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第一章
動く世界
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03
アリオト伯国は字義通りアリオト伯爵家が統治する国家である。
それなりの伝統がある国ではあるが、それゆえに官僚主義や情実人事が横行し、閉塞感に満たされている。今回もまた閉塞感を打破し、民衆の目を外に向けさせるためにベネトナーシュ王国に対し戦争をしかけた。が、戦果は芳しくない。それどころか、ベネトナーシュ王国が時空門を超えて異世界の軍に助力を願うことを阻止するのに失敗したばかりか、誤射により異世界の民たちを殺傷し、ニホンという国を敵に回してしまったという報告を受けた。
ベネトナーシュ王国の使節団に潜り込ませた間諜からの報告にアリオト政府首脳は戦々恐々とした。もし間諜の報告通りなら、ニホン軍が攻めてくればとても勝ち目はないからだ。そんなこともあり、異世界で、ニホン以外の国に助力を求めることが正規の手続きも踏まずに決定された。幸いにして、時空門はアリオト領内にもある。ニホンと敵対状態にある国を見つけ、国交を結ぶことができれば、うまくいけば、ニホンとその国を戦い合わせ、アリオトは何の損もせず美味しい所だけいただくことも可能かもしれない。
そんな欲得ずくの思いを持って、アリオトの使節は時空門を超えて派遣されることとなる。それがどんな結果を招くか、その時のアリオト首脳陣には知る由もなかった。
所変わって、こちらは地球。日本政府は壁際に追い詰められていた。異世界からの客人を粗略に扱うわけにはいかない。だが、軍事的な支援は問題外だ。日本は専守防衛を国是とする平和国家だ。他国から請われて兵を送ることなどできるはずがない。だが、異世界との文化的交流、異世界の資源や特殊な技術は値千金であるという事実も見逃せない...。ああでもないこうでもないと議論がなされるうち、時間だけが過ぎていった。
潮崎は複雑な状況に置かれていた。”ちび公”への独断での攻撃は自衛官として大いに問題だったが、直後に行われた”ちび公”のレーザー攻撃による死傷者の数、そして世間的なインパクトが強すぎ、新田原基地司令部も形式通り潮崎を罰していいものかどうか判断がつかなかったからだ。
そんなわけで、処分保留のまま無期限の自宅待機命令を食らっている潮崎は、ため撮りしたアニメやドラマ、積んでいたエロゲーなどを消化する作業にいそしんでいた。
”やだ...!恥ずかしいっ!我慢できないいい!見ないで見ないでえっ!”
「おお!いい!いいじゃないか!」
アダルトゲーム業界ではベテランで、大物の声優の迫真の演技が、潮崎のボルテージを否応なく高める。が...。
ピンポーン。官舎の無機質なインターホンの音で、ボルテージが一気に下がってしまう...。時計を見るともう22時だ。誰だこんな時間に...。いらだち気味に出迎えると、ドアの外にいたのはルナティシアだった。
『こんばんは。遅い時間に申し訳ありません。お休みでしたか?』
「いえ、まだ寝てはいなかったんですが...」
ルナティシアの言葉が、彼女が首に下げた自動翻訳機から日本語に変換されて伝えられる。短期間にここまで意思疎通がはかれるようになったのは、ルナティシアの言語魔法の恩恵と言えた。紙に言葉を描いて相手に見せれば、魔法の力でそれを自動的に翻訳する。つまり、すくなくとも筆談は可能ということになる。
もちろん、日本側もそれに甘えていたわけではなかった。筆談で意思疎通するうちに、文法や名詞、形容詞の意味がだんだんとわかるようになった。くわえて、日本中からかき集めた言語学者たちの不断の努力もあり、今やデジタル端末を用いれば、リアルタイムで会話が可能になっている。
