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03 寒い日々だから

オタクに惚れると

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 数日後。
 青海商事総務部長室。
 「部長、こちらが中央省庁に送る資料です。
 御確認お願いします」
 「ご苦労様」
 瞳は元気いっぱいに、総務部長兼取締役の麻佳に資料を差し出す。
 年明けの横断的な勉強会で発表したメガフロート農業構想。
 それに、民間の研究機関や大学、造船会社などと話し合い、肉付けをしたものだ。
 まだ青写真の段階だが、十分に実現性のあるものになってきた。
 麻佳は、メガフロート農業という途方もない考えが、誰にも本気にされないのではないかという危惧も抱いていた。
 だが、その予想に反して研究機関も大学も企業も、それなりに乗り気であるようだった。
 瞳が力説した、“日本だからできること。日本にしかできないこと”というフレーズが、多くの関係者の言葉を捉えたらしい。
 国内に広大な肥えた土地を持つ国家にはそもそも必要性のない案。
 では必要性があったとして、現実味や実現可能性は? 
 確かに、日本の造船業にかつての勢いはない。
 だが、船の品質においては依然として高い信用を世界から得ている。
 なにより、試作品とはいえ実用レベルのメガフロートを建造した実績があるのは日本くらいだ。
 このような瞳の力説は、関係者たちのモチベーションを刺激したらしい。
 官民合同のプロジェクトチームの立ち上げは前倒しされ、計画が煮詰められる段取りとなったのだ。

 「わかりました。
 今日中に目を通しておくわ。明日にはメールで送れることにしましょう」
 「はい。よろしくお願いします」
 瞳が大きく良く通る声で応じる。
 ずいぶん上機嫌のようだ。
 「なにやら、すごくご機嫌ね。なにかいいことあった?」
 「ふふ…わかります?とってもいいことあったんです」
 瞳はそう言って、キラキラしながら部長室を後にする。
 (瞳さんがあんなに嬉しそうになることってなにかしら…?)
 麻佳はふと思う。
 イケメン3人から求愛されても、困り顔をするばかり。
 それが秋島瞳という女だ。
 よく言って身持ちが固い。悪く言って朴念仁というところか。
 あれだけキラキラしている瞳を、今まで見たことがない。
 (少なくとも、男がらみではないか…)
 そんな予測をして、麻佳は小さく嘆息する。
 聞いたところによれば、瞳はオタク女子で、趣味にかける情熱はすごいのだという。
 それこそ、同人誌即売のイベントでは、熱かろうが寒かろうが朝から並ぶレベルで。
 いい女なのだから、恋にももう少しエネルギーと手間をかければと思うのだが、こればかりは本人がその気にならなければどうにもならない。
 「もったいないわねえ…」
 いまだ瞳とつかず離れずの距離にいる義弟、龍太郎の顔を思い浮かべて、麻佳はまたため息をつくのだった。

 「澄野君、ちょっといいかな?」
 「先輩、いいですよ」
 昼休み、営業部の事務所に立ち寄った瞳が、勇人に小さな紙袋を寄越す。
 弁当を平らげた直後の勇人は、それを大事そうに鞄にしまう。
 「お手間取らせて悪いけど、つかさちゃんに渡してくれるかな」
 「いいですよ。あいつも喜ぶだろうし」
 その後二言三言やりとりすると、瞳は上機嫌で営業部を後にする。
 「最近彼女よく顔見せるけど、なんの用事なの?」
 瞳がキラキラしている理由が気にかかった克己が、勇人に問いかける。
 「ああ、これですよ」
 勇人は紙袋の中身を見せる。
 それは、変身ヒロインアニメのDVDボックスだった。
 最終話まで全巻そろっている上に、予約限定の特典までついている。
 女児向けアニメには素人である克己にも、コアなものであるのはわかる。
 「うちの妹がこれ大好きで。
 瞳先輩と意気投合しちゃったみたいなんです。
 最近妹とSNSでよくこれについてやりとりしてるみたいっす」
 「うーん…。共通の趣味がある友達ができて大喜びしてるってわけか…」
 瞳の上機嫌の理由が判明したのはいいが、克己はむしろ難しい顔になる。
 オタクというのは、趣味には尋常でない情熱を発揮する一方、他の問題に関してはマイペースであることが多い。
 最近1児の父になった大学時代の同級生は、熱心な鉄オタだった。
 結婚してからも趣味に没頭して、奥さんを呆れさせていた。
 さすがに子供が生まれる前後は、周囲から釘を刺されていたこともあって奥さんを最優先していた。
 が、もし放っておいたら、子供を産んだばかりの奥さんをおいて撮り鉄に行きかねない。
 そういう人物だった。
 瞳も似たような感性の持ち主だとしたら…。
 「彼女、俺たちの誰と付き合うか保留したままなこと、忘れてないよな…?」
 「忘れてはいないと信じましょう」
 深刻な面持ちで言う克己に対して、勇人は少し苦笑しただけだった。
 “まあああいう人ですから”とばかりに。

 オタクに惚れるといろいろ大変だ。
 克己と勇人は、今になって自分たちが好きなった相手の難しさを噛みしめるのだった。
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