僕らの恋愛経過記録

藤宮りつか

文字の大きさ
上 下
234 / 286
Final Season

    決意と決別(7)

しおりを挟む
 


 話は戻るが、俺がパートナーに求める条件は、自分と同じ価値観だったり、自分の思い描く未来予想図について、どこまで真剣に語り合えるか……というものだった。そういう意味では、俺と同じアイドルである湊はその条件を満たしているとも言える。
 性格や考え方、価値観には多少の違いがあるものの、その違いは二人の仲をギクシャクさせるようなものではなく、むしろ、その違いが二人にとってはいい刺激になるような、いい意味での違いでもあった。
 だからこそ、俺と湊はZeusのレッスン生時代に誰よりも気が合って、親友と呼べるような関係を築けたのだ。
 俺と湊の未来はいつも同じ方向を向いていて、顔を突き合わせれば将来や夢の話、自分達の目指すアイドルになるためには何をするべきなのかを話し合った。
 湊と一緒に過ごす時間は楽しいだけじゃなくて充実もしていて、同じ夢を追うパートナーとしては最高の相棒だとすら思っていた。
 ぶっちゃけた話、これが男女の間柄なら間違いなく恋人関係に発展していただろう、と考えたことさえあった。
 だが、それは俺と湊が男同士である以上、そんなことは百パーセント絶対にありえないという思いがあったからこそ、逆に考えることができた話であって、実際にそういう関係を求められると、俺にはそんなつもりはない、という気持ちしか湧いてこなかった。
 ところが、俺の身近で同性カップルの発覚や成立が立て続けに起こってしまうと、元々そんなに偏見があったわけでもない同性カップルというものが、当たり前の日常へと変わっていった。
 それでも、湊が俺のことを「好きだ」と言い出すまでは、自分には全く無縁な話だと思っていたし、湊が俺のことを「好きだ」と言い出した時は、偏見はなくても自分には無縁な話のままであって欲しいとも願った。
 でも、他の誰でもなく、俺のことを「好きだ」と言う湊に、同性同士の恋愛に無関係でい続けるわけにはいかなかった。俺がどんなに無関係でいたがっても、それを湊が許してくれなかった。
 俺は望まないうちにどんどん同性同士の恋愛に巻き込まれていき、翻弄されていくうちに、無関係でいるどころか逃れられなくなってしまった。
 このままじゃダメだ……。
 そう思った俺が、湊との関係について前向きに考えてみることにしたのが、今から約半年前、去年の12月の話だ。
 よくよく考えてみれば、約半年もの間、俺からなんの返事も返ってこないまま、気長に俺からの返事を待ち続けている湊って健気以外の何物でもないよな。
 まあ、ただおとなしく待ち続けているというわけでもないから、健気とはちょっと違うのかもしれないけどさ。
 自分から言い出したことだから、俺もこの半年間は湊との関係について結構考えた。
 そして、いい加減考え疲れてきた俺は、湊との曖昧な関係に、そろそろ答えを出してしまおうと決意した。





「ほんっとーに悪かった! 心の底から反省してるから許してくださいっ!」
 CROWNのメンバーがうちに遊びに来た翌日の朝である。
 昨夜は散々湊に好き放題された挙げ句、半ば意識を失うように眠りに堕ちてしまった俺は、疲れ果てていたわりにはいつもと変わらない時間に目を覚まし、まずは昨日のうちに入り損なってしまった風呂に入った。
 俺がちょうど風呂から出てきた頃に湊が起きてきて
『なんで起こしてくれないの⁈ せっかく陽平と一緒にお風呂に入ろうと思ってたのにっ!』
 と文句を言われたが
『んなことだろうと思ったから起こさなかったんだよ』
 俺はそう返して、朝っぱらから元気良く騒ぐ湊を風呂場へ追いやると、いつものように朝飯の準備に取り掛かった。
 この時点で起きているのは俺と湊の二人だけで、いつもならとっくに目を覚ましているはずの律はまだ起きていなかった。
 ってことは、昨夜は律も海と……ってことなんだろう。
 司と悠那も昨夜はそのつもりだったみたいだから――そのせいで、悠那は昨日俺の部屋のドアをちゃんと閉めていかなかった――、昨夜の我が家はそれぞれがそれぞれの部屋でいかがわしい行為に勤しんでいたと、そういうことになる。
 全く……何がどうしてそうなる。最早カオスだ。うちは一軒家の形をしたラブホテルか?
