時空を駆ける荒鷲 F-15J未智の空へ

ブラックウォーター

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第二章

奪い合いの果てに

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 03
 アリオト伯国軍のナーストレンド奪還作戦は粛々と進められていった。正面から仕掛け、伯国の勝利を喧伝する役目は伯国の正規軍の仕事だが、勝利を確実にする仕掛けをするのは中国人義勇軍の仕事だった。というより、自分たちが失敗すれば確実に伯国は負けるという危機感が義勇兵たちの間にはあった。あまり人のことは言えないかもしれないが、伯国のビフレスト島における搾取や横暴は度を越している。宗主国の軍隊であるという理由で、食事代を踏み倒し、麻薬を売買してもお咎めを受けず、人妻に無理やり夜伽を命じる。そんな仕打ちに恨み骨髄の現地の人間の反発は、さながら時限爆弾だった。もし負けることがあれば、その爆風にさらされるのは、伯国の連帯債務者である自分たちということになる。死んでも御免だという思いが、中国人義勇兵たちに常ならぬ集中力とモチベーションを与えていた。
 ビフレスト島中央に位置するギムレー基地から出撃した伯国軍は、予定通りナーストレンド奪還のための作戦行動を開始したのである。
 
 『こちら天津01。これよりエアカバーに入る』
 アリオト伯国空軍機、マルチロールファイターであるJ-10の飛行隊の隊長は、朝日を右に浴びてナーストレンドに向けて飛行しながら全部隊に通告する。ここ最近の交戦記録でわかったことだが、日本人義勇兵が操るF-15Jは侮れない。悔しいが、練度ではあちらが上と見ざるを得ない。
 『レーダーに感!F-15Jに間違いない!油断するなよ!』
 後方で航空隊の目の役目を果たす空警500から通信が入る。それまでの教訓に学んだ中国人パイロットたちは、やみくもに先制攻撃をすることはせず、戦況を読むことに集中した。
 すぐに、F-15J6機の機影がレーダーに写る。J-10は先手を打ってミサイルを打つが、それを見事な機動で回避したF-15Jがとった行動は、伯国軍の予想外のものだった。
 
 「くそ!やつらの狙いはこっちか!」「航空隊はなにをやってんだ?!」
 Ka-27ヘリを中心に構成される伯国軍のヘリボーン部隊は窮地にあった。てっきり定石通りこちらの戦闘機を相手にするものと思っていたベネトナーシュ王立軍のF-15Jたちが、戦闘機を無視して彼らに狙いを定めてミサイルを放って来たのだから。
 先行していたWZ-10攻撃ヘリが次々と撃墜され、ヘリボーン部隊は裸同然の状態にされる。
 『このままじゃ降下は難しいぞ!』『いまさら何言ってる!もう後には引けんぞ!』
 意を決して部隊は低空ホバリングを開始し、ファストロープ降下(懸垂具を使わず、太いローブに手足だけを添えて降下する高等技術)は順調に進んでいるように見えた。
 「!?」が、突然ヘリの副操縦士が今までなかった赤外線反応を地上に認める。何事かとキャノピーを通して下界を見ようとしたとき、まばゆく光るものが高速で接近してくる。それが彼が見た最後の光景だった。

 上空で、Ka-27が次々と撃墜され、すでに降下していた中国人義勇兵たちは敵の中で孤立し、弓矢の餌食となっていく。伯国軍ヘリボーン部隊を迎えたのは、91式携帯地対空誘導弾による歓迎の打ち上げ花火だった。
 「よし、予定通り引くぞ!」
 対ヘリボーン部隊の指揮を預かる一尉の命令に従い、赤外線を遮断する艤装服をまとい、携帯対空ミサイルで武装した部隊は、石切り場の跡地である地下通路を隠れ蓑にして神速の用兵で動き回る。
 伯国軍からみれば、まるで狐につままれたような心地だった。正面にいたはずの敵がいつの間にか後ろにいる。右からミサイルが飛んできたと思いきや、左に新たな敵がいる。秩序だった行動が命のはずのヘリボーン部隊は、今や混沌に飲まれようとしていた。

