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04 ただの昔なじみのはずが
資源の確保も楽じゃない
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03
王都郊外。財務省資源局。
貴金属精錬所。
「うわ、暑い!」
「だから申し上げました。暑いから覚悟しておくようにと」
分厚い混合繊維の作業服に作業靴を履き、革手袋をして、フードとマスクで顔をすっぽりと覆い、ガラスのゴーグルを身につけた男女がそんなやりとりをする。
さながら危険な病原体を取り扱う医者か科学者が、防護服を着ているかのような姿だ。
誰だかわからないが、アレクサンダーとイレーヌだ。
資源局の精錬所に立ち入るときは、この防護服を着る規則になっている。
胸に下げている身分証がなければ、誰だが誰だか全くわからない。
「そこのあなた!袖を下ろしなさい!
親方、指導がなっていないわよ!」
イレーヌが規定に違反して袖をまくっている作業員がいるのに気づいて、大声で注意する。
「これはイレーヌ閣下。
申し訳ありません。おいお前、袖を下ろせ!危ないのは知ってるだろ!」
親方の怒号に、作業員は渋々袖を下ろす。
別段イレーヌも親方も、意地悪で言っているわけではない。
大仰な作業服もはったりではないのだ。
ここは毒性のあるものを扱っている。釜から立ち上る煙は、目や口はもちろん、皮膚から吸収されても充分危険なのだ。
「みんな大変ですね。ゴーグルは曇るし、息はしにくいし」
「薬害で苦しむのが嫌なら仕方ないのですよ」
アレクサンダーは、みんなよくこんな環境で働けるなと辟易している。
「所長、イレーヌ・ヴェルメール財務卿補佐以下一名、視察をさせて頂きます」
「よくいらっしゃいました。光栄であります。
ただ、視察は案内する者の指示に従って頂きます。
危険ですからね、ここは」
「もちろんです。承知しています」
イレーヌは精錬所所長と二三言葉を交わし、精錬所の奥に入っていく。
置くには巨大な釜と炉がいくつも稼働していた。暑くて当然だ。金属が溶ける温度を出しているのだから。
「しかし、彼らは何をしているのです?」
「うーん、錬金術…かしら?」
イレーヌはそう答える。
どう説明したものか難しかったのだ。
この精錬所で行われていることは、金と銀の精製だ。
方法としては、いわゆる灰吹法だ。
金銀を鉱石の状態のまま熱した鉛に溶かし、それをキューペル(骨灰、セメント、酸化マグネシウムなどで作られた皿)に乗せて高温に加熱する。そこにさらにたたらを用いて空気を送る。
そうすると、鉛はキューペルに吸収され、跡には金銀だけが残るというわけだ。
液体の状態の金属は表面張力が高いが、酸化鉛は表面張力が減少するためキューペルに染みこんでしまい、風を送る程度では酸化することのない金銀はそのまま残る。
(成功のようですわね)
イレーヌは、温度が下がったキューペルから、作業員たちが慎重に金銀を採取していく姿に満足する。
前世、ネットで見た灰吹法のやり方はうろ覚えだったが、なんとかなったらしい。
これまた歴女であったイレーヌの知識が、王国に貢献した形だった。
これまで王国では、砂金を手作業で集めたり、鉱石をハンマーで割って金銀を採掘するやり方が普通だった。
手間がかかるし、細かい金銀はやすりクズとして捨てられてしまう。
金銀が不足気味の王国にはより効率的な精錬が求められた。
灰吹法はそれを解決した。