 で、湊が風呂から出てきてほどなくして起きてきた律と海を見るなり、湊が深々と頭を下げながら謝っているのが現在である。
「いえ。気にしないでください。元々僕は怒ってなんかいませんから」
 起きたばかりだというのに既に疲れ果てた顔をしている律は、土下座せんばかりの勢いで謝ってくる湊に力なく微笑みながら、昨日の湊の暴挙を快く許す姿勢を見せた。
「今回は大目に見ますけど、次は許しませんからね」
 昨日はあんなに怒っていた海も、その後、律にヤらせてもらってすっかり機嫌が直ったのか、今朝は湊を快く許してあげる気持ちになれているらしかった。
「すみません、陽平さん。また朝食の準備を陽平さん一人に任せてしまって」
 湊の謝罪が終わった後の律は、今度は自分が朝寝坊をしてしまったことで、朝飯作りを俺に押し付けることになってしまったことを悔やみ始める。
 いやいや。昨日は湊に襲い掛かられて大変だったうえ、翌朝までにはあんなに腹を立てていた海の機嫌をすっかり直してくれた律は、今回一番の功労者だ。一日中寝ていたとしても誰も文句は言わねーよ。
「それこそ気にすんなって。んなことより、朝飯の前に風呂にでも入ってきたら? さっき湊が入ったばっかだから、まだあったかいと思うぞ」
「えっと……そうですね。じゃあ、お言葉に甘えてそうさせていただきます」
 おそらく、睡眠だけでは疲れが取れきっていないであろう律に朝風呂を薦めると、律は俺の薦めに素直に従うことにしたようだった。
 しかし、その会話を律のすぐ隣りで聞いていた海が
「じゃあ僕も一緒に入る」
 と言うと、すかさず
「ダメ」
 きっぱりとした厳しい声で拒絶した。
 うーん……なんかこの二人のやり取りって、他人事とは思えない親近感みたいなものを覚えるよな。
 そう思ったのは俺だけじゃないようで、しょんぼりした顔の海を残して浴室に向かう律の後ろ姿を見送った湊は
「なんかさ、陽平と律って似てるね」
 涼しい顔をして朝飯作りに勤しむ俺に向かって言ってきた。
「そうか? まあ、確かに律とは気が合うし、性格的には近いものを感じなくもないけどな」
 多分、俺が律の立場でも今と同じ対応になっていたとは思うけど、そこはあえてしらばっくれておいた。
 下手に律に共感的な態度を見せると、恋人からの対応に似たような不満を持っていそうな二人――俺と湊は恋人同士じゃないけど――から、日頃の不満をぶつけられそうで怖いからな。
「はぁ……律ってほんと、人目があるところだと全然僕とイチャついてくれない……」
 俺達の目の前で一緒にお風呂に入ることを拒否された海は、心の底から悲しそうな声でそう呟いた。
 その姿はまるで捨てられた子犬……ではない。捨てられ大型犬、もしくは、ご主人様に遊んで欲しくて堪らないのに、ご主人様から延々と「待て」を言い渡された忠犬のようでもあり、なんとも言えない顔で佇む海に同情しないわけでもないが、明らかに律寄りの人間である俺が、海に同情するのもなんだかなぁ……。
 だって、こうして切なげな顔で佇んでいるのが海じゃなくて湊だったなら、俺は同情なんてしていないし、「知るか」ってなるわけだから。
 もちろん、相手を悲しませたことに対する罪悪感というものもあるにはあるが、俺は司や悠那と違って、所構わずイチャイチャしたい願望なんてないし、むしろ、人前ではなるべく恋人同士であることを周囲の人間に悟らせないようにしたいくらいだ。
 だから、人目のある場所では恋人に対してやや塩対応になってしまうところはある。相手が異性でもそうしてしまいがちなのに、男同士なら尚更だ。そして、それは律も一緒なんじゃないかと思う。
 それに、この場合は俺が海に同情しなくても、海の気持ちが痛いほどわかる人間がいるからな。
「わかる。わかるよ、海。恋人からの塩対応って辛いよな。悲しくなっちゃうよな」
