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第五話 『初体験』

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 初体験――。
 なんて聞くと、人はどうしてもエッチな想像をしてしまうものだと思う。
 正直、俺もそう思ってしまう人間の一人。
 って言うか、それ以外の想像をする人なんているの? って感じだよね。
 でも、実際はそればかりじゃなかったりもする。
 特に、俺みたいに人生経験が豊富じゃなくて、知らない事だらけの人間にとって、この先の人生はまだまだ初めて尽くしの事ばかりだったりもする。
 そうやって知らない経験をどんどんしていく事によって、人は大人になっていくんだと思う。



 俺の入学した白鈴高等学校では、入学式が終わったからといって、すぐに通常授業が始まるわけでもなかった。
 入学式翌日には、いきなり学力テストなんてものが午前中にあったし、午後からは生徒手帳に貼る証明写真の撮影があった。
 そして、入学式から二日目の今日は――。
「頼斗ってさ、普通に足はえーよな」
「っつーか、何気に運動神経クソいいの何なの? 将来はアスリートなの?」
「入学早々、運動神経の良さを見せつけて、モテ男でも狙ってんの?」
「お前が何かするたびに、女子の視線を掻っ攫っていくのマジムカつく」
 朝から身体測定および、体力テストが行われていた。
 昔から運動神経がいい頼斗は、体育の授業はもちろん、運動会や体力テストでも持ち前の運動神経の良さを発揮して、かなり目立つ存在だったりもする。
 小・中を通して、それなりに頼斗がモテていた理由も、この運動神経の良さがかなり関係していると思われる。
 しかし、本人にはあまり自分が特別目立っているという自覚はなく
「は? 狙ってねーし。っつーか、誰も俺なんか見てねーだろ」
 自分に集まる女子からの視線にも全くの無頓着だった。
「ねえねえ、戸塚君ってさ、ちょっと格好良くない?」
「正統派イケメンって感じだよね」
「さっきソフトボール投げしてるとこ見たけど、ボールを投げる姿がサマになってて格好良かったよね~」
「やっぱさ、運動できる男子っていいよね~」
 俺の耳にも聞こえてくる女子の会話が、頼斗の耳には届いていないらしい。
 春と言えば身体測定と体力テスト。小学校の頃から毎年恒例になっているこの学校行事だけれど、俺はあまり好きではなかった。
 身体測定はまあいい。去年に比べて自分がどれだけ成長したのかは知りたいし、年々下がっているように思える自分の視力が、今年はどうなっているのかも気になる。
 でも、体力テストの方は……ね。一体何の意味があるの? と思わなくもない。
 もちろん、《自分の体力を知り、健康的な生活を維持するための指標にする》という、立派な目的があるにはある。だけど、何もそれを全学年一斉に行わなくてもいいんじゃないか、とも思う。
 そりゃまあ、体力テストなんてそれなりに時間が掛かるものだから、授業の中だけじゃ終わらないことはわかるけどさ。全校生徒の前で自分の運動神経をひけらかすというか、晒しものにする必要はないと思うんだよね。
 俺は運動が特別苦手ってわけじゃないけれど、総合的に見ると平均よりやや下って感じだし。そういう人間にとって、全学年一斉に行われる体力テストには苦手意識というものがある。
 強いて言うなら
「っつーか、それを言うなら深雪の身体の柔らかさの方がヤバいだろ。深雪が前屈した時、体育館の中がどよめいてたじゃん」
 そう。人よりちょっと身体が柔らかいくらい。
 どういうわけだか知らないけれど、俺の身体は昔から柔軟性だけは優れていた。
「確かに。深雪の身体、真っ二つに折れてたもんな。あれはちょっと気持ち悪かった」
 もっとも、身体が柔らかいという特技は人に気味悪がられることもあるから、あまり嬉しい特技ではなかったりもする。
 さて、そんな俺が若干気持ち悪がられ、頼斗が女子からの注目を集める体力テストではあるけれど、この辺りの学校では一学期が始まってすぐに実施される体力テストとは、男子にとってある意味重要なイベントでもあるのだ。
 今現在、頼斗が無意識のうちに女の子達から視線を集めているように、男子的には出逢って間もない異性、または、自分の目当てである女の子に、自分の格好良さをアピールできる大事なイベントになるからである。
 と同時に
「なあなあ。今、翼ちゃんの五十メートル走見てきたんだけどさ、小柄のわりには結構おっぱい揺れてたぞ」
「全力で走る女子の揺れる胸……。いいよなぁ~」
 男子にとっては女の子の胸の大きさで盛り上がれる楽しいイベント――でもあるらしい。
 少し前から姿が見えないと思っていた伊藤と桑島だけど、どうやら女子の五十メートル走を見に行っていたらしい。
「日高や三輪も結構胸デカいんだよな」
「特に日高な。あいつ、痩せてる癖に胸はダイナマイトだよな」
「一度でいいから、あの胸に挟まれてみたいよなぁ~。色々と」
 はいはい。今日も君達の頭の中は女の子の事でいっぱいなんだね。いいと思うよ、男だし。
「は? お前ら、女の胸見て楽しんでるわけ?」
 もちろん、中にはそういう楽しみ方には一切興味がない男子もいるにはいる。
 まあ、俺もそんな楽しみ方をするつもりがない男子の一人ではある。