ともあれ、潮崎にとっては遠い話でしかなかった。いや、遠い話だと思い込もうとしていたというべきか。ベネトナーシュ王国の窮状はわかるが、日本政府は、はいそうですかと軍事支援を行うほどお人よしでもない。もしできたとして、国際社会から反発を食らうことは必至だ。
つまり、ルナティシアの必死の訴えは日本政府に届かないことになる。胸にこたえない話でもない。ルナティシアは、新田原基地に降り立った初日、一枚のメモ(「JASDFー306」「SAVER」)を頼りに基地中潮崎を探し回った。そして、潮崎を見つけると、(筆談でだが)あるゆる感謝と称賛の言葉をあびせかけた。潮崎は(最初の独断専行は秘密として)任務に従っただけだと答えたが、ルナティシアの潮崎を見る目は、恋に盲目になっている乙女のそれだということは、基地全体の一致した意見だった。潮崎自身も、これほど美しい女に好意を抱かれるのは悪い気持ちじゃない。だが、いきさつがいきさつだけに、素直に好意を受け取れないのも確かだった。まして、女一人のために勝手に戦いにいく権限など、自分にありはしない。
『今宵伺ったのは、命を救っていただいたお礼を改めて申し上げるため。そして、今一度、わが祖国をお救い下さるようお願いするためです』
そういったルナティシアは、侍従を帰らせると、カーテンを開け、満月の光を浴びる。うなじに手を廻してボタンを外し、そのままノースリーブのドレスをすとんと体から抜いてしまう。潮崎は息をのむ。ドレスの下は、宝石すら身に着けていない、生まれたままの姿だった。いつも美しく着飾っているルナティシアからは信じられない姿だ。金髪が、白い肌が月に映えてとても幻想的だ。
『わたくしの気持ちも、お察し下さいな...』
そういったルナティシアがゆっくりと近づいて、身を寄せてくる。心臓が早鐘を打つ。こんないい女、この先の人生で二度と出会えないだろう。潮崎は思わずルナティシアを抱きしめそうになるが...。
そこで潮崎になにかがフラッシュバックする。親父の再婚相手の子供。つまり腹違いの妹。スウェーデン人だった母親から受け継いだブラウンブロンドの髪を持つ、年の離れた妹。そういえば、髪を下すとすごくエキゾチックな美人なのに、手入れが面倒だからといつもみつあみのおでこスタイルにしていたっけ。やんちゃだがかわいい妹だったが、あの日、海がノアの洪水のように全てを呑み込んだ日に...。
なんだ、と潮崎は思う。自分が命令無視まで犯してルナティシアを助けたのも、いまルナティシアを気にかけているのも、腹違いの妹、ゆかりのイメージにルナティシアが重なってしまっただけじゃないか。
「申し訳ないけど、受け取れません」
身を寄せてくるルナティシアを手で制する。そして潮崎は、自分には請われたからと言って、勝手に戦いにいく権限はないこと、日本という国は、他国の戦争に関わることを良しとしない国だということを丁寧に説いた。ルナティシアは大人しくそれを聞いていた。潮崎にとっては不本意な話ではあったが。
『わかりました。でもわたくしは諦めません。諦めの悪い女ですもの』
立ち去り際のルナティシアの言葉に、おのれの言行不一致を見透かされたようで、後味の悪い気分が残った。
04
日向灘海上の戦闘から2週間。事態は突然日本政府の思いもしない方向へと流れていく。簡潔に言えば、日本とは別に、世界の6か所に新たに開いた時空門(あちらではそう呼ぶらしい)から、全く別々の国家の使節が現れた。しかも、これまた全く別々の地球の国家に軍事的な助力を乞うてきたのだった。
具体的に言うと、すでにベネトナーシュ王国が接触していた日本の他は、アメリカ、ロシア、中国、EU、南米、AUだった。世界の首脳たちは大いに困惑した。条件さえ折り合えば異世界に軍を送るのもやぶさかではない。が、派遣した軍が相手にするのは現地の敵の軍隊だけではない。他の国が同じように軍を送っていた場合、地球の独立国同士の戦いになってしまう。それを世間では戦争という。そして、人の口に戸は立たないもので、各国政府が異世界の使節をもてあましているという噂は、たちまちマスコミの知るところとなる。