 言わずもがな、湊のことだけど。
「はぁ……」
 しょんぼりする海の肩を叩きながら、「俺も同じだよ」と言わんばかりに海を慰める湊の姿に、俺は小さな溜息を吐いた。
 海に共感するのは自由だけど、俺と湊、律と海じゃ恋人同士か否かという違いがあることを、湊はちゃんとわかっているのだろうか。
 おそらくわかっていないであろう湊は、海に慰めの言葉を掛けてやるだけではなく
「でもな、海。律が塩対応だからって落ち込むことはないし、遠慮することもないんだぞ。律がどんなに塩対応でも、海と付き合ってる時点で律が海を好きなことに間違いはないんだからさ。一緒にお風呂に入りたいなら入っちゃえばいんだって」
「え……でも……」
「大丈夫、大丈夫。律がお風呂に入った後に海が入ってきたら、もう一緒に入るしかなくなるって。律はただ照れてるだけで、海と一緒にお風呂に入るのが嫌なわけじゃないんだからさ」
 励ましついでに余計なことまで言って、海をそそのかそうとする。
 この野郎。せっかく律のおかげで海に怒られなくて済んだというのに、その律に海をけしかけてどうするんだ。恩を仇で返すつもりか。
 つーか、こいつは昨日自分が寝惚けて律に襲い掛かったことについて、本当に反省をしているのか? ちゃんと謝ったし、律も許してくれたから大丈夫。とでも思っているのか?
 ただ謝って許してもらっただけじゃ、反省したことことにはならないんだよ。
 昨日は“酔っ払いのしたことだから”と怒る気にならなかった律も、律と一緒にお風呂に入るように海を唆したのが湊だとわかったら、今度は快く許してくれないと思うけど。
 それとも何か? 昨日律に襲い掛かって不快な思いをさせてしまった海に、お詫びのつもりで美味しい思いをさせてあげようと思って律を犠牲にするつもりなのか?
 だとしたら、律があまりにも不憫すぎるし、そんなことをしたら、今回の一件で律の中の湊像が大幅にイメージダウンすることは間違いないだろうな。
「そりゃまあ……律は僕と一緒にお風呂に入るのが嫌ってわけじゃなくて、ただ恥ずかしいだけって感じではありますけど……」
「だろ? そういう時は強引に押し通せば、そのうち向こうが折れて、当たり前のように一緒にお風呂に入ってくれるようになるよ。ね? 陽平」
「何故俺に聞く」
「そりゃまあ、だって……ねえ?」
「何が言いたいんだよっ!」
「そういうものなんですか? 陽平さん」
「お前も湊の言うことなんざ鵜呑みにすんなっ! 言っとくけど、俺は湊と当たり前のように一緒に風呂に入ったことなんて一度もないからなっ!」
 ったく……二人で勝手に話をしているだけかと思いきや、俺にまで話を振ってくるなよ。湊も一体どういうつもりで俺に同意なんかを求めてきたんだ。
 ってか、湊はいつもそういうスタンスで俺に迫ってきてるってことかよ。身に覚えがあり過ぎて恐ろしく納得したわ。
「とにかく、俺が思うに陽平や律みたいに塩分多めな相手には、ある程度の強引さが不可欠だと思うんだよね」
「確かに……。言われてみれば、律も押しに弱いところがあります」
「な? そういうものなんだよ。日頃ツンツンするのが当たり前になっちゃってて、素直になるタイミングも、デレるタイミングもわからなくなってるんだよ。だから、こっちから強引に迫って、その機会を与えてあげることも大事だと俺は思うわけよ」
「なるほどっ! それは非常に参考になる貴重なご意見ですっ!」
「お……おい……海?」
 待て待て。だから、湊の言うことをそんな簡単に鵜呑みにすんなって。
 そりゃまあ、律は海と恋人同士なわけだから、たまには海とイチャイチャしたい、とか、海から強引に迫られてみたい、って願望があるのかもしれないけどさ。
 でも、俺と似ているというのであれば、あまり強引過ぎるのは良くないし、しつこ過ぎるのも逆効果になりそうだけど?