イレーヌの知る歴史では、灰吹法は中国または朝鮮半島で考案され、日本にも戦国時代に伝わったとされる。
戦国大名、大内氏は、日明貿易でもたらされたこの製法で石見銀山から効率よく銀を採掘。多額の財源を確保することができた。
大内氏の内乱で亡命した技術者たちによって、灰吹法は日本中に拡散。それまで大して有望な鉱脈でなかった甲州金山や佐渡金山を、宝の山に変えるのに貢献したという。
「銅と金銀を分離もできますしね」
また、銅から混じり物である金銀を取り出すのにも応用される。
日本と大陸の貿易では、歴史的に銅が割高で輸出されていた。
大陸では灰吹法によって、銅から金銀を分離できたが日本では戦国時代まで不可能だった。
日本の銅は少なくない銀を含有していたため、銅としては高いが銀としては安い値段で買うことで利益を得ていたというわけだ。
「なるほど、それで銅山であるはずのシュナイダー鉱山に白羽の矢が立ったわけですな」
アレクサンダーが得心する。
知識としてだけなら、銅山からかなりの確率で金銀も出ることは知っていた。
だが、銅と金銀を分離するという発想は、長く生きている彼にもなかったのだ。
ついでに、財務省が自分の故郷から鉛や骨灰をそれなりのに値で買い付けたのも納得する。
「調査した甲斐がありましたわ。シュナイダー鉱山の銅は、かなりの金銀を含んでいることが判明したのです。
このまま行けば、金銀はすぐに目標額まで調達できましょう。
ついでに銅も手に入るから一石二鳥です」
「確かに、貨幣の改鋳を行うなら金貨銀貨だけでなく銅貨も増やさなくては」
金貨銀貨だけが改鋳されて銅貨の価値が上がってしまうと、それは市井の流通と経済を直撃する危険があった。
ただし銅貨は質を落とすのが容易でないため、原料である銅の増産が急務だったのだ。
灰吹法はその点までも解決してくれたのだ。
金銀と銅を同じ釜で精製できるのは、燃料と時間と労力の大きな節約となった。
欠点として、大量の鉛を高温に熱するため、危険であるとともに薬害に注意しなければならないことがある。
イレーヌもそこは心得ていた。
分厚い防護服、手袋、フード、マスク、ゴーグルの着用を徹底させる。
少しでも体調の悪い者は作業から外す。
一日の作業量を制限する。
などの措置が取られる。
(誰かの犠牲の上に謳歌される繁栄は長続きしない)
前世の歴女の記憶が、イレーヌにそう囁いていたのだ。
かつて大英帝国は、植民地に差別とブラック労働を押しつけることで栄華を極めた。
結果は言うまでもない。
イレーヌは王国に同じ轍を踏ませるつもりはなかった。
その甲斐もあって、今や王国は通貨の供給不足を解決するめどがつきつつあったのだ。
「休憩時間!休憩時間でーす!」
休憩時間を告げる鐘が鳴らされる。
作業員たちは手を止めて、精錬所から出て行く。
作業員たちの避難場所は、氷が棚にいくつもおかれて冷やされた地下室だ。
「暑い暑い」
という声はそれでもしばらく続いた。
「皆さん、水分と塩分の補給は怠らないで下さい。
のどが渇いていなくても水を飲むこと」
「ありがとうございます」
「もったいないお気遣いです、閣下」
作業員たちが氷水を飲みながら笑顔になる。
この精錬所ができた当初は、どんな地獄で働くことになるかと心配していた。
しかし、実際創業が始まると、暑さには耐えることになったが意外に待遇は良かった。
一日に何度も休憩時間があるし、氷水と塩も無料でもらえる。
作業場で加熱した身体を冷やし、コンディションを整えてまた作業に戻れるのだ。
「しかしすごいですね。これだけの氷、どうやって調達したんです?
