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06 鮮血の京都編

重い愛が生まれた日と夜叉の末路

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09

 京都、壬生、松永久秀の別邸。
 「夜分ご無礼致します。松永久秀殿。
 織田信長公からの火急のお召しです。ご同行を願います」
 陸自レンジャー部隊の指揮官、亀井一尉が久秀の背中に声をかける。
 土足で上がり込んできた自衛隊レンジャー部隊員数名と、丹羽長秀に率いられた侍数名が半円形の陣を組んで館の主を取り囲む。
 ツーサイドアップの美少女武将、松永久秀だった。
 「差し支えなければお召しの御用向きを伺えますかしら?
 ん…あふぅ…」
 灸を据えている最中だったらしい久秀は、単衣を大きくはだけ、白い首筋と肩と背中を露わにしている。肩と背中に据えている灸が効いているのか、妙に色っぽい声を漏らす。
 「あなたに織田家の腰元に変な術をかけて、信長様に薬を盛らせようとした疑惑がかかっております。
 あなたが直接動くべきではありませんでしたね。
 うまく化けたつもりでしょうが、我々の目はごまかせません」
 亀井は久秀の前に数枚の写真をばらばらと落とす。
 髪型も変えているし、化粧もうまく雰囲気を変えているが、写っている巫女は久秀に間違いない。
 祇園の神社にある人生相談所で、織田の腰元に催眠暗示をかけて操ろうとしたことは完全にばれているらしい。
 久秀は大きく嘆息する。
 「それで、信長様はなんと?」
 「信長様はあなたの能力を高く評価されています。
 悪いことは申しません。信長様と良く話し合ってください」
 事務的に返答した亀井に、久秀は肩越しに振り返って色っぽく笑う。
 亀井は一瞬どきりとしてしまう。幼い感じではあるのに、まるで場数を踏んでいる熟女のような色香を久秀は持っているのだ。
 「ふぅ…。私が生きて捕まる気がないと申し上げたらどうなさいます?」
 「なぜそうも頑ななのです?
 差し支えなければ、義昭様の謀反に参加した理由をお聞かせ願えますか?」
 久秀に自害されることは避けたい亀井は、あえて質問に質問を返す。
 「三好義興様をご存じですか?
 私の元の主君、三好長慶様の弟君です」
 芝居がかっていた久秀の声が、にわかに重く切ないものになった気がした。
 「たしか、戦死されたと聞いていますが…。
 織田勢が京に入ったのと前後して、三好三人衆と一緒に籠城していて…」
 亀井は忸怩たるものを感じていた。
 織田の説得に応じることなく山城、大和の各所でずるずると抵抗を続けていた三好勢。彼らに対する制圧戦のことは覚えている。
 織田勢の最新式の重火器や自衛隊の兵装を用いた、苛烈で容赦のないものにならざるを得なかったのだ。
 「織田家に対抗するために、義興様は三好三人衆を説得しようと滝山城に向かいました。
そこであの方は、あなたがたと自衛隊の攻撃に巻き込まれたのです」
 久秀はそこで一度言葉を切る。
 「彼は、私の婚約者でした…」
 そう言った久秀の声は、わずかに濡れているように思えた。
 亀井には切磋に言葉が出てこなかった。実は彼にも、こちらに来てから付き合っている女がいる。逆の立場だったらどう思うかと考えてしまったからだ。
 それがまずかった。
 こちらに向き直った久秀が、単衣の胸元を大きく開いてみせる。
 久秀の腹には、何本もの竹製の炸裂弾が巻かれていたのだ。
 「申し訳ありませんが、信長様に渡すものは何一つございません。
 この身も、この力も、知恵も、財産も!」
 そう言って久秀は炸裂弾の導火線の端を傍らの火鉢に突っ込んでいた。

 久秀には、全てが水の中を移動するようにゆっくりと動いているように見えた。
 自分の奥から何かが吹きだして、全身を駆け巡っていくのがわかる。
 世界の全てがゆっくりと動いている。
 慌てて床に伏せようとする侍と自衛隊員たちも。導火線を伝っていく火も。
 やがて炸裂弾が起爆される。
 黒色火薬が炸裂し、鉄の破片がまき散らされる。
 自分の体が引き裂かれ、黒焦げになるのを久秀ははっきりと知覚していた。
 やがて視界が白くなって何もわからなくなる。
 「義興様…」
 その先に久秀が見たのは、かつての婚約者の顔だった。

