僕らの恋愛経過記録

藤宮りつか

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番外編 ~家族の時間~

    如月家のお姫様(3)

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「あら、司君。どうしたの?」
「ちょっと悠那に呼ばれまして」
「ごめんね~。悠那が我儘言っちゃったみたいで。昨日まで一緒にいたのに、もう司君に会いたくなっちゃったのかしら」
「俺も悠那には毎日だって会いたいですよ」
「やだわ。こっちが恥ずかしくなっちゃうくらいのラブラブっぷり」
 悠那があいつに電話を掛けてから一時間ほどすると、本当に我が家に車で駆けつけた蘇芳司は、玄関まで出迎えに出た母さんと、玄関先で戯れのような会話をやり取りする仲にまでなっていた。
 蘇芳司に対し、“次に会った時は殺してやる”と息巻いていた俺は、勢いに任せてあいつの前に飛び出して、全力であの男を追い返してやろうかとも思ったが、ここで俺が騒ぎを起こしたら、摘まみ出されるのはむしろ俺の方だ。
 畜生……どうして俺があいつより扱いが下になるんだ。俺は如月家の長男だぞ? 長男とはもっと大事にされるものなんじゃないのか?
「でも変ねぇ。悠那は今、祐真君と遊んでるはずなんだけど……」
「祐真君?」
「ええ。早川はやかわ祐真君っていって、悠那とは幼稚園からの幼馴染みなの」
「幼稚園からの幼馴染みですか……」
「ん? なあに? ちょっと怖い顔なんかして。もしかして、司君ヤキモチ?」
「いえ……はい。まあ……」
「安心して。祐真君は悠那と雰囲気がよく似てるし、司君が心配するような子じゃないから」
「そうですか」
 最早完全に自分の娘婿扱いだな。あの男のことを心底悠那の彼氏として認めていなけりゃできないような会話である。
 うちの親にとって、あの男はそんなに信頼できる相手なんだろうか。母さんは知らないだろうが、そいつは悠那とヤることヤってるふしだらな奴なんだぞ? 我が家のお姫様に手を出し、淫らな行為に勤しんでいるような危険人物なんだからな。
 きっと悠那にあんなことやこんなこと……挙げ句の果てには口にするのも恐ろしいような淫行をさせているに違いない。可愛い悠那相手なら妄想はいくらでも膨らむだろうし、いやらしいことも沢山させたくなるに違いないんだから。
「いらっしゃい、司っ! 待ってたぁ~っ!」
「っと……」
 インターフォンの音を聞きつけ、自分の部屋から飛び出してきた悠那は、音から察するに、飛び出してきた勢いのままあの男に飛びついた様子。
「元気だね、悠那。可愛い」
 ぬぅおぉぉぉ~っ! 何が「可愛い」だ。家族の前でいけしゃあしゃあとっ! 悠那とのラブラブっぷりをアピールか? つくづく気に入らん奴だっ!
 俺の目の届かないところでの二人の過ごしっぷりはよくわからんが、日常的に「可愛い」なんて言葉がポンと出てくるあたり、二人の私生活は相当イチャイチャしているに違いない。
 そりゃ悠那は“可愛い”でしかないから、悠那に対して「可愛い」という言葉が当たり前のように出てしまうのはよくわかるが、だからって、俺がこうして耳をそばだてているところで言わなくてもいいだろ。不愉快だ。
「悠那? 祐真君は?」
「部屋にいるよ。一緒に行こって言ったのに、緊張するからって部屋に残っちゃったの」
「あらそう。だったら戻ってあげなさい。司君と一緒に」
「そうする~」
 ああ、母さん……。そんなことをしたら、そいつと祐真の間に面識が生まれ、それを口実に悠那が祐真とのダブルデート計画を進めてしまうじゃないか。仮にもアイドルをやっているにも拘わらず……だ。
「行こ、司」
「うん」
「あとでお菓子と飲み物持ってってあげる」
「ありがと~」
 俺の心配をよそに、今日も母さんは悠那に甘々だった。
 今日はとことん俺の思い通りに行かない日らしい。
「ところで悠那。克己さんはいないの?」
「いるよ。多分部屋にいると思うけど……」
