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第五話 『初体験』
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しおりを挟む夕飯を食べ終わってしばらく休んだら、俺は重い腰を上げてお風呂場へと向かった。
頼斗の家でシャワーは浴びていたけれど、だからと言ってお風呂に入らないわけにはいかないし、今日はゆっくり湯船に浸かりたい気分でもある。
夕飯が終わった後、雪音が俺の部屋に来るんじゃないかと思って待っていたのに、後で俺の部屋に来ると言った雪音は、そこでは俺の部屋にやって来なかった。
ひょっとして、お風呂上がりの俺を狙ってやって来るつもりなのだろうか。
今日は頼斗と初体験なんてものをしちゃったから俺も疲れている。お風呂から出たらすぐに寝てしまいたいところではあるんだけれど、雪音は俺をすぐに寝させてくれるだろうか。
まさか、今日みたいに疲れ果てた俺を捕まえて
『頼斗とシたなら僕ともシよ』
なんて言ってこないよね? さすがに今日はもう無理なんだけど。
「はぁぁぁぁ~……」
温かいお湯が張られた湯船に身体を浸けると、今日一日の疲れが一気に癒されていく感じがする。
やっぱり日本人はお風呂だよね。毎日湯船に浸かる習慣がある日本最高。
「頼斗……今頃どうしてるかな……」
俺の初めてを捧げた相手だからなのか、数時間前に別れた頼斗が今どうしているのかが気になる。
今日は頼斗も疲れただろうから、俺みたいにさっさと夕飯やお風呂を済ませてしまい、今頃はもう寝ているのかもしれない。
「明日、どんな顔をして頼斗に会おう……」
セックスした直後は特に意識しなかったけれど、こうして頼斗と離れている方が、あれこれと気にしてしまうのも変な話。
でも
「俺とエッチしてる時の頼斗の顔、いつもとは全く違う顔にも見えちゃったよね……」
一緒にいる時よりも、離れている時の方が相手のことが気になるものである。
頼斗とセックスした時のことを思い出した俺は、いつもとは違う表情を沢山見せてくれた頼斗に、胸がトクンと高鳴った。
頼斗は雪音ほど女の子に騒がれたりしていないけれど、格好いいは格好いい。それなりに女の子にもモテるし。
あまり愛想のいい方ではないし、人に対してぶっきら棒なところがあったりもするけれど、その頼斗が俺の前では辛そうに歪む顔を見せたり、苦しそうな表情を浮かべたり、とっておきの優しい笑顔なんかも沢山見せてくれた。
他の人間には絶対に見せない頼斗の顔を見て、自分が頼斗にとって特別な存在なのだと実感した。
ずっと頼斗と一緒にいた俺でさえ見たことのない頼斗の表情は新鮮だったし、そういう表情を俺に見せてくれる頼斗のことも嬉しかったりもしたんだよね、俺は。
「…………ん? ちょっと待って? 今俺、何かちょっとした幸せ気分に浸っていなかった?」
ぼーっとした顔で湯船に浸かっていたはずの俺は、いつの間にか自分の顔が嬉しそうになっている事に気が付いた。
生憎うちのお風呂場には鏡なんてものが無いから確認はできないんだけれど、自分の顔が締まりなくニヤついていた自覚はあった。
「まさかっ! これが初体験効果っ⁉」
そんな効果はないんだけれど、理想的な初体験ではなかったにしろ、念願でもあった初体験を経験した俺は、自分が一つ大人になったことに浮かれているとでもいうのだろうか。
もしくは、自分の全てを曝け出した頼斗に情が湧き、「頼斗が好き」って気分にでもなっているのだろうか。
前者ならともかく、後者の場合は俺がチョロ過ぎる。
でも、俺が初めてを捧げた相手なんだから、チョロくても何でもいいから、「頼斗が好き」って気持ちになった方がいい気がする。
俺が頼斗のことを好きだと思えれば、堂々と頼斗に「付き合おう」って言えちゃうし。
これでいいのかな? って思いながら頼斗と付き合うより、好きだから付き合う! ってなった方が絶対いいに決まっているもん。
いつもより長めのお風呂から俺が出た時、父さんと宏美さんはリビングでお茶しながらテレビを見ていた。
そこに雪音の姿は無い。
(きっと部屋で勉強でもしているんだろうな……)
そう思いながら、父さんと宏美さんに
「お休みなさい」
と挨拶をしてから、俺はゆっくりとした足取りで二階へと上がって行った。
雪音の部屋の前を通り過ぎる前に一度立ち止まり、雪音の部屋のドアをノックをしてみようかとも思ったけれど、勉強の邪魔をしてはいけないと思ってやめた。
全然ピリピリしている感じはないし、むしろ余裕綽々って感じではあるけれど、雪音も今年は受験生だったりするもんね。
姫中に通っている生徒は進学する高校もレベルが高いところを目指す。受験勉強の大変さは俺や頼斗の時とは比べ物にならないと思う。
特に、入学式で新入生代表の挨拶をするような優秀な生徒でもある雪音は、学校の先生からの期待もさぞかし大きいことだろう。
言っても、俺と頼斗の通う高校だって決してレベルが低いわけではない。