いくつかの国は、偵察名目で小規模な航空隊を時空門に送り込むことも試みた。だが、GPSや地上からの情報支援がない状況でのフライトは事故が多発。現時点での組織的な派兵は困難という結論に達した。なにせ、この時空門が曲者なのだ。常に地上1000メートルの高さにある上に、どういうわけか海や大きな湖、川など水の上にしか出現しない。これでは陸路や海路で安全に人を送ることは不可能だ
結局、国レベルでは判断は困難とされ、話は国連総会に預けられることとなるのである。
だが、結局国連総会においても議論は百出で結論は容易には出なかった。まあいつものことではあるのだが。
「一番いいのは国連軍を送り込んで平和維持活動を行うことだろう?」
「馬鹿言っちゃいけない。あちらは戦国時代と聞いたぞ。暫定的な主権すらなく、分裂状態なんだ。国連軍を送り込んだら結局誰かの味方をして、誰かの敵になってしまう」
イギリス大使の優等生な物言いを、アメリカ大使がたしなめる。
「そうとも、国連軍とは平和を回復するための存在だ。万一戦争を泥沼化させることがあっては本末転倒だよ」
中国大使が椅子に寄りかかりつつ相手をする。
「ではどうする?何もせず彼らを見捨てるのか?それとも、各国の自己責任で勝手に向うに派兵するのを認めるか?さぞかしひどいことになるぞ?」
「落ち着き給え、どっちも嫌だからこうして我々が話し合ってるわけだから」
ロシア大使とフランス大使の問答はほとんど口論の様相だった。
「あなた方にとっては、あちらの資源や利権を得るために冒険するのも一つの手かも知れんが、我々にとってはねえ...」
「大体、皆さん異世界のことに目を奪われ、足元のことをお忘れのようだ。あちらに派兵なんかして軍事的な空白ができたら。いろいろ困ったことにならないかね?アフガンとかシリアとか、チェチェンとかチベットとかね」
ナイジェリア大使とブラジル大使の物言いに、総会のあちこちから忍び笑いが上がる。大国にとっては痛いところを突かれた言葉だった。欲をかいて戦線を拡大し、気が付いたら自前の軍事力では手に負えない泥沼に足を取られていたというのはよくある話だ。戦う気がない自分たちを巻き込むなという物言いはもっともだった。
「日本大使、先ほどから一言も口をきかれないが、異世界の国と最初に接触したのは貴国だ。忌憚のない意見をお願いしたいが?」
議論が揚げ足の取り合いになるのを危惧したのか、インド大使が話を振る。
「えー、我が国としては、いかなる理由があろうと異世界に正規の軍隊を送ることは反対です」
日本大使はそれだけ言うのがやっとだった。ただでさえ、空自のF-15Jが異世界の飛行船を撃墜したことは、内外でパッシングの対象になっているのだ。光学兵器によってリゾートマンションが破壊され多数の死傷者が出たことも報道はされたが、人は信じたいように信じるもの。日本政府は異世界に軍事介入をしたがっているのではないかという憶測が飛び交っている。うかつなことは言えなかった。いや、うかつでない言葉さえ、現状では曲解されて非難の対象にされかねないのが今の日本の立場だった。
「正規の軍隊か...」
「正規の軍ねえ...」
が、突然各国大使がわが意を得たりとばかりに考え込み、互いに顔を見合わせ始める。
なんだ、自分はなにかまずいことを言ったか?日本大使は全身から汗が噴き出すのを感じた。
結局、この日本大使の発言をきっかけに、しばらくの休会の後、総会で急転直下、異世界に対する軍事行動に関する決議が賛成圧倒的多数で可決されることとなる。
内容は極めて単純。「いかなる国家も、異世界に正規の軍隊を派遣することは認められない。」というものだった。
当然のようにこの決議は世界中に驚きを持って受け入れられることになる。国連が珍しく仕事をした。普段国連に反抗的な国も、どういうわけか決議に賛成していた。とりあえずそれはめでたい。しかしそうなると、助力を求めてきた異世界の使節たちの立場はどうなる?彼らを見捨てるのか?
