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第四話 『記憶の欠片』

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 放課後のクラスメイト達との語らいが終わった後。俺と頼斗はいつも通り一緒に学校を後にして、中学の時と同じように並んで歩いていたんだけれど――。
「……………………」
「……………………」
 校門を出てしばらく、俺と頼斗の間に会話は無かった。
 中学の時とはすっかり変わってしまった通学路ではあるけれど、元々家がそんなに離れていない俺と頼斗は、高校生になってもほとんど同じ通学路を歩くことになる。
 むしろ、俺の家から出発して頼斗の家の前を経由することになる高校の通学路は、頼斗的には常に俺と一緒の通学路だ。これまでは途中にあった分岐点がなくなり、分岐点は頼斗の家の前になってしまったわけだから、高校では帰り道だけでなく、行きも頼斗とずっと一緒になる。
 別にそれはそれで構わないし、今まで通りって感じではあるんだけれど、その通学路が気まずくなっちゃうのはなぁ……。俺としては避けたいところである。
「…………ねえ、頼斗」
 無言で歩き続けること二十分。そろそろ頼斗の家が見えて来る頃になって、とうとう無言に耐えられなくなった俺が口を開くと
「んー?」
 頼斗の気のない返事が返ってきた。
 やっぱりまだ機嫌が直っていないらしい。
「今日……ずっと機嫌悪い……よね? 俺のこと、怒ってる?」
 別に頼斗を怒らせるような事をしたつもりはなかったけれど、頼斗にとっては知らない女の子でもある翼ちゃんと親しくする俺の姿を見た頼斗は、ヤキモチという形で俺に腹を立てているのかもしれない。
 俺のことが好きなんだから、頼斗が翼ちゃんのことでヤキモチを焼いて、機嫌が悪くなる気持ちはわからなくもない。でも、頼斗はこれまでも雪音のことでヤキモチを焼くことがあっても、俺に対して不機嫌な態度を取ることが無かったから、今回みたいなケースは俺もちょっと戸惑う。
 俺のことで怒っているのだとしたら、俺が何を言っても火に油を注ぐだけになっちゃう気がするし。
「……………………」
「っ!」
 俺の言葉にピタリと足を止めた頼斗にビクっとなる。
 釣られて立ち止まってしまった俺が、少しだけ怯えた顔で頼斗を見上げると
「えっ⁉」
 頼斗は急に俺の手を掴んできて、ずんずんと大股で歩き始めた。
(えぇぇぇぇ~っ⁉)
 なっ……何々⁉ 一体何事⁉ 俺の手なんか繋いできて、頼斗は俺をどこに連れて行く気なの⁉
 突然の出来事に度肝を抜かれ、混乱している俺だったけれど、頼斗は自分の家の前を通り過ぎ、そのまま俺の家の前へとやって来た。
「あ……ちょっ……ちょっと待って……」
 ただ俺を家に連れて帰っただけとは思えない雰囲気に戸惑いながら、俺が玄関の鍵を開けると、俺を家の中へと押し込んだ頼斗が、玄関先で俺の唇を奪ってきた。
「んんっ……」
 どうしていきなりキスなのかわからないし、まるで俺の唇を食べちゃう勢いで激しいキスをしてくる頼斗にも意味がわからなかった。
 だけど、憤りをぶつけてくるようなキスの中にも、ちゃんと優しさや愛情みたいなものがあって
「んっ……ぁ……」
 頼斗の唇に何度も吸い上げられる唇が次第に気持ち良くなってきて、身体が甘く痺れるような感覚がした。
 それでも
「んんっ……ゃっ……やめてったらっ!」
 どうにか自分を奮い立たせ、頼斗の身体を力強く押し返すと、できる限り怖い顔で頼斗を睨み付けてやった。
「いきなり何⁉ どういうつもり⁉ 俺、こういう事しないでって言ったよね⁉ 何でいきなりキスなの⁉」
 これまでは散々流されてばかりの俺だったけれど、今回は初めて強気な態度に出ることができた。
(そうだよ。これが本来の正しい反応だよ。俺もやればできるじゃん)
 なんて、内心密かに喜んでいると
「だって、深雪にどうしてもキスしたかったから」
 怒っているのではなく、完全に拗ねた顔の頼斗に言われ、俺はすっかり毒気を抜かれた気分だった。
「はあ?」
 何だそれ。そんな理由で俺が納得するとでも?