 湊は馬鹿みたいにポジティブ思考だから、俺がどんなに湊を鬱陶しがろうが、湊に腹を立てようがお構いなしだけど、始終律の顔色を窺っているような海に、湊のやり方が合っているとは思えない。
 と言うよりも何よりも、昨日湊が寝惚けて律に襲い掛かった事実はもういいのかよ。いくら律のおかげで怒りが収まったからって、切り替えが早過ぎじゃね? 海も海でポジティブかよ。
「じゃあ僕、ちょっと律と一緒にお風呂に入ってきますねっ!」
「は? ちょっ……海っ⁈」
「行ってらっしゃ~い」
 湊の言葉ですっかりその気になってしまった海は、俺の制止する声も聞かずに、意気揚々と風呂場に向かって歩いて行ってしまった。
「~……」
 ったく……どうなっても知らねーぞ。
「お前……あんまうちのメンバーに変なことを吹き込むなよ」
 意気揚々と風呂場に向かってしまった海を、今更止めるつもりも連れ戻すつもりもないが、湊には苦言を呈したい。
 海の背中を笑顔で見送った湊は、不満そうな顔で湊を睨み付ける俺にも
「ん~? 俺はただ、海にちょっとしたアドバイスをしてあげただけだよ」
 と、笑顔のままで言ってのけ、反省の色というものが全くない。
(ま、そういう奴だよな、湊って……)
 俺も今更こいつに何を期待したんだか。
 昨日は俺の説教が多少は効いたようではあったけれど、楽観的な湊は俺に何を言われても、基本的には反省をしないことが常だった。
「そのアドバイスが余計だっつーの。海は人の影響を受けやすいところがあるんだから、お前の無責任なアドバイスとやらも、すぐに鵜呑みにしちまうだろ」
「無責任とは失礼な。ちゃんと自分の経験に基づいて、親身になったアドバイスをしたつもりだよ?」
「ほほう……自分の経験に基づいて……ね」
 俺の発言に「心外だ」と言わんばかりの顔になって反論してくる湊に、俺の眉毛がぴくりと吊り上がる。
「つまり、お前は俺がいつも素直じゃなくて、デレたいのにデレられないと……そう思っているわけなんだな?」
「えっと……まあ……かなぁ~? って」
「んなわけあるかぁっ! お前の脳味噌はどんだけお花畑なんだっ!」
「わぷっ……」
 俺からの問いかけに対する湊の反応に苛ついた俺は、手元にあったふきんを、湊の顔面目掛けて思いきり投げつけた。
 ふきんは見事に湊の顔面に命中する。
 それとほぼ同時に
「は⁈ ちょっと! なんで入ってくるの⁈」
「律と一緒にお風呂に入りにきた」
「出てけっ! 一緒に入るのは嫌だって言ったじゃんっ!」
「でも、もう服脱いじゃったもん」
「着直せばいいだろっ! って……やっ……ちょっ……入ってくるなぁぁぁ~っ!」
 風呂場からは海の乱入に慌てふためく律の声と、湊のアドバイス通り、強引にことを進める海の会話が聞こえてきた。
 ったく……アホのせいで我が家の朝が大騒ぎじゃねーか。マジで迷惑以外の何物でもねーな。
 こんなことになるなら、今後もうちに遊びに来るつもりでいる湊を全力で拒否したくなるわ。
「いやぁ~、賑やかな朝だね」
「誰のせいだと思ってんだっ!」
「にしても、律って本当に陽平と同じ反応するね。俺、海に親近感を覚えちゃうなぁ~」
「覚えなくていいっ! これ以上海に余計なアドバイスをしたら承知しねーぞっ!」
 ただでさえうちは何かと問題が多いんだからさ。外部の人間にまで揉め事の原因を持ち込まれたら堪ったもんじゃねーよ。
「はいはい。陽平は過保護だね。わかりましたよ。なるべく余計なことは言わないように努力はするからさ」
