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荒ぶる暴君

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07
 諏訪部率いる偵察隊は窮地にあった。
 しつこく追跡してくるドロマエオサウルスの群れから逃れたと胸をなで下ろしたのもつかの間、新たな脅威に遭遇してしまったのだ。
 全体的な印象こそドロマエオサウルスに似ているが、はるかに大きい。大人の人間である自分たちを見下ろすほどに。ドロマエオサウルス類でも最大級とされる、ユタラプトルのようだった。
 全身を寒色系の鮮やかな羽毛に覆われ、全長7メートル、体重800キロはあろうかという体躯を持つ2足歩行の禽獣。21世紀に生きる人間にとってはいろいろな意味で異質だった。
 全体的には鳥に見えなくもないが、ノコギリのような歯が並んだ顎はワニを思わせる。大型の捕食者には違いないが、ライオンやヒョウなどのほ乳類とは全く違う印象を受ける。
 どうしたらいい?
 諏訪部にはどう対処したらいいか判断がつかなかった。
 そもそも、目の前にいる生き物について、自分たちは正確には何も知らない。顎の力はどれだけある?どのくらいの速さで走れる?獲物を押さえつける力は?
 「全員、命令するまで撃つな」
 取りあえず、そう部下に命ずるしかなかった。これだけ大きな身体を持つ相手では、89式小銃の5.56ミリ弾などではダメージを与えるのは難しい。発砲すれば、かえって怒らせるだけに終わるかも知れない。
 ユタラプトル2頭のうち、諏訪部の正面にいる1頭が、細長い瞳孔を持つ目でまじまじとこちらを見つめる。
 諏訪部は、ユタラプトルが襲いかかってくるのを待ち、身構えた。5.56ミリ弾でも、急所に当てることができればダメージは与えられるはずだ。
 だが、ユタラプトルが取った行動は予想外のものだった。
 「なんだ…!?」
 2頭のユタラプトルは、首をもたげて上半身を起こし、隊員たちを見下ろすと、大きいが短い咆吼を繰り返し発し始める。鳥の鳴き声を大きく低くしたような吠え声だった。
 威嚇している?諏訪部は直感的にそう感じた。
 獲物を狩る前にわざわざ威嚇をする捕食者はいない。威嚇するのは追い払いたいからだ。ではなぜ?
 そこまで考えたとき、諏訪部は視界の端に何か動いたのを見た。
 銃口を動かさず、視線を茂みの奥に向けてみる。鳥の雛に似たものが動いているのが見えた。全長は30センチあるかないか。柔らかい羽毛に前進を覆われている。体つきは細く、顎もまだ華奢だが、間違いない。ユタラプトルの幼体であるらしい。
 目をこらすと、1頭ではない。4頭、いやもっといるかも知れない。
 なるほど。と諏訪部は思う。
 ペンギンやワニなど、群れの子供を交替で世話をする生き物は存在する。いわば託児所に相当する機能が群れにあることで、大人が狩りに出ている間も子供が危険にさらされることが少なくなる。
 今目の前にいるユタラプトル2頭は、言わば子供たちの引率をしていると言うことだ。つまり、自分たちを獲物として狩るつもりはなく、子供たちの脅威を排除したいということになる。
 威嚇するのは、わざわざ戦って無駄な体力を消耗したくないからだ。動物園のライオンとは違う。野生動物は餌にありつけるとは限らない。余計な体力を消耗したばかりに、後になって餓死してしまうということは充分あり得る。
 「全員、ゆっくりと離脱するぞ」
 「しかし…」
 石田が大丈夫だろうかという調子でこちらに視線を向ける。
 「さっさと消えるなら見逃してくれるってさ。我々を。
 背中を見せるな。ゆっくりと移動するんだ」
 隊員たちは、不安を感じながらも諏訪部の指示通りに銃口と視線をユタラプトルに向けたまま静々と移動を始める。
 ここから東に移動すれば広い台地がある。ユタラプトルが茂みに子供を隠しているなら、台地の方はやつらのテリトリーの外であるはずだ。
 というのは後付けした理屈だった。ユタラプトルが頭を高くもたげ、大きな咆吼を挙げて、足の巨大なかぎ爪をこれ見よがしに上下させている光景は冗談抜きに怖ろしかった。こいつらから少しでも離れたい。
 そんな単純な思いが、隊員たちに移動を決意させていた。
