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四限目 人は見かけによらぬもの

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 俺が母さんからアルバイトの話を持ち掛けられ、実際に俺がバイトを始めるまでの三日間。俺は母さんに
「結月には俺がバイトを始めるまでの間、バイトの話はしないでおいて。面倒臭いから」
 と口止めしておいた。
 もちろん、母さんからは
「えー? 言っておいたほうがいいんじゃないの? 黙っておくほうがゆーちゃん怒るわよ?」
 と言われたが、俺はかたくなにそれを拒んだ。
 たった五日間とはいえ、俺が結月をほったらかしにしてアルバイトに出掛けると知れば、結月が素直に俺を送り出すとは思えなかったからだ。
 だがしかし、実際にアルバイトが始まってしまえば、バイトに出掛けている間の俺は家にいないから、当然結月は俺がどこに行ったのかを知りたがるだろう。そして、母さんから俺の居場所を聞き出すかもしれない。
 だから、俺はそれなりに覚悟していた。バイト初日を終えた俺は、覚悟を決めて家に帰って来た。
「ただいま」
 まずは玄関で靴を脱ぎ、キッチンで夕飯の支度をしている母さんに帰宅を告げた俺は
「おかえり、御影」
「っ⁉」
 リビングのソファーに座った結月が、にっこりと愛想のいい笑顔を浮かべて俺を迎え入れたことに、心臓が止まりそうなほどびっくりした。
 何故ここにいる。どうして結月が俺の部屋ではなく、俺の家のリビングにいるのだ。
「おかえり、御影。初バイトはどうだった?」
「へ? ああ……うん。結構楽しかった……けど……」
 相変わらずにこにこと笑っている結月に動揺しながら、俺は母さんの前で平静を装おうと必死だ。
「あら、そう。良かったわね」
 まるで何事もなかったかのように言う母さんだが、ここに結月がいて、バイトの感想を聞いてくるということは、結月に俺がバイトをする話をしてしまったということだろう。
 母さんから俺がバイトをする話を聞いた結月が、それについてどう思っているのかが非常に気になるところである。
「ゆーちゃんがね、御影がアルバイトしてるって話をしたら、バイトの話を聞きたいんですって。バイトが始まったら、ゆーちゃんにバイトの話をして良かったのよね?」
「ああ……うん……」
 俺の言いつけ通り、アルバイトが始まるまでは結月にバイトの話をしないでいてくれた母さんも、俺のバイトが始まるなり、速攻結月にバイトのことを話してしまっていた。
 まあ、俺もそうなるだろうとは思っていたけれど。
「夕飯までまだ時間掛かるから、上でゆーちゃんにバイトの話でもしてあげたら?」
「えっと……あー……」
 いや。何も二階にある俺の部屋で話さなくても、ここでバイトの話をしても構わない。というか、むしろここでバイトの話をしたい。
 俺の家族の前ではいい子ぶる結月だから、同じ空間に母さんがいれば、結月も妙な行動や、わけのわからない発言をしてこないと思うから。
 でも
「そうしよ、御影。僕、御影からアルバイトの話聞きたぁ~い」
 必要な情報を母さんから聞き出してしまった結月は、もう母さんに用はないと言わんばかりにソファーから腰を上げると、呆然として立ち尽くす俺の手を取り、俺を二階へと引っ張って行く。
 俺の手を引く結月の力強さが、顔は笑っていても、内心めちゃくちゃ腹を立てていることを物語っている。
「…………さて」
 俺を連れて二階にある俺の部屋にやって来た結月は、俺の部屋のドアをぴったりと閉めるなり――。
「きぃぃぃぃ~っ! バイトって何っ⁉ 何で勝手にアルバイトとか始めてるのっ⁉」
 やはり怒った。怒って俺をベッドの上に突き飛ばし、ベッドに倒れた俺の上から、俺にがぶがぶと噛みついてきた。
「ちょっ……痛い痛いっ! 噛むなよっ! 落ち着けっ!」
 冗談とか戯れではなく、本気で噛みついてくる結月に、俺は早速手を焼いた。手を焼き、必死で結月からの攻撃を防ごうとした。
 どうしてこいつの暴力はいつも普通に痛いんだ。少しは手加減というものをして欲しい。
