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第五話 『初体験』

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 俺を巡って頼斗とライバル関係を成立させてしまった雪音だけれど、その真意はいまいちよくわからないというか、どこまでが本気なのかがわからないところがあった。
 俺と雪音は出逢ってからまだ日も浅く、いくら俺の容姿が雪音の好みのど真ん中だったとしても、出逢ってたったの一ヶ月ちょっとでは、俺に対してそこまで強い思い入れはないだろうと思っていた。
 だから、俺が「頼斗と付き合う」と言い出せば、案外あっさりと雪音は身を引いてくれるんじゃないかと期待もしていたんだよね。
 いつも自由で勝手気儘に振る舞っているように見える雪音だけれど、恋愛方面では意外に紳士的な一面を持っていたりもするから。
 だけど
「ちょっ……やだっ、雪音っ……やめてったら……ちょっと……」
「お風呂上がりの深雪って好き。全身からいい匂いがするし、お風呂上がりの深雪って何か色っぽいんだよね」
「ばっ……馬鹿なこと言ってないで……やっ! ちょっと! ダメだったらっ!」
 俺と頼斗がとうとうセックスしてしまったと知った雪音は、まだまともに話を始めないうちから俺をベッドの上に押し倒してきて、俺のパジャマを脱がせに掛かってきた。
 俺も一応抵抗らしい抵抗はしてみせたものの、雪音の前では俺の頼りない抵抗はあまり意味をなさず、あっという間にパジャマはベッドの下だった。
「あらら。凄いキスマークの数。頼斗の独占欲の強さが窺えちゃうよね」
「馬鹿ぁ……服、返して……」
 雪音にしても頼斗にしても、俺にエッチな事をする時は、必ず俺の身体のどこかにキスマークをつけてくる。
 体育の授業なんかもあるから、絶対に見えるところにはつけてこないんだけど、下着やタンクトップなんかで見えないところには、それはもう……ってくらいにキスマークをつけてくる時もある。
 今日は俺と初セックスをした頼斗だから、それはもう……の日だった。
 で、それを今、雪音にじっくりと見られてしまっている俺なのである。
「ダメだよ。僕じゃない男に犯された深雪の身体、もっとよく見せてもらわなくちゃ」
「そういう言い方……んんっ!」
 犯された、なんて言い方をされると、まるで俺が無理矢理頼斗にヤられたみたいに聞こえて嫌だった。
 だけど、雪音はあえて〈犯された〉という言葉を使い、俺を辱めて楽しんでいるような顔である。
 俺の身体に無数につけられたキスマークを一つ一つ確認するように眺めてきながら、俺の身体に指を這わせてくる雪音に、息を呑む俺の顎が少し上がった。
「どうだった? 頼斗との初体験」
「…………へ?」
「ちゃんと気持ち良くしてもらえた?」
「なっ……!」
 どういう質問をしてくるんだ。そういう質問って普通はしてこないものじゃない?
 仮にも俺のことを好きだと言っている雪音にとって、俺と頼斗の初体験話なんて聞きたくないもののように思う。
 でも、頼斗も雪音の話は結構俺に振ってきたりもするんだよね。
 お互いにライバル視している二人の心境はよくわからなかったりもするけれど、ライバルであり、共犯経験もある雪音と頼斗の間には、俺の理解が及ばない二人だけの関係というやつがあるのかもしれない。
 俺はそれを知りたいとは思わないし、知ったところでどうという事もないんだけれど。
「そ……そんな事、雪音に教えるつもりなんてないよっ!」
「ああ、そう。でも、聞いておいて何だけど、僕にはその答えがもうわかっちゃっているから、深雪が答えてくれなくても構わないっちゃ構わないんだけどね」
「くぅっ!」
 ムカつく言い方ーっ! だったら聞くなっ! ってなるじゃん!