 っていうか、何で急にそんな子供みたいな拗ね方を? そんなあからさまに拗ねた顔をされちゃうと、俺も腹を立てる前に頼斗の話を聞いてあげなくちゃ、って気分になるじゃん。
「俺、深雪に女の幼馴染みがいるなんて知らなかったし、その女の初恋の相手が深雪だなんてことも知らなかった。深雪が女に興味を持つのも珍しかったし、〈やっぱ深雪も女がいいのか?〉って思うと、気が狂いそうなほどもやもやしたんだよ」
「……………………」
 そ……そこまで? 俺と翼ちゃんとの再会が、頼斗を狂おしいまでにもやもやさせてしまっていたんだ。
 入学式が始まる前。佐々木や桐原の話を聞いた俺が翼ちゃんに興味を持った時点から、頼斗のもやもやというか、ヤキモチは始まっていたわけだ。
(そりゃ機嫌もすっかり悪くなるってものだよね……)
 何てったって、頼斗は入学式前から俺と翼ちゃんのことでずっともやもやしていたわけだから。それも、気が狂いそうになるくらい。
 でも、だからっていきなりキスしていい理由にはならない。
「なあ、深雪。深雪は俺よりあの翼って奴の方がいいの?」
「っ……!」
 翼ちゃんのことで頼斗にヤキモチを焼かせてしまったことは申し訳ないと思うけれど、俺にキスしてきた頼斗には厳しい態度を取るつもりだった。
 でも、雪音の時とはまた違うヤキモチの焼き方というか、物凄く辛そうな顔で聞いてくる頼斗には胸がぎゅっとなってしまって……。
「そ……そんな事は……」
 俺は自分がどういう顔をしていいのかがわからなくなった。
 おそらく、そこには性別の問題が大きく関わっているのだろう。
 小学校で頼斗と出逢ってから今日までの間、俺に浮いた話なんて一つもなかった。女の子との浮いた話が一つもないうちに、雪音や頼斗とよくわからない事になってしまい、頼斗もすっかり忘れてしまっていたのかもしれないけれど、俺も一応は男だもん。男である以上、女の子にはそれなりに興味があるし、いずれ〈彼女が欲しい〉と思うようになるものである。
 俺が翼ちゃんと再会したことで、頼斗は今まで気にも留めていなかったそこの心配をし始めた、ということなんだろうな。
「だって俺……翼ちゃんとは幼稚園以来の再会だし、別に今は翼ちゃんのことが好きってわけでもないし……」
「今は? 今は、ってことは、昔は好きだったの?」
「そ……それは……」
 しまった。俺は余計なことをついうっかりと……。
 俺の初恋が翼ちゃんだってことは、頼斗に知られない方がいいと思っていたはずなのに。こういうちょっとした不注意で、自ら口を滑らせちゃう俺が迂闊過ぎるよ。
「昔……はね。仲が良かった子だから、そりゃ俺も翼ちゃんのことが好きだったけど……。でも、友達として好きってだけで、恋愛的な感情を持っていたわけじゃないんだよ? だから……」
 多少迷う気持ちはあったものの、俺が翼ちゃんのことを好きだった過去は認めた。
 だって、幼稚園時代をいつも一緒に過ごしていた女の子だもん。「好きじゃない」なんて言葉の方が嘘になる。
 それに、俺と翼ちゃんの関係はただの幼馴染み。頼斗がヤキモチを焼くようなものではなかったわけだから、素直に白状したうえで頼斗の機嫌を直してあげた方がいいと思った。
 翼ちゃんは今日から俺や頼斗のクラスメイトになったんだから。翼ちゃんのことで隠し事をしている方が、何かと都合が悪くなると思うんだよね。
「それに、俺が翼ちゃんのことを好きだったのは頼斗と出逢う前の話だよ? 会わなくなったら思い出すこともなかったし。翼ちゃんに比べたら、俺と頼斗の方がずっと長い付き合いじゃん。俺にとって、頼斗と翼ちゃんのどっちがいいかなんて考えるまでもないっていうか……」
 …………あれ? ちょっと待ってよ。今の言い方はおかしいよね? 今の言い方じゃ、まるで俺が「頼斗に比べたら翼ちゃんなんて足元にも及ばない」みたいに言っているように聞こえて、頼斗に変な誤解を与えてしまいそうな気が……。
「じゃあ、深雪は翼って女より俺の方が好き?」
「え……っとぉ……」
 やっぱりそうなった。俺って本当に馬鹿だな。
 でも、〈友達〉っていう意味ではそれで合っている。大体、俺が一番の仲良しだと思っている頼斗なんだから、今現在、俺の中で頼斗に勝る〈好き〉はないよ。
 俺はまだ誰に対しても恋愛感情というものを持っていないわけだから、友達という意味では頼斗の好感度が誰よりも高い。
 そもそも、翼ちゃんとの思い出なんてほぼほぼ忘却の彼方だ。断片的な記憶しか残っていない翼ちゃんと、小学校からずっと一緒にいる頼斗では比べるだけ無駄、って話だよね。
