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ほうれん草とマスのミルフィーユ

ほうれん草とマスのミルフィーユ6

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「でも、王子は存在したのね」

 アリシャは一人佇むエドの姿を思い浮かべていた。誰も寄せ付けない空気を纏うエドの姿を。

「ね。でも力を受け継いでいないのは……」

 そこまで饒舌だったアヴリルが急に言い淀んで、手にしていたお玉を止めた。

「先代の王が魔力を持っていたのは確かな事だから、そうなると王女の不貞の子……」

 咄嗟に頭を振り、自分の言葉を追い払うようにしてアヴリルは言い直す。

「いえ、そんなのわからないわ。なんらかの理由で力が子供に移行しなかったのかも。私達にはわからない理由があるんだわ」

 アリシャもそのあたりは憶測で話してはいけない気がして、慌てて止まり気味になっていた作業をこなしていく。

「そうね。それよりルクはどうなったかしら? ナジとボリスが追いかけていたけど」

 ほうれん草を上げて絞り出したアヴリルが「戻ってきてないわね。ほんと、ルクってば。愛は盲目とはよく言ったものだわ」と軽く憤り、勢いよくほうれん草の根本を落としていった。

「これでまた皆のところに顔を出しにくくなってしまうわね」

 アリシャがシュンとする傍らで肩を怒らせたアヴリルが茹でるのに使った鍋を下ろして運び始めた。

 危ないから私がやるとアリシャが言っても、アヴリルは大丈夫だと言って表に運んでいって湯を捨てて来た。

 まだ熱い鍋を慎重に運びながらアヴリルが戻ってきた。

「レオさんって預言者なのかしら? 本当に雪がチラついていたわ」

 アヴリルが鍋を鍋用のフックに掛けると、アリシャの手元を見て、何を作るのか聞いてきた。

「パイ生地を焼いて、パイ生地、マス、ほうれん草、パイ生地、マス、ほうれん草、パイ生地って感じで重ねていくの」

「まぁ、なにその美味しそうな料理!」

 先程、アヴリルはアリシャに元気がないと元気では居られないと言っていたが、それはアリシャの台詞だった。レゼナといい、アヴリルといい、いつも明るく元気に話をしてくれるお陰でアリシャはどんな日でも力が湧いてくるように思う。

「雪が振り始めたなら寒いでしょうから、スープもつけたいわ。玉ねぎを刻んでもらえる?」

「もちろんよ。あ、じゃあ湯を沸かしましょうか?」

「ああ、アヴリル。あんまり重いものをやるのは良くないわよ。そこは私がやるから! それに今日は先に具材を炒めるから」

 アヴリルは笑い声を上げて「レゼナより姑みたいなんだから」とアリシャを軽く叩いてテーブルに並んだ。それから吊るしてあった玉葱を掴んで何個使うのか聞いてきた。

「十個でお願いします。ふぅ、やっと捌き終わった」

 テーブルのマスを焼きながら、要らない部分を豚のエサ用のカゴに落としていく。ココが相変わらず興奮してマスを狙っていた。

 パイ生地とマスを炉で焼き、食器の準備をしていく。

「大変だわ、これじゃ食器が足らない」

 食事の量ばかり気にしていたが、よく考えたら食器も足らなかった。村人の数より多くあるものの、流石に宿に泊まりきれないほどの客は想定していなかったのだ。

「大丈夫よ、イスも全然足らないから」

 アヴリルは事も無げに言うが、確かにその通りだった。

「困ったわ」

「いいじゃない、待たせておけば」

 肝の座った発言にアヴリルの方が宿屋の主人に向いてそうでアリシャは思わず笑ってしまった。

「それにどうせルクとあの悪女は来やしないんだし、足らないって言っても少しじゃない」

 アヴリルは辛辣に言うと、鼻を鳴らす。

「もしあれが来たら私が部屋には入らないわ。ほんと、二度と見たくないもの」

 アヴリルはそこで涙を拭う。これは悲しみとか怒りとか感情からくる涙ではなく、単に玉ねぎがしみているのだ。

「娼婦が強かなのは仕方がない。そうしないと生きていかれないのだし。ただ、あの人は場外で暴れている牛みたいなもので、場違いなの」

 ウィンにまで触手を伸ばそうとしたからなのか、アヴリルはどこまでも辛口だ。いっそ、清々しいほどだった。

「ルクもそろそろ目が覚めると思ったのにガッカリだったわね」

 アリシャは焼けたパイ生地を大皿に乗せて、その上に焼いたマスを敷いていく。次にほうれん草も載せて、塩気を追加する為に取って置きのチーズも挟んだ。

「はぁ、アリシャ。なんて見た目なの! 顔を突っ込んで独り占めしたいわ」

 緑とピンクを交互に重ねて最後にパイ生地で蓋をし「顔は突っ込まないで」アヴリルに笑い掛けた。ついさっきまでおかんむりだったアヴリルなのに、満面の笑みで「わかったわ。大人しくしておくからたくさん頂戴ね、ママ」と冗談を言い、二人で笑った。

 その後は切ってもらった玉ねぎを焦げ茶色になるまで根気よく炒めていく。これはなかなか時間のかかる作業なので、アヴリルとアリシャの二人で交代でやっていった。

 二人で玉ねぎを炒めている間、ドクが来たりウィンが来たり、エドが来たり忙しない。三人は食料庫から食材を移しているので話したりする暇はなかった。来る度に肩に乗っている雪が増えていった。

 三人が二度来た後、ボリスがやってきて手短にルクが家に閉じ籠もって出て来なくなったことと、中から鍵をかけていてナジとユーリもこのままでは宿屋に泊まることになりそうだと告げていった。

「とりあえず、いま外でイザクとも会って、兵は二階に泊まることになったよ。今ベッドがあるけど、ベッド以外の所も藁を入れよう。それなら余裕で全員眠れる。俺たちも含めてね」

 俺たちとはナジ親子とボリスとジャンになるのだが、ここでアヴリルがそうだわと声をあげた。

「そうしたら、リアナはうちに泊めてあげようかしら。男ばかりのところに寝るのもね?」

「そうだな。そうしてやってくれ」

 アヴリルとボリスはやはり兄妹だ。二人とも面倒見が良い。それに引き換え、アリシャは出遅れてしまい手を挙げることもできなかった。

 ボリスは話がつくと、藁を入れなきゃならないからと出て行った。

 アリシャ達は炒め終えた玉ねぎに水を入れ塩こしょうで整え、煮込むことにした。

 革製のミトンをつけ、鍋用フックを一番火から遠くなるように調整し、後は弱火でじっくり煮込んでいく。

「じゃあアリシャ。一旦帰って私もリアナを迎える準備をしてくるわね」

「雪なんでしょう? 私がやりましょうか? 足元が滑ったら大変」

 アヴリルは心配するアリシャの頬にキスをした。

「しっかり注意して歩くから大丈夫よ、ママさん」

 笑いながら出ていくアヴリルをアリシャも笑顔で見送った。

 アヴリルが手伝ってくれたお陰で食事まで時間が出来たので、運んで貰ったライ麦でパン生地を作っていくことにした。

 その夜、大勢の人間で賑やかな夕食会となった。やはりルクとジャンヌは顔を出さなかったが、そのことについて誰も言及することもなかった。

 それと、レクトルが兵士たちと気楽に話す姿を目にしたアリシャはエクトルを少しだけ見直したのだった。
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