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03 甲信の死闘編

三方ヶ原 変身してツンデレて

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04

 信濃南西部。
 「やはり、遠江では武田の進撃は防げなんだか」
 「はい、とにかく迅速ですさまじい侵攻だったようで。
 平野部から海までごっそり切り取られたようです」
 美濃から信濃に向けて侵攻する途上、織田信長はオブザーバーとして同行している三井寺二尉から武田に関する報告を受けていた。
 美濃から信濃への侵攻はそこそこに順調だが、素直に喜べない。武田が遠江を縦貫する占領地域を構築してしまった今、織田、徳川、今川は東西に分断されてしまったことになる。遠江の港もいくつか奪われてしまった。
 失地回復は容易ではない。
 「我らと武田の競争と言うことになるな。どちらがいち早く重要な場所を抑え、相手の対処能力を超えて陣地を確保するか。
 が、それが簡単ではない。そうだな?」
 「その通りです。ご覧の通り、信濃南部はまともな道がないところです。
 機械化部隊を進撃させようと思えば、まず木を切って道をならすところから始めなければなりません」
 周りを見渡せば、自衛隊員がチェーンソーで木を切り、人足たちがもっこを担いで道をならしている。
 「だが、信濃の確保はなんとしても達成しなければならん。
 急いでくれ三井寺殿。金が必要なら用意する。現地の人間も動員して道をならすのだ」
 「は!」
 三井寺は敬礼して応じ、陣を出て行く。
 立地条件的には極めて重要でありながら、実入りが悪く交通も不便な山間の土地であり、そこに住む住人たちも独立意識が強く扱いが難しい。
 今の織田にとって、信濃はそう言う極めて面倒な場所だった。
 武田を軍事的に屈服させたければ、信濃制圧はあらゆる面で必須事項だった。武田の兵糧や兵力の供給地は主に信濃だ。また、信濃は美濃、三河、遠江に境を接する交通の要衝でもある。
 またそれとは別に、越後に湧き出る石油を確保するという意味でも、信濃は抑えておかなければならない場所だった。
 どれだけ道行きが困難で、金と手間がかかろうと、織田家に信濃に関して妥協は許されなかったのである。
 (知、家康。頼むから持ちこたえてくれよ)
 信長は南東の方角に向けて、切に念じたのだった。

 ところ変わってこちらは遠江。
 織田、今川が分散していた戦力を遠江に集めるのに手間取っている間に、武田勢は信濃から後詰めの兵を呼び寄せ、万全の布陣を整えていた。
 遠江東部の村や町の住民たちも、武田の硬軟を巧みに使い分ける切り崩し工作で次々と武田になびいていた。
 もはや織田がたは、武田をどうにかするどころか、自分たちがどうにかされかねないところまで追い詰められていたのである。

