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03 甲信の死闘編

武田の攻勢とご機嫌斜めなギャル姫様

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01

 三河湾、沖島海域。
 『ホワイトホーク1よりホワイトホーク2。“あやかし”を補足!
 これより雷撃する。フォローについてくれ!』
 『ホワイトホーク2了解。浮上してきたところを蜂の巣にしてやる』
 水面の下を泳ぐとてつもなく巨大な何かにむけて、SH-60K対潜ヘリの1番機が魚雷を投下する。パラシュートでゆっくりと海面に下りていく魚雷にはキラキラと光るものが尾を引いていた。
 魚雷は着水するとパラシュートを投棄し、エンジンを指導させて猛然と目標を追尾し始める。
 『“あやかし”潜行しつつ転進します。方位3-6-1速度20ノット』
 『逃がすものですか!』
 SH-60Kのオペレーターはスクリーンをにらみながら、スティックで魚雷を操作する。光ファイバーによって誘導される一二式魚雷改は追従性も誘導の精密性も、従来の魚雷の比ではない。エンジンもスクリューもついていない相手だろうと、正確に追尾し殲滅する。
 『魚雷、着弾します』
 魚雷のアクティブソナーが発信され、“あやかし”に突撃すると、成形炸薬弾を起爆する。海上からも観測できる派手な爆発が起こる。
 『“あやかし”浮上してきます』
 『こうしてみると本当にでかいな…』
 “あやかし”と呼ばれるそれは、形容する言葉を持たない姿をしていた。頭はヒゲ鯨に似ているが、体は蛇のように長く、全長にして100メートルはある。地球に存在するいかなる生き物とも似ているようで似ていない。正に異形と呼ぶべき姿をしていた。
 『背中に“南無阿弥陀仏”って書かれてるぜ!』
 『化け物になってまで俺たちの邪魔をしようってかよ!』
 対潜ヘリのパイロットたちが舌打ちする。
 ことの始まりは、沓掛城の戦いから数日にして、今川の力が弱まったと見た一向宗門徒たちが、三河において大規模な一揆を起こしたことに遡る。
 悪いことに三河には一向宗を信心するものが多く、松平の家の者たちまでが一向宗に味方する事態になった。松平と今川の連合軍に自衛隊の近代兵器と作戦が加わり、なんとか鎮圧したと喜んだのもつかの間。
 “怨霊となって祟ってやる”とばかりに、海に身を投げた門徒が邪気に取り憑かれて物の怪となり、周囲の港や往来する船舶を襲い始め、あまつさえ高波を引き起こして田畑に害を与え始めたのだ。
 “あやかし”と命名された物の怪の背中の“南無阿弥陀仏”の文字は、門徒たちの執念が形になったようで不気味さを引き立てている。
『ヘルファイア、攻撃始め!』
 対潜ヘリ2番機から対戦車ミサイルが放たれ、白煙をたなびかせて“あやかし”に向かっていく。ヘルファイアは8発全弾命中し、“あやかし”は血を拭きながらのたうち回る。が、暴れるばかりで無力化できた様子はなかった。
 『ち!やはりあのデカブツは俺たちだけじゃ無理か。
 ホワイトホーク2より“はぐろ”へ。目標はいまだ健在。
 主砲による射撃を開始されたし。間接射撃指示を送る!』
 『“はぐろ”了解。これより射撃を開始する』
 10キロほど先で光が閃き、ついで“あやかし”の体に“はぐろ”の62口径5インチ単装砲から放たれた徹甲榴弾が着弾する。血肉が派手にまき散らかされる。成形炸薬弾のメタルジェットにはぎりぎり耐えられても、内部に潜り込んで内側から炸裂する徹甲榴弾には耐えられなかったらしい。
 “あやかし”は海面に浮かんだまま動かなくなり、やがて姿がかき消すように消えていく。これまでの物の怪と同じだ。やたらしぶといが、不死身ではない。一定以上のダメージを与えれば殺すことができる。
 『ホワイトホーク2より“はぐろ”へ。目標の消失を確認。作戦終了』
 対潜ヘリの乗員たちが安堵のため息を漏らす。
 だが、“はぐろ”艦長である深町一等海佐以下クルーたちは勝利を手放しで喜べずにいた。
 「まずいですね。本艦も主砲とミサイルで武田の侵攻を阻止する予定が狂ってしまった」
 「今にして思えばその為の一向一揆だったんだろうな。史実でも武田信玄は“敵の敵は味方”と一向一揆と手を結ぶことが多かった」
 一向一揆は筵旗を掲げて城や公共施設を攻撃するだけではない。ゲリラ戦を展開し、補給路を寸断したり町や村を煽動してサボタージュを起こさせたりもする。
 最近ではあろうことか、港や船を狙って海賊まがいのことまで始めている。しかも、陸路が塞がれたなら海路があるとばかりに、船を用いて神出鬼没に動き廻っている。
 “あやかし”は殲滅したが、一向一揆は組織的な反乱こそ鎮圧したとは言え、ゲリラ化した者たちを掃討仕切れていない。どうしても三河と遠江の沿岸部に海自の戦力を残しておく必要がある。
 それは裏を返せば、信濃から侵攻する武田勢を阻止する力がそれだけ失われてしまうことも意味していた。甲斐の虎、武田信玄の思惑通りに。