「そのわりには静かだね」
「さあ? 寝てるんじゃない? きっとお昼食べて眠くなっちゃったんだよ」
「そっか」
 いやいや。起きてるわ。起きてさっきから悠那と祐真の会話を全部盗み聞きしているのだが。
 完全に出るタイミングを失ってしまった俺は、今更あいつの前に飛び出すのも格好が悪いから、このまま二人から三人に増えた悠那の部屋の様子を、壁越しに聴診器で盗み聞きすることを続けることとする。
 奴らの計画を知れば、阻止する方法を思いつくかもしれないしな。
 自分の彼氏を部屋に連れ込む悠那というのも、兄としては止めたいところではあるけれど、幸い悠那の部屋には祐真がいて、二人っきりになるわけではないから良しとしよう。
 いくら二人の関係がイチャラブ全開だったとしても、幼馴染みの前で節操のないイチャつきっぷりを発揮することはないだろう。
 存在を消し、息まで殺して壁一枚隔てられた悠那の部屋に向かって耳をそばだてる俺は、数秒後――。
「司。俺の幼馴染みの祐真だよ」
「初めまして。蘇芳司です」
「はっ……初めましてっ! 俺っ、早川祐真ですっ! えっと……あのっ……いつもテレビ見てますっ!」
 自分の彼氏を幼馴染みに紹介する悠那の声と、その後の祐真とあいつのやり取りを耳にして、自然と拳に力が入ってしまうのを感じた。
 普段テレビでしか見ないアイドルを二人も目の当たりにしたら、祐真が取り乱してしまうのは仕方ない。悠那は幼馴染みだから見慣れていたとしても、蘇芳司の方は、こういう機会でもなければ顔を合わせることもないんだからな。
 それに比べて、余裕のある対応をする蘇芳司の落ち着いた声が、俺を異様に苛立たせる。
「わぁ……本物だ……。この人が悠那とお付き合いしてる人なんだ……」
「格好いいでしょ? テレビで見るよりずっと」
「うん」
 自分の彼氏を紹介するなり惚気る悠那にも歯噛みする。
 確かに、蘇芳司は顔がいいが、悠那に比べれば全然普通の男じゃないか。なんで悠那はあれがいいんだ。この世に悠那と釣り合う人間なんていないというのに。
「俺に紹介したい子ってこの子のことだったんだ。へー。悠那の幼馴染みだけあって可愛らしい子だね。悠那ともちょっと似てるかも。これなら、俺がヤキモチ焼かなくても済みそう」
 初めて見る悠那の幼馴染みに、蘇芳司はそんな感想を漏らした。
 その感想には同意する。俺も祐真がこんな感じの奴だから、悠那の傍にいても安全だと判断した身だ。
 もし、祐真が蘇芳司のように極々一般的な普通の男だったなら、祐真が悠那の傍にいることを許してなんかいなかった。
「えー? 司ってばヤキモチ焼いてくれてたの?」
「悠那が幼馴染みと一緒にいるって聞いてね。どんな奴だろうってやきもきしちゃった」
「嬉しい。でも、司がヤキモチ焼く必要がない理由がもう一つあるんだよ。ねー、祐真」
「ん? どういうこと?」
「~……」
 面通しが終わると、早速本題に入ろうとする悠那に、祐真の方は心の準備ができていないようで、そわそわしている様子が壁を通して伝わってきた。
 祐真からしてみれば予想外もいいところだろう。
 自分が片想いしている相手が蘇芳司の友人で、その友人と悠那の間に面識があっただけでも既に驚きなのに。それを知った悠那にダブルデートを提案され、蘇芳司とも顔を合わせる羽目になっているんだ。ある意味ラッキーなのかもしれないが、そう手放しに喜べる状況でもないはずだ。
「実は祐真、いっ君のことが好きなんだって」
「え? 郁のこと?」
「うん」
 心の準備ができていない祐真にお構いなしに、あっさりと彼氏に幼馴染みの事情を暴露してしまう悠那。
 自分のことを隠す気がない悠那は、幼馴染みのことも隠す気がないようである。
「そうなんだ。郁のことがねぇ……。ちょっと意外」
「そう?」
「だって、郁って同性からそういう意味で好かれるタイプじゃないと思ってたから」
「それを言ったら、みんなそうなんじゃない?」
「そうかもしれないけど、悠那は別だよ」
「えー?」