 「じえいたいの増援は頼めませんか?」
 「申し訳ありません。戦闘機もヘリもイージス艦も手一杯の状態です。またも武田の撤退戦にしてやられました」
 浜松城の軍議の間。忠勝の言葉に、田宮が消沈しながら応じる。またしても自衛隊は武田のしかけたペテンに引っかかり、意味もなく燃料と弾薬を使わされてしまったのだ。
 信濃から駿河に直接武田の兵が送られるという情報を得た自衛隊は、今川義元の要請もあって駿河に戦闘機とV-22、そして空挺部隊を派遣した。
 実際に国境に武田の兵の姿が確認され、自衛隊の支援の元、今川軍が反撃に出た。だが、それはすぐに罠だったと判明する。陣に放火する、周辺の里や村にあることないこと今川の悪い噂を流すなどの挑発に、今川勢はすっかり頭に血が上ってしまった。
 結果、今川勢は武田勢を深追いしすぎてしまい、あるものは途中にしかけられた罠によって、あるものはいつの間にか脇に回り込んでいた伏兵によって殲滅されることとなる。
 応援に向かった自衛隊も、巧みに身を隠しながら撤退戦を行う武田勢に有効打を与えられず、結局大して得るものがない結果に終わった。
 「逃げ弾正と呼ばれた春日虎綱殿の手腕、見事なものです」
 春日虎綱の巧妙な撤退戦に引っかかるのはこれで何度目だろうか。ここまでペテンにかけられ続けると、いっそ清々しい気分にもなる。
 それだけではない。まるで示し合わせたように、織田が版図を拡げつつある伊勢で一向一揆や土一揆が激化し、海賊による船や港の襲撃も発生している。
 予定通りであれば遠江で海上から武田軍に砲撃を浴びせる予定だった”はぐろ”は、伊勢沖に廻り、海賊や一揆対策に当たらざるを得なくなっている。これを偶然と考えることはとてもできない。
 「武田の人脈と交渉力、なにより煽動工作の手腕。恐れ入るしかありません」
 「そうは言っても始まらないよ。
 武田はいよいよ後顧の憂いがなくなって攻めて来る可能性大。知、どうするよ?」
 ここしばらくですっかりフランクになった忠次が、田宮に具体策を問うてくる。顔と胸の膨らみが、微妙に近い。
 田宮は少し考える。史実における”三方ヶ原の戦い”を阻止するためには…。
 「徳川の方々はお城に立て籠もって下さい。
 そうしておいて織田と自衛隊の援軍が到着するのを待ちましょう」
 田宮の言葉に軍議の間にどよめきが走る。今の彼我の戦力差を考えればまっとうな話とも思える。が、武田は大軍だ。籠城して阻止できるものかどうか、判断がつきかねたのだ。
 「われわれはヘリで武田勢に嫌がらせを行い、彼らの足を鈍らせます。
 彼らが目的地にたどり着いた時には織田と自衛隊の反攻作戦は整っている。そこを浜松城から兵を繰り出して挟み撃ちにするわけです」
 田宮の策に、徳川の将たちも感心した顔になる。
 「なるほど、それならば兵を失うこともないな」
 「じえいたいの兵器があれば、武田もおいそれとこの城には近づけまいしな」
 「武田のやつらにさらに占領地域をくれてやるのは業腹だが、やむを得ないか」
 「そうとも、最終的な勝利は間違いないのだからな」
 軍議は、籠城と自衛隊による嫌がらせ攻撃という方向でまとまりつつあった。が…。
 「お話はわかりました。
 ただ、その嫌がらせ攻撃、我が徳川も参加させてもらいます」
 今まで軍議の上座で沈黙していた家康の言葉だった。
 「殿、理由を伺ってもよろしいか?」
 忠勝が皆を代表して疑問を呈する。
 「理由は簡単です。ここにいる皆は聡明で学もある。ゆえに、籠城と言う策にも合理性を見出します。
 然れども、農民や土豪、商家の者たちはどうでしょうか?
 徳川は武田を怖れて手足を引っ込めた亀のように引きこもっていると噂する可能性があります。じえいたいに攻撃を任せて自分たちはなにもしていないと。
 そうなれば、人心掌握に長けた武田にますます利することになりはしないでしょうか?」
 家康の物言いに、軍議の場が再びどよめく。
 純粋に軍略の観点から言えば、田宮の策が最善。しかし、市井の者たちの反応、徳川の面目と言う観点から見れば、家康の言うことももっともなのだ。大衆は信じたいように信じるもの。ここで徳川が賢しい臆病者だという評判がたてば、この先も侮られ続ける可能性はある。
 平治の乱の折、源頼政が源義朝を見限って平清盛についたことは、当時の状況を考えれば合理的な決断だった。だが、口さがない京童たちは、頼政を”寝返り者””保身のために同胞を売った臆病者”となじり、その悪評は1000年近く経った21世紀においても払しょくされていない。
 「田宮殿、お手数ですが、われわれの手勢を上空から支援することをお願いします」
 口調は丁寧だが、相変わらず冷たく邪険な視線を向けながら家康が言う。
 「承知しました。援護はお任せください。
 ただし、条件が1つ。
 撤退の時期に関してはわれわれの指示に従っていただきます。
 これをお約束頂かない限り、支援は出来かねます」
 家康は露骨に不快そうな顔をする。
 「お約束はいたします。
 ただ、もし私が約束を破ったときはどうなります?」
 「その時は、兵たちが皆殺しにされようと、家康様だけは回収して差し上げますとも。
 それこそ悪評の種でしょうがね」
 家康は一転して戦慄する。お人よしと思っていた田宮が、こうも意地の悪いことを思いつくとは。
 兵たちが皆殺しにされて自分だけがおめおめと戻って来たとなればどうなるか。徳川家康はそれほどに利己的で、他人のことを顧みない人物だという烙印を押されてしまう。
 「承知しました。撤退に関してはあなたの意思に従いましょう」
 ”じえいたいではなくあなたの意思に”と言外に付け加えて、家康は軍議の間を後にする。
 「よろしいので?いくら何でも危険ですよ」
 空中機動部隊第一分隊長として列席している安西曹長が、不安そうに田宮に問う。
 「仕方ないでしょう。彼女は武家で、女です。ついでに若い。理屈ではどうにもならないところはある」
 「…。了解」
 安西はそれ以上何も言わなかった。感情に従うことを間違っているとは思わない。が、感情に流されている人間に理屈は通じない。特に、嫉妬と自己顕示欲というもっとも厄介な感情に囚われているとなれば。取りあえずは思ったようにさせてみる他ない。田宮の言葉に、そう言った諦念を感じたからだった。