 一方、ナーストレンドの東側の海岸を疾走する車両の一団があった。伯国軍義勇兵たちで構成される機械化歩兵部隊である。主力部隊の支援のため、東から回り込んで敵司令部に直接攻撃を加えるのが目的だ。途中、彼らはいくつもの防御陣地を蹴散らし、進んできた。こちら側には敵も強力な防備を敷いていないようだ。
 『ナーストレンド市街まで2分...わああぁっ!」
 先行していた装輪装甲車のオペレーターのすっとんきょうな声に合わせて、装輪装甲車が穴に落ちてそのままでんぐり返り、仰向けになったカメ同然の状態になる。慌ててハンドルを切った他の車両も、周辺にあった無数の落とし穴にはまり、いくつかがスタックし動けなくなる。
 「姑息な真似を」ウイグルで対ゲリラ戦闘に関わった経験のある部隊指揮官の上尉が毒づく。砂地に大きく深い木箱を埋めて、上に布でも張って落とし穴とする。うまいが、実にせこい手だ。そう思ったとき、隊列の中の輸送車や軽装甲車から火の手が上がる。
 「沖合から砲撃です!」
 海に目を向ければ、波間を疾駆する1号型ミサイル艇が、固定武装である20ミリガトリングガンで攻撃してきているのが目に入る。しょせん小銃や軽機関銃程度の攻撃しか想定していない装甲車にとって、20ミリ徹甲弾の破壊力は十分脅威で、次々と撃破され、または各坐していく。
 「くそ!対戦車ミサイル、ミサイル艇を排除しろ!」
 上尉は、伯国海軍の派遣艦隊が壊滅しているために、海上が無防備になっている状況に今更ながら気づいた。制海権はあちらにあるから、海からは狙い放題だ。海上をちょろちょろと動き回るミサイル艇を対戦車ミサイルで叩けるかはあやしいが、やってみるしかない。が...。
 対戦車ミサイルを装備した自走砲が突然爆発四散する。何が起きたのか、伯国兵たちにはすぐにはわからなかったが、やがてこちらから見て左の陸側の丘陵からの砲撃であることに気づく。しかし、肝心の、どこからどう撃ってきているのかがわからない。伯国軍は、しばらく収拾がつかず、砲撃から逃げ回るだけの立場に追い込まれる。

 「着弾良し。砲撃続行。対戦車ミサイルを装備したやつから優先的にやれよ」
 王立陸軍所属の74式戦車の車長がペリスコープで戦果を確認しながら、矢継ぎ早に命令を下す。3両の74式戦車は、その特徴である可変サスを用いて、丘陵の上から主砲の仰角をマイナスに取り、海岸線を行く伯国軍機械化歩兵部隊に砲撃を浴びせていた。可変サスを用いてフロントを下げ、リアを上げた74式戦車の姿は、四つん這いになって尻を高く上げた淫売女を連想させ、卑猥に思えなくもない。すぐに反撃があるものと予想していた車長は、伯国軍が混乱し逃げ回るだけの状況に驚いていた。実のところ、中国を含めて旧東側の戦車は主砲の仰角の範囲が狭いのが弱点だった。戦車は基本的に同じ高さにある目標を狙うものという先入観があったのだ。ゆえに、500メートルと離れていない丘陵の上から、戦車が仰角をマイナスに取って砲撃してくるなど全くの予想外だったのだ。もちろん、中国人義勇兵たちも、日本の戦車が可変サスを持つことは知識としては知っていた。が、理解と対処は別で、彼らが自分たちを攻撃しているのが丘陵の上の戦車だと気づいたのは、部隊の半数近くが壊滅した後だった。

 一方、空での戦いは、間合いを取ってけん制し合うボクシングの試合のごとく、互いに決定打を欠いていた。王立軍、伯国軍ともに、早期警戒機と地上のレーダー施設からの情報支援を受けて、簡単には敵の攻撃を許さない体勢を固めていたからだ。
 「J-10は、敵防御陣地に近づけない模様。まずいですね。これでは地上部隊の主力を押し出すことができない」
 伯国空軍所属の空警500のオペレーターが苦々し気に報告する。
 「なあに、数ではこちらが有利なんだ。焦ることはない」
 情報士官が茶に口をつけながら相手をする。余計なことに気を廻さず、自分の仕事に集中しろとたしなめる意味も含んだ言葉だった。が、突然機内に鳴り響くミサイル警報に、情報士官は茶を思い切り吹き出した。
 「IR(赤外線追尾)ミサイル、近づく!7時方向、距離1000メートル!」
 「ばかな、なぜこんな近くに!?敵にステルス機がいるのか!?」
 不意打ちを食らった空警500の回避行動は間に合わなかった。1発目のミサイルはどうにかやり過ごせたものの、回避する機動の先を読んで放たれた2発目のミサイルがエンジンを直撃する。エンジンから出た火は、そのまま機体に延焼し、空警500は火の玉となって落下していった。