「深雪の身体はエッチで淫乱だもんね。初体験でもいっぱい気持ち良くなっちゃって、童貞だった頼斗をさぞかし喜ばせてあげたんでしょ?」
「っ!」
 またしてもムカつく言い方だったし、俺の身体がエッチで淫乱とか言わないで欲しい。
 確かに、俺の身体は感じやすくて、すぐに気持ち良くなってしまう特性を持っているようだけど、それを〈エッチで淫乱〉と表現するのであれば、俺の身体にエッチな事をしてくる雪音と頼斗のせいでしかない。
 あと、何気に非童貞の立場から、童貞だった頼斗より自分が優位にいるような物言いもやめて欲しい。今日で処女は喪失してしまったものの、まだ童貞を卒業したわけではない俺にとっては、自分が馬鹿にされているような気分にもなってしまう。
「ねえ。深雪が今、何を考えているか当ててあげようか」
 俺の身体を充分に確認し終わった様子の雪音に言われ、俺はごくりと息を呑んだ。
「な……何だよ、それ……。雪音には俺の考えがわかるって言うの?」
「うん。大体ね。だって深雪、単純なんだもん」
「っ……」
 また人を馬鹿にするような言い方をして。雪音のこういうところが本当に意地悪で可愛くないと思う。俺の方が年上だっていうのに。
 どうせただのはったりだ、と思う反面、雪音がただの憶測でものを言っているのではないこともわかっていた。
 雪音は自分のことを〈気が利かなくて無神経〉だと言うけれど、人の心や考えを読み取る能力にはけていると思う。むしろ、〈気が利かなくて無神経〉という発言は、意地悪な自分を誤魔化すための言い訳なのではないかと疑っている。
 直感や観察力も優れているから、俺はいつも雪音に知られなくないことまで全部知られてしまう、って感じなんだよね。
「多分、深雪は今こう思っているよね。〈頼斗とセックスしちゃったんだから、もう頼斗と付き合ってしまおう〉って」
「っ!」
 ほら。やっぱり当たってる。でもまあ、自分がそう思っていることは雪音に伝えるつもりだったから、別に言い当てられても困ることはない。
 ただ、自分の口からそれを雪音に伝えるのと、雪音から言い当てられるのでは、俺の立場に大きな違いが生じてしまうような気がする。
 俺の口から雪音にそう伝えていれば、主導権を俺が握れるような気がするけれど、雪音からそう言い当てられてしまうと――。
「でもさ、それってどうなの? 深雪は頼斗のことがそういう意味で好きなの? そうじゃなかったとしたら、それが本当に正しいと思ってる?」
 主導権は雪音の手の中に――って感じがしてしまう。
 まあ、仮に俺からその話を切り出していたところで、口が達者な雪音相手に、俺が主導権を握れていたかどうかは怪しい。
 頭がいいせいか、雪音は俺が何を言っても簡単に俺を言い負かしてしまう言語力と、頭の回転の速さがある。残念ながら、俺は口で雪音に勝てる気がしない。
「深雪が頼斗のことが好きで、頼斗と付き合いたいって言うならまだしも、セックスしたから付き合う、は違うくない? 恋愛感情とセックスは別物だよ?」
「うぅ……」
 恋愛とは全く無縁な人生だったと言いながら、過去に六人もの女の子と性体験がある雪音の言葉が持つ説得力。確かに、恋愛感情とセックスは別物だと証明しているようなものである。
 もちろん、俺的には恋愛感情とセックスは同じものであって欲しいと願いたいところだけれど、ハッキリとした恋愛感情を持たない雪音や頼斗とエッチな事やらセックスまでしてしまった俺は、恋愛感情が無くてもセックスができることを知ってしまった。
 そもそも、好きな相手がいなくてもオナニーはする。性欲は人間の三大欲の一つに挙げられているわけだから、性欲と恋愛感情は最初から別物と言ってしまってもいいのかもしれない。
「セックスしたから付き合う。その法則に従うのであれば、深雪は僕とセックスしたら、僕とも付き合うってなるの?」
「そっ……それは……」
 無理難題を仰る。頼斗と付き合って、雪音とも付き合うってなったら、俺が完全に二股を掛けている状態じゃん。
 既に充分怪しい感じだし、半分そうなっているような状況だったりもするけれど、人を好きになったことすらない俺が、そんなクソ野郎みたいな事できるか。
「その顔は〈ならない〉って言ってるよね。つまり、セックスしただけじゃその相手と付き合う理由にはならないってこと、深雪もちゃんとわかってるんじゃん。僕としても、深雪にはちゃんと好きな人と付き合って欲しいしね」
 うぅ……。悔しいけど何も言い返せない。雪音の言うように、「セックスしたから付き合う」の法則は間違っている気がしてきた。
 正直、自分でも〈セックスしたんだから〉って理由で頼斗と付き合おうとしている自分には、首を傾げたくなる気持ちがあったし。
「というわけだから、僕ともセックスしよ」
「は⁉」
 待てこら。またわけのわからない事を言い出したよ。何でそうなるの?