 折しも、武田軍は遠江の西部に進軍し始める。
 徳川と武田の戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。

05
 「鉄砲隊を露払いとして、槍隊前へ!
 敵に時間を与えてはならん。一気に崩すのだ!」
 武田の宿老、山県昌影の号令で、一斉に鉄砲が放たれ、機を逃さず槍隊が徳川の陣に切り込んでいく。
 昌影の強みは状況を見極める目と、調整力にあった。
 鉄砲、弓、槍、騎馬と言った部隊が、それぞれ勝手に戦っていては勝てるわけもない。戦況に応じて適切な戦力を適切な場所にあてがい、なおかつ連携させる。
 言うは易しの話だが、これがなかなか難しい。
 ”打線と言う言葉を知ってるか。9人の馬鹿がただ何も考えずにバッターボックスに立ってちゃ、線にはならねえんだよ”
 これはある野球漫画の中の名セリフだ。
 誰にヒットを打たせ、誰にバントをさせ、誰に四球を狙わせ、誰にホームランを打たせるか。状況を見極めて調整する能力がないと、どれだけいいバッターが揃っていても勝てないのと同じようなものだ。
 「騎馬隊も正面に向けて突撃!狙うは敵将、家康の首だ!」
 昌影は、徳川勢がこちらを本気でつぶしに来る気がないことをすでに見抜いていた。恐らくはこちらにある程度の打撃を与えたら浜松城に逃げ込む作戦だろう。武田の戦力を少しでも削り、織田の本隊が到着するまでの時間を稼ぐ。
 そもそも徳川勢は武田勢の半分しかいないのだから合理的な判断と言えた。
 だが、敵の思惑通りに動くようでは将たる資格はない。勘助はこれを好機ととらえ、うまく活かすこととした。
 せっかく敵の大将が出てきてくれたのだ。首を取ってしまおうというわけである。
 敵の馬印はここからでもよく見える。恐らくその下にはあの桃色の髪の大将がおわすことだろう。昌影は改めて、本陣への集中攻撃を命じるのだった。
 