 幸いにしてユタラプトルが追いかけてくる気配はなかった。子供を守っているのであればある意味では当然の話だ。こちらについてきて、子供が隠れている茂みがお留守になってしまっては本末転倒だからだ。
 500メートルも離れると、もう危険はないと判断したらしく、まず1頭が、続いてもう1頭が茂みに戻っていく。
 「た…助かった…」
 子安が溜めていた息を盛大に吐き出す。他の全員も同じ気持ちだった。あの巨大なかぎ爪を突き立てられて殺され、ノコギリのような歯で肉を食いちぎられるのだけはごめんだ。
 自衛隊員という仕事を選んだ以上、時には死と隣り合わせになることは覚悟はしている。任務の中で、力及ばず、あるいは不運から命を落とすこともあり得るだろう。だが、できれば死に方は自分で選びたい。
 理屈でなくそう思わずにはいられなかった。ユタラプトルの怖ろしげな姿と咆吼は、諏訪部たちにそれだけ死を間近に感じさせたのだった。

08
 台地の上に上がると、視界が急に開けた。島の北側が一望できて、絶景とも言える眺めだった。
 「ちょうどいい、休憩にしよう」
 諏訪部は隊員たちにそう支持する。もう1時間以上歩きづめだ。休まないと身体が持たない。幸いにして雨もだいぶ小ぶりになってきた。
 視界が開けたこの場所は、小休止には最適だ。
 「飯にしよう。歩哨は交替で1人ずつ立てることにする。笹沼、最初の歩哨を頼む」
 「了解しました」
 笹沼が諏訪部の言葉に応じて、バックパックを地面に下ろし、見張りに立つ。休憩中に周りを警戒するのに、重いバックパックを背負っている必要はない。
 他の隊員たちは地面に座り込むと、荷物の中から戦闘糧食を取りだして準備にかかる。実際、足は棒になっているし腹も減っていたのだ。
 レトルトパウチをケミカルヒーターで加熱して行く。周辺にカレーや鶏飯のにおいが漂い始める。空きっ腹には、パウチが暖まるまでの時間が辛かった。
 「二尉、お食事中すみませんが、この辺りの土地、妙じゃありませんか?」
 「そういえば…」
 笹沼の言葉に応じて、カレーを口に運びながら諏訪部は周囲を見回す。台地の上とは言え、やたら平らなのだ。この島に上陸してから今まで、ここまで広く平らな土地が拡がっていたのを見た記憶はない。まるで人為的に造成されたかのようだ。平らな土地に雑草が生い茂っている様は、原野と言うよりは手入れもされず放置された更地に似ていなくもない。
 「まさか…」
 子安が、足下に埋まっている何かを半長靴のつま先で掘り返してみる。一見すると石が埋まっているかのように見えたが、土を取り払っていくと、明らかにそれは人工物だった。四角く切られ、研磨された石だったのだ。
 「建物の土台のようですね」
 笹沼が近づいて写真を撮っていく。
 「てことは、あの溝みたいなものは…排水溝…いや堀か?」
 石田が周囲を見回す。半分埋まっていたためにわからなかったが、確かに人間の胸までありそうな長方形の堀が周囲を囲むように掘られていたらしい。土砂に埋まったり、土が崩れて堀の形をしていないところにも堀があるものとしてつなぎ合わせていくと、怖ろしいほど正確な長方形の形をしている。
 「広さを考えるとちょっとした集落ですね」
 「間違いなく人間が生活していた痕跡だな…」
 石田の言葉に、諏訪部はそう答える他はなかった。
 この島は6500万年前からタイムスリップしてきた。そして、6500万年前には人間は影も形もなかったはずだ。
 だが、この台地にあるのは間違いなく人工物。それも集落らしいものの跡だ。
 「できる限り写真を撮っておいてくれ」
 諏訪部は笹沼に、建物の土台らしいものや堀の跡も撮影するように指示する。
 事実は事実として受け止めなければならない。ここには人工物が厳然と存在するのだ。なぜ存在するのかは、後で考えればいい。まずは事実を記録しておくことだ。
 諏訪部は得体の知れない不安を感じていた。白亜紀に知的生命体が存在していたとすれば、ものすごい大発見だ。
 一方で、存在していたのはどんな生命体だ?そして、この集落はなぜ放棄されたのか?その疑問の先には、なにか怖ろしい答えがあるような予感がしてならなかったのだ。

 『偵察隊、手が空いてたらそこから北西の方を見てくれ。すごいことになってる』
 燃料補給のために帰還したOH-6と入れ替わりに電波の中継と周辺警戒についたAH-64D攻撃ヘリから通信が入る。