 「たまげた。あんな大きな鉄の凧が落ちるとは...」
 翼竜を駆って空を飛ぶディーネは素直に感心していた。すぐ後ろでは、彼女とタンデムで翼竜にまたがる日本人義勇兵が、91式携帯地対空誘導弾の発射筒を投棄する。潮崎が立てた作戦は当たった。前回の空戦の教訓から、敵は早期警戒機が優先して狙われることを警戒して来るだろう。して見ると、敵は今度は戦闘機を早期警戒機に近づけさせてはくれないはず。ではどうしたらいいか。敵の思いもよらない方法で攻めるしかない。そこで考え出されたのが、熟練した竜騎兵に対空ミサイルで武装した兵員をタンデムで運ばせ、敵の不意を突いて至近距離からミサイル攻撃をしかけるというものだった。翼竜は地球の航空機に比べて小さく、エンジンがついているわけではないから赤外線をほとんど出さないという特性が活きた。早期警戒機も、護衛の戦闘機も、ミサイルを撃たれるまでその存在に気付かなかったのだ。
 「作戦成功、長居は無用だ。離脱してくれ」
 「了解」
 後ろに乗る義勇兵の言葉に従い、ディーネは翼竜の手綱を引くと、反転して帰還の途につく。バックアップとして、同じように義勇兵を乗せて同行しているもう一騎の竜騎兵もそれにならう。が、それはすんなりとはいかなかった。近づいてくる轟音にディーネが振り返ると、空警500の護衛についていたJ-10が親鳥の敵とばかりに猛然と追いかけてきたからだ。
 「冗談ではない!」
 旋回しつつ急降下して、射線から外れる。機銃の曳光弾が、一瞬前まで彼女がいた場所を飛びぬけていく。機動性や旋回半径では明らかに翼竜に軍配が上がったが、J-10のパイロットはしつこかった。何度翼竜が視界の外に逃げても、急旋回して射線を取ろうとする。
 「ちくしょう!まずいぞこのままでは...!」
 ディーネは無理な回避運動の連続で、自分が疲れ始めていることに気づいた。手綱を握る手がしびれ、鞍を挟む太ももの筋肉に次第に力が入らなくなる。そして、汗が目に入り、一瞬手綱の動きがおろそかになった瞬間、とうとう後ろを取られてしまった。パイロットの殺意がぞわりと背中を撫でたように思えた。
 が、次の瞬間J-10が一瞬にして炎の塊になって落ちていった。なにごとかとディーネは周囲を見回す。目に入ったのは、J-10とは明らかに違うシルエットを持つ機体。ベネトナーシュ王国ではおなじみのF-15Jの姿だった。ミサイルによってJ-10を撃墜してくれたのだと悟るまでに少し時間を要した。 
 「助かった...」
 後ろに乗る義勇兵がよほどほっとしたらしく、盛大に息を吐きだす。ディーネも同意見だった。F-15Jのパイロットは機体を旋回させてディーネの左側に並ぶと、親指を立てる。機首側面に描かれた識別番号は「BKAー126」ヘルメットに描かれたTACネームは「SAVER」と読めた。
 バキューン
 そんな擬音が聞こえたような気がして、ディーネは自分の胸が何かに打ち抜かれたような感覚を覚えた。その感覚がなんなのか、このときのディーネはまだ自分でも気づかなかった。