 一方、徳川勢は当然のように猛攻にさらされ、劣勢を強いられていた。
 「敵の動きが恐ろしく速い!?」
 家康は自分の見積もりの甘さを噛みしめることになる。こちらの目的が一撃離脱による嫌がらせ攻撃だと、武田勢に早々に気づかれてしまったらしい。これはまずいことだった。敵と四つに組むことを想定していないから、将兵たちには交戦より離脱を優先せよと命令してある。それは一方で、将兵たちが最初から本気で戦う覚悟を決めていないということでもあった。
 武田勢は小賢しい探り合いは不要とばかりに全部隊をこちらの本陣へと突撃させて来る。しかも恐ろしく動きが早い。これでは離脱する前に敵に追いつかれ、蹂躙されてしまう。
 「家康さま!ここはお任せください!予定通り撤退してください!」
 銀髪黒ギャルの忠勝が、猛然と槍を振るいながら進言する。
 「でも、あなたたちを置いては!」
 「いいから行ってください!三河武士の力、ご覧に入れましょう!お早く!」
 被せられた忠勝の言葉に応じて、茶髪白ギャルの忠次が家康の馬の尻を槍の腹で叩く。
 家康は意を決して馬を走らせる。が、逃げ切れるか?と自問する。振り向いている余裕もないが、武田騎馬隊のひづめの音がすぐ後ろに聞こえるように思える。
 もはや徳川勢は瓦解し、組織的な行動もとれないまま散り散りになりつつあった。

 情勢は、上空からヘリで支援を行っている田宮たち自衛隊員らの方が正確に把握していた。
 はっきり言えば、徳川勢は敗走し、後は追撃する武田勢に叩き潰されるのを待つばかりと言えた。
 「左の武田騎馬隊の将を狙え!追いつかせてはならん!」
 田宮の命令に応じて、UH-60Jのドアガンである50口径機関銃と、複数の89式小銃が武田騎馬隊に向けて火を吹く。だが、効果は限定的だった。武田の馬はよほどよく訓練されているらしく、銃撃に怯えることがない。加えて、武田の将兵は勇猛で、味方が銃撃で倒れた程度では戦意を失うことはない。
 家康の本陣を追撃する勢いが衰えることはなかった。
 「アパッチ!敵の将をやれないか?」
 『やっているが…ここからじゃ誰が将なのかわからん!』
 AH-64Dのパイロットからの返答に、田宮は焦る。敵はこちらの意図を読んでいるのかもしれない。誰が将なのかわからないように何人かの人間に将らしい装いをさせておけば、こちらはほとんど的を絞れない。敵の馬印周辺を適当に銃撃したところで、敵を混乱させることすら難しいのだ。
 あまりにも迅速で、しかもこの時代特有の人海戦術を行う武田勢に対し、2機のUH-60Jと2機のAH-64Dでは手が足りなかった。銃弾やロケット弾を撃ち込まれようが向かってくる兵たちに、自衛隊の攻撃は支援攻撃の用すらなさなかったのである。

 「こんな…こんなことが…」
 家康は一度馬を止めて振り返り、その絶望的な眺めに言葉を失った。徳川の兵たちはことごとく分断され、包囲され、殲滅されつつある。
 「なんということなのだ…」
 自分を信じてついて来てくれた三河の兵たちが、なすすべもなく敵の刃にかかって行く。
 自分のせいだ。こんなことなら籠城しているべきだった。自分がつまらない功名心を出したばかりに彼らが…。
 「ふ…ふふふふ…」
 家康は、力のない乾いた笑いを漏らし始める。
 愚かも極まったものだ。これでは到底将として名を上げ、信長様に認めていただくことなど覚束ない。なぜ田宮隊長と張り合おうなどと考えてしまったのか?
 「あ…ああ…?」
 その瞬間、家康の内側から、なにかドロドロしてどす黒いものが駆け上がって来る。家康には分かった。これは負の感情だ。絶望、後悔、劣等感、復讐心。そう言った感情が混じり合い、体の内側からものすごい勢いで湧き上がってくる。
 どうせもう徳川家康は終わりだ。なら先のことなど考える必要はない。
 狂え!狂え!狂え!
 潰せ!潰せ!潰せ!
 家康の体の奥から今まで感じたこともないような力が湧き上がる。全身を突き抜けるような快感が駆け抜け。頭の中が真っ白になり、やがて何も考えられなくなった。