 この島にきてから良くも悪くも“すごいこと”の連続だが、今度はなんだろうと思いながら、諏訪部と石田は台地の北西側に移動する。
 「これはまた…」
 「確かにすごい…」
 2人に他の感想はなかった。
 双眼鏡で見てみると、状況が良くわかった。
 ユタラプトルの群れが、平たいくちばしを持つ大柄な草食恐竜を取り囲み、狩っているところだった。
 草食恐竜の方は、ハドロサウルス類。白亜紀後期の北米という時期や場所からしてエドモントサウルスらしい。
 全長13メートル以上、体重は3トンを軽く超えるエドモントサウルスに、ユタラプトルの群れは統率の取れた動きで襲いかかる。
 まずは狙いをつけた個体を群れから分離させる。そうしたら、自慢の脚力とかぎ爪の見せ所だ。
 「速いな!」
 エドモントサウルスは加速をかけて逃げだそうとするが、ユタラプトルに追いつかれてしまう。目測でもエドモントサウルスは60キロは出ていたと思うが、それに追いついたユタラプトルはさらに速いことになる。
 1頭、また1頭とユタラプトルがエドモントサウルスに組み付き、巨大なかぎ爪を身体に突き立てていく。身体の大きさも体重差も知ったことかとばかりに攻撃をかけ続ける。
 エドモントサウルスも必死で抵抗するが、全身からの出血でみるみる体力を失っていく。
 21世紀に置いては、一撃離脱を繰り返して獲物が失血で倒れるのを待つという狩りをする生き物はほとんど存在しない。強いて言うなら、チンパンジーが自分より大きい獲物を狩るときくらいだろうか。
 ユタラプトルにしても、体重にして自分の3倍以上ある相手を倒すのは手間がかかるのだろう。だが、獲物が失血で動けなくなるまで何度も爪を立て続ける狩りの仕方は、諏訪部たちにはさながら拷問じみて見えた。
 現代の捕食者のように首を絞めて殺すようなことはしない。じわじわと失血で死んでいく獲物はどれだけの苦痛を感じているだろうか?そんなことを思わずにはいられなかったのだ。
 やがて、エドモントサウルスは力尽き倒れ伏した。全身にかぎ爪を突き立てられ、血を流した哀れだが壮絶な死に様だった。
 「なるほど、獲物が違うから棲み分けができているわけか」
 「どういうことです?」
 はたと膝を叩いた諏訪部に、石田が問いかける。
 「ここに来るまでに見かけた草食恐竜は、トリケラトプス、エドモントサウルス、それに小型の草食恐竜が何種類か。
 小型の草食恐竜をドロマエオサウルス。エドモントサウルスをユタラプトル。そしてトリケラトプスをティラノサウルスが餌にしているとすれば、餌が競合しないだろう?」
 小型で小回りの効く草食恐竜はドロマエオサウルスの獲物だろう。狭いところに逃げ込もうが、森林に身を隠そうが、ゲリラ戦に長けた殺し屋であるドロマエオサウルスからは逃れられない。
 身体が大きく足の速いエドモントサウルスはユタラプトルだ。たった今、その見事な狩りを拝見したところだ。エドモントサウルス自慢の足も、ユタラプトルから逃れるには不足と言うことか。
 同じく身体は大きいが足は速くなく、一方で戦闘力は高いトリケラトプスを狩るのはティラノサウルスだろう。草食動物には必ず捕食者がいるものだが、トリケラトプスを捕食できる生き物となるとティラノサウルスくらいしか考えられない。今日自分の目でトリケラトプスの実物を目にしたからなおさらだ。
 「ユタラプトルなどの大型のドロマエオサウルス類はティラノサウルスが登場する前に絶滅したとされていた。が、最近になって大型のドロマエオサウルス類の化石が発見され始めている。
 身体が大きく足が速いハドロサウルス類の捕食者は誰だったのか。これで謎が解けたわけだ」
 「はあ…」
 石田は諏訪部の恐竜オタクぶりに若干呆れながらも、納得はしていた。たしかに、ティラノサウルスの他には小型のドロマエオサウルス類しか存在しないとなると、ハドロサウルス類を捕食できるものがいないことになる。前者ではあの加速力に追いつけないだろうし、後者ではあのでかい身体には歯が立たないだろう。
 「お?二尉、棲み分けも完全じゃないようですよ?」
 そう言って石田が指さした方向を、諏訪部は双眼鏡で覗く。
 「なんとまあ…」
 木立の中からティラノサウルスがゆっくりと歩き出て来るところだった。しかも2頭。番だろうか?