 戦いにおいては、戦術レベルと戦略レベルの動きや流れは全く別次元の物と言える。かつて大日本帝国が太平洋戦争において、局地的には勝利を重ねたにも関わらず、大局的には野放図に戦線を拡大し、燃料や物資を欠乏させ敗北へと転がり落ちて行った事実を見ても、それは明らかと言えた。
 そして、ここナーストレンドにおいても、戦術レベルではベネトナーシュ、ナーストレンド側の作戦が成功していくにも関わらず、戦略レベルでは戦いはまだ拮抗状態にあった。その理由は単純にアリオト伯国側の数の多さにあった。
 伯国軍の将軍、レオーネは機を見るに敏な男だった。中国人義勇兵の側面攻撃が所期の効果を上げることが困難と判断した時点で、犠牲を払うのを覚悟して全軍に正面突撃を命じたのだ。正面に展開している兵力は、ベネトナーシュ、ナーストレンド側8千に対して、伯国側1万2千。この戦力差がじわじわと物を言い始めた。ナーストレンドの騎兵が長槍で脇腹を突かれ、馬から引きずり下ろされ、地面に転がった所を剣で突き殺される。2部隊に分けられた弓兵が交替で矢を射かけ、ベネトナーシュ軍の槍兵の接近を許さない。
 「後ろを取らせるな!1人に対して2人で当たれ!」
 乱戦の中、伯国の指揮官の指示通り、伯国兵達は1人が相手の槍を盾で受け、もう1人が後ろに廻り背中から斬りかかるという戦い方で、効果的に敵の数を減らしていった。
 「敵も頑張るじゃないか」
 早期警戒機撃破の任務を終え、その足で翼竜を駆って空から戦況を偵察していたディーネは思わずそうつぶやいていた。早期警戒機が落ちたことの効果は確実に現れていると言えた。伯国軍の戦闘機は明らかに動揺して逃げ腰になっているし、ヘリボーン部隊の動きにも、先ほどまでの精彩はない。だが、肝心の伯国軍本隊の勢いが全く衰えていない。日本人の義勇兵達は、しぶとくねばりを見せる中国人義勇兵達に対処するので精一杯で、正面を支援する余裕が無かった。一応、後方から155ミリ榴弾砲による火力支援が行われ、AH-1Sコブラが敵の攻撃ヘリや対空ミサイルによる妨害をたくみにかわしながら伯国軍にガトリング砲とロケット弾による攻撃をかけてもいる。
 だが、犠牲を払ってもナーストレンド奪還を決意している伯国軍はひるまなかった。戦友の屍を踏み越えて進軍してくる伯国軍兵たちに、ベネトナーシュ、ナーストレンド軍は敬意と恐怖を感じていた。
 
 伯国軍指揮官レオーネ将軍は後一歩で勝利をつかめると確信していた。犠牲は払ったが、敵の陣形が崩れ始め、潰走する部隊さえ出始めたからだ。が…。
 「撤退だと!?一体どういうことだ!?」
 「謀反です!後詰めの将軍達が我々を裏切りました!ギムレー基地が攻撃を受けています!」
 伯国軍の本陣。レオーネの怒りに満ちた問いに、幕僚として同席していた義勇軍の上校が説明する。たった今後方のギムレー基地から入った通信によれば、後詰めとして伯国軍本隊を支援するはずだった軍勢4千あまりが、突然方向転換して基地を攻撃し始めたという。本陣内に同様が拡がった。ギムレー基地は、正規軍と義勇軍のほぼ全てを出撃させている。残っている兵力は5百に届くかどうかというところだ。空き巣狙いを受ければまずいことになる。さらに悪いことに、謀反を起こした軍勢の指揮官たちはナーストレンド奪還作戦に際して軍議に参加していたから、基地の防衛体制や内部のことはもちろん、こちらの軍本隊の動きまで全て知られている。
 「後一押し、後一押しで勝てるのだぞ!それを!」
 「ギムレーが落ちればナーストレンドの奪還がなっても意味がありません。むしろ我々が島の北部に孤立してしまうことになります。第一、後詰めの部隊が丸ごと敵になったとなれば、作戦の前提が根本から崩れます。これは敗走ではありません。戦略的撤退です。閣下、お早く」
 そう言われてしまえば、レオーネに返す言葉はなかった。ギムレーが落ちれば自分たちは帰る場所がなくなってしまう。悪いことに、ビフレスト島の北部と南部は交通の難所として知られる山脈によって隔てられている。帰る場所を失えば、自分たちは島の北部で完全な根無し草ということになりかねない。
 撤退はレオーネの裁可によって速やかに決定され、伯国軍の各部隊に伝令がなされる。幸いにしてレオーネは人望が有り、兵達からも慕われていたから、各部隊指揮官の反応は早く、撤退は整然と実行されていったのだった。