 「おいおいおい!こりゃやばいぜ!」
 家康に起こっていることは、上空の田宮たちからもはっきりと見えた。
 間違いない。あれは”邪気”だ。家康が邪気に呑まれ、物の怪と化してしまったのだ。
 どす黒い光をまとった家康の体がみるみる大きくなり、異形の姿へと変貌していく。
 「アラクネ、あるいは女郎蜘蛛というところか…」
 変貌した家康の姿は、美しくもおぞましかった。
 下半身は黒曜石のような輝きを放つ甲冑を持つ、巨大な蜘蛛の姿をしている。上半身は家康の面影を残しているが、肌は死人のように白くなり、腕や胴体をやはり黒い甲冑に覆われ、まるでボンデージのようだ。
 「まさか家康さまが”邪気”に呑まれちまうとは」
 「”ならぬ堪忍するが堪忍”とは言うが、実際には我慢も多かったんだろうよ。
 この敗走で溜まったものが噴き出たのかもな!」
 ドアガンを担当する古賀三曹に田宮が応じる。”邪気”に呑まれる原因は様々だが、家康の場合、長い人質生活から続く不便やわだかまりがついに爆発したのかも知れない。
 「田宮二尉、どうする?」
 「追ってください!なんとかしないと!」
 機長は田宮からの返答に、UH-60Jの機首を物の怪と化した家康の方に向ける。
 家康ははじかれたように猛然と8本の足で走り出し、立ちふさがる武田兵を片っ端から切り刻んでいく。鋭い刃のついた足が閃くと、武田兵の首や腕が宙を舞っていた。
 今度ばかりは武田兵の勇猛さが仇となった。想定外の事態だが、それでも自分の役目を果たそうと、物の怪と化した家康に挑んでいったのである。だが、強固な甲冑と鋭い脚は槍や弓でどうにかなるものではない。
 武田兵の屍の山を築き、それを踏み越えて、家康は武田の将である山県昌影、そして大将である武田信玄の元に肉薄しようとする。
 「田宮、あれなら武田軍を破れるんじゃないか?」
 「だめです、尾張の猿神の時と同じです。弱点を見抜かれたら倒されてしまう!」
 田宮は機長の言葉をぴしゃりと遮る。物の怪とて不死身ではない。今の家康にも必ず弱点はあるはずだ。
 UH-60Jは家康の周辺を旋回しながら、彼女を囲む武田兵たちに銃弾を浴びせる。だがそれは、小競り合いをややこしくするだけで全く問題の解決になっていない。
 「二尉、どうする?いつまでもこんなことやってられないぞ!?」
 「俺が行きます!みんな援護を頼む!」
 田宮はリぺリングの準備にかかる。股下にロープを廻してまとめ、カラビナをかける。右足に着けたポーチからロープを取り出してカラビナに巻き付ける(これはイギリス軍式で、米軍や自衛隊では正式採用されていないが、便利なので現場の判断で行われている)。
 「フラッシュをよこせ!」
 田宮はそう言って閃光弾を受け取り、レッグホルスターのベルトにレバーをたくし込んで固定する。白兵戦に備えて念のため両腕にケプラーの防具を装着。そして、ロープをつかんで降下していく。
 「もっと低く!このまま下ろしてくれ!」
 田宮は無線のプレストークスイッチを押してヘリに指示する。家康の背中に馬乗りになり、例によって胸を揉んで”邪気”を吐き出させる計画だったが、簡単ではない。
 武田兵が自分たちへの攻撃と判断したのか、矢を射かけて来る。なにより、家康もすでに田宮のことがわからないらしく、鋭い爪を持つ手を振り回して攻撃さえしてくる。家康の爪が田宮の前腕をヒットし、凄まじい衝撃が走る。もし防具をつけていなかったら、腕を切り落とされていただろう。 
 『田宮、やっぱり無理だ!』