 「獲物を横取りする気ですね」
 ティラノサウルスの意図は諏訪部と石田にもすぐに察しがついた。ティラノサウルスは、恐らくわざとゆっくりと、咆吼を挙げながらエドモントサウルスの死体に近づいていく。
 ユタラプトルたちは負けずに咆吼を挙げるが、テイラノサウルス相手では分が悪いのは明白だった。
 だが、よく見ているとユタラプトルたちも抜け目がない。何頭かがティラノサウルスを威嚇する間に、他のものがエドモントサウルスの死体を引き裂いて内蔵や肉の一部を引きはがしている。
 ティラノサウルスも自分の取り分が減ることを心配して焦り始め。次第に戦いも辞さずと進み出ていく。
 ユタラプトルのがわも、本気でティラノサウルスと戦う気はさらさらないらしい。切り取れるだけの内臓と肉を持ち出し、その場から立ち去っていく。
 「ひでえ話だ」
 「まあ、家族を喰わせなきゃならないのはお互い様のようで」
 ユタラプトルが去ると、木立から複数の小さな影がちょこちょこと進み出てくる。
 一瞬別の肉食恐竜かと思ったが、ティラノサウルスが警戒心を示さないのを見て、そうではないとわかる。姿は全く違うが、ティラノサウルスの幼体だ。
 全身を柔らかそうな羽毛に覆われ、体型はスリムで顔も細面、身体に比して足も長い。一見すると同じ恐竜には見えない。
 だが、前肢の指が二本しかないのは成体と同じだし、顔は細いが確かに目は前を向いてついている。恐らく、口を開けて調べて見れば、ティラノサウルス類特有の歯並びが確認できることだろう。門歯が他の歯とは異なり、Dの字形の断面を持っているはずだ。
 あれを見れば、獲物の横取りがどうのとも言いにくくなる。子供を喰わせなければならないのに、手段は選んでいられないのが自然界だ。
 「すごい食いっぷりだ」
 「喰い盛りだろうからな。短い間にでかくなる」
 ティラノサウルスの幼体たちは、小さな身体のどこに入るのかと思うくらいの速さで肉を切り裂き、呑み込んでいく。ティラノサウルスは5歳くらいから急激に成長を始め、10歳前後で成体となる。
 頭蓋骨は幅広で頑丈なものとなっていき、身体の重さに比して足の大きさには限界があるから速く走ることは困難になっていく。
 救出部隊を襲ったティラノサウルスと同一個体かどうかはわからないが、救出部隊の報告によれば、2頭のティラノサウルスが前後から挟み撃ちにするように襲ってきたらしい。
 足の遅さをチームプレイでカバーしているのかも知れない。
 「あんなでかくてどう猛なやつらが集団で狩りをするとは。怖ろしいな…」
 「まあ、化石にも集団生活をしていた痕跡はあったらしいからな。
 1頭ではティラノサウルスといえども大型の恐竜を仕留めるのは難しい。
 複数で狩りをすると成功率は上がるかも知れないが、1頭あたりの取り分は当然少なくなる。どちらを甘受するかの問題だろうさ」
 諏訪部はそこまで言って、しゃべりすぎたかと思う。
 ティラノサウルスほどの巨大な捕食者が複数で狩りを行うとなれば、自分たち自衛隊や、石城島の住民たちの危険度は格段に上がる。万が一やつらが石城島に上陸したりすることがあれば…。
 呑気に感想を述べていないで、対策を考えなければならない。
 「出発しよう。食事中なら、やつらもわれわれには興味を示さないはずだ」
 諏訪部は予定を早めて移動を開始することにした。
 ティラノサウルスが食事を終えたら自分たちにとって危険になり得るのはもちろん、獲物を食いっぱぐれたユタラプトルが今度は自分たちを獲物として狩りに来る可能性も考えられる。
 21世紀の地球においては食物連鎖の頂点にいるから忘れがちだが、ここでは人間はどちらかと言えば狩られるがわだ。さっさと離脱しなければ危険だった。

09
 『ノスリより偵察隊。回収ポイントに到着した。上空で旋回しつつ待つ。送れ』
 「偵察隊了解。あと10分で着く。注意してくれ。大型の恐竜に襲われたらブラックホークでも危険だ」
