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Final Season
トップアイドルの恋愛事情(6)
しおりを挟む「じゃあ司。ちょっと行ってくるから。司は家でおとなしく俺の帰りを待っててね」
俺を朔夜さんに貸し出すことに承諾はしたものの、やっぱり少し不安が残るらしい司をぎゅっと抱き締めてあげて
「心配しないで。俺は司だけだから」
俺を離したくなさそうな司の唇に背伸びをしてキスしてあげると
「うん。待ってる」
司は渋々といった感じで俺の腰に回していた腕を解いたのだった。
そんな俺達のイチャつきっぷりを少し離れたところから見ていた朔夜さんは、ほとほと呆れた顔になって
「今生の別れってわけでもないのに……。ほんの一、二時間借りるだけだってば。悠那に変なことしないって約束もしたのにさ」
なんて不満を零していた。
そんなことがあった後、朔夜さんに連れて行かれることになった俺は、テレビ局の駐車場に停めてあった朔夜さんの車に乗せられ、テレビ局から少し離れた海浜公園に来ていた。
テレビ局から車ですぐ来れるこの海浜公園には、時々司に連れて来てもらって、こっそりドライブデートを楽しんでいたりもするわけだけど、まさか朔夜さんと二人で来ることになるとは思わなかったな。
今日は天気が良くて、こういう時は公園内を吹き抜ける海風が気持ちいいんだけれど、俺と朔夜さんは大事な話をしに来ているわけだから、司と一緒に来る時のような浮かれ気分にはなれなかった。
朔夜さんは目の前に海が広がる駐車場に車を停めると
「ちょっと待ってて。飲み物買ってくるから」
助手席に座る俺にそう言い残し、一度車から出て行ってしまった。
ここはドライブデートに来るカップルにとっての絶景ポイント。ドライブデートに来た人のための駐車場みたいなものだった。
家族で来たり、レジャーで来た人向けの駐車場も別にあるんだけれど、そっちは公園内の施設が近くにあって何かと便利だ。
こっちの駐車場は周りに何もないけど、夜になったら海の上に架かる橋のライトとか、その向こうに広がる夜景が見えて綺麗なんだよね。
今はまだ夕方だから、目の前に広がる景色は夜景じゃなくて夕日に染まるオレンジ色の景色だったりもするけれど。
でも、俺はここには夜景しか見に来たことがないから、沈んでいく夕日を海越しに見られるのはちょっと新鮮かも。
中途半端な時間だから、周りに誰もいないのがまたいい。
俺は朔夜さんを待っている間、少しだけ車の外に出てみることにした。
せっかく目の前に海があるなら、思いきり深呼吸とかしてみたいもんね。
今から朔夜さんと大事な話をするのであれば、深呼吸でもして気持ちを落ち着けたいしさ。
「はぁ~……気持ちいい……」
あまりうろうろして目立つわけにもいかないから――といっても、今のところ周りには人っ子一人いない――、車のすぐ横で大きく身体を伸ばしながら深呼吸をしてみた俺は、心地良い海風に身も心も解放されていく感じがして、なんだかとてもすっきりした。
やっぱり夏は海だよね。カレンダーが7月になってから、気持ちはすっかり夏気分だし。
「車の中より外で話す方がいい?」
「え?」
「だったら向こうにベンチがあるからそっち行く?」
「えっと……」
車の中でおとなしく待っていなかった俺の姿を見つけた朔夜さんがそう言ってくれたけど、俺はどうしたものかと悩んでしまう。
確かに、車の中より外のベンチで話した方が気持ちが良さそうではあるけれど、こんなところで俺と朔夜さんが一緒にいる姿を誰かに見られたら不味くないかな?