 「イーグルネスト。こちらハイドラ4。敵が撤退していきます。だいぶ遅れたが予定通りというところです」
 上空から地上部隊のエアカバーを続けていた潮崎は、伯国軍の撤退をナーストレンドの司令部に報告する。マスクを外して思い切り息を吸い込む。味方の中に陣形を崩される部隊が出始めて、内心ひやひやしていたのだ。
 『とんでもない!これからが本番さ。ちょっくら行ってくるわ!』
 無線でそう応じたのは、第2航空師団第58航空隊、通称アールヴ隊所属、橋本由紀保2尉だった。6機のF-2が一糸乱れぬ動きで南に向けて飛んでいく。が、よく見ると橋本機のキャノピーの後ろに銀髪の少女が馬乗りになっている。
 『では、ギムレーまでよろしく頼むのじゃ』
 『チップはずんでくれよ!お客さん!』
 巡航速度で飛行する戦闘機の背中でどうやって身体を固定し声を出しているのか、無線のヘッドセットに向けていうシグレに対して、橋本がノリ良く応じる。大丈夫なのかね、あれ。そのあまりにシュールな姿を見送る潮崎に他の感想はなかった。

 ギムレー基地は、ビフレスト島の中程。島の南北を隔てるスコル山脈の北側の麓の丘の上にある。元々伯国の砦があった所だが、中国から義勇軍が派遣されてくるにあたり、地球式の近代的な軍事基地として拡張、整備された。ビフレスト島における、伯国の軍事力と権威の象徴のひとつと言えた。さらに、今回のナーストレンド奪還作戦の拠点でもあった。今日までは。
 「シュレッダーしている時間は無い!書類は倉庫ごと焼き払うんだよ!持ちきれない武器弾薬は一カ所に集めて火をかけろ!間違ってもやつらに渡すなよ!」
 基地で留守番を預かっていた女性の中校が電話に向かって怒鳴る。基地は今や、夜逃げの準備と見まがう喧噪に包まれていた。いや、実際それは夜逃げだった。伯国軍の後詰めを勤めるはずだった軍勢が突然転進して攻撃をかけてきただけではない。ベネトナーシュ軍の航空隊と空挺部隊がそれを支援して、防御陣地や対空レーダー、外壁などを片っ端から破壊しているのだ。もはやここにとどまることは絶望的だ。
 「よもやここまで伯国が恨まれているとはね…」
 中校は忌々しげにつぶやく。外から敵が攻めてきているだけではない。基地内にも工作員が潜入して破壊工作を行っているらしく、基地内の通信網が遮断され、あちこちで停電が起こり、放火と思しい火の手がそこいら中で上がっている。その陰湿で徹底したやり方には、怨嗟や復讐の感情を感じずにはいられなかった。長年伯国の横暴と搾取に堪えてきた者たちの盛大な意趣返しというわけだ。
 「中校、これ以上支えきれません!」
 基地幕僚の一人が顔中に汗をかきながらいう。窓の外を見れば、F-2が投下した誘導爆弾で崩れた外壁の残骸を乗り越えて、敵の兵達が基地内に侵入してくる。警備兵達が95式自動歩槍の銃撃で応戦するが、多勢に無勢。槍で突かれ、馬蹄にかけられるのは時間の問題だった。味方が戻ってくるまで守り切るのは諦めるしかなさそうだ。
 「やむを得ん!予定を繰り上げて総員基地より撤退する!誰も残すなよ!」
 中校は、無線や拡声器、伝令まで総動員して基地の全員に撤退命令を周知させることを部下に命令した。
 「し…しかし、この状況では逃げたとしても後ろから撃たれるのでは…?」
 「大丈夫だろう。見なよ。見逃してくれるってさ、我々を」
 幕僚の言葉を、中校はぴしゃりと遮る。外をよく見ると、F-2も地上の敵軍勢も、防御陣地や対空防御施設、戦闘車両や攻撃ヘリ、そして抵抗する者たちには容赦のない攻撃を加えているが、武装していない車両や航空機、滑走路や格納庫には全く手をつけていない。基地の南側に向けて撤退する伯国兵たちを追撃する気もないようだ。つまり、逃げる者を追うつもりはないことになる。中校はここで死ぬつもりはなかった。国に残してきた息子が中学校に上がる姿を見ずに死ねるものか。その思いを生き延びる力に変えて、彼女は撤退の段取りを組み始めたのだった。