「バイトって……バイトって……! そんなものをしたら、僕の〈ドキッ! ひと夏の恋大炎上! 水もないのにびしょ濡れな二人♡〉作戦が実行に移せないじゃないっ!」
「意味がわからんっ! 大炎上なのにびしょ濡れって何だっ! さり気なくエロいタイトルをつけるなっ!」
 どうやら、最近の結月の中で意味不明なタイトルをつけて遊ぶことが流行りらしい。
 そんな意味不明で下らないタイトルを考えて遊ぶほど、こいつは暇を持て余しているということなのだろう。
「酷いよっ! 御影っ! 僕、全裸になって御影のベッドの中で待っていたのにっ! その僕をほったらかしにするなんてっ! 僕の純情を弄んだっ!」
「純情な奴はベッドの中で全裸待機なんかしねーよっ! お前はまた人のベッドでそんないかがわしい事を⁉ っていうか、今回も冗談だよな⁉」
「今回はマジ」
「マジ⁉」
 この野郎……俺が留守にしている間に何ということを……。
 俺が一日の疲れを癒すべく眠るベッドの中で、何勝手に全裸とかになっていやがるんだ。そういう事は自分のベッドでしろよ。別に結月が毎晩全裸で寝ていようが構わないから。
「しかも御影、バイトが始まるまで僕に内緒にしていたし、明美ちゃんにも口止めしてたよね? それがどういう結果を招くのか、御影はよくわかっていないようだね」
 首、腕、腹と、噛み痕が残るくらいに強く俺に噛みついた後の結月は、高圧的な笑みを浮かべて俺を見下ろしてきた。
「ま……待て。説明を……説明をさせてくれ……」
 息絶え絶えに結月に切望する俺だったが
「問答無用っ! 僕に隠し事とはいい度胸だっ! その罪の重さを思い知れぇっ!」
「のわぁぁぁぁ~っ!」
 結月はガバッと俺に覆い被さってくると、既に結月の噛み痕がついている俺の首に、今度は強く吸い付いてきた。
 それはもう、バキュームカーかと思うほどの吸引力でぢゅうぅ~と音を立てて俺の首に吸い付いてくる結月に、吸い付かれた部分が吸い取られるのかと思うくらいだった。
「こらこらっ! やめろっ! 変な痕がつくだろっ! あと、お前の吸引力が強過ぎて普通に痛いっ!」
 首に噛みつかれた痕がついていることもおかしいが、吸い付かれた痕が残ってしまうのはもっと困る。
 それが一般的にどういうものとして見られてしまうのかくらい、これまで誰とも付き合ったことがない俺にでもわかる。
 俺に押し返される頭にもめげず、たっぷり三十秒は吸い付かれた。
 それだけめいいっぱい結月に吸われた首筋には、直径二センチくらいの紅い痕が、くっきりと浮かび上がってしまっている。
「お前……何てことをしてくれるんだっ!」
「ふんっ! 誰が悪いのさっ!」
「こんな痕が首についていたら、家族や周りの人間に誤解されちゃうだろっ!」
「誤解? 何のこと?」
「~……」
 くっ……わかっている癖にいけしゃあしゃあと……。
「そもそも、御影が僕に隠し事をすることが悪い。バイトをするならするで言ってくれればいいじゃない。何で隠すの?」
「へ? だってお前……俺がバイトするって言ったら、絶対反対するだろ?」
 何が悲しくて、幼馴染みにアルバイトをすることを黙っていただけで、誰もの目につく場所に特大のキスマークとやらをつけられなくちゃいけないんだ。
 と思ったが、俺の首に大きなキスマークをつけた後の結月のセリフは意外なもので、俺はついつい聞き返してしまった。
「別に反対なんかしないよ。だって御影、そのお金で僕に何でも好きなものを買ってくれるつもりなんでしょ?」
「……………………」
 ああ、そうか。そういう解釈か。なるほどな。
 俺が汗水たらして稼いだ金が、全額自分に使われると思えば、そりゃ結月も俺がバイトをすることに反対はしないな。
「あ、ちょっとした小旅行でもいいよ♡ 夏休みだもんね。泊まりは無理でも、日帰り旅行ならできそうだし」
「まあ待て。まずは落ち着いて話し合おうじゃないか」
 俺の月々の小遣い八ケ月分でもある今回のバイト代を、全額結月に注ぎ込むつもりはない。それでは俺が何のためにアルバイトをしているのかがわからない。俺にだって欲しいものくらいあるのだ。