今は誰もいないこの場所だって、このままずっと人が来ないってわけでもないし。
もし、俺と朔夜さんが一緒にいるところを誰かに見られてしまったら、絶対に「なんで?」って思われちゃうよね。
俺と一緒にいることで、朔夜さんに迷惑が掛かるようなことになったら嫌なんだけど……。
「おいで、悠那」
「あっ……」
俺が返事に迷っていると、俺が答えるよりも先に朔夜さんの手が俺の手を掴み、駐車場の外にあるベンチに向かって歩き始めてしまった。
「ちょっ……でもっ……俺と朔夜さんが一緒にいるところを誰かに見られたら不味くない?」
「なんで? 平気だよ。二人でちょっとお喋りするだけなんだし。ここってテレビ局から近いでしょ? 俺と悠那がテレビ局の近くの公園で一緒にお喋りしてたって、不審に思う人なんていないよ」
「そ……そうかなぁ?」
そりゃまあ、俺と朔夜さんが普段から仲がいいって有名だったら、テレビ局の近くを二人でうろうろしていても、なんの疑問も持たれないだろうけど……。
俺と朔夜さんが仲良しだって知っている人は、そんなに多いわけでもないんだよね。
たまに共演している姿を注意深く見ていたりとか、何かの記事やインタビューで俺達の交流を知っているファンなら、 “Five SとAbyssって仲がいいみたい”って思っている子もいるんだろうけど、俺と朔夜さんの交流なんて、基本的にはテレビでは映らないところでばかりだから。
「そうだよ。司や悠那みたいにイチャイチャしていなけりゃ、俺が可愛い悠那と一緒にいても変な目で見られたりしないって」
「う……」
「ま、俺が悠那を狙ってるとは思われるかもしれないけどね」
まるで俺が司とここに来たらイチャイチャするのがお決まりのような言い方をされてしまい、俺はついつい口籠ってしまった。
そりゃ確かにイチャイチャしてるけど。なんなら、ドライブデートのついでに車の中でエッチもしたことあるけど。
でも、俺と司だって全く周りを気にしていないわけじゃないし、ちゃんとバレないように細心の注意を払っているんだからね。
「ん? なんで悠那は赤くなってるの?」
「べっ……別にっ」
「もしかして悠那、ここで司とカーセックスでもしたの?」
「なっ……!」
「図星~。やらしいなぁ~」
「うぅ……」
どんなに細心の注意を払ったところで、こうして突っ込まれてしまったらすぐにバレてしまう俺だった。
「ほんと、二人には見境ってものがないね。でも一つ忠告。ここって時々スクープ狙いのカメラマンが潜んでたりするから、車の中とはいえ、あんまりイチャイチャするのはお薦めしないよ」
「えっ⁈」
マ……マジですか? 俺、そうとは知らずに今まで散々司とイチャイチャしまくったじゃん。大丈夫だったのかな?
多分、大丈夫だったのだろう。今のところ、事務所から俺と司のそういう写真を撮られたって話は聞かされていないし、俺と司のイチャイチャ写真が世間に出回ったこともないから。
「たまにすっぱ抜かれてたりするよ。ここで彼女や彼氏とイチャついてる芸能人。仕事場が近いから利用しやすいのかな? 仕事場が近いからこそ気を付けなくちゃいけないのに」
「そ……そうだね。気を付ける……」
俺と司もテレビ局の近くだから、ついつい「帰りに寄って行こうか」なノリで来てしまっていた。広い公園だし、仕事場が近いから逆に安全なんじゃないかと思っていたけど、そういうわけでもなかったんだな。
聞いてて良かった。今度からここでのドライブデートは無しだな。だって俺、どんなに気を付けていても、司と一緒にいるとすぐにイチャイチャしたくなっちゃうから。
「ま、逆を言えば、ここがそういう場所だって知ってる俺が、悠那と二人きりになる場所にここを選んだことは、ある意味誠意として受け取って欲しいかな」
「え? なんで?」
ここがそんなに危険な場所なら、余計に朔夜さんと一緒にいるべきではないと思ったし、車にも戻った方がいいんじゃないと思った俺は、俺と全く逆の発想をする朔夜さんに首を傾げてしまった。
どうしてそうなるの?
