上 下
16 / 131
若葉色パンケーキ 苺ジャムとバター添え

若葉色パンケーキ 苺ジャムとバター添え2

しおりを挟む
 森には魔物が棲んでいると言われている。小さい頃からそう聞かされてきたし、鬱蒼とした雰囲気は確かに何かが潜んでいそうだった。

 真っ黒な眼でアリシャを見つめるココ。まん丸の目も垂れ下がった耳もまだ子犬そのものだ。

「でもね、あなたの耳は私のよりずっと良いし、鼻だってずっと利くじゃない? だから、駄目なご主人様を助けてほしいの。わかる? ココ」

 昨日辺りから、どうもココは自分の名前に反応して尻尾を振るようになった。前は何でも反応しピコピコと細長い尻尾を左右に振っていたのだが、今は名前を口にすると耳の付け根辺りが緊張したように持ち上がる。

「そうよ、ココ。あなたに話してるの」

 もう一度呼び掛ければまた上がる。頭を撫でてやるともっとやって欲しそうに身体を擦り寄せてきたりもするようになってきた。

「さあ、行きましょ」

 アリシャがカゴを取ると、ココは相変わらず飛び跳ねるようについてくる。

(こんなに可愛いのに床でなんて眠らせられないじゃない? せめてシーツはめくろうかしら)

 出かける前に炉の火を小さくして、入口の扉を直しているドクとエドに出かけてくると伝えて晴れ渡った青い空の下へと出ていった。

 アリシャの長い髪は今は頭の高い位置で結ってあり、馬の尻尾のように揺れていた。

 いちごの群生は森がポッカリ抜け落ちた、木のないところにあった。葉の合間から覗く赤い実が目を引き、迷いなく辿り着くことができた。

 ココはここでも匂いを嗅ぎ回ることにそれは熱心で、アリシャが屈み込んで苺を摘み始めても、あっちをふらふらこっちをふらふら。

「遠くには行かないでね、ココ」

 名前を呼べばやはり顔を上げ、耳の根本を立てたりするのだから、名を認識しているのだろう。

 今日もやることは山ほどあるし、ココにばかり構ってはいられない。

 赤くなっている苺の実をヘタの近くでくるりと捻れば、難なく収穫できる。とにかく沢山なっているし、毎日来られるわけではないので少し熟し方が足らないものも摘んでいった。

 赤い果実は緑が多い食事に彩りを与えてくれるのできっと喜ばれるに違いない。皆の笑顔を思い浮かべると、とにかく一つでも多くの苺を収穫したくて夢中になった。

 実を隠すように覆いかぶさる葉を退けて苺を見つけてはもぎる。時々虫が齧りついていてドキリとするが、虫を弾いて傷が小さければそれもカゴに入れた。

「やぁ、美人さん。苺に夢中すぎやしないかい?」

 背後から声をかけられた時、心臓が飛び出るほど驚いた。足音や気配も感じなかったし、肝心のココは振り返った時、男の腕の中で尻尾を振っていた。

 アリシャより暗めの赤、鳶色の髪をした背の高い男。野性的な雰囲気なのに笑顔がとても柔和な人だった。

「えっと……もし何か話しかけられていて答えなかったのだとしたら、ごめんなさい」

 謝りながらもココを返して貰おうと手を伸ばすと、その男はココの頭にキスをした。それから横目でアリシャを見て、吹き出した。

「そんなにあんぐり口を開けていたら蜂が飛び込むよ」

 慌ててキュッと口を引き結ぶアリシャに男は近寄ってきて、ココを渡した。しかも手渡した瞬間にアリシャの頭にもキスをしたのだ。

「あ!」

 弾かれたように後ずさりするアリシャに男は面白そうに眉を上げた。

「俺はボリスだ、君は初めて見るね。美人は忘れないからな。はじめまして」

「は、はじめまして……アリシャです。この辺りの人ですか?」

「いや、用事があってね。ドナ村に暫らく滞在するつもりだ」

 確かにボリスの肩には、使い込まれたバッグパックと弓や矢筒が下げられていた。

 気障なボリスの挨拶に動揺していたアリシャだったが、この人がエドの話していた人物であることに違いないと考えていた。

「私もドナ村に住んでいます。住み始めたのは最近ですけど」

「ああ、聞いてるよ。美味い飯を作る人がいるってね。しかし、エドの野郎……美人だってのは隠していやがった」

 お世辞とはいえ美人だなんて何度も言われると恥ずかしくなってきて、頬が熱くなっていく。

「そ、そういうのは意中の人にだけ言うといいですよ!」

 頬が赤いのを見られたくなくて足元にココを下ろすと、苺摘みを再開した。するとボリスは隣に屈んで苺を摘み始めた。

「意中の人だけね。了解した。そうするよ、美人さん」

 からかわれているのは分かっていたから何も言いたくなかった。それなのに、手を動かすとぶつかるほど近くに並ぶから「もう少し、離れて摘んでください」と言わざるを得なかった。