「俺には今欲しいものがある。そのためにアルバイトをしているんだ。全額お前に使ってやるわけにはいかない。だが、少しくらいならお前に使ってやってもいい。それでいいだろ?」
 俺が自分で稼いだ金なのだから、全額自分のために使っても誰も文句は言えないはずだ。
 それなのに、自ら「結月にも使ってやっていい」と言ってしまう俺は、どれだけ結月に甘いのだろうか。
 普通、自分で稼いだバイト代を少しでも自分に使ってくれると言われたら人は喜ぶものだし、感謝もしてくれるものだ。
 ところが、結月ときたら
「は? 欲しいものって何? 僕に関係ないことには一銭たりとも使わせないよ?」
 喜んだり感謝するどころか、バイト代を自分以外のことに使うのを許さない、と言う。
 高校生になって身の回りで起こる不幸だったり不運に、結月に対する考え方も多少は変わってきた俺だったが、こういう発言をする結月を見ると
(やはり、結月は結月か……)
 と思ってしまう。
「大体ね、高校生がバイトする必要なんてないんだよ。特に、御影は友達がいないし、趣味だってないんだから。お金の使い道がないじゃない。お金を使うところといったら、僕くらいのものでしょ?」
 俺に友達がいなくて趣味がないとは余計なお世話だ。友達や趣味がなくても欲しいものくらいある。金の使い道はある。それに――。
「そのお前は一体俺にいくら使わせていると思っていやがるっ! 四月はもちろん、それ以外でも俺にたかり放題だよな⁉ 最近では学校帰りにも色々俺に強請ねだるようになりやがって!」
 ここ最近、結月に使う金が大幅に増えている。
 おそらく、四月にあった結月の誕生日の時に大盤振る舞いしてしまったのが良くなかったのだろう。あれから結月は何かと俺に物を――主に食べ物を強請ってくるようになっている。
 これまではただ一緒に登下校するだけだった通学路でも寄り道することが増え、寄り道をするたびに、結月は俺に食べ物を強請ってくるのである。
 きっと、秀泉に通っていることもいけないのだろう。
 中学までは地元の学校に通っていたから、通学路にはこれといって魅力的な店はなかった。あってもコンビニや文房具屋くらいのものだから、学校帰りに寄り道することはなかった。
 だが、秀泉に通うようになってからは電車通学だ。電車に乗るためには、このあたりで一番栄えている駅前を通るから、結月は駅前を通るたびに
『アイス食べたい』
 だの
『クレープ食べたい』
 だの
『ポテト食べたい』
 だのと、俺に集ろうとしてくるのだ。
 そして、俺はそんな結月の我儘を、週に二、三回は聞いてやったりもしている。
 これでは俺の買いたいものなど買えるはずがない。俺が母さんから手渡される月五千円の小遣いは、全て結月の我儘に消えているのだ。
 故に、俺はここしばらくの間、新しい参考書や問題集が買えていない。
 ――って、俺の欲しいものって参考書や問題集かよ。俺もすっかりガリ勉君になったものだ。
「当たり前でしょ? 御影は僕の彼氏なんだから。可愛い彼女に貢ぐのは当然なの。それが男の甲斐性というものさ。むしろ、男なら彼女に貢ぐことを生き甲斐にしなくちゃ」
「だから、俺とお前がいつそういう関係になったんだよ。大体、〈男は女に貢ぐもの〉だなんて考え方自体、下手するとセクハラやパワハラになるぞ。そりゃまあ、男としてはそうしてあげたい気持ちがあるのも事実だが……そう言うお前は男だよな?」
 結月と俺の恋仲設定はいつまで続くのか。結月の言う俺と結月の関係はころころと変わってしまうのだが、全てにおいて、俺が結月の我儘を聞いてやる立場である点は変わらない。
 結月は俺が奴隷だろうが、ペットだろうが、ヘタレな彼氏だろうが、「僕の我儘を聞け」と言っているだけである。
 可愛い女の子の幼馴染みならまだしも、顔は可愛くても男でしかない幼馴染みである結月の我儘に、振り回されてばかりいる俺とは一体……。
「ふふふ♡ 僕は例外。っていうか、別格なの。だってほら、こんなにも可愛らしいじゃない。世の中は可愛い子が得をするようにできているんだから、可愛い僕は御影に尽くされ、貢いでもらう運命なのさ」
