見える機影は、見間違いようがない。
そして、ベネトナーシュ王国の北にドローミ海を挟んで位置するメグレス連合国は、ロシアと同盟を結び、ロシア人の義勇兵を戦力として保有している。彼らがついにベネトナーシュ王国領に軍事侵攻をかけてきた。しかも、おそらく巨大で獰猛な野生動物を武器となし、表向きは自分の手を汚さないやり方で。
「しかし、Su-47は正式採用を見送られた機体じゃなかったか?」
「向うでは用なしでも、こっちでは使い道があると判断されて送られて来たんじゃないかな?この機体の性能は非公開の部分が多すぎてほとんど未知数だ。こっちでふさわしい任務があったとしてもおかしくはないだろう」
幹部同士の間でそんな会話がされる通り、Su-47はロシアの次期主力戦闘機として設計されながら、ステルス性能の欠如、前進翼ゆえの癖のある操縦特性などの問題から採用を見送られた機体だ。それがこちらの世界に姿を現したというのがどうにも不気味に思えた。
「奴らの目標は、”灯台”こと海上油田と考えて間違いないな」
鴨下は苦々し気に言葉を紡ぐ。アリオト伯国との戦争に終止符が打たれ、産業振興へと舵を切ったベネトナーシュ王国がまず手掛けたのが、ドローミ海の海底油田の採掘だった。すでに日本から調査チームが派遣され、王国周辺は海底資源が豊富であることが確認されていた。ともあれ、海上油田の開発はなかなかにコストも手間もかかる。そこで考え出されたのが、メガフロートをドローミ海に設置し、巨大な資源採掘船として利用する方法だった。これなら、日本の各造船所で作った鉄の箱を時空門を通じてこちらに運び、現地で組み立てれば済む。
業績低迷状態にあった日本の造船業界は、このプロジェクトに奮起した。かつて関西国際空港を建設する折、初めから本命の埋め立て工事案の当て馬に過ぎなかった当時のメガフロート案とはわけが違う。これは自分たちでなければ、メガフロートでなければできない仕事だという事実は、何物にも代えがたいモチベーションとなった。不眠不休の作業で、たちまちブロックは完成していき、後はドローミ海まで運んで組み立てるばかりとなっていた。
その時にこの事態である。海竜は、大きいものでは20メートルを軽く超え、それなりの規模の船でも十分脅威になる。なにより、ブロックの組み立てにはダイバーを下ろしての海中作業が不可欠だから、獰猛な捕食者のいる海域で作業をするわけにはいかなかった。
「しかし、彼らが我々の石油採掘を邪魔して本当に意味があるんですかね?」
「ある種の被害妄想だろうさ。ロシアにしてみれば、日本が石油を自前で調達できるようになったら、今までのように外交や経済の面で居丈高に振る舞えなくなるかもしれない、と心配してるんじゃないか?メグレス連合国は、ただのやっかみだろう。あちらは未だに政情不安が続いて、経済はがたがただ。ベネトナーシュ相手の貿易赤字は拡大する一方だしな。自分たちが王国に搾取されているという被害者意識を持ってもおかしくない」
経産省からの出向組の王国経済顧問の疑問に、外務省出向経験もある陸自の二佐が相手をする。古今東西、子供じみたやっかみや短絡的な物欲、自己顕示欲といった矮小な感情から戦争を引き起こした国家は枚挙に暇がない。ローマ帝国しかり、隋王朝しかり、ナチスドイツしかりである。大日本帝国だって、目先の利益や面子のために、戦争という割に合わないことに手を出したあげく、敗北したという意味では同じといえるかもしれない。
「王国外務省も連合国に探りはいれているようですが、とぼけられているようです。それと、あちらで今我々が石油を掘ろうとしている場所は、もともとメグレスの領土だと主張する動きがあるとか」
「あちらで起こっていることに関しては、こちらのSの調査が進むのを待つしかないか...」
とにかく、今の彼らには情報が少なすぎた。このままでは、石油採掘どころの話ではない。敵がいつ、どんな方法で攻撃して来るか、見当もつかないのだ。
「海竜そのものに対しては、大変だが今まで通りのやり方で対処するしかないな。
で、所属不明機...いや、メグレス軍機と、連中の海竜を兵器に用いた攻撃に対する策は?」
「もちろん、王国の人たちの協力を経て、鋭意対策を立てているところです。ちょうど専門的な知識がある人がいてくれて助かってますよ」
鴨下の言葉に、いかにも理系という風体の技術士官が応じる。
「ああ、この資料か。不眠不休で大変だと思うが、彼女の双肩に我々の運命はかかっているといっても過言ではないしな...」
「大丈夫だと思いますがねえ?なにせ、ご褒美は彼女にとって素晴らしいもののはずですから」
不穏な笑みと、”ご褒美”といった言葉が鴨下には引っかかる。その内容がなんとなく想像がついたからだ。こういうやり方をしていいものか?とりあえず当事者には申し訳ないことだ。鴨下は、胸の中で詫びた。
ロランセア大陸の西部を領土とするメグレス連合国とはどのような国か。気温は比較的寒冷で、北部は一年の大半を雪に閉ざされ、南部も比較的安定した亜寒帯気候に位置する。かつて帝国がこの世界に健在であったころは、主に鉱山資源や家畜、木材の供給源として機能していた。だが、帝国に感謝の気持ちはなく、辺境の蛮族が自分たちのために働くのは当然という態度を取られ続けて来た。