 話は時間を3時間ほど遡る。
 王立軍は、伯国に反旗を翻した抵抗軍を支援するため、ギムレーへと兵を進めていた。アールヴ隊のF-2計6機を水先案内人として、6機のF-4Jに護衛されたC-130輸送機3機が続く。
 『シグレ、見えてきた。あれが抵抗軍のようだな!』
 「ああ、間違いないぞ。なかなか善戦しておるようじゃな!」
 橋本の言葉にシグレが応じる。眼下では、伯国側からこちら側に寝返った軍勢が、まさにギムレー基地に攻撃をかけているところだった。ギムレー基地には当然のように中国人義勇兵たちが駐留しているから、近代兵器を相手に苦戦を強いられている可能性を心配したが、抵抗軍は組織的な妨害に合う様子もなく、むしろ積極的に投石器やバリスタといった武器で攻勢をかけているようだ。
 『じゃあ、高度を下げるぞ』
 「いや、それには及ばぬ。抵抗軍の大将を見つけた。われは話をつけてくるゆえ、貴官らは予定通り支援攻撃を頼むぞ」
 そういったシグレは、立ち上がると、F-2の機体の上から空に向かって身を躍らせる。アールヴ隊のパイロット達も、地上の抵抗軍の兵たちも一瞬ぎょっとしたが、シグレは高度100メートルほどで9本の尻尾を四方に広げる。すると、不思議なことにまるで下から風に吹きあげられたかのようにシグレは減速し、抵抗軍の本陣の正面にふわりと着地した。
 シグレの目的の人物は向こうからやってきた。
 「司祭様におかれましてはご機嫌麗しく」
 「よせよせ。昔のようにシグレお姉ちゃんでよいぞ」
 抵抗軍の指揮官であるニコラスの堅苦しい挨拶に、余計な気遣いは無用とばかりにシグレは答える。初老の大柄な男に、どう見ても中学生程度にしか見えない少女が年上風を吹かせる姿は奇妙なものに映った。
 「あの泣き虫なチビちゃんがすっかり立派になったのう」
 「シグレ...様。お戯れですよ...」
 ニコラスは顔を赤く染める。誰しも、自分が幼かったころのことに触れられるのは恥ずかしいものだ。
 「それよりも、今回は我らの連絡役をお引き受けいただき、感謝に絶えません。シグレ様ほどの方にお頼みするような仕事ではないのは重々承知しておりますが」
 「なんの、われは貴君の心意気が気に入ったのじゃ。横暴な伯国相手にひと暴れしてやろうとは、男らしく面白い話じゃからの」
 シグレがベネトナーシュ王国相手に届けた文とは、ニコラスたち、伯国に不満をもつ豪族や領主たちが密かに結成した抵抗軍が、ベネトナーシュ王立軍に助力を願う内容のものだった。あらかじめ示し合わせ、伯国軍がナーストレンド奪還作戦に向かった隙を突いて、ギムレーを制圧し、伯国軍の梯子を外す。
 「じゃが、伯国軍が戻ってくるまでにギムレーを制圧できなくばすべてが水の泡じゃ。大変なのはここからぞ」
 「承知しておりますとも」
 そう言って、ニコラスはにやりと策士然とした笑みを浮かべた。
 
 「おい、どこへ行く!?」「と、トイレであります!」「なんで当直の警備兵が応答しない!?」「わかりません!電話が不通です!」
 本来、ギムレー基地の防備が正常に機能していれば、4千程度の弓矢と槍で武装した軍勢など物の数ではないはずだった。だが、ニコラスが手間と時間をかけて基地に送り込んでいた潜入工作員の仕事は見事なものだった。昨日まで基地の事務員や給仕や守衛として働いていた者たちが一斉に正体を現し、思いつく限りの破壊、サボタージュ、欺罔工作を開始した。電話回線を切断し、やぐらの上の見張りを毒を塗った吹き矢でこっそり始末する。あちこちに放火がなされ、でたらめな状況報告や偽りの伝令が伝えられる。極めつけに兵たちの食事に下剤や睡眠薬が盛られ、外壁の門が開け放たれて敵を迎え入れられては、基地の機能は維持できない。組織的な防衛機能は見事に麻痺していた。
 王立軍のF-2が基地に対する攻撃を開始し、さらに日本人義勇兵の空挺部隊が降下して戦闘に参加するに及んで、伯国軍は基地を捨てて撤退することを選択せざるを得なかったのである。もとよりそれが王立軍の狙いでもあった。窮鼠猫を噛むということわざ通り、逃げ場をなくしたネズミは死にもの狂いで抵抗する。そうさせないためには逃げ道を与えてやるのだ。わざと車両や航空機を無傷のままで残した意図は、伯国軍にも伝わったらしい。ギムレー基地からは、無数の航空機や車両が、沈みゆく船から逃れるネズミさながら脱出していく。
 
