詩《うた》をきかせて

生永祥

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☆第53話 約束

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 若菜の声にはっとした冬四郎は、首だけ動かして小夜子の方を見やる。
 小夜子はただ静かに震えていた。そして声を殺して、ただ静かに涙を流し続けていた。

「……本当、一樹の言う通りだな」

 そう小さな声でボソッと呟くと冬四郎は、先ほどの自分の言動を深く反省した。

 調子の良い冗談を言う暇があるのなら、目の前にいるか弱くて、今にも消えてしまいそうな少女を安心させるべきだったと、冬四郎は深く後悔した。

 中々泣き止まない小夜子を安心させるために、冬四郎は先ほどの抑揚のある冗談混じりの声とは打って変わって、優しくて穏やかな声で小夜子に話しかけた。

「……嬢ちゃん、大丈夫だ。明日にはもうベッドから起き上がって、元気いっぱいで病院内を歩き回っているからな」

 その言葉に励まされた小夜子は、少し安心したのか、ホッと胸を撫で下ろす。そしてゆっくりと小夜子は、自身の頬に伝った涙を自身のハンカチで何度も拭う。真っ赤になった目で、冬四郎を見つめると、小夜子は「うん」と返事をした。

「おお!嬢ちゃんは、返事に元気があって良いな!」

「やっぱり嬢ちゃんは、こうでなくっちゃなぁ」と抑揚のある声で答えると、冬四郎は若菜に目配せをした。

 長年の付き合いである冬四郎が、何を言いたいのか分かった若菜は、何度もハンカチで顔を拭く小夜子のほうを、改めて見つめてこう言った。

「立花。そろそろ君も病室に戻った方が良い」
「で、でも!」

 まだ冬四郎の病室に頑なに残ろうとする小夜子を、若菜はやんわりと諭した。

「立花だってまだ身体が万全じゃないはずだ。……それにうちの親父はもう大丈夫だ。あんなに冗談を言う元気と余裕があるからな」

「きっと私がナイフで刺しても絶対に死なない人だ」と若菜は物騒なことを口にする。

「俺を勝手に殺すなよ。息子よ」

 二人の掛け合いをようやく聞き入れることが出来るようになった小夜子は、自分の目の前で繰り広げられる、父と子のおかしなやり取りに、ふふふと笑いだす。

 その笑い声で若菜と冬四郎の間にも、ようやく柔らかい穏やかな空気が流れた。
そして名残惜しいとは感じながらも、小夜子は若菜に付き添われて、ゆっくりと病室を出ることにする。

「とーさん。明日も会って良いかなぁ?」
「おう!大歓迎だぜ!」

 午後に別れた時と同じ口調で話す冬四郎の姿に少し安堵した小夜子は、後ろ髪を引かれながら、冬四郎の病室を後にした。
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