それらの疑問に対する答えは、すでに水面下で準備されようとしていた。
05
国連総会から約1か月後 201X年3月28日
カナダはバンクーバー。臨時のG20サミットは、どこぞの秘密結社の極秘の集会かと思うような重苦しい雰囲気に包まれていた。照明が暗めに抑えられ、ぱっと見た印象は新世紀エヴァンゲリオンに登場する秘密組織の会議にも見えた。
「皆さん。この議題は一度しか決をとらない。そして全会一致制です。もし否決となれば、二度とこの話はなしだ。そこを踏まえて、それぞれ決断を下していただきたい」
いつものG20参加国に加えて、中東とアフリカのゲスト国をいくつか交えた面々が、居並ぶ。議長は今回はトルコ代表だ。みなそれぞれ、互いに目を合わせようともせず、渋顔で議題が書かれたレジュメに目を落としたり、腕組みして天井を仰いだりしている。
無理もない。議題が議題なのだ。
「異世界における、地球の武装民間人の戦闘に関する条約」
おおまかな内容は、異世界において、地球出身の武装した民間人、もしくは民間企業同士の戦闘が発生した場合、それはあくまで一個人、一企業の責任であり、各国政府に軍事行動の責任は発生しない。というものだ。もちろん異世界で民間人が無制限に戦闘を行うことを認めるわけにはいかない。軍事行動や犯罪とされないのは、異世界の国家から依頼を受けた行動の範囲において、という制限はつく。
そうだとしても、ずいぶん乱暴なことを認める内容であることに変わりはない。要するに正規の軍隊でなく、義勇軍であれば派兵してかまわないという話なのだ。そして、第2次大戦におけるフライングタイガース、朝鮮戦争における中国義勇軍の例を挙げるまでもなく、義勇軍とは軍事介入をごまかすための方便でしかない。結局は正規の軍隊が、偽りの制服を着て不実の旗を掲げて戦っているにすぎないのだ。
だが一方で、誰しも自国に助けを求めてきた国を見殺しにはできないという思いもある。もし、地球から何らかの介入がされるとすれば、それは”せーの”で異世界全体に、同時にまんべんなく行われる必要がある。万が一異世界の国の一つだけが地球の軍事力を手にしたらどうなるか。そこで起きることは戦闘ではなく一方的な虐殺。そして、虐殺した側も大きな恨みを買い、ベトナム戦争のような、軍事介入とゲリラ戦の応酬という最悪のスパイラルに陥る危険がある。
そのような事態を防ぎ、出来れば武力の均衡の上に成り立つ平和という状態を作り出すためには、地球の各国から同時に、異世界全体の各陣営に義勇兵が派遣されるという話は悪いものではない。健全な平和とは言えないが、戦国時代よりはましといえなくもない。
とはいえ、理屈は理屈だった。義勇軍となれば当然国家のシビリアンコントロールを離れることになるから、返って異世界の戦いの火種になる危険は当然予測された。まして、この会議に列席している人間の大半は所帯持ちで子供もいる。軍人の配偶者や兄弟姉妹、子供を持つものだって多い。自分の家族に、異世界まで行って戦争をして来いといえるだろうか。
このように、多くの列席者に取ってこの議題は簡単なものではなかった。しかし、議長は議論は尽くされたとばかりに決を採る。
「ではこの議題、「異世界における、地球の武装民間人の戦闘に関する条約」に賛成の方はご起立を願います」
列席者の反応は早くはなかった。みなため息をついたり舌打ちをしたりしながら重々しく起立していく。一番最後まで座ったままだったのは、日本代表と南アフリカ代表だった。二人ともすでに腹は決まっている。が、どうしても腰を上げることができないのだ。
「日本、南アフリカ両代表。くどいようだがこの会議は全会一致だ。おわかりですな?」
議長が鋭い視線を二人に向けながら言う。日本代表は、陸上自衛隊の西部方面普通科連隊に所属する、年の離れたいとこのことが頭から離れなかった。戦争となれば、いとこも義勇兵として戦うことになるかもしれない。だが、それでも、今の自分は国益を代表する立場にある。その理屈を免罪符として、日本代表は南アフリカ代表とほぼ同時に起立した。
「全会一致と認めます」