 ボリスは大人だ。エドの狩り仲間らしいが、歳は十くらい離れていそうだった。ボリスからすればアリシャなどからかい甲斐のある小娘なのだろう。

「近いかなー? カゴがここだから手伝うには近くないと」

 確かにカゴは近いほうが効率よく作業出来るが、アリシャのほうはボリスとの距離が気になって動きがぎこちなくなって困る。

「あの! て、手伝って貰わなくて大丈夫ですから」

 吐息が掛かる距離で集中して何かを出来る訳がない。一人で苺摘みをしたほうがよっぽど短時間に終わらせられるはずだ。

「一人でやるより早いし、楽しくない?」

「私は変わり者なので一人の方が早く出来るので──ひゃ!」

 変な声が出た。ボリスが顔を近づけてきたのだ。ボリスの瞳が非常に珍しい若草色であることまで識別できるほどだった。

「虫だよ、虫。ほら、髪についていたから」

 ぽいっと投げ捨てたのを見たら身をくねらせている青虫で、アリシャはもっと大きな悲鳴を上げそうになった。

「あはは、赤くなったり青くなったり忙しいだな」

 何枚もうわ手のボリスはさも可笑しそうに言うと、アリシャの存在などまるで意識していないかのように苺を取り出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します

黒木 楓
恋愛
 隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。  どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。  巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。  転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。  そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

似非聖女呼ばわりされたのでスローライフ満喫しながら引き篭もります

秋月乃衣
恋愛
侯爵令嬢オリヴィアは聖女として今まで16年間生きてきたのにも関わらず、婚約者である王子から「お前は聖女ではない」と言われた挙句、婚約破棄をされてしまった。 そして、その瞬間オリヴィアの背中には何故か純白の羽が出現し、オリヴィアは泣き叫んだ。 「私、仰向け派なのに!これからどうやって寝たらいいの!?」 聖女じゃないみたいだし、婚約破棄されたし、何より羽が邪魔なので王都の外れでスローライフ始めます。

悪役令嬢に転生したので、ゲームを無視して自由に生きる。私にしか使えない植物を操る魔法で、食べ物の心配は無いのでスローライフを満喫します。

向原 行人
ファンタジー
死にかけた拍子に前世の記憶が蘇り……どハマりしていた恋愛ゲーム『ときめきメイト』の世界に居ると気付く。 それだけならまだしも、私の名前がルーシーって、思いっきり悪役令嬢じゃない! しかもルーシーは魔法学園卒業後に、誰とも結ばれる事なく、辺境に飛ばされて孤独な上に苦労する事が分かっている。 ……あ、だったら、辺境に飛ばされた後、苦労せずに生きていけるスキルを学園に居る内に習得しておけば良いじゃない。 魔法学園で起こる恋愛イベントを全て無視して、生きていく為のスキルを習得して……と思ったら、いきなりゲームに無かった魔法が使えるようになってしまった。 木から木へと瞬間移動出来るようになったので、学園に通いながら、辺境に飛ばされた後のスローライフの練習をしていたんだけど……自由なスローライフが楽し過ぎるっ! ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

転生嫌われ令嬢の幸せカロリー飯

赤羽夕夜
恋愛
15の時に生前OLだった記憶がよみがえった嫌われ令嬢ミリアーナは、OLだったときの食生活、趣味嗜好が影響され、日々の人間関係のストレスを食や趣味で発散するようになる。 濃い味付けやこってりとしたものが好きなミリアーナは、令嬢にあるまじきこと、いけないことだと認識しながらも、人が寝静まる深夜に人目を盗むようになにかと夜食を作り始める。 そんななかミリアーナの父ヴェスター、父の専属執事であり幼い頃自分の世話役だったジョンに夜食を作っているところを見られてしまうことが始まりで、ミリアーナの変わった趣味、食生活が世間に露見して――? ※恋愛要素は中盤以降になります。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

異世界でのんびり暮らしてみることにしました

松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

処理中です...