 そりゃね、今現在の状況を見れば、このまま何事もなく終わるとも思っちゃいないけどさ。
「ちょっ……ちょっと待ってよっ! それは無理っ! っていうか、どうして俺と雪音が⁉」
「だって、頼斗が深雪とシたなら、僕だって深雪とシたいもん」
「いやいやいやっ! シたい、シたくない、の問題⁉」
 どんだけ欲の塊なんだよっ! そこに相手の気持ちを思い遣る心は無いのかっ!
「あのね、深雪。深雪は気付いていないかもしれないけど、これでも僕、頼斗にはずっと遠慮してあげていたんだよ?」
「はあ⁉」
 一体何をどう、どこをどう遠慮していたというのだろう。
 頼斗が俺に手を出してくると、その直後に自分も負けじと俺に手を出していた雪音だ。完全に頼斗と張り合っているとしか思えない行動だし、頼斗に遠慮する気持ちがあったとは思えない。
 ついでに言うと、俺に遠慮する気持ちはもっと無かったと思う。
「だってほら、僕って頼斗より先に深雪に手を出していないじゃん」
「あ……」
 た……確かにーっ! 言われてみればそうだよね⁉
 俺のファーストキスこそ奪ったものの、それ以降の雪音はいつも頼斗の後手に回っていたというか、頼斗に先を越されてばかりだったと思う。
 雪音が俺に初めて手を出してきた時も、雪音はあえて頼斗がいる前で俺に手を出してきたりもしたけれど……。
(それが頼斗に遠慮してるっていうか、雪音なりの気遣いだったってこと?)
 あれは完全にその場の流れって感じだったし、とても雪音がそんな気遣いをしていたようには見えなかった。
 でも、俺と二人きりの時に手を出してくるのではなく、頼斗の目の前で手を出してきた方が正々堂々というか、ある意味潔い宣戦布告って感じがするよね。
『僕は深雪にこういう事をするつもりだから、頼斗もしていいよ』
 って言っているようなものだし。
「まあ、それっていうのも、深雪のことをずっと好きだった頼斗の存在を知らず、頼斗より先に僕が深雪のファーストキスを奪っちゃったことに対する罪悪感がちょっとあったし。深雪一筋だったが故に童貞でもあった頼斗に、深雪の初めては譲ってあげた方がいいかな? って気持ちもあったりしたんだよね。僕はほら、深雪と出逢う前に童貞を卒業しちゃってたし」
「……………………」
 えぇ――っ⁉ 意外っ! そこ、一応気にしてたんだっ!
 頼斗には
『深雪の初めては僕が貰う』
 なんて事も言っていた癖に。そう言いながらも、雪音は最初から頼斗に俺の初めてを譲るつもりだったってこと⁉ そういうとこ、ほんと無駄に紳士的っ!