こうして、正規の軍隊でなく義勇軍という立場であるなら異世界に派兵を行っても差し支えないことが、多国間条約によって決定されてしまったのである。それはおそらく、地球にとっても異世界にとっても二度と引き返せない道だった。
そして、条約が締結された後の各国の動きは早かった。議会でなりふり構わず多数派工作を行って条約を批准し、さらに対内的に義勇軍の編成、派遣を合法化する各種の法律が矢継ぎ早に成立していった。当然のようにマスコミや野党からの非難は激しかった。だが、地球で相変わらず異世界の人間同士の戦闘が散発的に発生し、さらには異世界から難民や亡命希望者までがたびたび押しかけてくる状況では、異世界の戦争をなんとかしないかぎり地球にも安全はないと多くの人間が了解せざるを得なかったのである。
アリオト伯国は字義通りアリオト伯爵家が統治する国家である。
それなりの伝統がある国ではあるが、それゆえに官僚主義や情実人事が横行し、閉塞感に満たされている。今回もまた閉塞感を打破し、民衆の目を外に向けさせるためにベネトナーシュ王国に対し戦争をしかけた。が、戦果は芳しくない。それどころか、ベネトナーシュ王国が時空門を超えて異世界の軍に助力を願うことを阻止するのに失敗したばかりか、誤射により異世界の民たちを殺傷し、ニホンという国を敵に回してしまったという報告を受けた。
ベネトナーシュ王国の使節団に潜り込ませた間諜からの報告にアリオト政府首脳は戦々恐々とした。もし間諜の報告通りなら、ニホン軍が攻めてくればとても勝ち目はないからだ。そんなこともあり、異世界で、ニホン以外の国に助力を求めることが正規の手続きも踏まずに決定された。幸いにして、時空門はアリオト領内にもある。ニホンと敵対状態にある国を見つけ、国交を結ぶことができれば、うまくいけば、ニホンとその国を戦い合わせ、アリオトは何の損もせず美味しい所だけいただくことも可能かもしれない。
そんな欲得ずくの思いを持って、アリオトの使節は時空門を超えて派遣されることとなる。それがどんな結果を招くか、その時のアリオト首脳陣には知る由もなかった。
所変わって、こちらは地球。日本政府は壁際に追い詰められていた。異世界からの客人を粗略に扱うわけにはいかない。だが、軍事的な支援は問題外だ。日本は専守防衛を国是とする平和国家だ。他国から請われて兵を送ることなどできるはずがない。だが、異世界との文化的交流、異世界の資源や特殊な技術は値千金であるという事実も見逃せない...。ああでもないこうでもないと議論がなされるうち、時間だけが過ぎていった。
潮崎は複雑な状況に置かれていた。”ちび公”への独断での攻撃は自衛官として大いに問題だったが、直後に行われた”ちび公”のレーザー攻撃による死傷者の数、そして世間的なインパクトが強すぎ、新田原基地司令部も形式通り潮崎を罰していいものかどうか判断がつかなかったからだ。
そんなわけで、処分保留のまま無期限の自宅待機命令を食らっている潮崎は、ため撮りしたアニメやドラマ、積んでいたエロゲーなどを消化する作業にいそしんでいた。
”やだ...!恥ずかしいっ!我慢できないいい!見ないで見ないでえっ!”
「おお!いい!いいじゃないか!」
アダルトゲーム業界ではベテランで、大物の声優の迫真の演技が、潮崎のボルテージを否応なく高める。が...。
ピンポーン。官舎の無機質なインターホンの音で、ボルテージが一気に下がってしまう...。時計を見るともう22時だ。誰だこんな時間に...。いらだち気味に出迎えると、ドアの外にいたのはルナティシアだった。
『こんばんは。遅い時間に申し訳ありません。お休みでしたか?』
「いえ、まだ寝てはいなかったんですが...」
ルナティシアの言葉が、彼女が首に下げた自動翻訳機から日本語に変換されて伝えられる。短期間にここまで意思疎通がはかれるようになったのは、ルナティシアの言語魔法の恩恵と言えた。紙に言葉を描いて相手に見せれば、魔法の力でそれを自動的に翻訳する。つまり、すくなくとも筆談は可能ということになる。