「だってほら、俺は撮られて困るようなことを悠那にしないってことだから。もし、俺が悠那に何かするつもりがあるなら、もっと違う場所に悠那を連れて行くよ」
「ああ……なるほど」
そうか。そういう考え方もできるのか。そう言われると、確かに朔夜さんが俺をここに連れてきたのは俺に変なことをしないって証拠にもなるよね。自らスクープを提供するつもりがないのであれば。
Abyssはこれまで誰一人として熱愛報道や、その手のスクープ写真を撮られたことがない。余程注意をしているか、カメラマンが張っている場所の情報なんかに詳しいのかもしれない。
これまで付き合ってきた数々の女性と一度もスクープ写真を撮られたことがない朔夜さんが、付き合ってもいない俺との怪しい写真を撮られるようなヘマをするわけがないか。
それに、冷静に考えてみれば、俺と朔夜さんがただ一緒にいるだけの姿なんてスクープでもなんでもないのは事実だし。
俺と朔夜さんじゃアイドルとしての格が違い過ぎるから、俺の方は“一緒にいるのって不味くない?”って思ってしまうし、傍目には不自然に映ってしまうような気がして仕方がないけれど、俺達とAbyssは共演だってしてるもん。仲が悪いなんて話になっているわけでもない。
むしろ、同じアイドル同士なんだから、たまにプライベートで一緒に過ごすことがあってもおかしくはないんだよね。
現に俺、昨日は葵さんや琉依さんと一緒にご飯を食べに行ったけど、その時は特に変だとは思わなかったもん。
急遽琉依さんが加わったことには驚いたし、あまりない組み合わせだとも思ったけれど、二人と一緒にいるところを誰かに見られたら……とは思わなかった。
朔夜さんと一緒にいるところを“不味い”と思ってしまうのは、過去に俺と朔夜さんの間に人に言えないようなことがあったからだろう。
でも、俺と朔夜さんがそういうことをしたのは一回きりで、その後もお尻を揉まれたり、キスされたり、キスされそうになったりすることはあるけれど、それって全部冗談って感じだし。朔夜さんが無理矢理俺をどうこうしようとしているつもりがないことはわかっている。
俺と司の仲も認めてくれている朔夜さんだから、今更朔夜さんを警戒する理由なんてないんだよね。
「座るならあそこがいい」
どうやら余計なことをあれこれ考え過ぎていたらしい俺は、こうして朔夜さんと一緒にいてもびくびくする必要がないんだとわかるなり、今度は俺が朔夜さんの手を引っ張って、駐車場に一番近いベンチから二つ奥に設置されたベンチに朔夜さんを連れて行った。
何故俺がそこのベンチを選んだのかというと、そこのベンチだけ後ろに木が立っていて影になるから。
車の中より外で話す方が気持ち良さそうでいいんだけれど、日焼けはしたくないんだよね。
一応日焼け止めは塗っているけど、夕方とはいえ、まだ沈んでいない7月の太陽の光を浴び続けていたら、ちょっとくらいは日に焼けちゃうかもしれないもん。
せっかく司が「白くて綺麗」って言ってくれる肌を焼きたくはない俺なのである。
俺が朔夜さんを連れてベンチに腰を下ろすと
「はい。自販の飲み物でごめんね」
俺を助手席に残して買いに行ってくれていた飲み物を渡してきた。
「ううん。ありがとう」
俺が朔夜さんの手から冷たいアイスココアの缶を受け取ると、朔夜さんも俺の隣りに腰を下ろした。
こうして普通に公園のベンチで朔夜さんと並んで座っているのも不思議な感じ。
朔夜さんは俺にとって憧れの人で、俺がアイドルになるまでは直接会って話すことも叶わない人だと思っていたのにな。
もし、俺が中学や高校時代に朔夜さんと今みたいな経験をしていたら、俺は間違いなく朔夜さんに恋をしていたと思う。
「さてと。夕飯までには悠那を家に帰すっていう司との約束だから、早速本題に入らせてもらおうかな」
「へ? あ……うん」
目の前に広がるオレンジ色の空と海に、一瞬ここに来た目的を忘れてしまいそうになっていた。
いくら今が黄昏時だからって、俺まで黄昏る必要はなかった。
だけど、目の前に広がる景色があまりにも綺麗なオレンジ色だったから、俺も思わず物思いに耽っちゃいそうになったよね。
「朔夜さんは俺にどんな話があるの?」
朔夜さんが俺に大事な話があるって言っているのに、目の前の景色に見惚れてしまい、全然関係ないことを考えてしまっていた俺は、その失礼を詫びるかのように、自分から話を聞き出すよう朔夜さんを促した。
そのついでに
「もしかして、俺と司が昨日葵さんや琉依さんから聞いた話と関係がある?」
おそらくそうであろうという、自分の推測の答え合わせもしてみた。
「ん……まあ……大いに関係があるかな」
俺の隣りに腰を下ろした朔夜さんは決まり悪そうな顔で認めながら、買ってきた缶コーヒーの蓋を片手だけで格好良く開けた。
缶コーヒー一本開ける姿すらもサマになる男、月城朔夜。右手に握られたブラックの缶コーヒーが男らしさを増幅している。
対する俺の両手には可愛らしい牛のイラストが描かれたアイスココアの缶……。
別にいいんだけどさ。俺、まだブラックコーヒーなんて飲めないし。コーヒーより甘~いミルクティーが好きなお子様舌だもん。
「悠那はさ、昨日の葵や琉依の話を聞いてどう思った?」
「え? えっと……」
俺はトイレに行っていたから、司と朔夜さんの間でどういう取り決めになっているのかは知らないけれど、どうやら俺をあまり長く拘束することは許されていないらしい。朔夜さんは司との約束通り、俺への用事をなるべく早く済ませようとしてくれているみたいだ。
ベンチに座ってすぐに始まった本題に、俺は心の準備ができていなくて、ちょっと狼狽えた。
でも
「正直凄くびっくりしたよ。葵さんと琉依さんのこともだけど、朔夜さんが葵さんのことを好きで、葵さんに告白までしてたってこと」
どう思った? って聞かれたら、俺が思ったままを答えるしかないわけだから、俺は素直な感想を率直に述べた。
っていうか、葵さんと琉依さんは昨日の話を朔夜さんにしちゃってるんだ。
だとしたらあの二人、一体どういうノリやテンションで朔夜さんにそれを伝えたんだろう。
自分達の暴露話だけならまだしも、朔夜さんの過去まで無断で暴露した話を、昨日みたいなテンションで話したわけじゃないよね?