 偵察隊を回収する予定のUH-60Jからの通信に、諏訪部は言葉を選びながら返答する。実際、自分たちを回収するときにティラノサウルスが現れたら?最悪の可能性は考えないことにして、諏訪部は部下を率いて道を急ぐ。
 今は諏訪部が足を骨折した装甲車のドライバーを背負っているから足腰にいい加減負担が来ているが、砂浜まで着いたからには一気に走破してしまった方がいい。
 「う…これは…?」
偵察隊は、砂浜を一望できる砂丘に上がって息を呑んだ。
 なにか巨大で平べったいものが砂浜に所狭しと並んでいるのだ。いや、なにかはだいたい偵察隊の隊員たちにも見当はついた。だが、その大きさのために、自分の目を疑わずにはいられなかったのだ。
 「アーケロンだな…」
 「全長4メートルのウミガメですか…」
 砂浜を埋め尽くしているのはウミガメの群れであるのは間違いなかった。だが、その大きさは、21世紀に生きる人間たちには規格外だった。
 アーケロン。白亜紀の海に生息していたウミガメの一種。大まかな形態は現代のウミガメそのものだが、問題はその大きさだ。全長にして4メートル。甲長は2メートルを超える。甲羅の上に人間の大人が寝っ転がることができそうな大きさだ。
 その特徴である、軽量化のために隙間を持つようになった甲羅は、外見からも良くわかる。
 「笹沼、写真を撮っておいてくれ。あれと、あとはあれ。
 嫌な予感がするぜ」
 巨大なウミガメの群れというだけでも圧巻な光景だったが、諏訪部の目を引いたのは別のところだった。
 アーケロンたちは多くの個体が怪我をしている。ヒレを半分食いちぎられているものもいれば、何かに噛まれた跡と思しい傷を負っているものもいる。身体から大量の血を流し、今にも事切れそうなものもいる。
 あの大きな身体にそれだけの怪我を負わせることができる生き物とはどんなやつなのか。それが大きな問題だった。
 再び降り始めた雨の音に混じって、ヘリのローター音が聞こえてくる。ちょうど回収ポイントにUH-60Jがアプローチしようとしているところだった。
 「長居は無用ですね」
 「ああ、でかいから食いではあるし、ミネラルたっぷりの卵はついてくるし。
 このごちそうをやつらが見逃すはずがない」
 デジカメをポーチに押し込んだ笹沼に、諏訪部は答える。現代でも産卵のためにウミガメが陸に上がるのは危険を伴う。大型の捕食者ならば餌にできるからだ。
 噂をすれば、林の中からユタラプトルが姿を見せるのが見えた。
 「急げ!」
 諏訪部は隊員たちを走らせる。転がるように砂浜を駆け抜け、UH-60Jのハッチに滑り込む。ユタラプトルたちの他にも、アーケロンを狙って捕食者たちが集まって来る可能性は有る。巻き添えはごめんだ。
 「離陸するぞ!」
 機長の言葉とともに、ヘリは急上昇し、“イスラ・ヌブラル”を後にする。
 「夕飯はウミガメの刺身と生き血ってわけか」
 下界では、ユタラプトルの群れがアーケロンに群がり捕食しているところだった。巨大で重いアーケロンは逃げ場もなく、ひとたまりもなかった。
 いかに危険であるとは言っても、産卵を途中でやめるわけには行かない。産卵を終えるのが早いか、仲間が食い殺され、ユタラプトルが新たなターゲットを狙うのが早いか。
 壮絶な生きるための戦いが繰り広げられていた。
 これで終わったのか?
 急速に小さくなる砂浜と、そこに生きるものたちを眺めながら諏訪部はそんなことを思う。
 それはおそらく愚問だと直感する。
 いまだに局地的な低気圧と、通信障害や電子機器の不具合は続いている。まだこれからとんでもないことが起こる。
 なにか根拠があるわけでもないが、諏訪部には確信があった。

 つづく
 
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