 でもって、自分が一般的な男子と変わりがないと思っている悠那は、蘇芳司からの指摘に不満そうな声を上げたりする。
 誰がどう見たって、悠那は男から恋愛対象として見られるほどに可愛いということが、何故本人にはわからない。俺が今までどれほど悠那を魔の手から救ってきたと思っているんだ。
 悠那の同性に対する警戒心のなさも、本人に自覚がなければ納得もするが、無自覚ほど恐ろしいものはない。
 だが、こうして同性の恋人ができたのであれば、悠那にも同性に対する警戒心というものが、多少は芽生えていると信じたい。悠那と離れて暮らす俺は、もう悠那に伸びる邪な魔の手から、悠那を守ってやることはできないんだからな。
「自覚がないの? 悠那って中学の頃から男子にそういう対象として見られてたのに」
「え……そうなの?」
 悠那の無自覚さには祐真も呆れたのか、控えめではあるがその無自覚さを指摘せざるを得なかったようだ。
「そうだよ。正確には、小学校の高学年くらいからかな? 悠那のことを好きだって言ってる男子は結構いたよ」
「嘘でしょ⁈ 俺、全然知らなかった!」
 悠那とは幼稚園からの付き合いだから、悠那の身の周りで起こっていることは誰よりも詳しい祐真。
 悠那に恋愛感情を抱いている男子の存在を悠那に明かさなかったのは、知らない方が本人のためだと思ったからに違いない。
 知ってしまえば、素直な悠那はそのことを意識してしまうし、自分に気がある男に対し、よそよそしい態度を取ってしまっていたかもしれない。
 そうなると、逆に意識されていると勘違いした相手に、“バレているなら……”と変なことをされてもおかしくなかったかもしれないもんな。
 悠那はあっさり認めてしまっているが、同性が同性を好きになるのは一般的ではない。本人に気付かれたり、そういう雰囲気にでもならない限り、いくら悠那が可愛くて好きでも、悠那に面と向かって「好きだ」と言える奴もいなかっただろう。
 悠那が無自覚である限り、せいぜい悠那にちょっかいを出して、戯れのような友達付き合いで満足するくらいが関の山。少しでも悠那に好感を持ってもらうしか手がなかったと思われる。
 しかし、それも中学までの話だろうと思い、高校からはもっと悠那の身の安全に目を見張らなくては……と気を引き締めていたところに、悠那をスカウトしにきた事務所の人間の手によって、俺は悠那を取り上げられてしまった。
 その時、俺が感じた不安や絶望がどれほどのものだったか……。悠那は全くわかっていなかったうえ、次に我が家の敷居を跨ぐ時には彼氏ができていたんだから、俺の心配は見事に的中したということになる。
「そういうことは教えてよっ! 俺、何も知らずにのほほんと過ごしちゃったじゃんっ!」
「言わない方が安全だと思ったんだよ。言ったら悠那、絶対変な態度取ったりするようになるでしょ? そうなったら逆に相手を刺激しそうだと思って」
「う……そうだったんだ……」
 気弱な祐真も悠那を想う気持ちはしっかりしていて、俺の目の届かないところでは、俺の代わりに祐真が頑張ってくれていたように思う。
 悠那よりおとなしい性格をしている祐真は、あまり社交的な方ではないし、顔は可愛くても、クラスで目立つような存在でもなかった。
 そんな祐真にとって、幼少期からずっと一緒にいる悠那は特別な存在で、幼馴染み兼親友といった立場だったようだから、大事な親友を守ろうと、日々奮闘してくれている姿を目にすることも多かった。
「なるほど。つまり、悠那はずっと祐真君に守られてたってことなんだね」
「うぅ……そうみたい……」
 今になって明かされる過去に、悠那も多少なりとも衝撃を受けたようだった。
 しょんぼりとした元気のない声で、自分の無自覚さを反省すると
「ごめんね、祐真。ありがと」
 なんて、簡単に想像がつく可愛い顔――おそらく、ハの字眉毛で瞳をうるうるさせた顔――で、しおらしく祐真にお礼を言ったのであった。
 祐真の影ながらの努力に気付いていなかったということは、俺の多大なる努力にも気付いていなかったということだろう。