魔法を使っても大変だし、遠くの氷室からじゃ効率が悪いでしょう」
「魔法は使っていませんわ。
新しい製氷法ですの」
イレーヌの問いに、やはりそう言うことかという顔をするアレクサンダー。
またイレーヌの知恵が新しい価値を生んだのだと想像がついたのだ。
新しい製氷法とは、真空製氷法だった。
水の沸点は、気圧が下がるほど低くなる。
ということは、真空状態では常温でも沸騰してしまうのだ。
沸騰すれば熱エネルギーは失われていく。
熱エネルギーが失われていけば冷たくなる。
やがて氷が出来上がるというわけだ。
「ここと同じ、大規模なたたらを用いたお陰で大量の氷が作れます」
具体的には、天然ゴムでシーリングした巨大な鋳鉄の容器の中に、水を入れた桶を入るだけ収納する。
その状態でたたらを踏み、中を真空にすれば桶の水はみんな氷になるというわけだ。
この装置を複数用意し、稼働させ続ければ、常に氷に困らない状態でいることができる。
作業員たちの熱中症を防ぐとともに、モチベーションを保たせることにも成功しているのだった。
「鉛の無毒化ですか…」
「そういうこと。
資材の調達の他に、あなたに相談事がそれ」
作業服を脱いで資源局の事務所に戻ったアレクサンダーとイレーヌは、大量に発生する鉛廃棄物の処理について協議していた。
灰吹法は前述の通り、大量の鉛を用いる。そのため、有毒な鉛の産業廃棄物を大量に発生させると言う問題を抱えていた。
解決策を検討している内に、ハイエルフの一族は昔故郷で鉛の薬害に苦しんだが、魔法によって鉛を無毒化したという噂を耳にしたのだ。
「確かに、鉛を無毒化することには成功しました。
しかし、その魔法自体がかなり手間がかかる上に破壊力が大きくて危険なのです。
一族でも基本的には禁止されているのです」
「まあそう言わず、そこをなんとか。
鉛の産業廃棄物をその辺に適当に埋めたらどうなるか、あなたにもわかるでしょう?」
アレクサンダーが渋面になる。
雨が降れば使用済みのキューペルから鉛が溶け出し、川や井戸を汚染する。
結局人間が鉛を含んだ水を飲むことになるのだ。
「わかりました、一度持ち帰らせて頂いて、部族のみなとも相談したいと思います」
「よしなに。産廃貯蔵施設はすぐにいっぱいになってしまうのです」
イレーヌは真剣な眼で頼み込む。
「イレーヌ閣下、鉛の無毒化が成功したら、ご褒美を頂きたいのだが」
「具体的には?」
イレーヌはご褒美の内容を聞いて嘆息するが、その程度ならと承諾することにした。
(エルフってそういう趣味の殿方が多いのかしら?
それとも、彼が特殊なの?)
そんなことを思うのだった。
ハイエルフに伝わる鉛の無毒化の方法とは、強力な魔法によって鉛をビスマスに変えるというものだった。
すさまじい光と轟音が閃くと、どういう原理か見当もつかないが、鉛が比較的無毒なビスマスに変わっていたのだ。
(そうか、原子番号82の鉛を83のビスマスに)
イレーヌは取りあえず納得はしたものの、放射能の被害がないかと肝を冷やす。
まあ、副作用として大量の放射能を発するような魔法であれば、まずハイエルフたちが命を落としている。
問題はないのだろうと考えることにする。
(あれ?ちょっと待ってよ?)
イレーヌはふと気づくことがあった。
元素番号82から83のものに変化させることができるなら、もし逆ができたら?
元素番号80の水銀を79の金に変えることができることになる。
古い漫画でそういう話があったのを思いだしたのだ。
幸い、王国の辺境には水銀が大量に産出する場所がある。当然のように危険で人は住んでいないが。
(いえ、やめておきましょう)
イレーヌはその考えを封印することにする。
王国で産出する水銀を全て金に変えたりしたら、起こるのはハイパーインフレだ。
加えて、変な欲を出した者たちによって、アレクサンダーたちの安全が脅かされるかも知れない。
幸いにして灰吹法によって金銀は確保できているのだ。
欲をかく必要はない。
余談だが、灰吹法が国家機密とされたため、王国の財政政策は本物の錬金術と勘違いされてしまう。
鉛や鉄を金に変えようとして失敗する者たちが多数現れるのだった。
まあ、怪我の巧妙というか、金属工学や薬学の発展が起こるのだが。
「イレーヌ閣下、ご褒美、お忘れなく」
「もちろん、約束ですから」
その瞬間のイレーヌの顔は同人誌“嫌な顔されながらお○ンツ見せてもらいたい”のヒロインたちのようになっていたかも知れない。
何はともあれ、王国の資源調達政策は成功しつつあったのである。
王都郊外。財務省資源局。
貴金属精錬所。
「うわ、暑い!」
「だから申し上げました。暑いから覚悟しておくようにと」
分厚い混合繊維の作業服に作業靴を履き、革手袋をして、フードとマスクで顔をすっぽりと覆い、ガラスのゴーグルを身につけた男女がそんなやりとりをする。
さながら危険な病原体を取り扱う医者か科学者が、防護服を着ているかのような姿だ。
誰だかわからないが、アレクサンダーとイレーヌだ。
資源局の精錬所に立ち入るときは、この防護服を着る規則になっている。
胸に下げている身分証がなければ、誰だが誰だか全くわからない。
「そこのあなた!袖を下ろしなさい!