(あの二人ならありえる……)
だってあの二人、その頃の話は最早笑い話って感じだったし。
『ごめん、朔夜。あの頃の話を司君と悠那君に話しちゃった。えへへ』
みたいなノリで言ってそう。
昨日の二人はそこそこに酔っ払ってもいたから、酔った勢いで話してしまった朔夜さんの暴露話も、悪いことをしたとは思っていないに違いない。
「はぁぁぁ~……だよねぇ……」
俺の素直な感想を聞いた朔夜さんは、がっくりと項垂れ、盛大な溜息を吐いた。
やっぱり俺や司に知られたくなかったんだ。まさかAbyssの中でそんなことがあっただなんて思っていなかった俺としては
『Abyssのタブーを知りたがっちゃってごめんなさい』
って感じである。
「な……なんかごめんね。俺がAbyssのことを知りたがっちゃったから、朔夜さんが俺に知られたくないことまで知ることになっちゃって」
朔夜さんに対して申し訳ない気持ちになってしまった俺は、その気持ちを無視するわけにもいかないから、ひとまず朔夜さんに謝っておいた。
謝ったところで過去は変わらないから、俺が朔夜さんの知られたくない過去を知ってしまった事実は消えないし、俺も聞いた話を忘れることはできないけれど。
がっくりと頭を項垂れていた朔夜さんは、申し訳なさそうにおろおろとしてしまう俺をちらりと横目で見ると
「まあ……悠那が悪いってわけでもないからな。悠那のことは怒ってないよ」
と言ってくれた。
そして
「どうせ葵が悠那の興味を引くような言い方をしたんだろうし」
俺が見る限り、メンバーの中でも特に仲が良さそうに見えていた葵さんのことを、ちょっとだけ責めたりもした。
でも、昨日の話を聞いた後じゃ、葵さんと朔夜さんもただの仲良しメンバーってわけじゃないんだろうな、って思うし、葵さん、琉依さん、朔夜さんの関係ってさぞかし複雑なんだろうな、って気持ちにもなる。
そんな話を聞かされるまで、全然そんな風に見えなかった三人が凄いよ。
「で……でも俺、別に朔夜さんに変な感情とか、マイナスなイメージなんて持たなかったよ? むしろ、葵さんと琉依さんのことにびっくりし過ぎちゃって、朔夜さんにはちょっと同情しちゃったくらいだし」
もしかして朔夜さん、俺や司に格好悪いイメージを持たれたと思って落ち込んじゃったのかな? って思った俺は、そんな言葉で朔夜さんを慰めようとした。
「……ほんと?」
朔夜さんは肩を落としたままの状態から上目遣い気味に俺を見てきたわけだけど、その目が少し甘えているようにも見えた俺は、危うく胸キュンしそうになった。
こらこら。司というものがありながら、他の男にときめくとかなしでしょ。俺ってば本当に朔夜さんに甘いんだから。
でもまあ、胸キュンっていっても恋愛感情は一切ない胸キュンなんだけどね。
「うん。朔夜さんにもそんなことがあったんだな、って思ったくらいだよ」
「そっか……」
一体なんの心配をしていたのかは知らないけれど、俺の中の朔夜さんのイメージが変わらなかったことに、朔夜さんはほっとした顔になった。
ひょっとして、それが朔夜さんが俺としたかった大事な話? 昨日の葵さんと琉依さんの話を聞いて、俺の中での自分のイメージが崩れていないかどうかの確認がしたかったの?
