二枚目同心 渡辺菊之助

今野綾

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相棒は若旦那

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 数日後、亀吉を伴った菊之助がふらりと越後屋へとやって来た。亀吉は何やら包みを抱えていた。

 今日はそろって越後屋親子が店で客をもてなしていた。菊之助に気がついた親子は目で合図を交わし、高久が静かに立ち上がった。そして、いそいそと菊之助たちの元へとやってくる。

「そろそろお見えになる頃だと思っておりました。ささ、中へ」

「ああ、縁側にしておくれ。あと、亀吉」

「へい。これは今朝榮太樓よりお礼としてもらったきんつばなんで、少しばかりこちらにも持って参りやした」

 そう言って、和紙で包まれたそれを高久へと手渡した。受け取った高久は頭を下げると「あの時の続きのお話しをお聞かせくださるということですね」と、嬉しそうに微笑んだ。そうして横に控えていた手代にお茶の準備を言い渡して、きんつばを託した。

 三人は今日も大繁盛の越後屋の店を通って、中庭へと歩みを進める。
 薄暗い店を出れば、中庭には優しい秋の日差しが降り注いでいた。そして、つい先日まで重そうに枝を下げていた柿の木は、沢山の実を取り除いて貰い、今は静かに枝のみを残した冬の姿となっていた。

「実をとったか」

 柿の木の下で見上げる菊之助と亀吉。

「頃合いでございましたので」

 高久もまた柿の木を見上げた。

 取ったと言っても、大木のてっぺんには取りきれなかった柿が鳥につつかれたのか、だらしのない格好でぶら下がっている。まぁ、時期を逃すと、大層残念な事になるのはなんでも一緒。柿は食べ頃が過ぎればいずれ果肉は溶け出して、やがてずるりと木から離れて地面に落ちる。無惨な残骸も、時が経てばいつかは消えてなくなる運命。

「あまり見上げてますと、首の後ろがいたくなりやすよ」

 亀吉が物思いから無理矢理引っ張り出すので、ふんっと一息荒い鼻息を出す。

「お前には自然な物を愛でる心はないのか!」

「花より団子の旦那に言われたかねぇや」

 まあまあと高久が割って入って、下働きの女が縁側にそっとお茶を置いて行ったのを差し「とりあえずお掛けくださいまし」と、二人に座るよう促した。断る理由もないので二人は大人しく縁側に歩いて行って、腰を掛けた。高久だけは屋敷に上がり二人の背後にそっと座る。

「榮太樓の件、色々手を貸してもらって助かった」

 菊之助が切り出すと、くるりと振り返った亀吉が菊之助の分もぺこっと頭を下げる。

「いえいえ、私は何も。むしろ、退屈な日々でございますから、少しだけ刺激を頂いて楽しい……と言ってはなんですが、とても興味深いことでございました。それに私、菊之助様の『相棒』でございます故」

 手を返してお茶を勧める高久に、『相棒』という言葉に引っ掛かりながらも、菊之助が手を縦にし軽く礼をした。

「結局、偽者の若旦那は榮太郎の手代だったわ。親戚筋から預かった男だったらしい」

 ある程度予想出来た結果に、高久は瞬きをしながら「左様でございましたか」と、落ち着いたまま返した。

「店の金を使い込んでいたのを白状したんだが、榮太楼の主人のたっての希望でな……不問に付すことになってなぁ」

 そこまできて、菊之助が首の後ろをぼりぼりと掻いた。どうやら、菊之助はしっかり裁きを受けさせたかったようであった。

「金を使い込んだ事に目を瞑るだけじゃなくてよ、榮太楼はそいつに餞別までくれてやって、親許に返したって話だ」

 不満そうな物言いの菊之助に高久が「私もきっとそういたします」と言うから、菊之助が素直に驚いた。

「恩を売るのでございます。恨まれるよりずうっと宜しいかと。もしも、その人がお金に困った時、恨みを買ったままだったとしたら、いの一番に狙われます。ならば、細やかな金と情けで安全を買った方が良いと思いますよ」