「本当にわかってんだろうな。お前の言葉はいまいち信用できねーんだけど」
「だから、努力はするって」
「~……」
 最悪だ。「努力はする」ってことは、今後も湊は海に余計なアドバイスをするってことだ。
(“努力はする”じゃなくて“しないと誓う”とは言えないのかよ……)
 最初から守るつもりがない誓いを立てられるのも不愉快な話だが、最初からこちらの要求に従うつもりがない努力をされるのも釈然としないものがある。
 湊のこういう真剣味に欠けるいい加減な態度って、俺が湊とちゃんと付き合ってやることにしたら改善されるのかな。
 湊にはいつも不平不満ばかりを言っている俺が言うのもなんだし、こう言ってしまっては、普段自分がしていることがまるで無意味だと言ってしまうようなものだけど、湊からしてみれば、別に恋人でもない俺の言うことなんて、いちいち律儀に従う必要はないわけで、むしろ、いつまで経っても自分の気持ちに応えてくれない俺に対する嫌がらせや意地悪心を発揮して、あえて俺の言うことを聞かないようにしているところがあってもおかしくはない。
 そして、もしそうだったとしたら、俺は湊を責めることができない立場でもある。
 だってさ、俺はもう半年もの間、ずっと湊への返事を保留にしたままなんだから……。
「あの……さ、湊……」
 結局、海に強引に押し切られてしまったらしい律は諦めるしかなかったのか、風呂場からは二人の言い争う声は聞こえてこなくなっていた。
 朝飯の支度を一通り済ませた俺は、濡れた手をタオルで拭きながら、伏し目がちになって湊に声を掛けた。
「んー? 何?」
 いつもは俺が座っている椅子に座った湊は、キッチンに佇む俺に人の好さそうな笑顔を向けてくる。
「俺……」
 これ以上、湊との曖昧な関係に頭を悩ませることに辟易としてきた俺は、今日、ついに半年間保留にしていた湊への返事を返す決心をした。
「俺、色々考えたんだけど……」
 正直、自分の出した答えが正しいのかどうかはわからない。本当に今ここでその答えを口に出してしまっていいのかどうかも悩むところだ。
 だけど、やっぱりいつまでもこのままってわけにはいかないもんな。
 何かを変えるためには何かを失うことも必要なんだ。これまでの俺にはその失う覚悟がなかっただけだ。
「俺……」
 意を決して顔を上げた俺が真っ直ぐ湊を見据えると、湊も何事かと思ったのか、真っ直ぐ俺の顔を見詰め返してきた。
「俺、湊と……」
「ふわぁ~……おはよぉ~……」
「⁈」
 俺が人生最大とも言える決意の末に出した結論を湊に伝えようとした時だ。俺と湊の間に漂う緊張感には全く気付かず、眠たそうに目を擦りながら階段を下りてきた悠那に、俺の決意は完全に邪魔をされた。
(こいつのタイミングはいつもいつも……)
 昨夜、無断で俺の部屋のドアを開けた時といい、今といい、どうして悠那のタイミングはこうも壊滅的に悪いんだ。
「あれぇ~? 二人だけ? 律はまだ起きてないのぉ?」
 ぽやぁ~っとした顔と声で一階に下りてきた悠那は、一階に俺と湊の姿しかないことに不思議そうに首を傾げた。
 今朝も今朝とて、悠那は司のTシャツ一枚姿だった。
 悠那にとっては大き過ぎる司のTシャツの下から伸びる手足は白くて艶かしく、大きく開いた首元から覗く鎖骨に付けられたキスマークは、昨夜の情事を物語っている。
「うわっ! 悠那、エッロ!」
「おい、悠那。客が来てる時くらいはちゃんと服を着てから下りてこい」