だったら司がいても良かったと思うし、そんな話を聞いたからって、俺の中での朔夜さんのイメージが崩れるわけないのに。
元々俺は朔夜さんのことを恋多き男だろうと思っていたし、朔夜さんが過去にどんな恋愛をしていようと、そこは全然気にしていなかった。
どう考えたって朔夜さんは昔からモテていたに違いないし、朔夜さんに女遊びが激しい一面があったとしても驚かない。むしろ、そうなるのが当然だとすら思っている。ところが――。
「良かったぁ~……。俺、悠那が葵や琉依の話を聞いて、俺に遊ばれたんじゃないかって思い始めたらどうしようかと思ってた」
朔夜さんが心配しているのはそこのイメージダウンではなかったらしい。
「へ?」
予想外だった朔夜さんの言葉に、俺は思わずきょとんとなってしまう。
「だって俺、悠那に“好きだ”って告白してないじゃん」
「えっとぉ…………うん」
だから? 確かに「好きだ」とは言われていない。「付き合いたいと思ってる」とは言われたけれど。
「俺が昔葵のことが好きで、葵に告白して振られたって知った悠那が、俺は今でも本当は葵のことが好きで、悠那のことを葵の代わりにしたと思われたらどうしようって心配になったんだよね」
「……………………」
その発想はなかった。でも、言われてみればそう思うのが普通なのでは?
だって、葵さんは俺なんかよりずっと魅力的だし、俺と葵さんだったら、どう考えても葵さんの方が朔夜さんにお似合いだもん。
でも、葵さんがあまりにもあっけらかんと朔夜さんを振った話をしたことと、その後の朔夜さんが葵さんと琉依さんの関係を知り、いろんな女の子と付き合うようになったって話を聞いていたから、俺も朔夜さんに葵さんへの未練はなくなったものだと思ってしまった。
これまでの二人を見ても、そういうものは一切感じられなかったし。
「俺が葵のことが好きだった時期があったことを悠那に隠そうと思ったわけじゃないんだけど、もう終わったことだし、言う必要もないから言わなかったんだけどさ。今頃になって葵の口からその話が出るとは思わなかったから、それを聞いた悠那に“葵さんがダメだったから俺なのかな?”って思われたら嫌だなって」
「うーん……」
それは……確かに思っちゃうかもしれないかな。昨日聞いたばかりの話だから、そこまで深く掘り下げて考えるような時間はなかったけれど。
だけど、これが一週間、二週間先の話だったら、俺の頭の中にはそんな考えも浮かんでいたかもしれない。
そもそも、俺は朔夜さんとエッチなことをした後に、“俺があまりにもチョロいから朔夜さんに遊ばれちゃったんだ”と思っていたくらいだし。
国民的アイドルAbyssの月城朔夜が、俺みたいな子供――当時の俺はまだ高校生だったから――に本気になるはずがないと思っていたんだよね。
「話を聞いてからもう少し時間が経っていたら、そういうことも考えていたかも。元々俺は朔夜さんとエッチなことをした時も、俺があんまりにもチョロいから朔夜さんに遊ばれちゃったんだと思ってたし」
今となっては懐かしい話だ。あの頃よりは俺もちょっとは成長して大人になったと思うから、あの頃のことは朔夜さん本人とだって思い出話として話すことができる。
そりゃ今だって恥ずかしい体験だったとは思っているし、進んで話したいような話でもないんだけれど、当人同士の間であれば、そんなこともあったよね、という感じで話すことはできる。
これが現在進行中で俺が朔夜さんに片想い中とかであったなら、そんな風にはなれないだろうし、昨日の葵さんや琉依さんの話を聞いた時点で、今現在の朔夜さんの葵さんに対する気持ちも気になって仕方がなかったんだろうけどさ。
俺は今司と付き合っていて、司にいっぱい幸せにしてもらっている身だから。自分の身に起こった過去の色恋沙汰のあれこれは、全部司によって帳消しにされているのである。
色恋沙汰を含め、俺の過去について司に知られて困るようなことは何もないしね。
だけど
「え」
朔夜さんは俺の発言が聞き捨てならなかったようだ。
「ちょっと待って。悠那って最初から俺に遊ばれたと思ってたの?」
「え?」
あ……今の言い方はちょっと不味かった。嘘じゃないけど、もっと違う言い方をするべきだったよね。
「えっと……そういう意味じゃなくて……」
