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Season 3
勇気の行方(2)
しおりを挟む「ぁんっ! ゃ……ぁあっ!」
悠那さんのドラマの最終回が放送された日。撮影を終えて帰宅した僕と海は、リビングに入るなり、司さんと悠那さんの部屋から聞こえてくる艶かしい声に、思わずギョッとなって固まってしまった。
これは一体……。まあ、大体の想像はつくけれど、せめて僕達が帰ってくる前か、寝静まった後にしてくれないものだろうか……。
最早生活音の一つになってしまっている二人の情事中に漏れる声は、僕達の睡眠を妨げるものではなくなりつつあるものの、まだ活動している最中に聞こえてくれば、それなりに動揺するし困りもする。
「おー。おかえり」
「ただいまです。あの……司さんと悠那さんは……」
「お聞きの通りだ。悠那と樹さんのキスシーンを見た司が拗ねて、それを悠那が宥めた後にああなってる」
「ああ……やっぱりですか……」
僕達が帰ってきた音を聞いた陽平さんが、部屋から出てきて僕達を迎えてくれたけど、その顔は明らかに迷惑そうな顔をしている。
陽平さんの部屋は一番司さん達の部屋から離れているし、声もそこまで聞こえてこないらしいけど、時々悠那さんが上げる甲高い嬌声は聞こえるらしく、そのたびに“またヤってんのか”とは思うらしい。
「あいつらが部屋に籠ってからもう一時間になるから、そろそろ終わるとは思うけどな。先に風呂にでも入ってきたら? 風呂場なら二人の声も聞こえねーし」
「そうします」
全く……。よくもまあ一時間近くも延々と乳繰り合えるものだな。このクソ暑い季節に。あの二人には“飽きる”という感情はないんだろうか。
飽きる、っていうか、落ち着く?
付き合い始めの頃ならば、盛り上がってそういうことに没頭する気持ちもわからなくはないけど、もう付き合い始めて一年以上だよ? そろそろ落ち着いてくれてもいいんじゃないかと思うのに。落ち着いたのは最中の悠那さんの声くらいのもので――多少我慢できるようになったらしいが、それでも我慢したままではいられないらしい――、それ以外のところはラブラブ絶頂期が続いたままの二人である。
ま、ずっと同じ気持ちでいられるのはいいことだと思うし、喧嘩されるよりは仲睦まじい方が助かるけどさ。
「先に入ってきなよ。僕は後でいいから」
「わかった。ありがと、海」
司さんと悠那さんも相変わらずだけど、僕と海も相変わらずと言えば相変わらず。時々エッチなことをする関係にはなったものの、司さんや悠那さんのように、一緒にお風呂に入るようなことまではしない。
いつまでも一線を越えないというか、見境をなくしたりしない僕達を見て、陽平さんは半ば感心したような顔で
「司や悠那に律と海くらいの節操があってくれれば助かるのに」
とぼやいた。
「いやいや。僕としてはその節操を捨ててしまいたい気持ちはあるんですけどね」
「え……それはやめて。俺が居た堪れなくなるじゃん」
「わかってますよ。そんな心配しなくても、律がそんなことを許してくれるはずもありませんから」
「ならいいけど……」
疲れた足取りでお風呂場に向かう僕の後ろで、陽平さんと海のそんな会話が聞こえてくる。
「僕が許すはずがない……か」
湯船に浸かる前に身体を流し、少しぬるめのお湯にしっかり肩まで浸かった僕は、つい先程、極々自然な口ぶりで放たれた海の言葉を思い出し、なんだか申し訳ない気持ちになってしまっていた。
海とは未だにちゃんとしたセックスをしていない。一度しかけたこともあるんだけど、身体の中に何かが挿入ってきそうになった途端、あらゆる面での許容範囲を超えてしまった僕が意識を失ってしまって以来、海は僕を気遣い、今まで以上のことを僕に求めないようになってしまったのだ。
もしかしたら、海は僕が以前襲われかけたことがトラウマになってしまい、そういう行為に気を失ってしまうほどの恐怖を感じてしまうのだと思っているのかもしれない。
そうなると、僕から言い出さない限り、海は僕と一つになろうとはしないだろう。かと言って、どうしたら心の準備ができるのかがわからないうえ、仮に心の準備ができたとしても、どうやってそれを海に切り出していいのかわからない僕は、八方塞がり状態だった。
事件のことは怖かったけど、結果的には何もされていないわけだから、セックスという行為に対してトラウマになるほどの恐怖心は抱いていない。もし、海がそう思っているのだとしたら、それは海の思い過ごしだ。
むしろ、あの一件があったからこそ、海との仲が少しだけ進展したくらいなんだから。