 「伯国軍、航空機や車両で撤退して行きます」
 地上で基地制圧の支援をしていた空挺部隊の隊長から伝えられたことは、上空でエアカバーをするアールヴ隊にも確認できた。無数の輸送機や大型ヘリが我先にと飛び立ち、南の方向に撤退して行く。
 「シグレ、応答せよ。無事かい?」
 『ハシモトよ、われを誰だと思っておる?無事でない道理がない!』
 無線でシグレの元気な声を聴いた橋本はとりあえず安堵する。友人が無事でよかったと素直に思えたのだ。

 「なんと...なんということなのだ...」
 敵の追撃を逃れ、命からがら撤退してきたレオーネ率いる伯国軍の目の前にあったものは、敵の手に落ちたギムレー基地だった。伯国軍の旗は引きずり降ろされ、彼らを裏切った豪族や領主たちの旗が代わりに掲揚されている。基地の機能は撤退に際してかなり破壊されていったようだが、大型ヘリや輸送機によって兵装や物資が運び込まれ、新たな基地防衛機能が構築されているのがわかる。かつて自分たちの拠点だったものが、抵抗軍の拠点として機能し始めている。わざわざ島の北端まで出征して、結局なにも得るものがないまま撤退してきた伯国軍にとって、今のギムレーの光景は心折れるのに十分といえた。
 「これまでのようだな」
 レオーネは、深く息を吐くと、腰に帯びていたダガーの切っ先を自分ののどに当てる。こうなった以上悪あがきをすることは晩節を汚すと思えたからだ。
 「やめなさい!」
 だが、中国人義勇兵の上校に手首をつかまれる。
 「離せ!武人の本懐を遂げさせろ!」
 暴れるレオーネは、屈強な中国人義勇兵たちによって取り押さえられる。
 「われわれはまだ負けてはいません!全てに絶望して死にたいなら好きにすればいい!だが、まだ勝つ気があるなら必死で生きなさい!次の作戦はすでに計画されているのです!」
 上校の言葉に、レオーネは頭を叩かれた気がして、先ほどまでとは別の方向で腹をくくる。次の手があるならば、それに乗ってみるのも悪い話ではない。それが失敗して、いよいよ後がなくなったときに、改めて死を選べばいいのだ。自分は今死んだものと了解して、なすべきことをなせばいいのだと思うことにした。 