「……………………」
 何か言ってやがるな。確かに、結月の容姿はそこそこ可愛らしいが、俺は結月がその容姿で得をしているところなんか見たことがないのだが。
 強いて言うなら、どんなに結月が変人でも、その変人具合を静かにスルーされているあたりが得をしているとも思えるが。それが果たして結月の可愛らしい容姿故なのかどうかはわからない。
「それで御影。せっかく特別講習が終わったばかりだというのに、わざわざ夏休みを返上して、僕のためにアルバイトをしている御影は、アルバイト先で誰とどんな仕事をしているわけ?」
「え?」
 俺が稼いだバイト代について、もっと具体的な使い道を約束させられるものかと思ったが、結月は話題を変え、俺のバイトについて尋ねてきた。
 多分、結月にはアルバイトをするつもりなんてないし、そもそも、アルバイトをすること自体が無理なようにも思えるが、アルバイトというものには興味があるのかもしれない。心のどこかで〈やってみたい〉という気持ちがあったりもするのかもしれない。
 それならば、やってみればいいと思う。俺達の家族の前で見せる猫被りを外でもやれば、結月にだってアルバイトの一つや二つはできると思う。
 でもなぁ……。身内以外の人間の前では、とことん不愛想で無礼だからな。ほんと、俺は結月の将来が心配で仕方がないよ。
「えっと……俺はミニゲーム広場の担当なんだけど、お客さんに輪投げをしてもらって、点数に応じた景品を渡す仕事をしている」
「ふーん……。何かショボいね。それで日給八千円も貰えるなんて、随分と楽なバイトじゃん」
 どうやら俺の日給まで調査済かよ。全く、母さんも余計なことを……。
「俺も最初はそう思ったんだけど、これが結構忙しいんだよ。ミニゲームはいくつかあるんだけど、各ブースの景品の中にはイベント限定品があったりしてさ。子供はもちろん、大人も普通に参加するし、中には何度も挑戦する人がいて、ずっと列が途切れないんだ」
 最初に輪投げコーナーの担当だと聞かされた時は、随分と子供向けなイベントだな、と思ったし、楽そうだとも思った。
 が、実際にイベントが始まってみると、そういう子供じみたミニゲーム広場は大盛況で、どこのブースもお客さんの列が途切れなかった。
 仕事自体はそんなに大変でもないしきつくもないが、お客さんの投げた輪投げを回収し、獲得点数に応じた景品を渡すという単純な作業も、ずっと続けていると疲れるものである。
 おまけに、毎回毎回知らない人に愛想良くしなくちゃいけないというところが、アルバイトをしたことがない俺にとっては一番疲れる。
「ああ、それと、同じブースを担当することになった相手が、同じ学校の霧島だった」
 これは言おうかどうしようかと少し迷ったが、内緒にしていてバレた時のことを考えると厄介だから、そこも報告しておくことにした。
 霧島とは新学期が始まると学校で会うし。その時に夏休み中のアルバイトの話をされても困るからな。
 一応、結月にも〈誰と〉って聞かれたし。
 まあ
「霧島? 誰? それ」
 俺が霧島の名前を出したところで、結月が霧島を知っているとは思わなかったが。
「お前も名前や顔くらいは見たことがあるんじゃないのか? 一学期の定期テストでは二回とも上位五位以内に入っていた子だ。クラスは違うけど、この前の特別講習では一緒だったよ」
 結月は俺が自分以外の人間と親しくすることを嫌がるから、あまり霧島の説明を詳しくするつもりはなかった。
 特に、性別についてはあやふやにしたつもりだったのだが
「子? 今〈子〉って言った? ってことは、つまりメス?」
 結月の耳はさとかった。俺のちょっとした一言に反応し、霧島の性別を〈女〉だと察知した。
 どうでもいいが、どうしてこいつは女の子を〈メス〉と言うのだ。
「ああ、そうだけど」
 ここで嘘を吐く必要はないから俺も素直に認めると、結月の目がカッと大きく見開かれた。
 そして
「何っ⁉」
 その数秒後。再び結月が俺に飛び掛かってきた。


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