 「待って下さい!もう一度です!位置はこのまま!下ろしてください!」
 田宮はしつこく家康と自分に矢を射かけて来る武田兵に向かって閃光弾を投げつけて無力化する。その上で、もう一度家康の背に向けて下りていく。今度は首尾よく家康の背に乗ることが出来た。
 「ごめん!」
 レスリングのホールドのように家康の腰に脚を廻して固定し、胸を思い切りつかむ。
 「ああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーっ!」
 家康が恐ろしい絶叫を上げる。大きさこそ信長には及ばないが、見事なお椀型のふくらみをつかんだ田宮の指の間から、”邪気”がものすごい勢いで放出されていく。黒いガスとも陰ともつかないものが猛烈な勢いで吹き出ていく。
 武田の兵たちも、あまりに壮絶でおぞましい光景にあっけに取られている。
 やがて、家康の体が急速に小さくなっていく。巨大な蜘蛛の姿をしていた下半身は見る間に縮んでいき、元の美しい尻と形のいい脚に戻っていた。上半身を覆っていた甲冑も消失していく。気が付けば、田宮の腕の中に生まれたままの姿の家康がいた。
 「田宮…殿…?」
 家康が目をぱちくりとさせる。どうやら今まで自分が何をしていたか自覚がないようだ。
 「ヘリ、このまま上げてくれ!家康、俺の体にしがみつけ!」
 田宮はそう言って左腕で家康を引き寄せる。同時にホルスターから9ミリ拳銃を抜いて、今まさに槍を突き出そうとしていた武田兵を撃ち倒す。 
 UH-60Jはそのまま高度を上げていき、田宮と家康は抱き合ったまま宙づりになる。
 田宮は拳銃で矢を射かけようとする武田兵を撃っていくが、ついに弾がなくなってしまう。
 やはり、9ミリ拳銃は時代遅れの役立たずだ。田宮は腹の中で毒づいた。9ミリであるにも関わらず、マガジンは短列で9発しか装填できない。それに、マガジンキャッチがグリップの底にあるから、片手でマガジンを抜くことができないのだ。
 片手でマガジンを抜ければ、ホルスターに入れてリロードする手があるのに。
 移動中にマガジンを無くす危険を防止するために実用性を軽視するなど、いかにも現場を知らない者たちの発想だ。
 だが、間一髪田宮と家康は弓の射程外に脱出する。射かけられてくる矢は、届くことなく放物線を描いて落ちていく。
 「ありがとう。一応例は言っておきます。助けに来てくれるとは意外でしたけど」
 「全くいい迷惑だ。でもね、あなたに万一のことがあったら、忠勝殿や忠次、なにより信長様に何て言えばいいんだ?」
 ヘリのキャビンに収容された2人は、そんな調子で憎まれ口をたたき合う。絶望的な状況から生還して、気が緩んでいるらしい。
 「田宮殿。かめらを持っているか?私を映して欲しいのだ」
 「カメラですか?あるけど」
 家康がそう言って、貸し出されたフライトジャケットを脱ぎ捨て、美しい裸をさらす。
 「軽率な行動が原因でこのざまだ。このひどい顔と恥ずかしい姿を残しておきたい。後々の戒めとして」
 家康はベンチシートの上で脚を組み、ほおに手を当てる。
 田宮はそれに応じてデジカメを構える。たしかに、しかめっ面で美少女ギャルが台無しだ。ともあれ、ヌード撮影は役得なので、素直にシャッターを切ることにする。
 後に、家康は現像された写真を常にそばに置き、戒めとするようになった。
 田宮がこの時のデータをコピーしてこっそり保管していたのが後に家康にばれて、ものすごく怒られたのは内緒だ。