 ところ変わってこちらは信濃と遠江の国境。
 「これ以上支えきれません!陣が突破されます!」
 「武田騎馬隊、向かってくるぞ!」
 織田、今川の連合軍は、襲い来る武田の騎馬軍団によってなすすべもなく敗走しようとしていた。
 「なんてことだ…。武田の騎馬隊、ここまでとは」
 今川の武将は歯がみする。噂には聞いていたが、武田の騎馬隊の速さと強さは別次元のものだった。狭く入り組んだ地形だろうと、足場の悪い森林の中だろうと、急な坂だろうと器用に走破する。恐るべき機動力と迅速さに、連合軍は全く対応できないまま戦力を削られていく。
 「くそ!機動力が売りの武田軍ならではだな!」
 上空でヘリによる支援を行っていた陸自の二尉は、何もできずに味方の陣が崩されていくのを指をくわえて見ていることしかできなかった。
 彼の記憶が正しければ、武田の戦い方は第二次大戦にドイツ軍が行った電撃戦に酷似していた。機動力を活かした一撃離脱戦法で敵陣の弱いところを攻め、敵を攪乱し、分断したところで各個撃破する。
 上空から見ると、作戦の巧みさと緻密さが良くわかる。騎馬隊がこちらの陣に穴を開け、そこに歩兵が突入してぐりぐりと穴を拡げていく。
 「二尉!乱戦になっています!撃ったら味方にも当たりますよ!」
 「わかってる!ここはもうだめだな!織田軍と今川軍の武将に連絡。後方の砦まで撤退する!」
 乱戦に持ち込まれては、自衛隊の火器による支援も封殺されてしまう。もはやここは味方を撤退させ、自衛隊は追撃してくる武田軍を足止めするしかなかった。
 かくして、信濃と遠江の国境における戦いは武田軍の勝利に決する。織田、今川軍は、多くの兵を失い、南に撤退することを余儀なくされる。なにより、武田の騎馬隊の機動性と縦横無尽な活躍は、多くの者たちに大きな精神的打撃を与えたのだった。