もちろん、日本側もそれに甘えていたわけではなかった。筆談で意思疎通するうちに、文法や名詞、形容詞の意味がだんだんとわかるようになった。くわえて、日本中からかき集めた言語学者たちの不断の努力もあり、今やデジタル端末を用いれば、リアルタイムで会話が可能になっている。
ともあれ、潮崎にとっては遠い話でしかなかった。いや、遠い話だと思い込もうとしていたというべきか。ベネトナーシュ王国の窮状はわかるが、日本政府は、はいそうですかと軍事支援を行うほどお人よしでもない。もしできたとして、国際社会から反発を食らうことは必至だ。
つまり、ルナティシアの必死の訴えは日本政府に届かないことになる。胸にこたえない話でもない。ルナティシアは、新田原基地に降り立った初日、一枚のメモ(「JASDFー306」「SAVER」)を頼りに基地中潮崎を探し回った。そして、潮崎を見つけると、(筆談でだが)あるゆる感謝と称賛の言葉をあびせかけた。潮崎は(最初の独断専行は秘密として)任務に従っただけだと答えたが、ルナティシアの潮崎を見る目は、恋に盲目になっている乙女のそれだということは、基地全体の一致した意見だった。潮崎自身も、これほど美しい女に好意を抱かれるのは悪い気持ちじゃない。だが、いきさつがいきさつだけに、素直に好意を受け取れないのも確かだった。まして、女一人のために勝手に戦いにいく権限など、自分にありはしない。
『今宵伺ったのは、命を救っていただいたお礼を改めて申し上げるため。そして、今一度、わが祖国をお救い下さるようお願いするためです』
そういったルナティシアは、侍従を帰らせると、カーテンを開け、満月の光を浴びる。うなじに手を廻してボタンを外し、そのままノースリーブのドレスをすとんと体から抜いてしまう。潮崎は息をのむ。ドレスの下は、宝石すら身に着けていない、生まれたままの姿だった。いつも美しく着飾っているルナティシアからは信じられない姿だ。金髪が、白い肌が月に映えてとても幻想的だ。
『わたくしの気持ちも、お察し下さいな...』
そういったルナティシアがゆっくりと近づいて、身を寄せてくる。心臓が早鐘を打つ。こんないい女、この先の人生で二度と出会えないだろう。潮崎は思わずルナティシアを抱きしめそうになるが...。
そこで潮崎になにかがフラッシュバックする。親父の再婚相手の子供。つまり腹違いの妹。スウェーデン人だった母親から受け継いだブラウンブロンドの髪を持つ、年の離れた妹。そういえば、髪を下すとすごくエキゾチックな美人なのに、手入れが面倒だからといつもみつあみのおでこスタイルにしていたっけ。やんちゃだがかわいい妹だったが、あの日、海がノアの洪水のように全てを呑み込んだ日に...。
なんだ、と潮崎は思う。自分が命令無視まで犯してルナティシアを助けたのも、いまルナティシアを気にかけているのも、腹違いの妹、ゆかりのイメージにルナティシアが重なってしまっただけじゃないか。
「申し訳ないけど、受け取れません」
身を寄せてくるルナティシアを手で制する。そして潮崎は、自分には請われたからと言って、勝手に戦いにいく権限はないこと、日本という国は、他国の戦争に関わることを良しとしない国だということを丁寧に説いた。ルナティシアは大人しくそれを聞いていた。潮崎にとっては不本意な話ではあったが。
『わかりました。でもわたくしは諦めません。諦めの悪い女ですもの』
立ち去り際のルナティシアの言葉に、おのれの言行不一致を見透かされたようで、後味の悪い気分が残った。
04
日向灘海上の戦闘から2週間。事態は突然日本政府の思いもしない方向へと流れていく。簡潔に言えば、日本とは別に、世界の6か所に新たに開いた時空門(あちらではそう呼ぶらしい)から、全く別々の国家の使節が現れた。しかも、これまた全く別々の地球の国家に軍事的な助力を乞うてきたのだった。
具体的に言うと、すでにベネトナーシュ王国が接触していた日本の他は、アメリカ、ロシア、中国、EU、南米、AUだった。世界の首脳たちは大いに困惑した。条件さえ折り合えば異世界に軍を送るのもやぶさかではない。が、派遣した軍が相手にするのは現地の敵の軍隊だけではない。他の国が同じように軍を送っていた場合、地球の独立国同士の戦いになってしまう。それを世間では戦争という。そして、人の口に戸は立たないもので、各国政府が異世界の使節をもてあましているという噂は、たちまちマスコミの知るところとなる。