親方、指導がなっていないわよ!」
イレーヌが規定に違反して袖をまくっている作業員がいるのに気づいて、大声で注意する。
「これはイレーヌ閣下。
申し訳ありません。おいお前、袖を下ろせ!危ないのは知ってるだろ!」
親方の怒号に、作業員は渋々袖を下ろす。
別段イレーヌも親方も、意地悪で言っているわけではない。
大仰な作業服もはったりではないのだ。
ここは毒性のあるものを扱っている。釜から立ち上る煙は、目や口はもちろん、皮膚から吸収されても充分危険なのだ。
「みんな大変ですね。ゴーグルは曇るし、息はしにくいし」
「薬害で苦しむのが嫌なら仕方ないのですよ」
アレクサンダーは、みんなよくこんな環境で働けるなと辟易している。
「所長、イレーヌ・ヴェルメール財務卿補佐以下一名、視察をさせて頂きます」
「よくいらっしゃいました。光栄であります。
ただ、視察は案内する者の指示に従って頂きます。
危険ですからね、ここは」
「もちろんです。承知しています」
イレーヌは精錬所所長と二三言葉を交わし、精錬所の奥に入っていく。
置くには巨大な釜と炉がいくつも稼働していた。暑くて当然だ。金属が溶ける温度を出しているのだから。
「しかし、彼らは何をしているのです?」
「うーん、錬金術…かしら?」
イレーヌはそう答える。
どう説明したものか難しかったのだ。
この精錬所で行われていることは、金と銀の精製だ。
方法としては、いわゆる灰吹法だ。
金銀を鉱石の状態のまま熱した鉛に溶かし、それをキューペル(骨灰、セメント、酸化マグネシウムなどで作られた皿)に乗せて高温に加熱する。そこにさらにたたらを用いて空気を送る。
そうすると、鉛はキューペルに吸収され、跡には金銀だけが残るというわけだ。
液体の状態の金属は表面張力が高いが、酸化鉛は表面張力が減少するためキューペルに染みこんでしまい、風を送る程度では酸化することのない金銀はそのまま残る。
(成功のようですわね)
イレーヌは、温度が下がったキューペルから、作業員たちが慎重に金銀を採取していく姿に満足する。
前世、ネットで見た灰吹法のやり方はうろ覚えだったが、なんとかなったらしい。
これまた歴女であったイレーヌの知識が、王国に貢献した形だった。
これまで王国では、砂金を手作業で集めたり、鉱石をハンマーで割って金銀を採掘するやり方が普通だった。
手間がかかるし、細かい金銀はやすりクズとして捨てられてしまう。
金銀が不足気味の王国にはより効率的な精錬が求められた。
灰吹法はそれを解決した。
イレーヌの知る歴史では、灰吹法は中国または朝鮮半島で考案され、日本にも戦国時代に伝わったとされる。
戦国大名、大内氏は、日明貿易でもたらされたこの製法で石見銀山から効率よく銀を採掘。多額の財源を確保することができた。
大内氏の内乱で亡命した技術者たちによって、灰吹法は日本中に拡散。それまで大して有望な鉱脈でなかった甲州金山や佐渡金山を、宝の山に変えるのに貢献したという。
「銅と金銀を分離もできますしね」
また、銅から混じり物である金銀を取り出すのにも応用される。