 別に感謝して欲しいわけではないし、見返りを求めているわけでもないが、それは少しだけ寂しい気持ちになってしまう。
「ま、その点に関しては俺より克己さんの方が凄かったけどね。だって克己さん、悠那に近付く男は誰であろうとすぐ追い払っちゃうし。簡単に諦めそうにない相手なら、学校帰りに待ち伏せして脅したりもしてたんだから。俺も最初の頃は結構冷たくされたんだよね」
「そうだったの⁈」
「無害認定されてからは、俺にも優しくしてくれるようになったけどね」
「もう……お兄ちゃんったら……」
 ここで俺の功績を明かしてくれた祐真には感謝したいが、祐真にまで冷たくした話はしなくてもいいじゃないか。どう考えてもマイナスポイントだ。悠那は俺に感謝するどころか、自分の幼馴染みをも警戒する俺に、呆れを通り越してげんなりしてしまったかもしれない。
「どうりで俺が家に友達を連れてくると、お兄ちゃんが無駄に絡んで追い返しちゃうわけだ。祐真とお兄ちゃんはそのことで情報交換でもしてたの?」
「ううん。学校での悠那はどうかって聞かれたことは何度かあるけど、詳しい話は何も。克己さんのことだから、相手の目を見たら、その相手が悠那にどういう感情を抱いているのかがわかったんじゃない? よくわからないけど」
「でも、だからって祐真にまで冷たくしてたなんて許せないっ!」
 やっぱりそうなるか。俺が祐真に冷たくした過去は、悠那にとっては許しがたい愚行でしかないのだろう。
 祐真が悠那を特別に想ってくれているのと同様に、悠那にとっての祐真も特別だからな。もちろん、蘇芳司とは別の意味で。
 社交的で可愛い悠那は、会って間もない相手とも簡単に仲良くなってしまう特技を持っていたけれど、その関係はあまり長続きしなかった。それというのも、悠那と親しくなった相手を、俺が片っ端から遠ざけてしまうからだ。
 悠那が唯一友達関係を続けられたのは、一緒にいても俺が邪魔してこない祐真くらいのものだから、悠那が祐真を特別視するのは当然だ。
「お兄ちゃんったら司にも冷たくするんだよ? ほんと、いい迷惑」
 迷惑とはなんだ。迷惑とは。俺は悠那を想って、悠那の平穏無事な生活を守るために心を鬼にしてるんだぞ。それを迷惑だとは、兄の心、弟知らずってものじゃないか。
「そりゃそうなるよ。克己さんって悠那のこと溺愛してるもん。司さんにとっては災難でしかないだろうけど」
「俺の彼氏だよ? 俺が好きな人なのに、俺の目の前で司に冷たくするなんて酷いじゃんっ!」
「そう言われてもねぇ……」
 悠那の「迷惑」発言はショックだが、それとこれとは話が別だ。彼氏だからこそ、そう簡単に悠那を任せるわけにはいかないんじゃないか。
 俺は蘇芳司という人間についてはまだよく知らないし、信用だってしていない。そんな相手に優しくできるほど、俺は無警戒な人間ではないんだ。
「悠那。そんなに目くじら立てて怒らなくても大丈夫だよ。俺はあんまり気にしてないから」
 いやいや。お前はもうちょっと気にしろ、蘇芳司。どうしてお前には俺の「悠那から離れろ」攻撃が通用しないんだ? 普通、恋人の兄に凄まれたら、多少なりとも萎縮するものだろう。
 それなのに、こいつときたら全くそうなる気配がなく、俺が絡めば絡むほど、余計悠那との親密具合を見せつけてくる。
 鈍いのか、神経が図太いのかはわからないが、こうも思い通りにいかない相手となると、俺もついついムキになってしまう。
「でもぉ、俺はお兄ちゃんに司と仲良くしてもらいたいっ!」
「きっと時間が掛かるんだよ。そのうち諦めてくれるよ」
「そうかなぁ……」
 誰が諦めるか。残念だったな、蘇芳司。俺は悠那のことになるとしつこいぞ。お前が悠那を諦めない限り、地獄の果てまで追う心積もりがあるほどだ。
 どうやら俺のことは脅威でもなんでもないと思っているらしい蘇芳司に、俺は俄然とやる気が出てくるのを感じた。
「っていうか、今のままでも構わないっちゃ構わないかな。多分、あの人の悠那を溺愛するスタンスは一生変わらないだろうし。もう“こういう人だ”って諦めた方が楽だよ」
 なっ……!
