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05 北陸の軍神編

たとえ地獄であろうと、便所として生かされる定めだろうと

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09

 越後、春日山城。
 一夜明けて、城ではがれきの山と化した毘沙門堂の撤去作業が行われていた。
 信濃の国境の向こうから飛んできた巨大な鉄の柱も、慎重に撤去されていく。
 「くそ!直接戦うことをせず、われらの拠り所である毘沙門堂を狙うとは!
 卑劣なやつらめ!」
 家老である、ボブカットの水色の髪が目を引く少女、直江兼続が憤る。
 悔しいが、敵の意図が読めたからだ。毘沙門堂が破壊されたことで、上杉の将兵の間に明らかに動揺が拡がっている。
 今まで謙信の神性と、毘沙門天の加護を信じて戦ってきた彼らにとって、がれきの山となった毘沙門堂の有様は少なからず衝撃だった。
 毘沙門天の力も、謙信の神がかった強さも、この力の前には勝てないのではないか?そんな疑念を多くのものが持ち始めているのがわかるのだ。
 「しかし、効果的な作戦ではあったわけだね。
 “これは警告。次はお前たちの頭の上にこれが降ってくる”ってね。
 こんなことされりゃ、誰だって頭の片隅でも降参することを考えるよ」
 茶髪ポニーテールの、遊女のような派手な装いの女性武将、前田慶次郎が言う。さしものかぶき者で怖いもの知らずで通る彼女も、いつもの飄々とした態度を保てないらしい。
 「“主導権はこちらにあり”と言われてるみたいで業腹。
 でも、お山の向こうからこんなものを放ってくるのは確かに驚異なの」
 前髪ぱっつんのストレートの亜麻色の髪を持つ小柄な少女、謙信の養子である上杉景勝が、いつも通りのポーカーフェイスに危機感をにじませながらつぶやく。
 織田勢が火力と射程を活かしてこちらを寄せ付けない作戦で戦いを有利に進めているのは知っている。だが、これはもう火力だの射程だのの次元の議論を越えている。
 他の上杉の将兵たちも、程度の差こそあれ同じような気持ちだった。
 どれだけ奮い立とうとしても、謙信と毘沙門天の力を信じようとしても、不安と恐怖が胸の奥から後から後から湧いて出るのだ。
 だがその時。
 「みなの者、恐れることはない!」
 大きく透き通った声が響く。みなが声の元に目を向けると、謙信だった。
 「毘沙門堂は再建すればいい!信仰とは本来1人1人の胸の内にあるのだ!
 胸の内の信仰を失わない限り、神仏は常に我らとともにある!
 そして、みなみなにはこの毘沙門天がついておる!
 絶望することはないのだ!」
 謙信の激励の言葉に、上杉の将兵たちは自信と希望を取り戻す。
 そうだ、毘沙門堂は再建できる。自分たちも死んだわけではない。なにより、自分たちの主であり、信仰の対象そのものである上杉謙信がついている。
 そんな思いが、さながら霧が晴れるように上杉の将兵たちに力を取り戻させていく。
 「謙信様…」
 だが、謙信の女房役を自負する兼続は察していた。謙信は“勝利”を口にしなかった。そして、謙信がああいう表情をする時は、何かを決意する時だ。
 かつて、越後統一の前、謙信にほど近い親戚のものが謙信に対して謀反を起こしたことがあった。その者は謙信にとって幼いころからの友人でもあった。だが、親戚であれ友人であれ、謀反人に容赦はできないと、謙信は首をはねることを命じた。
 その折り斬首を決断したときも、謙信はあんな表情をしていた。決然として、だが悲しそうな。
 兼続は、謙信が断腸の思いで決断したことを悟った。

 一方こちらは京都、二条城。
 「上杉は連合軍に対して劣勢ということですか…」
 「残念ながら…あ…いえ、そのようです。
 信濃での上杉の戦いは見事なものだったそうです。が、越後に引き上げた後は周辺より大軍に包囲されてしまい、将兵たちの士気が下がっているとか…」
 銀髪のはかなげな美少女、将軍足利義昭の言葉に、側近の青いショートボブヘアの女性武将、明智光秀がうっかり本音を漏らしながら返答する。
 義昭とその側近たちからすれば、将軍を差し置いておのれこそ天下人のように振る舞う信長を押さえつける好機が流れ去りつつあるのだ。
 上杉謙信は義侠心に厚い一方で、礼を重んじる性格でもある。戦が続いて苦しい状況にも関わらず、朝廷や幕府に対する援助を欠かしたことがない。
 そうであれば、謙信も将軍の命であれば従う可能性は高い。
 織田と上杉の戦いが泥沼化したところで幕府が調停に乗り出し、見事戦を終わらせてみせればどうなるか。
 信長はしばらくは義昭に頭が上がらなくなる。かつ、やはりこの国に平和をもたらす力を持つのは足利将軍家と幕府なのだと知らしめることもできる。
 このまま戦いが織田の勝利に終われば、その目論見は崩れ去ってしまう。
 「やむを得ません。調停工作の準備は中止。今回は幕府は越後の事態を静観します」
 「しかし…」
 嘆息しながら決断する義昭の言葉に、光秀は拳を握りしめて悔しがる。
 先だって信長が、不遜にも義昭に対して“自分に相談なく他の大名家に連絡を取られることのなきよう”という恫喝めいた書状を送りつけてきたのを思い出しているのだ。
 忠臣である光秀は、それを知って自分のことのように怒り狂い、自宅の池に夕餉の膳や皿や徳利を投げ込みながら爆発し続けた。
 「光秀、今回は引くのです。信長殿に、われわれが疑われるようなことがないように取りはからいなさい」
 「は、心得ております」
 信長に勝手な連絡を禁止された後、義昭は将軍家の援助への謝礼という形で、上杉に書状を送っていた。
 その内容は
 “上杉の義侠心と正義を求める心、まことに天晴れである。この後も励むべし”
 というもので、見ようによっては織田との戦いを煽っているようにも取れる。
 公式には義昭はなにを聞かれようが“他意はない”と返答するだろう。が、上杉が義昭の書状を、“義に従って上野や信濃を追われた者たちを助けよ”と解釈する余地は充分にある。
 実際、義昭もそれを内心で期待していた。
 だが、上杉は劣勢に追い込まれている。
 この上は信長に相談しつつ、上杉に降伏を促して少しでも点数を稼ぐのが得策だろう。二心を疑われないためにも。
 義昭はそう判断していた。
 「それで光秀、次のことですが」
 「お任せ下さい。手は打ってあります」
 そう言った光秀は、摂津、大和、河内、泉、丹波、そして阿波の信頼できる者たちに協力を要請していると小声で説明していく。
 