僕は海のことが好きだし、いずれは海にそういうこともさせてあげたいとは思っている。“させてあげたい”という感情自体が、既に間違っているような気もするけど、海と一つになることを決して拒んでいるわけではなかった。
それなのに、どうしても身体がついてきてくれないから、僕と海はいつまで経っても恋人同士の営みというものを、遂行することができないでいる。
多分、海とはずっとこのままでもいいと思っている僕がいるから、海とセックスすることの必要性や重要性を感じられないのだろう。肉体的な繋がりを持たないエッチなことでも、僕の性欲は充分に満たされてしまうし……。
司さんや悠那さんからしてみれば考えられないことかもしれない。好きな人と身も心も繋がりたいと願うのは、人間として極々自然な感情であることもわかっている。だから、海が僕とそういうことをしたいと思う気持ちは理解することもできる。
とは言っても……。
「いざとなると逃げに回っちゃうんだよね……」
どんなに頭では理解できていても、海を受け入れてあげようと思う自分がいても、実行するとなると意識を手放してしまうほどの拒否反応を起こしてしまう自分のことを、僕は内心情けなく思っていた。
これは僕がまだ子供で、未熟故のことなのか、単に勇気がないだけなのか……。前者ならまだ諦めがつくけれど、後者の場合は臆病過ぎるって気もする。
正直、海と一つになることに全く恐怖心がないわけじゃないから、単に怖がっているだけという可能性は充分にある。にしても、海と付き合い始めてもう二年以上が経っているのに、それではあまりにも純情過ぎるというか、覚悟を先延ばしにしているだけ感が否めない。
海が僕とそういう関係を望んでいないのであれば、純情で臆病なままでも構わないとも思うけど、海の気持ちを知っていながら、先に進むことに不安ばかり抱える僕は、臆病者以外の何者でもないよね。
「何か覚悟を決めるようなきっかけがあればいいんだけど……」
もう二度とごめんではあるが、去年のような出来事があれば、今度こそ僕も覚悟を決められると思う。
あの時、僕は怯えるだけで何もできなかったし、もし、僕が海と肉体的な関係を持っていたのなら、悠那さん一人に全てを押し付けずに済んだかもしれないという、後悔みたいなものもあった。
その結果、海と時々エッチなことをする関係にまでは発展したわけだけど、あの時、思い切って最後までやっておけば、今頃こんなことで頭を悩ませる必要なんてなかったのかもしれない。
あの事件直後の僕は、これまでで一番その気になっていたとも言えるから、気の持ちよう次第では最後までいけていたかもしれないのに。
今更後悔しても遅いけど……。
「僕にもっと勇気があればなぁ……」
海と付き合う上で、僕に一番足りなくて、一番必要なものなのかもしれない。
物心ついた頃から一緒にいる海のことは、一緒にいるのが当たり前で、お互い好き合っているのも当たり前みたいなところがあったから、海と付き合うことになったのも、どこか当たり前のように思っているところがあった。
もちろん、同性同士で付き合うことに全く躊躇いがなかったわけじゃないけど、僕のパートナーになりうるのは海しかいない、と悟っていた僕は、海と付き合うことを驚くほどあっさり納得してしまった。
そんなわけだから、海と恋人同士になる時も、一大決心的な覚悟があったわけではないし、それほど勇気を必要としたわけでもない。
海と恋人同士になってからも、僕が出した勇気なんてたかが知れてるし、勇気を出すどころか、いつも僕に優しい海に甘えてばかりで、海に任せっきりにしていたような気もする。
「なんか、名前負けしてるって感じだなぁ……」
結城という姓を持っているのに、勇気の方は持ち合わせていない自分に腹が立つ。僕はこのまま海に甘えたままの臆病者でいいのだろうか……。
「悠那さんに相談……はしたくないしなぁ……」
一瞬、こういう場合は悠那さんに相談してみようか……という考えが頭に浮かんだけど、あの人に相談してまともだった試しがない。そもそも、性に対して頗る奔放で、自由気儘に振る舞う悠那さんが、いつまでも同じ場所で足踏みしている僕の気持ちを理解できるとは思えない。相談するだけ無駄でしかないだろう。
そして、残念ながらそれは司さんにも言えることで、あの二人に恋愛相談を持ち掛けるのは、無駄どころか無謀で危険な行為でしかありえない。
唯一親身になって相談に乗ってくれそうなのは陽平さんではあるけれど、湊さんからの気持ちを鬱陶しがっている陽平さんに、同性間の恋愛相談を持ち掛けるのは気が引けるし……。
「いや。こういうことは自分で解決しなきゃダメだよね。僕と海の問題なんだから」