進学率は九十パーセントを越えているし、全国模試なんかで優秀な成績を残す生徒だって結構いる。この辺では人気の高い高校だし、俺は今の高校に何の不満もない。
「……………………」
雪音は俺に話があるって言ったけれど、雪音の都合が悪いのであれば、何も今日無理に話さなくてもいいと思う。一緒に住んでいるんだから、話ならいつでもできるっちゃできるもんね。
「明日でいっか……」
雪音の部屋の前でノックをしようとしていた手を下ろすと、俺はおとなしく自分の部屋に戻った。
「ふぅ……」
自分の部屋に戻って来ると一気に眠気が押し寄せてきた気がして、俺はぴったりと閉めたドアの前で小さく溜息を吐くと、一直線にベッドへと向かった。のだが――。
「お帰り、深雪。待ってたよ」
「っ⁉」
ベッドには先客がいた。言わずもがな、雪音である。
「ゆ、ゆ、ゆ……雪音⁉」
部屋で勉強をしていたんじゃなかったのかよっ! 人がお風呂に入っている間に、勝手に人の部屋に入って来るとはどういう事⁉
そりゃ確かに、「後で深雪の部屋に行く」とは言われていたけれど、俺がいない時に部屋に入って来なくてもいいじゃんっ!
「何驚いてるの? 後で部屋に行くって言ったじゃん」
「そ……そうだけど……」
だから、来るなら来るで俺のいる時に来てよ、って話なんだけど。
雪音はてっきり自分の部屋にいるものだと思って、雪音の部屋のドアをノックしようかどうしようかと迷った俺だよ? 自分の部屋に戻って来たら雪音がいるんだもん。そりゃ俺だって驚く。おかげで目が覚めちゃったじゃん。さっきまで即寝するつもり満々だったのに。
「来るなら来るで、俺が部屋にいる時にしてよね。人の部屋に勝手に入るなんてプライバシーの侵害」
雪音が俺の部屋に許可なく勝手に入って来るのはいつものことだけど、当たり前のような顔をして俺のベッドに腰掛けている雪音を見れば、俺も文句の一つだって言いたくなる。
「今更? 別に見られて困るようなものは置いてないし、僕が深雪の部屋に勝手に入るのだっていつものことじゃん」
しかしながら、雪音には全く俺に申し訳ないと思う気持ちがなかった。
まあ、こういう奴だよね、雪音って。
「そりゃそうだけど……」
言っても無駄であることはわかりつつも、ついついふて腐れた顔になってしまう俺。
顔はそんな事になっていても、雪音に「座って」と言わんばかりにベッドの上をポンポンと叩かれると、自然と足がベッドに向かってしまう自分が残念でもある。
「~……」
ベッドの前で声に出さない溜息を一つ吐くと、俺は少しだけ雪音と距離を取って、ベッドの上に腰を下ろした。
「何なの? その微妙な距離感」
「な……何となく……」
俺と雪音の間に丁度人一人座れるくらいの間隔を空けて腰を下ろす俺に、雪音は不服そうな顔である。
だって……。雪音のすぐ隣りに座ったら、またエッチな事をされちゃいそうなんだもん。
俺はもう頼斗とセックスしちゃってるし、頼斗とは付き合うべきだと決心も固めた。だから、これ以上雪音とエッチな事をするわけにはいかないと思っている。
「いやいや。その微妙な距離が気になって話し辛いから。もうちょっとこっち寄ってよ」
「うぅ……」
でも、これから雪音と話をしようっていうのに、自分が取ったこの微妙な距離は確かに気になる。
一体俺に何の話があるのかは知らないけれど、本当に話をするだけだっていうのなら、俺もこの距離をもう少し縮めてもいいと思った。
なので
「話するだけ? エッチな事しない?」
恐る恐るといった感じで確認してみると
「それは深雪次第かな。って言うか、そういう事言われると、逆にシて欲しいのかと思っちゃうよ?」
雪音からは全く安心できない返事が返ってきた。
ほんと、雪音は俺に何の話があるのかがわからなくなるし、真面目に話す気があるかどうかも疑ってしまいたくなる。
でも
『逆にシて欲しいのかと思っちゃうよ?』
は頂けない。こっちは警戒しているだけだというのに。
「誰もシて欲しいなんて思ってないからっ!」
身の安全が保証されているわけではないのであれば、雪音とは距離を取ったままでいるべきだ。
だけど、俺が雪音を意識すれば意識するほど、雪音は自分にとって都合のいいように解釈をしてしまうようだから、俺は渋々雪音との距離を少しだけ詰めてやった。
それでも、握り拳二つ分ほどの距離は置き、雪音と身体が触れ合わないようにした。それなのに――。
「深雪ゲット~」
雪音は俺が雪音のすぐ隣りに移動してくるなり、すかさず俺を抱き締めてきた。
「ちょっと! 俺と話をするんじゃないの⁉」
「うん。そうだよ」
「だったら何で抱き締めてくるの⁉ 俺と真面目に話す気ある⁉」
どうしてこれから話をしようって人間が――それも、自分から話があると言ってきた人間が、話し相手をわざわざ抱き締める必要があるという。俺はその必要性を全く感じないんだけど。
まさか
『身体と身体のお話をしよう』
なんて、エロ親父みたいな事を言うつもりじゃないよね?