 そんな悠那の無防備にも煽情的にも見える姿に、俺と湊の反応はそれぞれだった。
「えへへ~♡」
 悠那はそのどちらにも力の抜けた笑顔で応えると、案の定
「そんなことより、二人とも昨日はどうだったの?」
 昨夜、自分が部屋を出て行った後の俺達のことを早速知りたがった。
 エロさを感じてしまうらしい悠那の姿をついつい目で追ってしまっていた湊は、悠那からの質問に一瞬
「へ? あ、うん。えっと……」
 不意を突かれたように狼狽えたが、聞かれて昨夜のことを思い出したのか、急に締まりのない顔になって
「そりゃもう……」
 余計なことを言い出しそうだったから
「余計なこと言ったらぶっ殺す」
 俺はすかさず牽制しておいた。
 悠那にしても湊にしても、油断も隙もあったものじゃない。
「え~? なんで? 陽平のケチ。ちょっとくらい教えてくれてもいいじゃん」
「ケチとかいう問題じゃねーんだよ。人が知られたくないと思っていることを知りたがろうとするな」
「むぅー……」
 人の恋愛事情に興味津々な悠那は、俺の言葉に大変不満そうな膨れっ面になった。
 だが、ただふて腐れて終わりなのかと思いきや――。
「陽平はあんなこと言ってるけど、本当に湊さんのことをぶっ殺すつもりなんてないんだから教えて♡」
 司が見たら確実にヤキモチを焼くであろう愛らしい笑顔になって、湊をたぶらかそうとする。
「う……」
 まるで湊を誘惑しているようにも見える悠那からのあざとい攻撃に、速攻堕ちそうになる湊を見た俺は
「悠那っ! 司はっ⁈ まだ起きてないなら起こしてこいよっ!」
 とりあえず、悠那の気を逸らせるために司の名前を出してみた。
 頭の中がほぼほぼ司のことでいっぱいな悠那は、“司”という響きに反応せずにはいられないはずだ。
 そして、どうやら俺のその読みは当たっていたようだ。
「司なら起きてるも~ん。もうすぐ下りてくると思うよ」
 司の名前を口にするだけでも幸せ、といった顔で返してきた。
 でもって、悠那に名前を出されたからなのか、タイミング良く階段の上に現れた司に気が付くなり
「ほらね♡」
 更に幸せそうな顔になって、階段を下りてくる司を見上げた。
 司のTシャツ一枚で下りてきた悠那とは違って、司の方はちゃんと服を着ているのは、一応湊に気を遣っているからだろうか。普通は逆って感じなんだけどな。
 ヤった日の翌朝は決まって一緒に朝風呂に入るこの二人は、どうせすぐに服を脱ぐから、という理由で、朝から破廉恥な格好で家の中をうろうろすることが多い。薄着で家の中をうろつくには肌寒い季節にでもならない限り、起き抜けにちゃんと服を着ていることがほとんどなかった。
 一緒に暮らす俺達には見慣れた光景でも、昨日初めてうちに泊まりにきた湊にはギョッとする光景だろうから、今朝の司はちゃんと服を着て下りてきたってことだろう。
(だったら悠那にもちゃんと服を着させろよ……)
 彼シャツ一枚で家の中をうろうろする悠那と、上半身裸で家の中をうろうろする司とでは、彼シャツ一枚で家の中をうろつく悠那の方が男心がざわつくだろ。
 自分以外の男が悠那を性的な目で見るのを嫌がるわりには、そのへんの管理が甘いんだよな、司は。
 うちに泊まりに来たのが湊じゃなくて朔夜さんだったら、悠那は今頃Tシャツを捲られて、ナニを触られ放題だぞ。
「やんっ!」
「っと……やっぱちゃんと付いてるんだな、悠那も」
「何するのぉぉぉ~っ!」