 「御館様、作戦は成功ですな。
 織田と今川の兵たちはなすすべもなく撤退して行きますぞ。
 うわさに聞くじえいたいの火力も、乱戦に持ち込まれては力を発揮できない様子」
 「うむ。いつもながらわが騎馬隊の働きは見事ですわね」
 隻眼の老将が彼の主君である金髪の少女に満足げに言う。金髪の少女も、自軍の圧倒的な強さと戦果に上機嫌だった。
 「少し外します。勘助、ついてきなさい」
 「は」
 少女は老将を伴って、陣の中心におかれた豪奢な輿に足を向ける。
 きょろきょろと周囲を見回し、輿の戸を開け素早く少女は中に入る。
 「姉さん、お加減はいかがですか?
 作戦は成功ですわ」
 「わかりました。報告ご苦労様です」
 輿の中にはもう1人少女がいた。
 2人の少女は、金髪も琥珀色の目も同じ。まるで鏡を挟んだ実体と虚像のようにうり二つだった。
 「ごめんなさい信廉。わたくしの体が丈夫でないばかりにあなたに苦労をかけて…」
 「おっしゃらないで下さいな、姉さん。武田の総帥は姉さんをおいて他にはあり得ませんわ。
 そんな姉さんの影武者なんて、非才なわたくしにはとても光栄なことなのですから」
 まあこれが、体があまり丈夫でないと噂される武田信玄が、いざ戦闘となると元気に前線で指揮を取っているという謎の真実だった。
 信玄は類い希なる軍略家であり、政治家であり、カリスマでもある。だが、体に持病を抱えているため、軍事でも政務でも無理ができないのだ。
 一方で、双子の妹である信廉は、才気こそ十人並みではある。が、体は丈夫だし、なにより与えられた役目を忠実にこなすことに関しては極めて優秀だ。
 信玄が軍事や政務に関して戦略を立て、信廉が表向き信玄として実行する。そのやり方で、武田は版図を拡大し、山間の田舎と軽視されてきた甲斐、信濃を大国に育て上げてきたのだ。
 「姉さん、兵たちにねぎらいの言葉をかけてあげなければなりませんが。姉さんが行かれますか?それともわたくしが?」
 「ごめんなさい…。具合が良くありません。お願いします、信廉」
 そう言って信玄は信廉に将兵たちの慰撫を任せ、送り出す。
 「では勘助、参りましょうか」
 「は、御館様」
 “武田信玄”が実は2人存在することを知る数少ない人物である老将、山本勘助はあえて何も言わない。2人が納得してこんな苦しいやり方をしているなら、他人が口を挟むことではない。何より、どれだけ痛ましいと思っても変わってやることはできないのだ。
 (わたくしは武田信玄。多くの将兵が、民たちが武田信玄を必要とするなら、わたくしは武田信玄になる。
 たとえ、多くの者たちの信頼に背を向け、謀ることとなろうとも)
 信廉は信玄の影として生きる決意を新たにし、将兵たちの慰撫へと向かったのだった。