「それに、克己さんがあんなでも、俺と悠那の関係が変わるわけじゃないからね」
「司……大好きっ!」
 な……なんなんだ。この展開。壁を一枚隔てた向こうで、悪夢のような展開が繰り広げられている……。
 っていうか、そこはあっさり諦めるのかよ。俺に認めて貰おうという努力はしないのか?
 俺がどんなにやる気を出したところで、向こうに戦う意思がなければ意味がないじゃないか。
「くっ……」
 屈辱だ。これはもう、屈辱以外の何物でもない。蘇芳司にとって、恋人の兄である俺の存在はそこまで重要ではないということか? お互いの両親にさえ認めて貰えば、あとの問題は些事だとでも?
「ふざけるなよっ!」
 今の今まで黙って耳をそばだてているだけだった俺も、ここまで言われては黙っていられない。
 俺はダンッと足を鳴らして立ち上がると、戦闘モード全開の顔になって悠那の部屋へと向かった。
 今からでも遅くはない。蘇芳司を今すぐこの家から摘まみ出してやる。
「あら? 克己?」
 俺が悠那の部屋に向かう途中、三人分の飲み物とお菓子を乗せたお盆を持った母さんが見えた気がするけれど、そんなことはどうでもいい。
「おいこらっ! 蘇芳司っ!」
 部屋に鍵なんてものは付いていない如月家では、いつでも好きな時に好きな部屋に入られる。
 大きな音を立てて悠那の部屋のドアを開けた俺は、ドアを開けるなり、自分の彼氏に甘える悠那の姿を見た。
「お兄ちゃん⁈」
「どうも。お邪魔してます」
 蘇芳司に抱き付いている悠那は、いきなり部屋に乱入してきた俺に目を丸くして驚き、蘇芳司の方は、そんな悠那の頭を撫でる手を止めもせず、感情の読めない無感情な目で、俺に愛想のない挨拶をしてきた。
 わざとなのかどうかはわからないが、その目はなんだ。
「何しにきたのっ! 勝手に部屋に入ってこないでよっ!」
「そういうわけにもいかないだろっ! こいつ、俺のことを取るに足らない些細な障害だとしか思っていないようだからなっ!」
「なんでお兄ちゃんがそんなこと知ってるのっ!」
「聞こえてきたんだっ!」
 突然部屋に現れた俺のことを、悠那はもちろん歓迎してくれはしなかったし、早急に追い出そうともした。が、俺にもおとなしく引き下がれない意地がある。
「“聞こえた”ではなく、“聞いていた”の間違いでは?」
「何っ⁈」
「その首から下げてる物はなんですか?」
「はっ!」
 しまった! 激高するあまり、聴診器を外すことを失念していたっ! これはちょっと間抜け過ぎるぞっ!
 蘇芳司に指摘され、慌てて聴診器を取り外そうとした俺だったが……。
「もしかして……ずっと盗み聞きしてたの? 俺達の会話……」
 俺の首からぶら下がっているものが、子供の頃にお医者さんごっこで使っていた聴診器だと一目でわかった悠那は、動揺が怒りに変わったらしく、物凄く怖い顔になって俺を睨み付けてきた。
「いつから聞いてたの? まさかとは思うけど、祐真が遊びに来た時からじゃないよね?」
「いや……それは……だな……」
「そうなんだっ! 最っっっ低っ!」
「おぶっ……」
 パーンという乾いた音が室内に響き渡り、それと同時に俺は左頬に痛みを感じていた。
 どうやら悠那から平手打ちを喰らったらしい。
 俺が悠那の部屋を盗み聞きしてると知れば、悠那が怒るだろうとは思っていたけれど、まさかここまで怒るとは思わなかった。
「信じられないっ! 弟の部屋を盗み聞きするってどうなの⁈ しかも、そんな昔の玩具まで使って!」
「これは俺のルーティンワークというか……悠那を守るために必要な物というか……」
「はあ⁈ 何言ってるの? ルーティンワークって何さっ! 今までもそうやって俺の部屋を盗み聞きしてたってこと⁈」
「いや……だから……」
「盗聴のどこが俺を守ることになるんだよっ! プライバシーの侵害じゃんっ! たとえ家族であっても許されることじゃないよっ!」
「うぅ……」