日本と大陸の貿易では、歴史的に銅が割高で輸出されていた。
大陸では灰吹法によって、銅から金銀を分離できたが日本では戦国時代まで不可能だった。
日本の銅は少なくない銀を含有していたため、銅としては高いが銀としては安い値段で買うことで利益を得ていたというわけだ。
「なるほど、それで銅山であるはずのシュナイダー鉱山に白羽の矢が立ったわけですな」
アレクサンダーが得心する。
知識としてだけなら、銅山からかなりの確率で金銀も出ることは知っていた。
だが、銅と金銀を分離するという発想は、長く生きている彼にもなかったのだ。
ついでに、財務省が自分の故郷から鉛や骨灰をそれなりのに値で買い付けたのも納得する。
「調査した甲斐がありましたわ。シュナイダー鉱山の銅は、かなりの金銀を含んでいることが判明したのです。
このまま行けば、金銀はすぐに目標額まで調達できましょう。
ついでに銅も手に入るから一石二鳥です」
「確かに、貨幣の改鋳を行うなら金貨銀貨だけでなく銅貨も増やさなくては」
金貨銀貨だけが改鋳されて銅貨の価値が上がってしまうと、それは市井の流通と経済を直撃する危険があった。
ただし銅貨は質を落とすのが容易でないため、原料である銅の増産が急務だったのだ。
灰吹法はその点までも解決してくれたのだ。
金銀と銅を同じ釜で精製できるのは、燃料と時間と労力の大きな節約となった。
欠点として、大量の鉛を高温に熱するため、危険であるとともに薬害に注意しなければならないことがある。
イレーヌもそこは心得ていた。
分厚い防護服、手袋、フード、マスク、ゴーグルの着用を徹底させる。
少しでも体調の悪い者は作業から外す。
一日の作業量を制限する。
などの措置が取られる。
(誰かの犠牲の上に謳歌される繁栄は長続きしない)
前世の歴女の記憶が、イレーヌにそう囁いていたのだ。
かつて大英帝国は、植民地に差別とブラック労働を押しつけることで栄華を極めた。
結果は言うまでもない。
イレーヌは王国に同じ轍を踏ませるつもりはなかった。
その甲斐もあって、今や王国は通貨の供給不足を解決するめどがつきつつあったのだ。
「休憩時間!休憩時間でーす!」
休憩時間を告げる鐘が鳴らされる。
作業員たちは手を止めて、精錬所から出て行く。
作業員たちの避難場所は、氷が棚にいくつもおかれて冷やされた地下室だ。
「暑い暑い」
という声はそれでもしばらく続いた。
「皆さん、水分と塩分の補給は怠らないで下さい。
のどが渇いていなくても水を飲むこと」
「ありがとうございます」
「もったいないお気遣いです、閣下」
作業員たちが氷水を飲みながら笑顔になる。
この精錬所ができた当初は、どんな地獄で働くことになるかと心配していた。
しかし、実際創業が始まると、暑さには耐えることになったが意外に待遇は良かった。
一日に何度も休憩時間があるし、氷水と塩も無料でもらえる。
作業場で加熱した身体を冷やし、コンディションを整えてまた作業に戻れるのだ。
「しかしすごいですね。これだけの氷、どうやって調達したんです?