「俺、ちゃんと告白はしてないけど、悠那と付き合いたいとは言ったよね?」
「う……うん。だから、俺も朔夜さんに遊ばれたわけじゃないんだってわかったっていうか……。朔夜さんって俺のこと好きなのかな? って思ったっていうか……」
「かな? じゃなくて、好きなんだってば」
「あうぅ……」
落ち込んだと思ったらほっとして、ほっとしたと思ったら今度は拗ねて……。
今日の朔夜さんはいつもに増して感情が豊かである。
言っても、朔夜さんはAbyssの最年少メンバーで、うちの最年長である陽平と歳が一つしか変わらないから、他のAbyssのメンバーと比べて感情の起伏は激しくてわかりやすいし、まだまだ子供っぽいところがあるんだけどね。
「はぁ……全くもう……。つまり悠那は初恋もまだの時点で、遊びの恋に付き合っちゃうような、とんでもない子だったってこと?」
「そっ……そういうつもりじゃなかったんだよ? で、でも、朔夜さんは俺の憧れの人だったし、俺も朔夜さんのことが好きなのかな? って思ってたから、憧れの人だしいいかな? って……」
「でも、俺には遊ばれたと思ったんだよね?」
「しっ……仕方がないじゃんっ! 朔夜さんが俺なんかをそういう意味で好きになってくれるなんて思わなかったんだもんっ!」
今思うと、朔夜さんの言う通りである。恋愛経験ゼロの俺が、よくもまあ好きかどうかもわからないうえ、相手から好かれているという確信もない相手とあわやエッチする寸前までいったよね。
しかも、朔夜さんだけでなく、司とは二人でエッチなことをするのが日常的になりつつあったんだから、朔夜さんに「とんでもない子」と言われても仕方がない。
まあ、朔夜さんとエッチなことをする前に司とエッチなことをしてしまっていたから、朔夜さんともあっさりそういうことになってしまったのだとは思うけど。
「俺の中では結構マジにアプローチしてたつもりなんだけどな。悠那にはいまいち伝わってなくて残念だよ」
「うぅ……ごめんなさい……」
だって、俺と朔夜さんってそこまで深い仲じゃなかったっていうか、会って二回目でそういうことになっちゃったから、朔夜さんが俺に本気だとは思わなかったんだもん。
「でも、よくよく考えたら、悠那は付き合う前の司ともエッチなことをしていたわけだから、案外遊ばれたのは俺の方だったのかもね」
「それはない。俺、司とも朔夜さんとも遊びのつもりでエッチなことなんかしてないもん」
「そうなの? じゃあ司とはどういうつもりでエッチなことしてたの?」
「そ……それは……」
はっきりと「遊びのつもりじゃない」と言いきったものの、どういうつもりで? と聞かれると、どう答えていいものやら……。
遊びのつもりではなかったものの、司とは流れだったり興味本位から始まった関係って感じだから、あまり褒められたものじゃないんだよね。
「最初は流されただけっていうか、人と一緒にエッチなことをするのってどんな感じなのかな? って興味があって。実際に司と一緒にエッチなことをしてみたら、一人でスるより全然気持ち良くて癖になっちゃいそうだったから、今度から一人エッチじゃなくて、司と一緒に二人エッチしようかなって」
でも、結局は素直に答えてしまう俺なのである。
だって、昨日は成り行きとはいえ、朔夜さんの知られたくない過去を知ってしまったわけだから。そのお詫びというわけじゃないけど、俺もあまり人に知られたくない自分の過去を朔夜さんに話しておこうかなって。
「何それ。それってつまり、最初は司との関係って性欲処理の相手だったってこと?」
「ん……まあ……そうなっちゃうのかな……」
それのどこが遊びのつもりじゃないのだか……って感じではあるけれど、当時の俺はそれなりに真剣に色々と考えたりもしていたわけで……。
自分が中途半端で曖昧なことをしている自覚はあったけど、決して軽い気持ちで司とエッチなことをしているわけではなかった。
というより何より、その頃の俺はそういうことに興味はあったものの、実体験が圧倒的に足りていなくて、“遊ぶ”という概念が頭の中になかった。
俺と司がしていることも、みんなの言う“見せっこ”や“触りっこ”をしているだけという感覚だったから、俺と司が特別変なことをしているとは思わなかったんだよね。