 怒髪天衝く勢いの悠那は、その勢いが止まることはなさそうで、蘇芳司を追い出すために登場した俺は、早くもそれどころじゃなくなってしまっていた。
 くそ……蘇芳司が余計なことさえ言わなければ、俺がここまで悠那に怒られることなんてなかったのに……。
 聴診器を外し忘れた俺も愚かだが、この歳になって、そんなものを首から下げていることはスルーして欲しかった。
「ちょっとちょっと。どうしたの? 悠那。何をそんなに騒いでるの?」
 俺に遅れて悠那の部屋に顔を出した母さんは、鬼の形相で俺に詰め寄る悠那の姿に少しだけ驚いた顔になり、その理由を尋ねたりする。
「お母さんっ! お兄ちゃんが俺の部屋を盗聴するっ!」
「えぇ?」
 当然、悠那には兄の褒められない行動を秘密にしてくれる気などなく、ストレートすぎる言葉で母さんに告発するのであった。
 悠那に事情を聞いた母さんは、立場の不味くなった俺をしげしげと見詰めてきて、俺の首からぶら下がっている聴診器に気付くと……。
「全く……どうしようもない子ね」
 全く笑っていない目でにこりと微笑み、俺の首から玩具の聴診器を取り上げた。
 悠那だけでなく、親にまで知られてしまった俺の盗聴行為。これはもう、俺の立場が益々悪くなることは確定だろう。
「いくら司君と悠那が気になるからって、盗聴はダメよ? 盗聴は」
「は……はい……」
 少なくとも、この時点で母さんの中では俺より蘇芳司の味方をすることが確実になったような気がする。
 どうしてこうなるんだ。俺はただ、悠那のことが可愛くて、悠那に変な虫が付かないようにと見張りたいだけなのに……。
「みんなごめんね。克己のせいで大騒ぎになっちゃって」
「構いませんよ」
「俺も。克己さんの悠那想いの奇行には慣れてるもん」
 俺から聴診器を取り上げた母さんは、その後、何事もなかったかのように、持って来た飲み物とお菓子をテーブルの上に置いた。
 母さんからの謝罪に答える祐真と蘇芳司は、既に意気投合しているかのような口ぶりだった。
「お母さん。部屋出る時にお兄ちゃんも連れてって」
「はいはい」
「あと、その聴診器も捨てといてね」
「わかってるわよ」
 客人にお茶を出す、という役目を終えた母さんは、まだ機嫌を損ねたままの悠那を宥めるように微笑むと――今度はちゃんと目も笑っている――、部屋を出るついでに俺の襟を後ろから掴み
「ごゆっくり」
 先程の騒ぎをなかったことにするように、穏やかな足取りで部屋を出て行った。
 もちろん、俺の襟を掴んだまま。
「さーて、克己。お父さんも交えてちゃんと話をしましょうか」
 悠那の部屋から引き摺り出された俺は、いつまで経っても俺の襟から手を離してくれない母さんにただでさえ怯えているのに、父さんまで巻き込むつもりであることを知って余計におののいた。
 まさかの親子会議に発展か? そんな展開、俺は全然望んでいないのだが?
 どうにかして逃げ出さなくては……と焦る気持ちも虚しく、リビングでのんびり寛ぐ父さんの前に連れてこられた俺は、俺の襟を掴んだままの母さんに不思議そうな顔をする父さんを見た瞬間、絶望しか感じられなかった。
「なんだ? どうかしたのか?」
「ちょっと聞いてくれる?」
 そんな日常的な会話から始まった親子会議は、まるで俺を悠那に近付けまいとするかのように、祐真や蘇芳司が帰るまでの間、延々と続いた。
 俺が七歳の時に生まれた可愛い弟の悠那は、生まれた時から我が家のお姫様的存在で、うちのお姫様を想う家族の気持ちは天よりも高く、海よりも深い。悠那の障害になるもの、悠那の気分を害するものがあれば、それがたとえ身内であっても容赦はしない。
 自分がそうであると同様に、父さんと母さんもそうであったことを、俺は身をもって思い知らされた一日だった。



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