02

 三河と遠江の国境にあるとある村。
 「みんな聞いてくれ!俺たちは今川と織田の侍たちにやられたんだ!やつら、俺たちが謀反を企んでるって因縁をつけて問答無用で攻めて来やがった!」
 負傷して村に保護を求めてきた一団が大声で村人たちに訴えていた。リーダー格らしい禿頭の男が自分たちに何が起きたかを大声で訴える。が…。
 「おい、それってこれのことか?
 俺たちにはあんたらの方が加害者に見えるがな!?」
 その声に村人と一団が振り返ると、自衛隊員が車両の屋根からつるしたスクリーンに、プロジェクターで映像を映し出していた。そこに移っているのは、“南無阿弥陀仏”の筵旗を掲げた一向一揆が村を襲い、かけつけた自衛隊に反撃される場面だった。
 「これあんただろ?これが一方的に攻められてるように見えるか?」
 自衛隊の指揮官である一尉がスクリーンを指さす。画像は多少粗いが、その禿頭は目立つ。多くの人間にとっては、自衛隊員の言うとおりに見えた。
 「だ…騙されるな!あんな怪しげな妖術なんか信用したらいけない!
 あのまだら模様のやつら、あんたらを騙そうとしてるんだ!」
 「ふざけんな!あんたの顔はっきり覚えてるぞ!あんたこそみんなを騙そうとしてる!村の衆、こいつら一向一揆のやつらだ!」
 自衛隊の車両から百姓と思しい少年が進み出てきて、禿頭の男の弁明を遮る。
 見れば、映像の中に少年も写っている。襲われているところを自衛隊に助けられている。映像を見る限り、どちらが加害者で被害者かは明らかだった。
 村人の心証は、一気に自衛隊を信用する方向に傾く。
 禿頭の男は歯がみする。自分たちの立場の危うさを思い知ったからだ。周辺の村や町の者たちを威圧するためには一向一揆の威を駆らざるを得ない。一向一揆に対する恐怖が、無茶なごり押しも可能とするからだ。
 だが一方で、それには“南無阿弥陀仏”の筵旗という動かぬ証拠を掲げて行動しなければならない。ゲリラとして浸透戦術を行うには致命的な欠陥と言わざるを得なかった。
 「くそ!やっちまえ!仏敵を殺せ!」
 居直って刀や槍に手をかける一向一揆の者たちは、離れたところで89式小銃を構えていた自衛隊員たちに一方的に射殺されていく。
 「そこまでだ!鉄砲を捨てろ!」
 運良く銃撃を免れた禿頭の男が、まだ幼い少年の首に刀を押し当てながらどなる。
 「おいおい、子供を人質にとるのか?
 さっきお前は俺たちを仏敵といったが、お前のやってることが仏の道か?」
 「へ!俺たちは正しいことをしてるんだ!多くの者を救うためには必要なことだ!犠牲になった者も極楽往生できるんだ。何も問題はない」
 二尉の言葉に、禿頭の男は臆面もなく返答する。
 「おい、笑わせるなよ!いい加減な嘘で村の衆を騙そうとしておいて、嘘がばれたら居直って暴力と脅迫に訴えるだと!そんなやり方に正しさがあると思うか!?
 村の衆、どうかな?」
 二尉の言葉に、村の衆の怒りについに火がつく。一向一揆の者たちにも考えも事情もあるだろうが、このやり方はひどすぎる。
 「ふさけるなよ!これじゃ盗賊とかわらないじゃないか!」
 「いい加減にしろ!もう一向一揆はうんざりだ!」
 「子供を離せ!村から出て行け!」
 村人たちから禿頭の男に罵声が浴びせられる。男の顔が怒りと焦りと、そして狂気に歪む。自分たちの嘘や矛盾を指摘され、うろたえている…のではない。
 この期に及んでも自分たちは絶対的に正しく、正しいことを行うためにはなにをしても許されると本気で信じている。自分が罵声を浴びせられる理由が理解できず、本気で憤っているのだ。
 「うるせええ!俺たちは絶対的に正しいんだあ!
 お前らが悪いんだ!お前らみたいな馬鹿なやつらが俺たちの邪魔をするからこんなやり方をしなきゃならねえんだあっ!」
 理不尽な怒りで我を忘れている男は、着剣した89式を自分に向ける自衛隊員たちを遠ざけようと、うっかり子供の首から刀を放し自衛隊員に向けてしまう。
 一発の銃声が響き、男は頭から血を流しながら糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
 「おっと、坊や、動かないで両手をゆっくり上げるんだ。右手に何を持ってる?」
 男の刃から解放され、近寄ろうとする子供に、一番近くにいる三曹が銃口を向ける。子供が右手をおまんじゅうの形にしているのが気になった。腕の内側に刃物を隠している仕草だ。
 「お前さんが一向一揆の連中と一緒にいるところを見たんだ」
 「そういえば、あの子どこの子だ?」
 「見掛けないよね?」
 三曹の指摘に、村人たちがざわざわと騒ぎ始める。
 「ちっ!南無阿弥陀仏!」
 破れかぶれに、腕の内側に隠していた小刀で斬りかかろうとする子供に対して、三曹の89式が火を噴く。
 狙ったのは足だった。
 「よせ!」
 が、もはやこれまでと思い詰めたらしい子供は、小刀を自分ののど元に突き立ててしまった。
 「くそ!子供まで洗脳して少年兵に仕立て上げてるってわけか!」
 三曹は目の前の理不尽な状況に憤る。
 「落ち着きなさいって、カルト集団のやることだ。常識では計れない、狂ってるとしか思えないことをやつらは平気でやる」
 後ろにいた二曹が、三曹をなだめる。実の所、二曹も含めて誰もこの狂ったとしか言い様のない状況に納得してはいなかったが。