あれこれ考えているうちに、もともとぬるめだった湯船のお湯は更に冷め、次に海が入る頃には水風呂に近い状態になりそうだった。
いくら夏だからといって、先に僕にお風呂を譲ってくれた海に水風呂はない。
蛇口の横に備え付けられた設定パネルの追い焚きボタンを押すと、一度湯船から上がり、頭と身体を洗うと再び湯船の中に身体を沈めた。
今度はちょっと熱いと感じた湯船に数分浸かってからお風呂を出た僕は、夏用の薄いパジャマに身を包み、髪の毛を乾かしてからお風呂場を出た。
お風呂上がりの僕がリビングに戻ると、そこにはまだ陽平さんと海の姿があって、どうやら僕がお風呂に入っている間中、ずっと二人でお喋りをしていたみたいだった。
ま、隣りの部屋で司さんと悠那さんがいかがわしい行為の真っ最中だとわかっていれば、海も部屋に戻りたいとは思わないんだろう。
自分がまだ実現できていない行為を、壁一枚隔てた部屋の向こうからアピールされると、面白くない気分になってしまうのかもしれない。
「お待たせ、海。ちょっとお風呂が熱いかもしれない」
「大丈夫。疲れた時は熱いお風呂に入りたいし、どうせ入ってるうちに冷めるから」
お風呂上がりでさっぱりした僕の顔を見ると、海はにっこり笑いながら立ち上がり
「今日はゆっくり浸かろうと思うから、律は先に寝てていいよ」
そう言って、僕と入れ替わりでお風呂場に向かった。
気になる司さんと悠那さんの部屋は静かになっており、部屋に戻っても大丈夫そうではあったけど、最近ドラマ撮影の仕事に明け暮れている僕は、メンバーと過ごす時間がめっきり減ってしまっていたから、ソファーに深く腰を沈め、カップアイスを食べている陽平さんの隣りに腰を下ろしてみた。
「ん? まだ寝ないの? 明日も朝早いんだから、疲れてるなら早く寝た方がいいぞ?」
もともと規則正しい生活を送っている僕は、ドラマの撮影が始まってからというもの、生活リズムを狂わされ放題で、そのせいもあって、感じる疲労感も倍増だった。
それを知っている陽平さんは、すぐ寝に行かない僕を気遣ってくれるけど、不思議と今日はまだ眠さを感じない。長湯をしたせいですっかり目が冴えてしまったのかもしれないし、不規則な生活が二週間以上も続くと、さすがに身体が慣れてきたからなのかもしれない。
「今日はまだ眠くないんで、海が出てくるのを待っててあげようかと」
「そっか。じゃあ律もアイス食う?」
「はい。そうします」
「いいよ。座ってな。取ってきてやるから」
「すみません」
「そこは謝るところじゃねーの」
アイスという言葉に腰を上げかけた僕を制し、代わりに腰を上げた陽平さんの後ろ姿を、僕は見送ることしかできなかった。
僕達の家の冷凍庫の中には、一年中通してアイスが常備されている。司さんが季節に関係なく、ほぼ毎日アイスを食べる習慣を持っているせいもあるけれど、一年中売られているアイスのことを考えると、どこの家の冷凍庫にも、常にアイスが入っているものなのかもしれない。
僕はあまりアイスを食べる習慣はないんだけど、夏になるとやっぱり食べたくなるし、たまに食べると美味しいとも思う。
案外、僕が陽平さんの隣りに座ったのも、アイスを食べている陽平さんの姿を見て、たまには僕もお風呂上がりにアイスでも食べようかな、と思ったからなのかもしれない。
その結果、陽平さんにアイスを取りに行かせることになってしまったわけだけど、アイスを取りに行く陽平さんの後ろ姿はむしろ楽しそうだった。
「バニラとストロベリーと抹茶があるけど、どれがいい?」
「ストロベリーがいいです」
「だと思った。律ってイチゴ好きだよな。お菓子買う時もイチゴ味の選ぶこと多いし」
「イチゴ好きっていうか、イチゴ味の食べ物が好きなんです。果物のイチゴはそんなに言うほど好きじゃないですよ。もちろん、嫌いじゃないですけど」
「それも変な話だな。ってか、この前大量に買ってきたばっかなのに、もうこんなに減ってんの? 夏場は司が馬鹿みたいにアイス食うから、どんなに買ってきてもすぐなくなるんだよな。あいつ、一日三個は絶対食ってる」
冷凍庫のアイスの減り具合に不満を零しながら、ストロベリーのカップアイスを手に取った陽平さんは、ソファーに行儀よく座って待っている僕のところに戻ってくると、アイスの上にスプーンを乗せて僕の前に置いてくれた。
「ありがとうございます」
陽平さんが持ってきてくれたアイスに手を伸ばした僕は、カップの蓋を開け、早速スプーンで掬ったアイスを口に運んだ。
お風呂上がりで火照った身体に、冷たいアイスは心地好くて、夏になるとアイスを食べたくなる気持ちを改めて理解した。
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