いくつかの国は、偵察名目で小規模な航空隊を時空門に送り込むことも試みた。だが、GPSや地上からの情報支援がない状況でのフライトは事故が多発。現時点での組織的な派兵は困難という結論に達した。なにせ、この時空門が曲者なのだ。常に地上1000メートルの高さにある上に、どういうわけか海や大きな湖、川など水の上にしか出現しない。これでは陸路や海路で安全に人を送ることは不可能だ
結局、国レベルでは判断は困難とされ、話は国連総会に預けられることとなるのである。
だが、結局国連総会においても議論は百出で結論は容易には出なかった。まあいつものことではあるのだが。
「一番いいのは国連軍を送り込んで平和維持活動を行うことだろう?」
「馬鹿言っちゃいけない。あちらは戦国時代と聞いたぞ。暫定的な主権すらなく、分裂状態なんだ。国連軍を送り込んだら結局誰かの味方をして、誰かの敵になってしまう」
イギリス大使の優等生な物言いを、アメリカ大使がたしなめる。
「そうとも、国連軍とは平和を回復するための存在だ。万一戦争を泥沼化させることがあっては本末転倒だよ」
中国大使が椅子に寄りかかりつつ相手をする。
「ではどうする?何もせず彼らを見捨てるのか?それとも、各国の自己責任で勝手に向うに派兵するのを認めるか?さぞかしひどいことになるぞ?」
「落ち着き給え、どっちも嫌だからこうして我々が話し合ってるわけだから」
ロシア大使とフランス大使の問答はほとんど口論の様相だった。
「あなた方にとっては、あちらの資源や利権を得るために冒険するのも一つの手かも知れんが、我々にとってはねえ...」
「大体、皆さん異世界のことに目を奪われ、足元のことをお忘れのようだ。あちらに派兵なんかして軍事的な空白ができたら。いろいろ困ったことにならないかね?アフガンとかシリアとか、チェチェンとかチベットとかね」
ナイジェリア大使とブラジル大使の物言いに、総会のあちこちから忍び笑いが上がる。大国にとっては痛いところを突かれた言葉だった。欲をかいて戦線を拡大し、気が付いたら自前の軍事力では手に負えない泥沼に足を取られていたというのはよくある話だ。戦う気がない自分たちを巻き込むなという物言いはもっともだった。
「日本大使、先ほどから一言も口をきかれないが、異世界の国と最初に接触したのは貴国だ。忌憚のない意見をお願いしたいが?」
議論が揚げ足の取り合いになるのを危惧したのか、インド大使が話を振る。
「えー、我が国としては、いかなる理由があろうと異世界に正規の軍隊を送ることは反対です」
日本大使はそれだけ言うのがやっとだった。ただでさえ、空自のF-15Jが異世界の飛行船を撃墜したことは、内外でパッシングの対象になっているのだ。光学兵器によってリゾートマンションが破壊され多数の死傷者が出たことも報道はされたが、人は信じたいように信じるもの。日本政府は異世界に軍事介入をしたがっているのではないかという憶測が飛び交っている。うかつなことは言えなかった。いや、うかつでない言葉さえ、現状では曲解されて非難の対象にされかねないのが今の日本の立場だった。
「正規の軍隊か...」
「正規の軍ねえ...」
が、突然各国大使がわが意を得たりとばかりに考え込み、互いに顔を見合わせ始める。
なんだ、自分はなにかまずいことを言ったか?日本大使は全身から汗が噴き出すのを感じた。
結局、この日本大使の発言をきっかけに、しばらくの休会の後、総会で急転直下、異世界に対する軍事行動に関する決議が賛成圧倒的多数で可決されることとなる。
内容は極めて単純。「いかなる国家も、異世界に正規の軍隊を派遣することは認められない。」というものだった。
当然のようにこの決議は世界中に驚きを持って受け入れられることになる。国連が珍しく仕事をした。普段国連に反抗的な国も、どういうわけか決議に賛成していた。とりあえずそれはめでたい。しかしそうなると、助力を求めてきた異世界の使節たちの立場はどうなる?彼らを見捨てるのか?