 「いい大人なのに、全く分別がないもんだな」
 一向一揆の仲間とともに、荷車で運ばれていく禿頭の男の死体を見て、三曹はいらだち紛れにつぶやく。
 「まあ、“正しいことをしてるんだから何をしても許される”と本気で信じてる馬鹿はいつの時代にもいるってことさ」
 親切に相手をしてくれる二曹の言葉に、三曹は渋面を浮かべる。全くもってその通りだと思わざるを得ないからだ。
 21世紀の日本でも、ある芸能人が、なんの根拠もなく犯罪者扱いされ、理不尽な誹謗中傷、脅迫にさらされ多大な迷惑と損害を被ったことがあった。
 当然のように警察沙汰になり、多くの人間が処罰された。が、「自分も騙された」「犯罪者が裁かれないのが許せなかった」「離婚して辛かった」などとくだらない言い訳をして、加害者意識ゼロ。
 また、“国賊弁護士をやっつけろ!”という煽動を裏も取らずに鵜呑みにして、なんの根拠もなく弁護士を懲戒請求した愚か者たちもいた。
 事実関係を問いただされると、「この国を良くしようと思ってやった」などとレベルの低い言い訳をして、これまた加害者意識も反省もなし。
 程度の差こそあれ、自分は正しいことをしているのだから何をやっても許される、となんの根拠もなく信じて、結果に責任を負おうとしない愚か者は世に絶えないということか。
 まあ、ここは21世紀の日本とはちがう。権力による裁定や、法による保護があてにならず、自力救済が常態化していることは斟酌すべきだろう。
 それにしてもこれはひどい。
 一向一揆が鎮圧作戦によって外堀を埋められ、組織の体をなさなくなると、盗賊同然に村を襲う。駆けつけた自衛隊によって返り討ちに遭うと、あろう事か嘘八百を並べ立てて自分たちこそ被害者と主張し、領主や自衛隊を悪者に仕立て上げようとする。
 その嘘がばれると逆ギレして暴力や脅迫に訴える。
 ここまで良識も倫理観もないやつらとはどんなやつらなんだと思わずにはいられない。
 「織田信長もですが、無理な戦いを好まなかった羽柴秀吉も徳川家康も、柴田勝家も、一向一揆に対しては徹底した殲滅を行ったというのも納得できますね」
 「ああ、“南無阿弥陀仏”と唱えれば何をしてもいいと思い込んでいるやつらに、言葉や理屈は通じないだろうからな。
 ついでに、そんなやつらの生命や尊厳より、罪もない人々の生命や尊厳が優先されるのも合理的な話だ」
 妄執に凝り固まり、正しいことをしているのだからなにをしても許されると思い込んでいる者たちを法に従わせるなど不可能だろう。
 「今回だけは許してやる」といって容赦を与えても、恩を仇で返してまた一揆を起こす。約束を交わしても平気で反故にして寝首を搔こうとする。
 そう言った者たちが従順になり、法に従うようになるのは死んだ後だけだ。悲しい話だが、今の状況を見ているとそれが現実だと思わざるを得ない。
 現に罪もない民がやつらの妄執と傲慢の犠牲になっているのだから。
 「どんな悪しき行いも、最初は良かれと思って始められた…か」
 三曹はローマの偉人の言葉を思い出していた。
 念仏を唱えればみな救われる、と説いた法然や親鸞は、ただ多くの人間の心が安らかならんと願っていただけだったろう。よもや念仏を信仰する者たちがカルト化して、これが仏の道と強弁して破壊の限りを尽くすとは思っても見なかったはずだ。
 だが、先人たちの教えを歪曲して、仏の教えのためなら何をしても許されると言って恥じない者たちが現に存在している。
 実家が浄土宗を信仰していて、葬式や法事の度に念仏を唱えていることを思い出した三曹は、忸怩たるものを感じずにはいられなかった。