06

 三方ヶ原の戦いは徳川の敗北に終わる。
 とはいえ、武田も決定的な勝利をつかむことができなかった。家康や忠勝、忠次といった徳川の主要な人間にはことごとく逃げられてしまった。加えて、織田の援軍が予定を早めて到着したことで、浜松城を攻める余裕がなくなってしまったのである。

 「愚か者!」
 数日後の浜松城に、乾いた音が響き渡る。遠江の戦線と浜松城を視察するためヘリを借りて飛んできた信長が、家康に平手打ちを食らわせたのだ。
 「時間稼ぎや、徳川の面目のことを考えた判断は一理ある。
 だが、結果としてお前は三河の兵をしこたま死なせてしまった!あまたの家から子や親を奪ってしまったのだ。
 二度とするな!」
 「はい!心得ました!」
 家康は背筋を伸ばし、大きな声で返答する。だが、不安を隠すことができず、すぐに泣きそうな顔になってしまう。
 「そんな顔をするな、お前は岡崎城の主、徳川家康だろう」
 信長はふっと優しい顔になり、家康の頭を撫でる。緊張が解けたのか、家康も笑顔になる。
 「知も本当にご苦労だった。そして礼を言うぞ。
 家康が蜘蛛の物の怪の姿で討ち死にでは悲し過ぎるからな」
 「恐れ入ります。
 いやしかし、あそこまで怖ろしいと思ったのも初めてでしたよ。なんせ降りた先が敵のど真ん中ですからね」
 そう言って、信長と田宮は笑い合う。生きているからこそ、こうして笑い話にもできる、と思いながら。
 「で、家康のおっぱいの感触はどうだった?」
 「形が良くていい揉み心地でした。あと、ちょっと固かったので、まだ大きくなるかと!」
 ふんす!と鼻息を鳴らしながら田宮が返答する。
 「ば…馬鹿あ!」
 家康が真っ赤になりながら言う。が、田宮に向けるその目と表情は、戦いの前とは全く違うものだった。
 (これはあれだな)
 (間違いなくあれだねー)
 横に控えていた藤吉郎と氏真が目で会話する。
 (まあ、悪い話ではないか?)
 (徳川の当主として、お婿さんのことも考えておかないとだしね)
 忠勝と忠次も同じように目で会話する。家康に生温かい視線を送りながら。

 「申し上げます!」
 「どうした?武田が動き出したか!?」
 突然部屋の外から大きな声で報告する伝令に、信長たちに緊張が走る。
 「はい、動き出したことに違いはないのですが…、武田勢は東を目指しています」
 その言葉に皆が顔を見合わせる。どういうことだ?
 「転身して今川を叩こうとでもいうのでしょうか?」
 「いまさらそんなことして意味あるかな?昨日まで織田を叩く気満々だったし」
 「もしかして撤退するのかも。兵糧が尽きたとか?」
 「まさか、数も兵の質も向うの方が有利なんだ。今戦えば勝てる可能性が高いのにもったいないだろう?」
 突然にして謎の武田勢の転進は、織田方を大混乱に陥らせた。
 織田がたが、武田に何があったのかを調査している間に、武田勢は陣を払っていた。せっかく占領した遠江東部を放棄して、驚くほどの速さで信濃へと引き上げてしまったのである。
 色々と憶測は飛んだものの、織田がたはついにこの謎の撤退の理由を突き止めることができなかった。
 助かった、と喜んでもいられなかったのである。
 また、武田勢が撤退したことで壊滅的な損害こそ避けられたものの、織田、今川、徳川ともに兵力や物資の損失も大きく、自衛隊も武田軍の策略で貴重な燃料や弾薬を浪費させられてしまった。
 結果としては双方痛み分けであった。
 
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