それらの疑問に対する答えは、すでに水面下で準備されようとしていた。
05
国連総会から約1か月後 201X年3月28日
カナダはバンクーバー。臨時のG20サミットは、どこぞの秘密結社の極秘の集会かと思うような重苦しい雰囲気に包まれていた。照明が暗めに抑えられ、ぱっと見た印象は新世紀エヴァンゲリオンに登場する秘密組織の会議にも見えた。
「皆さん。この議題は一度しか決をとらない。そして全会一致制です。もし否決となれば、二度とこの話はなしだ。そこを踏まえて、それぞれ決断を下していただきたい」
いつものG20参加国に加えて、中東とアフリカのゲスト国をいくつか交えた面々が、居並ぶ。議長は今回はトルコ代表だ。みなそれぞれ、互いに目を合わせようともせず、渋顔で議題が書かれたレジュメに目を落としたり、腕組みして天井を仰いだりしている。
無理もない。議題が議題なのだ。
「異世界における、地球の武装民間人の戦闘に関する条約」
おおまかな内容は、異世界において、地球出身の武装した民間人、もしくは民間企業同士の戦闘が発生した場合、それはあくまで一個人、一企業の責任であり、各国政府に軍事行動の責任は発生しない。というものだ。もちろん異世界で民間人が無制限に戦闘を行うことを認めるわけにはいかない。軍事行動や犯罪とされないのは、異世界の国家から依頼を受けた行動の範囲において、という制限はつく。
そうだとしても、ずいぶん乱暴なことを認める内容であることに変わりはない。要するに正規の軍隊でなく、義勇軍であれば派兵してかまわないという話なのだ。そして、第2次大戦におけるフライングタイガース、朝鮮戦争における中国義勇軍の例を挙げるまでもなく、義勇軍とは軍事介入をごまかすための方便でしかない。結局は正規の軍隊が、偽りの制服を着て不実の旗を掲げて戦っているにすぎないのだ。
だが一方で、誰しも自国に助けを求めてきた国を見殺しにはできないという思いもある。もし、地球から何らかの介入がされるとすれば、それは”せーの”で異世界全体に、同時にまんべんなく行われる必要がある。万が一異世界の国の一つだけが地球の軍事力を手にしたらどうなるか。そこで起きることは戦闘ではなく一方的な虐殺。そして、虐殺した側も大きな恨みを買い、ベトナム戦争のような、軍事介入とゲリラ戦の応酬という最悪のスパイラルに陥る危険がある。
そのような事態を防ぎ、出来れば武力の均衡の上に成り立つ平和という状態を作り出すためには、地球の各国から同時に、異世界全体の各陣営に義勇兵が派遣されるという話は悪いものではない。健全な平和とは言えないが、戦国時代よりはましといえなくもない。
とはいえ、理屈は理屈だった。義勇軍となれば当然国家のシビリアンコントロールを離れることになるから、返って異世界の戦いの火種になる危険は当然予測された。まして、この会議に列席している人間の大半は所帯持ちで子供もいる。軍人の配偶者や兄弟姉妹、子供を持つものだって多い。自分の家族に、異世界まで行って戦争をして来いといえるだろうか。
このように、多くの列席者に取ってこの議題は簡単なものではなかった。しかし、議長は議論は尽くされたとばかりに決を採る。
「ではこの議題、「異世界における、地球の武装民間人の戦闘に関する条約」に賛成の方はご起立を願います」
列席者の反応は早くはなかった。みなため息をついたり舌打ちをしたりしながら重々しく起立していく。一番最後まで座ったままだったのは、日本代表と南アフリカ代表だった。二人ともすでに腹は決まっている。が、どうしても腰を上げることができないのだ。
「日本、南アフリカ両代表。くどいようだがこの会議は全会一致だ。おわかりですな?」
議長が鋭い視線を二人に向けながら言う。日本代表は、陸上自衛隊の西部方面普通科連隊に所属する、年の離れたいとこのことが頭から離れなかった。戦争となれば、いとこも義勇兵として戦うことになるかもしれない。だが、それでも、今の自分は国益を代表する立場にある。その理屈を免罪符として、日本代表は南アフリカ代表とほぼ同時に起立した。
「全会一致と認めます」
こうして、正規の軍隊でなく義勇軍という立場であるなら異世界に派兵を行っても差し支えないことが、多国間条約によって決定されてしまったのである。それはおそらく、地球にとっても異世界にとっても二度と引き返せない道だった。
そして、条約が締結された後の各国の動きは早かった。議会でなりふり構わず多数派工作を行って条約を批准し、さらに対内的に義勇軍の編成、派遣を合法化する各種の法律が矢継ぎ早に成立していった。当然のようにマスコミや野党からの非難は激しかった。だが、地球で相変わらず異世界の人間同士の戦闘が散発的に発生し、さらには異世界から難民や亡命希望者までがたびたび押しかけてくる状況では、異世界の戦争をなんとかしないかぎり地球にも安全はないと多くの人間が了解せざるを得なかったのである。
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