 ともあれ、この一件を境に三河、遠江での一向一揆は急速に沈静化していく。一向一揆の一団が、嘘をついて体制への反感を煽ろうとした挙げ句、嘘がばれたら居直って暴力に訴えた。そのうわさはたちまち周辺に広まり、一向一揆を孤立させていったからだ。
 ゲリラとは一般人の中に隠れているからこそ成立する。民衆から孤立してしまえば、ゲリラはもはや身を隠すことは不可能だった。
 一向一揆の賊徒たちはつぎつぎと捕縛あるいは殲滅されていき、三河と遠江には平穏が戻っていく。
 それは同時に、武田がたの目論見の1つが頓挫したことを意味していた。

03

 「一向一揆も案外頼りないものですね」
 遠江北部。武田の本陣の軍議の間。
 武田信玄は、三河、遠江の一向一揆が殲滅されたという報告書を読みながら舌打ちする。
 なお、今軍議の上座にいるのは本物の武田信玄だ。
 「いかにも、もう少し粘ってくれると思っていたのですが…」
 勘助が申し訳なさそうに応じる。
 「勘助殿だけの責任ではない。
 織田も噂に聞くじえいたいも、直接的な戦闘力こそすごいが、隠れながら攻めてくる敵に対しては脆弱なはず、と読んだのがまずかったな」
 宿老の山県昌景が沈痛な面持ちで相手をする。線の細い小男だが、身にまとう雰囲気は宿老と呼ばれるに相応しいものだ。
 「僭越ながら、自分は一向一揆と手を組むことには反対でした。
 やつらはヤクザよりたちの悪い狂信者の集まりです。今川と織田に勝てたとしても、そのあとでやつらどんな厚かましい要求を突きつけてくるか」
 長身の優男である内藤昌秀がため息交じりに言う。今言う話ではないとわかっていても、言わずにはいられないのだ。
 「まあ、三河、遠江の一向一揆は壊滅した。もう代価を払う先もないわけだ。
 見ようによっては万々歳ではないですか」
 栗毛の小柄な女性、馬場信春が身もふたもないことをいう。鬼美濃とあだ名される通り、その武勇は有名だ。今回の戦でも機動力に秀でる武田騎馬隊を引率して多くの戦果をあげている。
 が、実直すぎる上に言いたいことを言う性格が災いして、“戦馬鹿”という陰口を頂戴している。
 信玄は信春の言い方に呆れながら、ゆっくりと口を開く。
 「信春の言い方は問題がありますが、確かに後払いの報酬が浮いたことは悪い話ではありませんね。
 しかし、一向一揆が敵を患わせている間に確実に東海に侵攻していくという所期の作戦は頓挫したと言わねばなりません」
 信玄はそこでいったん言葉を句切る。
 「この上は、一気呵成に遠江を縦貫する占領地を確保。敵を東西に分断します!その後戦力を一カ所に集中して各個撃破するのです。
 みなみな、奮起なさい!」
 武田の将たちが「は!」と応じる。
 ちょうどいい機会。と信玄は思う。
 機動力が身の上の武田勢にとって、着実に1つずつ城や高台、川などを取っていく戦い方はじれったいし、不満も溜まるのだ。
 この際、遠江を北から南まで電撃的に占領する作戦を実行。将兵たちをさっぱりさせるのが最善の策だろう。
 (この身は長くはない。この体が言うことを聞く内に、東海の豊かな土地を、なにより海を確保する。それは今、なにを犠牲にしても…)
 信玄は胸元に手を当てながら思う。
 最近めっきり冷たく、重くなっていくように感じる体が、彼女に妄執にも似た欲と闘争心を抱かせているのだった。

 “遠江縦貫作戦”は即時に実行される。
 武田がこれほど大胆な作戦に出て来るとは思っていなかった織田、今川勢は、なすすべもなく東西に分断されてしまう。もとより、武田がどこから本格的に攻めてくるか判断がつきかねて、美濃、三河、遠江の各所に兵力を分散していた織田、今川勢は、兵の質ばかりか量においても優位を確保できなかったのである。
 自衛隊の対応も間に合わず、遠江の5割以上があっさりと武田の手に落ちてしまったのだった。