むしろ、みんなこうやって性の知識やテクニックを学んでいくものなんだ、とすら思っていたくらい。
後から聞いた話だと、それは大きな間違いだったけど。
「へー……そうなんだ。だったら、まだ“遊ばれた”って思ってもらえた俺の方が、性欲処理の相手として見られていた司よりマシだったのかも。遊ばれたと思われたってことは、一応そういう対象として見られてたってことだから」
「っ……司のことだって、ただの性欲処理の相手としてだけ見ていたわけじゃないもんっ! ちゃんと色々考えてたんだからねっ! 司は俺のことどう思ってるのかな? とか、俺は司のことが好きなのかな? って!」
「はいはい。わかったわかった。それは信じるけど、とりあえず、悠那がエッチな誘惑に弱いことはよくわかったよ。俺とエッチなことした時も、悠那は自分から俺に“シて欲しい”って言ったんだもんね」
「もーっ! それは言わないでっ!」
「悠那がそんなにエッチなことに積極的な子だと知っていたら、あの時遠慮なんかしなきゃ良かったよ。そしたら今頃俺と悠那の関係は違っていたかもしれないのにね」
「うぅ……それは否定しない」
なんだか朔夜さんの大事な話からは逸れていっている気もするけど。
あの時、俺は自分が朔夜さんを拒んだことで、自分の司に対する気持ちに少しずつ気付き始めていったわけだけど、あのまま朔夜さんと本当にエッチしてしまっていたら、俺は司への気持ちに気付くこともなく、「付き合いたいと思ってる」って言ってくれた朔夜さんと付き合っていたんだろうな。
だって、朔夜さんとはエッチしちゃってるし。朔夜さんとエッチした後の俺は朔夜さんにメロメロになっていたとも思うから、「付き合いたい」って言われたら「付き合う!」って選択をしちゃうよね。
「それを思うと残念でならないなぁ。俺の方は完全にヤる気満々だったのに。でも、さすがに無理矢理は良くないなって遠慮しちゃったが故に……」
「いや。俺はその朔夜さんの優しさがありがたかったんだけど」
多分、そこで俺と朔夜さんの運命が決まったんだ。あそこで朔夜さんが自分の気持ちを優先するか、俺の気持ちを優先してくれるかで、俺と朔夜さん、司の未来が変わっていた。
もし、俺が司じゃなくて朔夜さんと付き合う未来になっていたら、その場合、俺のことを心配して迎えに来てくれた司に、俺はどんな言葉を返していたのだろう。
それを考えると、ちょっとゾッとしてしまう。
「なんか話が逸れちゃってる感じがするんだけど、朔夜さんが俺としたい大事な話って、悠那のことは遊びじゃなかったんだよ、っていう話?」
話の中に司の名前が出てきたあたりから、大事な話とやらからは少しずつズレていっている気はしていた。
だから、話を元に戻そうとした俺は、自分の言った言葉にちょっとした気まずさと、気恥しさを感じてしまった。
本気でも、遊びだったとしても、俺にとっては光栄な話ではあるんだよね。ずっと憧れていた朔夜さんに、俺をそういう目で見てもらえたこと自体が。
「ん? まあ、それもあるけど、一番の目的は悠那に告白しようと思って」
「え」
きっと、もう朔夜さんの大事な話は終わったんだろうと思っていた俺は、一番大事な話がまだ残っているという朔夜さんに目が点になった。
しかも、それが
(え……告白? 俺に告白って何?)
って感じである。
今更? って感じだし、今朔夜さんに告白されたところで、俺の答えなんてわかりきっているはずなのに。
「えっと……それはなんで?」
今から告白するよ宣言にも面食らっちゃったけど、告白されても振るしかない俺の立場では、朔夜さんの発言には戸惑うしかない。
(なんで今になって告白なの?)
という気持ちにしかなれない。
確かに、俺と朔夜さんの間ではちゃんとした告白、それに対する返事、というものがなかったけれど、朔夜さんの目の前で司のことが好きだと言い、そのまま司と付き合うことになった俺は、間違いなく朔夜さんを振ったことになるし、朔夜さんも俺には“振られた”という認識だったはずだ。
にも拘らず、今になって俺に告白をするっていう朔夜さんは一体どういうつもりなんだろう。
「だってさ、葵にはちゃんと告白してるのに、悠那にはしてないのってなんか嫌じゃん。フェアじゃないって感じがしない? だから」
「……………………」
そ……そんな理由⁈ 朔夜さんがいい人過ぎるっ!