魔法を使っても大変だし、遠くの氷室からじゃ効率が悪いでしょう」
「魔法は使っていませんわ。
新しい製氷法ですの」
イレーヌの問いに、やはりそう言うことかという顔をするアレクサンダー。
またイレーヌの知恵が新しい価値を生んだのだと想像がついたのだ。
新しい製氷法とは、真空製氷法だった。
水の沸点は、気圧が下がるほど低くなる。
ということは、真空状態では常温でも沸騰してしまうのだ。
沸騰すれば熱エネルギーは失われていく。
熱エネルギーが失われていけば冷たくなる。
やがて氷が出来上がるというわけだ。
「ここと同じ、大規模なたたらを用いたお陰で大量の氷が作れます」
具体的には、天然ゴムでシーリングした巨大な鋳鉄の容器の中に、水を入れた桶を入るだけ収納する。
その状態でたたらを踏み、中を真空にすれば桶の水はみんな氷になるというわけだ。
この装置を複数用意し、稼働させ続ければ、常に氷に困らない状態でいることができる。
作業員たちの熱中症を防ぐとともに、モチベーションを保たせることにも成功しているのだった。
「鉛の無毒化ですか…」
「そういうこと。
資材の調達の他に、あなたに相談事がそれ」
作業服を脱いで資源局の事務所に戻ったアレクサンダーとイレーヌは、大量に発生する鉛廃棄物の処理について協議していた。
灰吹法は前述の通り、大量の鉛を用いる。そのため、有毒な鉛の産業廃棄物を大量に発生させると言う問題を抱えていた。
解決策を検討している内に、ハイエルフの一族は昔故郷で鉛の薬害に苦しんだが、魔法によって鉛を無毒化したという噂を耳にしたのだ。
「確かに、鉛を無毒化することには成功しました。
しかし、その魔法自体がかなり手間がかかる上に破壊力が大きくて危険なのです。
一族でも基本的には禁止されているのです」
「まあそう言わず、そこをなんとか。
鉛の産業廃棄物をその辺に適当に埋めたらどうなるか、あなたにもわかるでしょう?」
アレクサンダーが渋面になる。
雨が降れば使用済みのキューペルから鉛が溶け出し、川や井戸を汚染する。
結局人間が鉛を含んだ水を飲むことになるのだ。
「わかりました、一度持ち帰らせて頂いて、部族のみなとも相談したいと思います」
「よしなに。産廃貯蔵施設はすぐにいっぱいになってしまうのです」
イレーヌは真剣な眼で頼み込む。
「イレーヌ閣下、鉛の無毒化が成功したら、ご褒美を頂きたいのだが」
「具体的には?」
イレーヌはご褒美の内容を聞いて嘆息するが、その程度ならと承諾することにした。
(エルフってそういう趣味の殿方が多いのかしら?
それとも、彼が特殊なの?)
そんなことを思うのだった。
ハイエルフに伝わる鉛の無毒化の方法とは、強力な魔法によって鉛をビスマスに変えるというものだった。
すさまじい光と轟音が閃くと、どういう原理か見当もつかないが、鉛が比較的無毒なビスマスに変わっていたのだ。
(そうか、原子番号82の鉛を83のビスマスに)
イレーヌは取りあえず納得はしたものの、放射能の被害がないかと肝を冷やす。
まあ、副作用として大量の放射能を発するような魔法であれば、まずハイエルフたちが命を落としている。
問題はないのだろうと考えることにする。
(あれ?ちょっと待ってよ?)
イレーヌはふと気づくことがあった。
元素番号82から83のものに変化させることができるなら、もし逆ができたら?
元素番号80の水銀を79の金に変えることができることになる。
古い漫画でそういう話があったのを思いだしたのだ。
幸い、王国の辺境には水銀が大量に産出する場所がある。当然のように危険で人は住んでいないが。
(いえ、やめておきましょう)
イレーヌはその考えを封印することにする。
王国で産出する水銀を全て金に変えたりしたら、起こるのはハイパーインフレだ。
加えて、変な欲を出した者たちによって、アレクサンダーたちの安全が脅かされるかも知れない。
幸いにして灰吹法によって金銀は確保できているのだ。
欲をかく必要はない。
余談だが、灰吹法が国家機密とされたため、王国の財政政策は本物の錬金術と勘違いされてしまう。
鉛や鉄を金に変えようとして失敗する者たちが多数現れるのだった。
まあ、怪我の巧妙というか、金属工学や薬学の発展が起こるのだが。
「イレーヌ閣下、ご褒美、お忘れなく」
「もちろん、約束ですから」
その瞬間のイレーヌの顔は同人誌“嫌な顔されながらお○ンツ見せてもらいたい”のヒロインたちのようになっていたかも知れない。
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