 「わぶぶぶっ…冷たっ…!」
 久秀は、体に感じるやたらと冷たい衝撃に我に返る。
 冷えた頭で、周りの状況を分析してみる。自分は水浸しになっていて、炸裂弾も濡れてしまい不発に終わっている。
 アドレナリンが噴き出していると、状況の認識が早くなりすぎることがある。
 久秀の場合も、導火線に火を付けたことによる興奮と、そして恐怖で、未来予測と現実の区別がつかなくなっていた。
 炸裂弾が爆発して自分が死んだものと、体と思考が早合点してしまったのだ。
 「ひゃああっ!やめて!冷たい…冷たいってば!」
 念には念とばかりに久秀にさらに高圧の放水が浴びせられる。井戸から組み上げられた水が、災害救助用の高圧ポンプによって消火用のホースからすさまじい勢いで放出される。
 畳が、ふすまが、久秀の体が猛烈な勢いで水浸しになっていく。
 「申し訳ありませんな。自爆などされては困るのです。
 ああ、それと、あなたがこの家から隠れ家に移動させた財産は全て織田家によって押収されています。
 もう一度申し上げます。信長様とよく話し合って下さい。
 交渉次第で、あなたの収集物もお返ししてもいいということですから。
 もちろん“平蜘蛛”もね」
 亀井は言葉で久秀の逃げ道を塞いでいく。
 久秀は狡猾な一方、負けず嫌いなところがある。こう言われては、命を絶つことこそ負けを認めることと思えてしまうのだ。
 久秀はびしょ濡れかつ裸同然の姿で、不発の炸裂弾を腹に巻いた惨めな自分の有様に、冷たい水で青くなっていた顔を、今度は真っ赤にする。
 「こんなのずるい!あなた方には武士の情けがないのですか!
 武に生きるものにとって、生き恥をさらすのは死より辛いことなのに!」
 幼児退行してしまったようにまくし立てる久秀の様子に、亀井は少しおかしくなる。
 飄々としていて陰謀家でも、なんだかんだで女の子なところはあるようだ。
 「武士であるなら、敗北したときの覚悟を持ちなさい!
 敗者から生を奪うのが勝者の権利なら、敗者から死を奪うのも勝者の権利です。
 信長様があなたを生かせとおっしゃっているんです。
 ならば、生きてなにを為すべきか考えなさい!」
 亀井のその言葉に、久秀は頭を叩かれた気分になる。
 信長が自分を生かして使おうというのなら、取りあえずは生き延びるのもいいかもしれない。
 そのまま信長に忠義を尽くすか、また信長の寝首をかいてやるかはそれから考えればいい。
 (それに…この亀井という指揮官にも急に興味が湧いてきたかも)
 先ほど自分に言った言葉、きざだけど格好良かった。
 義興のことはいまだに忘れられずにいる。でも、生かされた以上は新しい恋を見つけるのもいいかもと、久秀は思い始めた。
 (自衛隊に関して私が独自に集めた情報では、亀井隊長には付き合っている女がいたかしら?
 寝取るか?
 でも、浮気の関係に持ち込んで、彼女にばれないかとひやひやさせてさし上げるのも面白いかしら?)
 久秀は自慢の知恵を廻し始める。
 この後、久秀は亀井に対してやや歪んだヤンデレ染みた思慕を寄せるようになる。
 亀井が久秀の愛の重さに気づくのは、彼女の蜘蛛の糸のような愛情に絡め取られて逃げられなくなった後だったのである。
 
 何はともあれ、信長の懸案事項の一つ。
 松永久秀を生きたまま逮捕する作戦は成功したのであった。
 このことは、後々義昭の謀反に関わった者たちのあぶり出しに大きく貢献することとなるのである。

10
 
 京都、三条通。
 自衛隊と織田勢は、“邪気”に呑まれ物の怪と化して細川藤孝と対峙していた。
 鴨川を挟んで橋の対岸の明智光秀と足利義昭も、藤孝が物の怪に変異してしまった状況に困惑している。
 橋の東側に仁王立ちになる藤孝が、対岸を振り返る。
 「藤孝…まさか…?」
 光秀ははっきりと見た。
 巨大な夜叉の姿になった藤孝の口が“行け”と動くのを。
 (あんな姿になっても、忠義と愛情は残っているのか?)
 ためらったのは一瞬だった。
 「義昭様、参りましょう!」
 「でも藤孝が…!」
 「これは藤孝の意思です!お早く!」
 光秀は義昭の馬の手綱を引いて、自らも馬の腹を蹴り、その場から離脱する。
 こうなった以上は義昭とともに落ち延びて再起を図るほかはない。
 まだ打つ手はあるのだ。藤孝もそれを望んでいる。
 (だが…。藤孝を見捨てて私が助かろうとは思わない)
 光秀はそうも思っていた。
 