 うーんと納得しきれない菊之助が唸り、確かに! と直ぐに同意する亀吉。

「甘いこと、この上ないがな……」

 菊之助の渋い顔つきを眺めながら、ふふっと高久が笑いを漏らす。

「人の心を掴むには厳しくするよりも、ほんの少し甘くする方がずうっと効果がございますよ」

 亀吉が全て悟ったような顔をしてうんと一つ頷いた。

「その偽者、武蔵国に追い返されたんだそうです。元々は武蔵国の小さな菓子店の息子で、榮太樓に修行に来ていたが、なんてぇ言うか不器用だったらしくてなかなか物にならなかった。だから、肩身が狭い。日々の鬱憤がたまりにたまって……」

「店の金を持ちだして吉原に行ったんだとよ。んで、たまたま優しくしてくれた梅野に入れあげたって話だ。まあ、よくある話だな」

 途中から菊之助が話を奪ってしまったものだから、奪い返すように亀吉が後を続ける。

「本当に好いておったようで、最後に一目会いてぇと泣いてやがったんで」

 そこで菊之助と高久の目が合った。二人は梅野を見たのでたぶん思ったことは一緒なのではないかと、菊之助は思った。そこまで好くか……と。高久は持ち前の冷静さを保ったまま、理解を示してこう言った。

「吉原の女子おなごは若い男にはなんとも輝いて見えるものでございます。少々気は強うございますが、話をよく聞き、機転の利くことを言いますからねぇ。しかも、艶《あで》やかな衣装をまとい、色香漂う身振りで誘いますから……癖になりましょう」

 そこでもう一度、高久と菊之助の視線がぶつかって、互いに苦笑する。高久のそれは体験談であろうし、菊之助もまた同じ体験をしているのだから、少々気恥ずかしいようなむず痒さが走った。

「それはそうと……」

 そう言って高久が自分の前の茶を取り上げるので、二人も釣られるように自分の前に置いてあるそれを持ち上げる。

女子おなごは強うございます。私宛に梅野から文が参りました」

 そう言ってずずっと茶を啜る高久に「え!」と羨ましそうに亀吉が反応する。

「短歌ではございましたが、要するに惚れたという内容でございました」

 菊之助はぷっと吹き出して目尻に笑いを溜めて言う。

「本物の、しかも大店の若旦那だ。そりゃ『惚れる』だろうよ」

 高久も小さく肩を揺らして可笑しそうに笑う。

「泣く泣く武蔵国に帰った相手はさっさと見切るのか……ちょいと気の毒だねぇ」

 亀吉が一人憐れんでいるのを傍目に菊之助は愉快そうに庭を見つめる。

「吉原の女なんて、そんなもんだ。生きるのに必死なのだ、仕方あるまいよ。元はと言えば梅野の必死さから出た話だったのだから」

「どんな剣呑な事が待ち受けているのかと思いましたが、誰もお咎めなしですみましたし、ようございました」

「梅野のからくりは案外簡単なもんだったが、それでも一日経たずに広まっちまって、今や吉原の女たちの唇はみんなてかてか光ってるって話だよ。だからよ、ここはひとつ、どんな縁でも良いから日本橋一の大店、越後屋の若旦那を捕まえておきてえってのは、分からなくないがな」

「まさか飴を塗っておったとは……そりゃあ、甘かろうと。偽者の若旦那にも心底甘く感じられたのでございましょう」

 高久の言葉に菊之助がため息を一つ。

「しかしよ、結局、俺が一番甘ぇんじゃねぇか?」

 亀吉がそんな菊之助を見て一言。

「誰が甘くったって構いやしませんよ。みんな甘いんで、一等甘い人間を見つけるなんざ、無駄無駄」

 早々に話をやっつけて、仙人顔で茶を啜る。

「同心様が甘いお方であるから、皆がのんびり幸せに暮らせるのでございますよ」

 上手に持ち上げた高久にまんざらでもなさそうに菊之助が顔を緩めた。

「私もまさか同心様の相棒にしていただけるとは。こう言ってはなんでございますが、次の事件はいつ起こるのかと、そりゃあもう楽しみで」

 菊之助は動きを止めて、目を泳がせる。これはまずい。越後屋の若旦那は本気だ。

「高久さんが一緒ならばなんでも丸く収まりやすねぇ」

 なんて亀吉が仙人顔でしれっと言って寄越すから、否定するわけにもいかず「だなぁ……」と菊之助は答えるのだった。

 甘いことこの上ないとは俺のことよ。心の内で呟いて、縁側で茶を啜った。


『相棒は若旦那』終わり
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