 (御輿として担がれている自覚はある。信長には世話になったのも事実。
 でも、私は信長の傀儡ではない)
 その思いを、義昭は失うことはなかった。
 信長が不在の京において、新たな策謀が巡らされていたのだった。

10

 越後、春日山城。
 毘沙門堂破壊から丸1日がたち、再び夜のとばりが下りたころ。
 謙信は、織田と戦を始める前と同じように、兼継と景勝、慶次郎、そして少数の側近を自室に集めていた。
 「みなにはあらかじめ伝えておきたい。
 上杉は、これより織田に下る」
 謙信は、表情にこそ出さないが、悲しみと悔しさをにじませながら静かに言った。
 「しかし、まだ越後には兵力は健在です!それを!」
 「報告は聞いているだろう?降伏するなら彼らの気が変わらないうちにした方がいい」
 納得できない兼継は、謙信が切り返した言葉に何も言えなくなる。
 信濃から飛んできた巨大な柱を分析してみたところ、中に粘土のような物が詰まっていた。急ぎ専門家に分析させたところ、硝酸を主体にした化合物。つまり火薬の類いであることが判明した。しかも、かなり爆発力は強いことが予想された。
 敵が本気になれば、今度は春日山城ごと吹き飛ばされかねない。下るならその前というわけだ。
 「いいのかい?憲政様や信濃の衆はどうするのさ?」
 「先だって織田が提示してきた条件に、降伏すれば命までは取らない。多少の賞罰は覚悟してもらうが、織田の臣として召し抱える用意もあるとあった。
 そしてその条件、明確に取り消されたわけではない。交渉の席で今でも有効であることをなんとか主張しよう」
 そう言われると、慶次郎にも言葉はなかった。
 この条件であれば、憲政も信濃の国人衆も、首をさらされるくらいならと折れる可能性は高い。
 問題は、真田昌幸が三方ヶ原、妻女山と徳川の恨みを買っていることだが、これとて交渉次第だろう。
 なんと言っても、織田の臣として迎えるというのがあざとい。織田は上野や信濃にはもともと縁もゆかりもない。一方で、その威光と力は日の出の勢いだ。
 かつて敵対していた者や、格下だった者の下に着くのは感情的に嫌でも、天下人の直臣となれるのなら最低限彼らの面目も立つ。
 「でも景勝心配なの…。
 織田が上杉の主立った者たちの処罰を求めてくるかも。
 お母さんの切腹を要求してくることだって…」
 「それもなんとか交渉してみるさ。
 最悪の場合でも、私の首一つで済ませてもらわんとな。
 そなたたちは、私がなんとしても守る」
 「それはだめ!
 織田がお母さんの命を要求するなら、上杉は最後の一兵になるまで戦うの!」
 混ぜ返された景勝の言葉に、謙信ははっとなる。景勝だけではない。他の者たちも同じ気持ちのようだ。自分が責めを負おうとするあまり、景勝たちの気持ちを考えていなかったようだ。
 「あいわかった。
 私は出家し隠居して、後は景勝に任せる。そういう方向で交渉しよう」
 (それだけでは許されず、財産や、あるいはこの体を代償に要求されるかも知れないが)
 謙信は言外に付け加える。戦に敗れた大名や将兵の中には、命だけは助かったものの、男たちの慰み者。精液便所。肉便器として生かされることになったものもあると聞く。
 自分がそうなるところを想像してみる。
 朝から晩まで、何人もの男のものをくわえ込む。女の部分で、口で、手で、そして尻の穴で。男たちは一度果てたくらいでは満足せず、長い列を作って順番を待っている。
 やがて正気を保つ気力も失せる。そして、誰のものかもわからない子供を宿し、産み落とす。
 恐怖とおぞましさで涙をこぼしそうになるのを必死で堪える。たとえそうなったとしても、上杉のみなが生き残れるなら、それは割に合うことなのだ。
 「では、織田に使者を送ってくれ」
 「は」
 そう答えた兼続だったが、忸怩たるものを感じていた。
 謙信が、命以外ならなんでも差し出す覚悟を決めたことを、つき合いの長さから察したからだ。
 そして、謙信がその身の全てを要求される可能性は低くない。上杉は織田からの割のいい同盟の条件を蹴って戦端を開いてしまった。その代償は何らかの形で要求されると思った方がいい。
 (もし、謙信様がそうなったときはこの兼継も)
 兼継は、謙信が男たちの便所にされるなら、自分も一緒にと心に決めた。敬愛して止まない謙信を、肉便器として生かされる哀れな存在に堕としておいて、自分だけのうのうとしていようとは思わない。
 たとえ地獄に落ちようとも、謙信と一緒なら幸せだとさえ思うのだった。

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