「そりゃまあ……好きの度合いで言えば、頼斗の方が圧倒的……だよ」
 この発言は頼斗を喜ばせるだけであることはわかっていた。
 でも、頼斗のヤキモチを取り除くためには、頼斗が喜ぶセリフも必要だった。
 ただし
「でも、それって〈友達として〉って意味だからね。この先、俺が恋愛的な意味で好きになる相手が誰なのかは知らないから」
 そこはしっかり釘を刺しておいた。
 友達としてでも、今現在俺の中での一番であるとわかれば、頼斗の機嫌も少しは良くなるだろう。
「ん」
 多分、内心物凄く喜んでいるんだろうけれど、頼斗は感情のわかりにくい顔で短く頷いてみせた。
 全く……。俺に告白してきてからというもの、時々俺の手を焼かせてくるようになったよね、頼斗は。俺に告白するまでは、頼斗が俺を困らせたり、俺の手を焼かせてくることなんて滅多になかったのに。
「ってわけだから、そろそろ俺のこと離してくれる? 忘れてもらっちゃ困るんだけど、俺は今、雪音と頼斗にお触り禁止令を出している最中なんだから」
 玄関先でいきなり頼斗からキスされた俺は、両手を壁に縫い付けられ、まるで磔の刑にされているような状態だった。
 本当なら、いきなり俺にキスをしてきた頼斗に説教でもするべきところだけれど、俺のせいでいっぱいヤキモチを焼かせてしまったようだから、さっきのキスは大目に見てあげることにした。
 でも、それ以上は許す気がないし、頼斗の機嫌もひとまずは直ったようだから、ここからは頼斗を甘やかすつもりもなかった。
 それなのに
「嫌だ。離したくない」
 頼斗は俺の言葉にハッキリとした拒否の姿勢を見せると、靴を脱ぎ、俺の靴まで脱がせてしまうと、俺を軽々しく抱き上げきた。
「ちょっ……え⁉」
 俺を抱えたまま、ずんずんと家の中に突き進んでしまう頼斗に戸惑っていると、頼斗はあっという間にリビングのソファーに俺を運び、俺はソファーに下ろされると同時に頼斗から組み敷かれてしまった。
「ちょっと! 何するつもりだよっ! 俺、言ったよね⁉ 今度俺にエッチな事したら嫌いになるよって!」
「俺、まだエッチな事なんかしてないけど?」
「だったら何で俺は押し倒されてるの⁉ そもそも、俺に触るの禁止なのにっ!」
 何やらしれっと顔で俺のことを押し倒してくれちゃっている頼斗だけど、この状況で〈何もしない〉はあり得ない気がする。
「触るの禁止は無理だろ。そもそも、禁止してる深雪から俺に触ってくることもあるのに」
「は⁉ 俺がいつ…………あっ!」
 雪音や頼斗が俺に触ってくると、ただ触るだけじゃ済まないとわかってきた俺だから、二人が俺に触ってくることを禁止した。
 その俺が、自ら自分の身を危険に晒すようなことをするわけがない。と思ったんだけど――。
(確かに触ってるぅっ!)
 俺は今日、頼斗の後ろに隠れるどさくさに紛れて、頼斗の腕にしがみついていた。
 今日だけでなく、二人に〈お触り禁止令〉を出した後も、何かの拍子に俺から二人に触ることはあった。
 言っても、肩を叩くとか、服を引っ張るくらいのものではあったけれど、雪音や頼斗には「お触り禁止!」と言っておきながら、俺が二人に触っちゃダメじゃん。
「これでも俺、結構我慢したんだぞ? 春休みの間、極力お前に触らないように頑張ったんだ。それなのに。お前は今まで通り俺に触れてくることがあるし、さっきしたキスでは俺の前でエロい顔だって見せたじゃん。それで〈触るな〉って方が無理な話だろ」
「なっ……! おっ……俺は別にエロい顔なんか……」
「してるよ」
「んんっ……」
 あぁーっ! 本日二度目のキスーっ! どうしてこういう事になるのっ⁉
 雪音と宏美さんが引っ越してきた日の夜以降、雪音と頼斗は俺の言いつけ通りにおとなしくしてくれていたというのにっ! 今度は高校生活初日にこういう展開なの⁉
「んっ……ぁ……ダメっ……頼斗っ……」
 新しい家族で再スタートを切った初日に失敗した俺は、高校生活初日だけは失敗したくなかったのに。どうして雪音にしても頼斗にしても、俺の〈初日〉を邪魔ばかりしてくるの⁉
「んんっ……ぁっ、ん……んっ……」
 ちゅっ、ちゅっ、と優しく吸い上げられる唇に身体が熱くなってきた俺は、俺の唇を充分に堪能した後の頼斗に唇を解放してもらった時には、すっかり放心した顔になってしまっていて
「ほら。めちゃくちゃエロくて可愛い顔してる」
 頼斗のしたり顔にそう言われてしまった。


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