「朔夜さんって……物凄く律儀な性格なんだね」
朔夜さんが葵さんに告白した話を俺が知ったから、朔夜さんがそういう発想に行き着いたのかどうかはわからないけれど、朔夜さんの実直な性格には感動すら覚える。
いくらちゃんと告白をしていないからって、そんな理由でもう決着がついている恋にけじめをつける人なんていないよ。
「そういうわけでもないとは思うけど、悠那にちゃんと告白して振られておかないと、俺もいつまで経っても悠那を諦められないって感じがするしさ」
「そ……そうなんだ……」
っていうか、朔夜さんってまだ俺に未練があったの? さすがにもう諦めているのかと思っていた。最近の朔夜さんの俺に対する扱いなんて俺を完全に玩具にしてるって感じだったし。
「そ。だからこのへんでちゃんと悠那に告白して、しっかり悠那に振られておこうかなって。その方が司も安心するでしょ? まあ、けじめってやつだよね」
「うぅ……」
朔夜さんは物凄くさっぱりした感じで言うけれど、またしても朔夜さんを振らなくてはいけなくなった俺はあまり気が進まない。
それでも、自分のため、そして、俺や司のことまで思って俺に告白するつもりの朔夜さんの気持ちは受け取るしかない。
「悠那」
「はっ……はい……」
持っていた缶コーヒーをベンチの隅に置き、急に真面目な顔になって俺を見詰めてくる朔夜さんに、俺は姿勢を正して身構えた。
「俺、初めてテレビで悠那を見た時から、本当に悠那に夢中だったよ。こんなに可愛い子が世の中にいるんだって思ったし、こんな可愛い子と付き合えたら物凄く幸せだし、毎日が楽しいんだろうなって思ってた。悠那のこと、大好きだよ」
司と付き合い始めてもう二年。つまり、俺が朔夜さんを振ってからももう二年になる。
二年越しにされた朔夜さんからの告白に、俺は当然ときめいてしまったし、胸がぎゅっと締め付けられるような痛みも感じてしまったけれど
「俺、朔夜さんにそう言ってもらえて凄く嬉しい。でも、俺が司のことが大好きだから、朔夜さんの気持ちには応えられない。ごめんなさい」
もうそんなことで流される俺ではなかった。
俺は朔夜さんの予定通り、しっかりと朔夜さんを振ってあげた。
だけど
「でも、俺の中で朔夜さんはずっと憧れの人だし、憧れの先輩って意味では朔夜さんのことが大好きだよ。それはずっと変わらないから」
恋愛感情抜きであれば、朔夜さんのことは大好きなんだって気持ちは伝えておいた。
朔夜さんとエッチなことをした直後に司と付き合うことになった俺は、朔夜さんに対してはずっと引け目みたいなものを感じていた。
俺の勝手で朔夜さんを振り回したみたいな形になったことも、ずっと申し訳ないと思っていた。
だから、俺が朔夜さんのことをどう思っているのかは、ちゃんと朔夜さんに伝えたいところでもあったんだよね。
振っておいて「大好き」だなんて卑怯な気もするけれど。
「ああもうっ! ほんと可愛いなっ! 諦めがたいっ!」
しかし、どうやら朔夜さん的には俺の言葉が嬉しかったらしい。いきなり俺にがばっと抱き付いてきた。
「だけど、頑張って諦めてあげる。司と幸せになりな」
そして、俺に抱き付いてきた時とは全く違うテンションで俺の身体を抱き直してくると、俺の耳元でそう囁いてきた。
「うん……。ありがとう、朔夜さん……」
憧れの人として大好きな朔夜さんを振ってしまった俺の心は痛んだけれど、そんな俺の心境を察してくれているのか、優しく慰めるように俺の背中を撫でてくれる朔夜さんの手に、俺は嬉しくて思わず泣きそうになってしまった。
(ああ……俺、朔夜さん推しで良かった……)
と、一人の朔夜さんファンとして、朔夜さんのことを誇らしくも思った。
そこまでは良かった。
「じゃあ、最後に司と悠那が幸せになれるおまじない」
「ん?」
俺を抱き締めていた朔夜さんの腕が少し緩み、何やらおかしなことを言い出したと思った次の瞬間――。
「っ⁈」
無警戒なまま朔夜さんの腕の中にいた俺は、朔夜さんから唇を奪われていた。
(俺と司が幸せになれるおまじないって!)
これのどこがそのおまじないなの⁈ 俺、普通にキスされただけで、こんなのおまじないでもなんでもないじゃん。
むしろ、こんなことが司に知られてしまったら、幸せになれるどころか説教&お仕置きものだよ。
もしかして、俺への片想いにけじめをつけた朔夜さんから、俺に対する最後の嫌がらせ?
「さっ……朔夜さんっ!」
「あはははは。これ、ちゃんと司に報告しろよ」
「もーっ!」
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「さて。これで悠那との大事な話は終わり。家まで送ってあげるからおいで」
「むぅ…」
俺に不意打ちキスをしてきた朔夜さんには言いたいことがまだあったけれど、朔夜さんを振った直後ではあまり強気な態度にも出られない俺だった。
きっと朔夜さんにキスされるのも今での最後になるだろうから、ここはグッと我慢することにする。
「お。見てみな、悠那。ちょうど夕日が沈むところだよ」
「ほんとだ。綺麗……」
駐車場に停めてある朔夜さんの車へと戻る俺は、地平線の向こうに消えていく夕日に思わず立ち止まる。
完全に夕日が沈む直前にされた朔夜さんからの最後のキスは、とても甘くて、優しくて、ちょっぴり切ない味がした。
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