 一方の織田勢と自衛隊は、動きがとれない状況に地団駄を踏んでいた。
 物の怪と化して、橋を塞いでいる藤孝の狙いはわかる。あんな姿になっても人格と理性はある程度保っているようだ。
 先ほどの空気の刃は警告だろう。
 義昭と光秀に手を出すな。大人しくしていれば危害は加えないと。
 「くそ!義昭と光秀が逃げるぞ!」
 そう言った武将の1人を、藤孝がにらみつける。
 不穏な動きを見せれば首を落とすとばかりにすごんだのだ。
 『地上部隊!放水でやつを無力化してくれ!』
 上空のUH-60JAの田宮から連絡が入る。
 地上の偵察救難隊は即時にその意味を理解する。
 無線で後詰めの部隊に連絡し、災害救助用の放水装置を持ってこさせる。
 意外かも知れないが、陸自の放水能力は下手な消防署より優れている。この辺りは災害救助のプロである陸自ならではと言えた。
 今回も、京都に火災が起きた場合に使う予定だった放水装置が、速やかに準備される。
 「放水開始!」
 指揮官の災害救助の経験が長い一等陸曹の指示で、藤孝に向かって放水が開始される。
 「グアアアアアアアアアアッ…!」
 民家程度なら倒壊させてしまう圧力の放水が、容赦なく藤孝に浴びせられる。繰り出される自慢の空気の刃も、猛烈な放水に力負けしてしまい織田勢と自衛隊に届かない。
 「オオ…オオオオオオオオオオッ!」
 放水の一つを膝に食らい、ついに藤孝が仰向けに倒れ伏す。
 「田宮二尉!お願いします」
 『任された!』
 ヘリからリペリングで降下した田宮が、ロープからカラビナを外す作業を省略して藤孝に馬乗りになる。そして、弾力のある胸の膨らみをぎゅっと握る。
 「キャアアアアアああああああああああああーーーーーーー!」
 黄色い引き裂くような悲鳴が上がり、藤孝の胸からどす黒いものがものすごい勢いで抜けていく。同時に、藤孝の体がみるみる小さくなっていく。
 “邪気”が抜け、女の子が解放される瞬間だった。
 巨大な夜叉の姿をしていた者は、華奢で美しい黒髪の女に戻っていく。
 泥にまみれているのが残念。田宮はそんなことを思っていた。

 「あの…どいてもらえないだろうか…?」
 藤孝はしばらく焦点を結ばないぼんやりとした目をしていたが、やがて自分の状況に気づいて真っ赤になりながら田宮に言う。
 「あ、これはご無礼を」
 田宮も自分と藤孝の状況に気づく。変身するときに服は破れてしまったから、藤孝は生まれたままの姿だ。裸の女の子の上にマウントポジションの体勢になり、胸の膨らみを揉んでいる。
 状況だけ見れば完全に痴漢だった。
 藤孝に体重をかけないように注意しながら、田宮は立ち上がる。ついでに藤孝も立たせてやる。放水で泥濘と化した地面を転がって泥だらけ。美人が台無しだった。
 「おい、だれか手ぬぐいと着るものを…」
 田宮がそう言った時だった。
 「おい、馬が来るぞ」
 「なんだ、伝令か…?」
 一騎の騎馬武者が、ものすごい勢いでこちらへ向かってきたのだ。
 「おい、あれ明智光秀じゃないのか!?」
 「なに?」
 フードの着いた上着で頭を覆っていた騎馬武者が光秀であることに織田勢が気づいた時には、馬はすぐそこまで迫っていた。
 「うわ!」
 「危ねえ!」
 馬蹄に賭けられそうになった将兵たちは慌てて飛び退く。
 「藤孝!つかまれ!」
 「光秀…!」
 光秀がそう言って伸ばした手を、藤孝は反射的につかんでいた。
 そのまま光秀は藤孝を馬の上に引き上げ、用は済んだとばかりに走り去る。
 そのあまりの早技に、織田の兵たちも自衛隊もぽかんとしたまま対処できなかった。
 「な…なにをやっている!追撃だ!謀反人を逃がすな!」
 「やめよ!追撃の必要はない!」
 透き通った声が響き、足軽大将の言葉を遮る。
 ヘリから地上に降りた信長だった。
 「おそれながら殿、このままでは謀反人に逃げられてしまいます。
 特に足利義昭は反逆者なれどいまだ将軍。逃げた先でなにをするか」
 信長は足軽大将ににやりと微笑む。
 「お前、頭はいいがもうひとつだな。
 やつらが逃げる先はどこだと思う?おそらく四国か畿内西部、もっと行って中国地方もあり得るな。
 西国の勢力が謀反人をかくまえば、我々はどうすると思う?」
 「あ…。そうですな、“謀反人義昭と光秀をかばい立てした咎で成敗する”という大義名分ができるわけですか?」
 足軽大将の言葉に、信長は満足そうに微笑む。
 「その通りだ!
 お前切れるではないか?名はなんという?」
 「は、藤堂高虎にございます!」
 こうして、図らずも織田信長は新たな出会いを迎えるのだった。

 義昭と光秀が逃亡したことで、織田に対して反乱を起こした分子は瓦解することとなる。
 足利将軍が京から追放される。
 それは新しい時代、そして新しい戦いの始まりでもあった。
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