「もちろん、あるよ。でも、別に深雪を抱き締めながらでも話はできるし。むしろ、今日も頼斗とエッチな事してきた深雪なんだから、僕にだって触らせてくれてもいいでしょ?」
「俺が落ち着かないよっ!」
幸い、肉体的な対話を求められているわけじゃないあたりはホッとしたけれど、今日はもう充分過ぎるほど人との触れ合いをしてきた俺だ。たとえ相手が何とも思っていない雪音であったとしても、人肌というものが何だかちょっと落ち着かない。どうしても頼斗とシた事を思い出してしまう。
しかし
「よくよく考えてみると、僕と頼斗じゃ深雪と一緒に過ごす時間に圧倒的な差があるよね? 僕より頼斗の方が全然多い。頼斗は深雪と一緒に住んでいる僕の方が有利だ、みたいなことを言っていたけれど、学校にいる間、僕は深雪に会えないし。一日の半分は同じ家の中で一緒にいるって言っても、そのうちの更に半分はお互い寝てるわけでしょ? 通学路までずっと深雪と一緒にいる頼斗は、学校帰りの深雪を家に連れ込むことだって簡単にできちゃうし。深雪と一緒に住んでいる僕が有利どころか、深雪と一緒に住んでいない頼斗の方が圧倒的に有利だよね」
雪音に俺を離すつもりは無いようだった。
長ったらしい不満というか愚痴を零された俺は、雪音の言っていることが正し過ぎて、ぐうの音も出ない感じだった。
確かに、俺が父さんと宏美さんの再婚に賛成すると決めた時、頼斗は俺と一つ屋根の下で一緒に暮らすことになる雪音に向かって
『俺が圧倒的に不利だろ』
と言った。
でも、実際には俺が雪音と一緒に過ごす時間より、俺と頼斗が一緒に過ごす時間の方が圧倒的に長かった。
学校では同じクラスだし、今は教室の席も出席番号順になっているから、俺と頼斗の席の並びは前と後ろ。学校では常に頼斗と一緒って感じなんだよね。
俺が学校帰りに頼斗の家に寄らなくても、逆に頼斗がうちに来て夕飯を食べて行く日も多いし。俺と頼斗は一日の半分以上を一緒に過ごしている、と言っても過言ではない。
圧倒的に不利どころか、頼斗の方が圧倒的に有利だとさえ思えるこの状況。頼斗は何を思って、自分の方が圧倒的に不利だと思ったんだろうか。
雪音と宏美さんがうちに引っ越してくることによって、今までみたいに俺の家に遊びに来れなくなるとでも思っていたのかな?
「そこで、だよ。僕なんかよりよっぽど深雪を自由にできる頼斗と、深雪はどこまでいったのかな? って気になっちゃって。今日はそれを深雪の口から聞こうと思ったんだよね」
「っ……!」
話ってそれかよっ! タイミング悪過ぎっ!
まあ、今日も俺が頼斗の家に寄ったことも、頼斗の家でエッチな事をしてきたこともとっくにバレているとは思ったけどさ。
「ど……どこまでって?」
俺が頼斗と初体験を済ませたことは、できるだけ早く雪音にも話すつもりでいた。
本当は言いたくないんだけど、言わないことには先に進めないって感じだし。頼斗と付き合うためには雪音との関係に終止符を打つ必要がある――と思ったのは俺自身だよね。
でも、いざ自分の口から明かそうと思ったら、どうしても隠したい気持ちが作用して、なかなか思うように言葉が口から出てきてくれなかった。
「えっと……それは……」
「もうセックスした?」
「っ!」
俺がいつまで経ってももたもたしていると、雪音の方から核心に触れてきて、俺はすっかり言葉に詰まってしまった。
「ああ……やっぱり」
驚いた、というよりは、図星を突かれた、という顔をしてしまう俺を見て、雪音の顔が意地悪く笑ったように見えた。
その邪悪にも見える雪音の笑顔を見た瞬間、俺は一番知られてはいけない人間に、一番知られてはいけない自分の秘密を知られてしまったのだと確信した。
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