「言っても、あんまり頼斗がグズグズするようなら、遠慮なく僕が深雪の初めてを貰うつもりではいたんだけれど」
「ああ、そう。そうなんだ……」
 ただし、あまり気長に待つつもりはなかったらしい。そういうところはしっかり雪音だよね。
 実は俺もずっと引っ掛かっているところではあった。俺と出逢ったばかりの頃の雪音はもっと強引だったと思うのに、いざ一緒に暮らし始めてみると、思いの外におとなしいものだな、って。
 父さんや宏美さんがいる手前、あまり無茶な行動には出られないだけかと思っていたけれど、それは全部頼斗への気遣いだったことに驚く。
「でもまあ、これで僕と頼斗は対等になったわけだから、ここからは遠慮しないよ」
「え」
 ん? 対等? それってつまり、お互いに非童貞ではなくなったことを言っている?
「ここからが本番っていうか、本領発揮と反撃開始だよ」
「え⁉」
 ちょっと待って! 本領発揮⁉ 反撃開始⁉ それってどういう意味⁉
 頼斗に俺の初めてを譲ってあげたんだから、これからは頼斗に一切の遠慮をせず、好きな時に俺に手を出してくるってこと⁉
「ちょっ……ちょっと待ってよっ! 俺の気持ちは⁉ 俺、自分の気持ちもハッキリしていなくて困ってるのに、雪音に本気を出されちゃったらもっと困るよっ!」
 セックスしたから頼斗と付き合う、って考え方は改めるにしても、俺はもっと自分がどうしたいのかをじっくり考える時間が欲しいところだ。
 それなのに、俺の考えが纏まらないうちに雪音からも手を出されてしまったら、俺の生活がもっと悲惨なことになってしまう気がするんですけど。
「いやいや。本気を出さなくちゃ、深雪を頼斗に取られちゃうじゃん」
「だからって! 雪音の本気とか普通に怖いっ! 恐怖しかないっ!」
「そんな事ないよ。僕って意外と紳士的な面もあるじゃない? 深雪にもちゃんと優しくしてあげるから大丈夫だよ」
「いやいやいやいやっ! 俺が心配してるのはそこじゃないからっ!」
 雪音に奪われたファーストキスは衝撃的だった。そりゃそうだ。出逢った瞬間に見ず知らずの男からファーストキスを奪われたようなものだったんだから、衝撃を受けない方がおかしい。
 二度目のキスを奪われた時も、有無を言わせぬ早業はやわざって感じだったし、二度目のキスがディープキスだったことにも面食らった。
 俺は雪音に会うたびに翻弄されるばかりだったし、あれが本来の雪音の姿なんだとも思う。
 その雪音が誰にも気を遣わず、本来の自分を発揮してくるということは、あの時の悲劇再び――って事になるんだよね?
 だとしたら、雪音の本気なんてもってのほかである。
 雪音は俺の日常をめちゃくちゃにしてしまう天才だ。そんな雪音が本気になったら、俺の日常が無事で済むはずがない。
「うーん……。でも、もう手遅れかな。だって、僕のやる気スイッチが入っちゃったんだもん。諦めて」
「そんなっ!」
 この流れで「諦めて」と言われても、俺が素直に諦められるわけがない。そんなに簡単に諦めることができるのであれば、俺もここまで焦ったりしない。
 こんな展開が待っているとわかっていたら、父さんに合わせる顔がないと言った頼斗を無理矢理にでも引き止めて、俺と一緒にいてもらえば良かったとすら思った。
「ね、だから深雪。今から僕とセックスしよう」
「~っ⁉」
 こっちは顔面蒼白になって青褪めているというのに。にっこにこの笑顔になって俺に覆い被さってくる雪音に、俺は声にならない悲鳴を上げた。
 俺の初体験――というか、俺の処女喪失が、雪音と頼斗の試合開始の合図だったのだと、俺は今になって初めて知る。


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