 もっとも、性別不詳な格好でうろつく悠那の姿を見て、本当に悠那が男なのかどうかが気になってしまい、思わずTシャツの裾を捲ってしまう輩が……まあ、いてもおかしくはないよな。
 万が一にも悠那が女だった場合、その行為はセクハラを通り越して犯罪になるんだけどな。
「エッチ! 変態っ!」
「ごめんごめん。悠那があまりにも性別不詳だったから、本当に男なのかどうかを確かめたくなっちゃっ……いだだだだっ!」
 で、当然のことながら、悠那のTシャツの裾を捲った湊には、彼氏からの手痛いお仕置きが待っていた。
 悠那が湊に捲られたTシャツの裾を慌てて押さえ付けている間に、風の如く速さで一階に下りてきた司は、真っ赤になって怒る悠那に向かってへらへら笑う湊の背後に立ち、後ろから湊の頭を容赦なく鷲掴みにした。
 まるでバスケットボールでも掴むように湊の頭を掴む司の手が本当に痛いらしく、湊は
「痛い痛いっ! こめかみの柔らかい部分に指が食い込んでめちゃくちゃ痛いっ!」
 虚ろになった目で自分を見下ろしながら、ぎりぎりと力を加え続けてくる司に、悲鳴に近い声を上げた。
 昨日は海。今日は司を怒らせてしまう湊の迂闊さに、呆れてものも言えねーよ。
「陽平……」
「んだよ。俺が悪いんじゃねーだろ」
 てっきり湊に不満をぶつけるだろうと思っていた司は、湊の頭を鷲掴みにしたまま、何故か俺をじとーっとした目で見詰めてくるから、俺には一切非がないことを主張しておいた。
 どうして湊のしたことのクレームが、直接本人にじゃなくて全部俺にくるんだよ。全ては湊が勝手にしたことで、俺には一切関係がないだろ。
 もしかしたら、司や海が知っている湊の人柄だけでも“あまり説教が効くタイプではなさそうだ”と思われていて、直接湊に不満をぶつけるよりも、俺に不満をぶつけた方が効果的だとでも思っているんだろうか。
 だとしたら、俺は声を大にして言いたい。
『俺に言おうが湊に言おうが、その効果に全く差はない』
 と。





「全く! 湊さんにも困ったものだよねっ!」
「本当ですよ。昨日は酔っ払いのしたことだからと腹も立ちませんでしたけど、今日は違います。本当に余計なことをしてくれたって感じですよ」
「律はまだいいじゃん。裸を見られたって言っても、相手は恋人の海なんだから。俺は湊さんに見られたんだからね?」
「そ……それは、Tシャツの下に何も穿いていなかった悠那さんにも問題があるのでは?」
「だって、まさかTシャツの裾を捲られるとは思わないもん」
「悠那さんはその危機管理の甘さを直した方がいいと思いますよ」
 律と海が風呂から出てくると、すぐに司と悠那が風呂に入りに行って、二人が風呂から出てくると我が家は朝飯になった。
 食事中の会話のほとんどがもっぱら湊への非難の言葉で、主にうちのお姫様二人が中心となって、苦笑いを浮かべるしかない湊に向かって、ここぞとばかりに不満や文句を口々に浴びせ掛けている。
「ごめんって。まさか悠那がノーパンだとは思わなかったんだって。パンツの上から確認するつもりだったのに、悠那ってばパンツ穿いてないんだもん。俺だってびっくりしたんだよ?」
「だって! すぐ脱ぐパンツをわざわざ穿くのって面倒臭いじゃんっ!」
「それはそうと、悠那って生えてないの? それとも、全身脱毛でもしてるの?」
「もーっ! 最悪っ!」
 あー……ほんと、朝っぱらからうるせーな。湊も素直に「ごめん」って謝っておけばいいだけのものを。なんだってわざわざ余計なことを言っちゃうかな。わざとか? それとも、ただ単に空気が読めないだけ?