「は⁉ 何言ってんの? 頼斗。それが一番の楽しみじゃんっ!」
「お前みたいに、ちょっと何かするだけで女子の視線を集める奴にはわからないだろうけどな、これといって活躍ができない一般男子にとって、体力テストは女子のおっぱい測定なんだよっ! そこを楽しまなくて、何を楽しむって言うんだっ!」
 そこまで言うか。いやいや。普通に体力テストを頑張ろうよ。ちょっとでも女の子の視線を集める努力をしようよ。その方が建設的だと思うよ?
 入学式からまだ二日だから、こういう行事になると、ついつい同じ中学出身同士で固まってしまう俺達。今日の体力テストも伊藤、桑島、佐々木、桐原と一緒に行動している頼斗は、全く女子の胸に興味を示さない姿勢を、伊藤と桑島から酷く非難されていた。
 そもそも、おっぱい測定というのがよくわからない。体操服の上からじゃ、正確な胸の大きさだってわからないじゃん。そんな女子の揺れる胸をガン見して、喜んでいる伊藤と桑島の方がおかしいよ。
「大体、お前と日高ってどうなってんの?」
「は?」
「は? じゃなくてっ! お前も日高の気持ちには気付いてるんだろ?」
「そうだよ。それなのに、〈俺知らね〉みたいな顔しやがって」
「日高って性格ちょっとキツめだけど、顔は結構可愛いじゃん」
「あと、胸もデカい」
「いい物件だと思わね?」
 おっと……。ここで頼斗に日高さんネタが振られたぞ。
 中学の頃は結局ただのクラスメイトで終わってしまった頼斗と日高さんだけど、高校生になっても、日高さんの頼斗に対する気持ちは変わっていない。
 わりとあからさまに頼斗に向けられる日高さんからの好き好きアピールに、今後頼斗がどう対応していくつもりなのか、俺もちょっと気になっている。
 って言うか、願わくば日高さんにもうちょっと頑張ってもらって、頼斗の気持ちを自分に向けさせてもらえば、俺と頼斗の妙な関係にも終止符が打てるんだけどな。
 でもって、雪音は今年姫中に入学してきた新入生と運命的な出逢いを果たし、その子と付き合ってくれればいいと思う。
 そうやって、二人が正常な形の恋愛をしてくれれば、俺も晴れて自由の身。二人に襲われることもなくなるし、むしろ二人に負けないようにと、俺自身が恋の一つや二つできるようになるかもしれない。
 そして、高校生のうちに童貞卒業。これが俺の最も望ましい展開だ。
「んな事言われても、俺は日高に興味がねーし、日高は俺の好みでもないんだよ。どうなるも何も、どうもなる気がねーよ」
 あぁぁぁぁダメだぁぁぁぁ……。頼斗にはまるで日高さんと付き合う気が無いし、日高さんを好きになるつもりもない。どうして?
 胸の大きさはさておき、伊藤達の言うように、日高さんって結構可愛いと思うんだけどな。
 中学の頃はわりと男子から人気もあったし。普通、そういう子に好意を持たれたら、男としては嬉しいものだと思うんだけどなぁ……。
「あのなぁ、んな事言ってると、一生童貞卒業なんてできねーぞ? 向こうはお前のことが好きなんだから、お前さえその気になりゃ、あっという間に童貞卒業できちゃうんだぞ?」
「そうそう。好きにならなくてもいいから、好きな振りしてセックスだけでもヤらせてもらえって。あのおっぱいにはそれだけの価値があんだろ」
 うぅ……そういう話題、俺の中じゃ今ちょっと地雷。雪音のことを思い出しちゃって、複雑極まりない気分になっちゃうよ。
 それに、伊藤達だって頼斗の性格はよく知っているよね? 頼斗がそんな口車に乗るわけないじゃんか。
 頼斗はずっと好きだったっていう俺にも、最近になってようやく手を出してきたような身持ちの堅い男だよ? 相手の気持ちを利用して、好きでもない相手とセックスするような奴じゃないんだから。
 まあ、一度手を出してしまった後は、結構強引なところもあったりするけれど。
「生憎だけど、俺に童貞を卒業したいがために、好きでもない女とセックスしたい願望はねーよ。卒業するなら好きな奴で卒業したい」
 案の定、頼斗は伊藤達からの甘言をキッパリと撥ね退けた。
 でも、その童貞を卒業したい好きな奴っていうのが俺――なんだよね。どうしたらその気持ちが変わってくれるのかが知りたい。
「お前ってほんと真面目だよな。普通、俺達くらいの男子と言えば、〈早く童貞卒業してーっ!〉〈女の子とセックスしてーっ!〉ってことで頭がいっぱいなのに」
「今まで浮いた話が一つもないってのが信じられねーよな。モテないわけでもねーのに」
「うるせ。俺だってセックスしたい願望はあるんだよ。ただ、相手は選びたいってだけの話だ」
 元々下ネタにはあまり積極的に参加しない頼斗。「この話はもう終わり」と言わんばかりに、ひらひらと手を振って、微妙な顔で今の会話を聞いていた俺のところにやって来た。
 そして
「それに俺、今は恋愛って気分じゃねーし」
 何故か俺の頭をぽんぽんと撫でてきながら、伊藤達に向かって意味深な笑顔を見せていた。
(嘘つき……)
 何が「恋愛って気分じゃねーし」だよ。現在絶賛恋愛中の身で、俺への独占欲だって剥き出しの癖に。
(昨日、自分が俺に何をしたかわかってる?)
 とまあ、声を大にして言ってやりたいところではあるんだけれど、もちろんそんな事は言わない。
 そんな事を言えない代わりに、俺は不満そうな顔で頼斗を見上げるくらいしかできなかった。


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