 「家康様、ご無沙汰しています」
 「田宮殿。ご苦労様です」
 遠江、浜松城。
 田宮は松平元康改め、徳川家康と再会していた。
 相変わらずピンクの髪のギャルっぽい少女だが、今川から独立して一城の主となったからか、以前にも増してその目は自信とやる気に満ちているように見える。
 武田の本命が遠江にあると判明したことで、織田勢は周辺から遠江に戦力を集めていた。三河方面は危険なしと判断がされたことで、家康は武田と対峙する最前線の浜松城を預かることとなったのだ。
 自衛隊からは、支援のために田宮知二等陸尉(特例措置による臨時任官)指揮下の、ヘリを中心とする空中機動部隊、計50名が派遣されていた。
 取り急ぎ状況の確認と、今後の作戦の協議が進められる。
 だが、田宮にはどうも気になった。家康が自分に対してはやたらむすっとしてつまらなそうに対応するのだ。
 軍議は滞りなく終わるが、田宮の懸念は解消されないままだった。
 「さて、お茶にしませんか?お菓子も用意してありますゆえ」
 そう言って田宮は菓子折の包みを開き、中に収まったドーナッツを見せる。軍議の間の女性たちは見るからにうまそうな見た目に喜んでいる。が…。
 「申し訳ないのですが、私は所用がありますので遠慮しておきます。
 みなはお相伴に預かりなさい」
 家康はそう言って素っ気なく軍議の間を出て行こうとする。田宮は切磋にその背中に声をかける。
 「あの、家康様、自分は何かご無礼を致しましたか?」
 「なぜそう思うのです?」
 家康は興味がないという顔で返してくる。
 「どうも、家康様は自分に対して良い感情をお持ちでない様子。
 せめて理由を伺えませんか?」
 家康は軽く嘆息すると口を開く。
 「おっしゃるように、私はあなたにいい印象を持っていません。
 聞けば、信長様、藤吉郎殿、勝家殿とも、ずいぶん爛れたご関係であるご様子。
 さらに、氏実様にもずいぶんと怖く、恥ずかしい仕打ちをなさったとか。
 徳川家の当主として、あなたの実力と知恵には敬意を持っています。優れた男には女が群がるという道理もわかるつもりです。
 なれど、徳川家康個人としてはあなたを好きになれません」
 一気に言った家康は、そのまま軍議の間を後にしてしまう。
 「田宮殿、わが殿がご無礼を致しました!」
 「あ、いえ、言われてみれば家康様の物言いも最もですから」
 銀髪黒ギャルである本多忠勝が平伏すると、田宮は恐縮してしまう。実の所まだキスくらいしかないとは言え、女の子たちが自分に愛情を向けるのをまんざらでもないと思っているのは充分爛れているといえるだろうから。
 「田宮二尉、お間違いなく。
 家康様は本気であなたに悪意をお持ちではないのですよ」
 茶髪白ギャルの酒井忠次が優しい声で説明を始める。
 「はっきり言うと、家康様は二尉に嫉妬されているのです。
 ああ見えて負けず嫌いなところのあるお方ですから。
 あなたの武勇と知略が織田と今川で高く評価されていることもそうですが…。
 信長公があなたの前では恋する乙女そのものであることが妬ましいのでしょう。信長公は家康様がずっと憧れ、目標となさっていた方です。
 信長公に認められる武将、女となることが我が君の夢でした。
 信長公の評価と愛情が向けられるのがなぜ自分でなく田宮二尉であるのか、と…」
 「そうなのですか…」
 忠次の説明に、田宮は得心するところがある一方で、嫌な予感を感じていた。
 自分の記憶が確かで、この後自分の知る史実に沿ったことが起きるとすれば、徳川家にとって、家康にとって非常に危険な事態になる。
 家康の一途さと負けず嫌いが悪い方向に向かなければいいが。
 そう思わずにはいられないのだった。
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