帝国が崩壊した後は、帝国の軍勢や地方官が追放、殲滅され、名実ともに独立することになる。しかし、その後がなかなかうまくいかなかった。もともと雑多な民族や人種で構成されるモザイク国家であったこともあり、長きに渡り、部族や領主の間で抗争が繰り返された。ロランセア、ナゴワンド両大陸で新しい国家が構築され始めるに及んでも内紛は続き、現状両大陸にある7つの国家の中では、統一国家としての体裁を整えたのは一番最後だった。
そんな状態だったから、寄り合い所帯の不満が積もるたびに無理やりにでも共通の敵の存在を作り上げて、その敵の存在によって国の結束を強めるというやり方が常態化していた。あるときは地方の狩猟民が謀反を企てているという言いがかりをつけられ、滅ぼされた。またある時は、ただの交易船に過ぎない船が海賊の疑いをかけられ、問答無用で拿捕され、船は没収され、船長以下乗員は全員奴隷として売り払われるということもなされた。
そして今回はベネトナーシュ王国がやり玉に挙がったのである。10年以上も前に決まっていた国境問題を蒸し返し、現在王国が石油採掘を計画している場所はメグレス連合の領海だと主張する扇動工作が、水面下で行われていた。もちろん詭弁に過ぎない。だが、多数の国民の間に、ドローミ海は我々のものだ。奪い返せという空気が広がれば、それを大義名分として、メグレス連合は内部の結束を保ち、そしてあわよくば海底資源の権益を手に入れられるかもしれないという寸法だった。
「しかし、このやり方はあまりにリスクが高すぎます」
『それもやむを得んだろう。われわれはなりふり構わず勝たねばならんのだ』
メグレス連合本土の西端に位置する半島の付け根にあたる部分に構築された、ヴィースブル空軍基地。あまり快適とは言えないすきま風が吹き込む木造の司令部の中、会議の意見は紛糾していた。
「あなたがたは、海竜の恐ろしさを甘く見ている。彼らを怒らせれば、海は荒れ、空からはすさまじい雨が降る。沿岸の民たちの生活はたちまち破たんしてしまうのだぞ!」
『馬鹿馬鹿しい、所詮はでかい海のトカゲではないか。うまいこと利用しない手はない。沿岸の犠牲も、勝利のためには小さなものだ』
連合の首都、スケルタスからビデオリンクで命令を下すザスト将軍ら幕僚たちと、この地で長年軍務についてきた指揮官たちの議論は平行線だった。海竜には天候を操る力があり、下手にちょっかいを出せば自分たち人間にしっぺ返しがくるというのはメグレスに生きる者にとっては常識以前の問題のはずだった。にも関わらず、中央に胡坐をかいている幕僚は、ベネトナーシュ王国に対する勝利しか見えていない。海竜を積極的に武器にせよ。それにともなう犠牲もやむなしと言い放っている。現場を知る者たちにとっては、まるで頭でっかちな学生が本で読んだ知識がそのまま現実に通用すると思い込んでいるようにしか見えなかった。
同じことは、ロシア人義勇軍の中でも起こっていた。
「私は反対です!ここ数日の水害や高潮はどう考えても異常です!海竜を武器とする作戦は中止すべきです!」
『君はいつの間に敗北主義者になったのだ?なんの犠牲も危険もなしに得られる勝利などあると思うか?我々はまだ表立ってベネトナーシュを攻めることはできない。だが、やつらが石油の採掘を始めて既得権を手に入れるのは許せないとなれば、他に方法はないのだ』
そりゃ安全な内陸部にいるあんたにとっちゃそうだろうさ!と、メグレス国空軍所属、ロシア人義勇兵、ピョートル・ゴルチェンコ大尉はロシア人の将校に対して思う。小高い場所にある首都にいれば、海が荒れようと大雨が降ろうと屁でもない。だが、現に今高潮や大雨の影響を受けている自分たちには現在進行形の死活問題だ。
「しかし現に!」
『ゴルチェンコ大尉。これ以上の中央への抗弁は反逆ですよ』
ビデオリンクでつながった別の場所の映像の向こうで、若い少佐、ラーチンが鼻につく声で口をはさむ。
『心配なくとも、イポーネツの航空隊はわれわれが殲滅してご覧にいれますとも。それで戦闘は終わり。我々は勝利の名誉を手にし、メグレスは内部の結束を強化する。高波や豪雨も、戦闘が終われば収まります。
簡単な話でしょう?』
線の細い、ペーパーエリートという印象しかないラーチンのものいいは、ゴルチェンコには空論にしか聞こえなかった。こいつはパイロットではない。自分で考える頭を持たない、戦闘機の部品だ。本人は自覚していないだろうが。
「大した自信ですな、少佐。では、万一あなた方が敗れることがあれば、それは完全にあなた方の自己責任ということでよろしいな?」
『なにをいっているのです?われわれが敗れるはずがないじゃないですか。われわれには無敵を約束してくれる力があるのですから』
これはだめだ。話が始めから噛み合わない。ゴルチェンコはこっそりため息をついて、考えを変える。こうなれば、どれだけ多くの人間を巻き添えにせずに済ませるか。それが自分の課題だと考えることにした。
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