 どちらにしても、湊のこういう性格をちょっとでも直していかないと、俺は今後も苦労の絶えない人生を送ることになりそうだよな。
 ひたすら騒がしいだけの朝飯が済むと、滞在中にうちのメンバー全員――もちろん俺も含む――を見事に怒らせた湊が、仕事の都合で一番に家を出て行くことになった。
 うちのメンバーを一通り怒らせた湊ではあるが、帰るまでにはメンバー全員との和解を済ませていた。
 そういうところは一応しっかりしているというか、ちゃっかりしているんだよな、湊って。立つ鳥跡を濁さずって言うか。
「いやいや。なんかすっかりお世話になっちゃったよね~」
「全くだ」
 家から少し離れた――と言っても、歩いて一、二分の距離だが――駐車場に湊と一緒に向かった俺は、わざわざ駐車場まで湊を見送りに来た……わけではもちろんない。家から駐車場までの間に、敷地内を自由に出入りするためのカードキーが必要だからだ。
 本当なら駐車場まで付いて行く必要はないんだけれど、結局、湊が車に乗り込むところまで付いて来てしまったのは、ついでと言うかなんと言うか……。
「外に出るゲートのところでは警備員さんに一言言えばゲートを開けてもらえるから」
「わかったよ。でも、自分が住んでる敷地内の出入りに、二回もカードキーが必要なのもちょっと面倒じゃない?」
「慣れたらそうでもねーよ。エントランスのあるマンションだって、部屋に入るまでにはロックの解除が二回必要だろ」
「あ、そっか」
「むしろ、それだけ厳重に守られてるってことでもあるから安心する」
「ふーん……そういうものなんだ」
 もっとも、自ら招き入れた厄介事に関しては自己責任になるし、こうしてわざわざ外に送り出してやる手配をしなくてはいけなくなるが。
 家から駐車場までの短い道のりの間、湊はこれといって面倒な話題は振ってこなかった。
 これから仕事に行かなきゃいけない湊には時間的な余裕があまりないから、俺の機嫌を損ねるような話題は避けたってことなのかもな。
 もし、下手な話題を振って俺を怒らせでもしたら、湊は仕事に行く前に、俺の機嫌を直さなくちゃいけなくなるわけだから。
「あ……そう言えば」
「あん?」
 鞄の中から車のキーを取り出す湊は、ロックを解除しながら、ふいに思い出したように俺を振り返ってきた。
 これまでの会話の流れからあまり警戒というものをしていなかった俺は
「悠那が起きてくる前、陽平って俺に何か言い掛けてたよね? あれ、陽平は俺に何を言おうとしてたの?」
「っ!」
 いきなりそこを聞いてこられ、さすがに言葉に詰まってしまった。
(今ここでそれを聞いてくるか……)
 俺としては、一度邪魔が入って崩れてしまった決意を再び固め直すのはちょっと難しい気もしたが、あんなに改まった感じで言い掛けた言葉を聞かず仕舞いだと、そりゃ湊も気になっちまうよな。
「……………………」
 俺はしばし俯いたまま黙り込み、どうしたものかと考える。
「ん?」
 そんな俺の様子に、湊は小さく首を傾げてみせる。
(どうする、俺。今ここで、半年掛けて出した答えを湊に伝えるべきか否か……)
 何もこんな場所とタイミングじゃなくても……と思うし、この期に及んで迷う気持ちもあるにはある。
 だけど、せっかく湊が話を振ってきたこのタイミングで伝えないと、今度はいつ自分の口からそれを伝えられるのかがわからなかった。
 ついでに言うと、これから仕事に向かわなくてはいけない湊相手なら、言うだけ言って逃げるという、言い逃げができる。それは、俺が出した答えに対する湊の反応を直視したくない俺にとって、またとないチャンス。絶好のシチュエーションだとも言える。
(よし……言おう……)
 状況を整理してみた結果、今のタイミングがベストだという結論に至った俺は、今一度決心が固まった。
 それに、今言おうが、数日、数ヶ月先になってから言おうが、俺の出した答えはきっと変わらないと思う。
 それならば、さっさとこの問題にケリをつけて、今までの自分とは決別するべきだ。
「湊」
 湊が車のドアのロックを解除したのを確認すると、俺は自ら運転席のドアを開け、開いたドアから車内へと湊を押し込んだ。
「え⁈ なっ……何⁈」
 一見暴力的にも思える俺の行動に目を丸くした湊だったが、俺は湊の身体が完全に運転席に収まっていることを確認すると――。
「今から言うことは一度しか言わねーぞ」
 最初にそう前置きをしてから
「たった今からお前の彼女になってやる」
 そう言い放ったのである。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

隣の親父

むちむちボディ
BL
隣に住んでいる中年親父との出来事です。

父のチンポが気になって仕方ない息子の夜這い!

ミクリ21
BL
父に夜這いする息子の話。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

処理中です...