 2日後、ナーストレンド。
 ナーストレンド行政府の2つの大会議室をつなぐ扉を開け放ち、ちょっとしたパーティー会場とした場所で、戦勝を祝う宴が簡素にだが行われていた。ナーストレンド自慢の郷土料理と酒が振る舞われ、誰もが笑顔を向け合って勝利を喜ぶ。
 潮崎は比較的のんびり過ごしていた。なにせ、今回の戦いの立役者は陸軍と第2航空師団だ。自分はお手伝いをしていたものとして、わき役然と振る舞うことにする。それが一番めんどくさくないのだ。が...。
 「し...シオザキ殿...少しよろしいだろうか?」
 聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのはディーネだった。なかなかおめかししているな。潮崎はそう思う。青い肌に良く映える白いイブニングドレス。魔族特有の黒白目をうまく演出する化粧。人間離れした魔族であっても、素直に美しいと思えた。
 「これはディーネ閣下。今日はいつもにもましてお美しい」
 「そ...そうか?美しいか...?その、なんだ...危ういところを助けていただいたお礼をだな...」
 歯切れの悪い言葉に、潮崎の頭に?マークが浮かぶ。一体なんだというのか?
 「母は、助けていただいたお礼を申し上げたいのですよ。シオザキ様、わたくしはディーネの娘、ダリアです。母がいつもお世話になっています。以後お見知りおきを」
 潮崎は一瞬どこから声をかけられたかわからずきょろきょろする。だが、その声の主はディーネの背中から現れた。青い肌に黒白目、角、尻尾。明らかにディーネと親娘とわかる少女が、進み出てきた。なるほど、今回は子連れということかと、潮崎は理解する。
 「これは、お母さんに似て美人なお嬢さんですね。年はいくつかな?」
 「はい、ついこの間、129歳になりました」
 ダリアの返答に、一瞬潮崎は凍り付く。そして、周囲からの冷たい視線に気づく。ばか。彼女は魔族だぞ。その辺理解しろという無言の非難が突き刺さる。
 「まあその、なんだ...。世話になっているなどとんでもない。今回の作戦は、君のお母さまの力なくしては成立しなかったのですよ。ついでにいえば、ディーネ閣下が美人の女傑であったこともありがたいことだ。軍隊というのはむさ苦しい男所帯だからね。美しい女性が活躍したという話は、みんなの士気を上げるのに効果的だ」
 動揺を隠すように、潮崎はお世辞を並べる。とくかく女性はまず誉めることというのが彼の処世だった。
 「シオザキ殿、そのように持ち上げられては困ってしまうのだが...」
 「持ち上げているつもりなどありませんよ。ディーネ閣下」
 その言葉に、ディーネが意を決して言う。
 「その...ディーネでいい!閣下も敬称も不要だ!」
 「では、ディーネでよろしいか...?」
 潮崎には、自分よりはるかに年上で、場数も踏んでいるディーネがなぜこういう反応をするのかまるでわからなかった。
 「御年316歳の子持ちの未亡人でも、やはり女ってことね」
 「ば...ばか...!余計なこと言わなくていいのよ!生意気な!」
 親娘の間でそんなひそひそ話が聞こえた気がしたが、潮崎は聞かなかったことにする。なにやらめんどくさい予感がしたからだ。このあたりが潮崎の、というよりは世の中の多くの男という生き物の朴念仁なところと言えた。その場の出まかせで発したお世辞が、女をその気にさせてしまうことは少なからずある。まして命を助けられた男となれば、たちまちハートキャッチされてしまうことだってある。
 「お話中ですが、よろしいか?」
 とかけられた声の主はアイシアだった。今日は髪を下ろし、背中の翼と干渉しない、肩と背中が大きく開いたイブニングドレスに身を包んでいる。いつものギャルっぽさが抑えられ、なかなか上品だが艶っぽくまとまっていると思える。素が美人だからなおさらだ。
 「やあ、アイシア。」
 「こんばんわ、シオザキ二尉、そしてディーネ閣下。先の戦いではご活躍だったとか。ぜひお話を聞かせていただきたいんじゃぁ」
 張り切ってるな。と潮崎は感じる。なにせ、ベネトナーシュ王国政府公認のもと、義勇軍の協力でアイシアをDJとするラジオ局がもうすぐ開局され、ラジオ放送が始まる予定だ。ジャーナリスト魂がたぎるのだろう。
 「活躍といわれても、俺はいつも通り空を警戒していただけだしね。一番の立役者は早期警戒機を撃墜したディーネということになるな」
 「ほんとですか?ディーネ閣下、詳しく聞かせてつかあさい!」
 アイシアがメモを手に、目に星を浮かべんばかりの勢いでディーネに迫る。
 「そ...そういわれても、大したことをしたとも思えないが...。まあ、そうだな...。話すのはやぶかさではないよ」
 アイシアにしてみれば、女性の軍人が活躍したというニュースは花があっていいし、ディーネも自分の働きが多くの人に認められるのは悪い気分ではないようだ。けっこうじゃないかと潮崎は思う。
 「潮崎様、楽しんでらっしゃいますか?」
 聞きなれた声に「ん?」と振り返って、潮崎は凍り付く。そこにいたルナティシアは、一見柔らかく微笑んでいるように見えたが、目が全く笑っていなかったからだ。
 「ああ、姫殿下...。楽しんでますとも。なにせ戦勝祝いですから。」
 「それは良かったですわ」
 一見当たり障りのないルナティシアの言葉だが、潮崎は背筋になにか冷たいものを感じずにはいられなかった。むろん、潮崎とて、ルナティシアの隠れた不機嫌の理由がわからないほど朴念仁ではない。この後、潮崎はルナティシアのご機嫌をとるのに四苦八苦することとなるのであった。
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