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レガール卿視点

01. 落日

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 この国の王となる者は、愚かになる。
 先祖代々からの引き継ぎ資料には必ず【王は愚かであることを念頭に進めよ】とあった。
 …王太子時代は優秀でも、王になると途端愚かになるのだ。

 だから、我々レガール侯爵家が代々宰相を務め、国を守ってきた。
 乗っ取りなど、とんでもない。我らは国のため、働いてきたのだ。国を守るため、民を守るため。王には忠義を捧げず、国に忠義を捧げよという家訓のもと、歩んできたのだ。
 王子にはきちんと帝王学を学ばせ、少しでも自らの意思で立つ王になれるよう、教育するのも我が家門の役目だ。

 我が家門で邪な思いを抱いた者は誰であれ、排除する。王と宰相が癒着しないように、第三者として同じく国に忠義を誓うウォレット侯爵家とカリスト伯爵家が監視を行う。
 ウォレット侯爵家とカリスト伯爵家は絶対中立を是とする家門であるから、監視役にはもってこいだったのだ。癒着も過去には懸念されたが、かの家門がそういった誘いに乗ったことは一度もない。

 だが、それも今代までだろう。


 この国随一、裕福なクォール商会を営むクォンタム子爵家を王家が王命で取り込んだ。
 クォンタム子爵家の息女、ステファニー様をあのルーク王太子と結婚させたのだ。彼女は子爵家、本来であれば王家に嫁ぐことがない爵位だったのに、王家に嫁ぐことができる爵位である伯爵位まで陞爵させた。
 …後から聞けば他国の令息と婚約間近だったという。だが、王命では抵抗できなかったと。

 賢いと評判のステファニー様を選んだ理由は分かる。分かるが、ステファニー様でなくとも良かったはずだ。
 この国で優秀なご令嬢はステファニー様以外にもいた。カタリナ様ではない。だが、優秀なはずのご令嬢方は「王太子とカタリナ嬢の仲を引き裂くことはできない」と皆辞退した。本来であれば、この中から王命で出してもらうはずだった。

 ウォレット侯爵とカリスト伯爵もこの事態は国を揺るがすと判断したのか、協力してくれた。根回しをして、何とか元老院に議題を上げてもらった。元老院は唯一、国王の強権に対抗できる権力だからだ。

 ―― しかし、元老院が腐っていた。それを見抜けなかった私は、愚かだった。

 王命を出したのは先王ではなかった。元老院だったのだ。
 いつの間にか元老院は、根腐れを起こしていた。本来であれば王を止めるはずの機関なのに、その機関が暴走していたのだ。
 先王も私も成すすべなく、元老院主導でステファニー様は王太子妃となってしまわれた。
 そこから臣民すべてがステファニー様の敵となった。

 それはそうだろう、ルーク王太子はカタリナ嬢を愛していると公言していた。国民ですら知っている。
 王命で一子爵家が逆らうことができなかったというのに、いつの間にかクォンタム子爵家が王命を使わせて無理やり王太子妃に収まったのが事実だと周囲に認識された。

 当然、そうではないと訴えた。
 だが私の訴えなど焼け石に水。ごく僅かに信じてくれる者たちもいたが、彼らは表立って王や王太子に逆らうことができない。ウォレット侯爵もカリスト伯爵も立場上、表立ってステファニー様に与するわけにはいかなかった。
 王太子妃時代は先王もステファニー様をフォローしようとした。ルーク王太子に口酸っぱく「彼女は我が王家が請うて王太子妃となってもらったのだ」と言い聞かせた。…スライムに物理攻撃を行うぐらいの、反応のなさだったが。

 しかし、先王は五年前に崩御された。先王妃はステファニー様が嫁いで来られる前に既に亡くなられている。
 皮肉にも、表立って彼女に味方できるのは、私しかいなくなってしまったのだ。


 早めに邸に帰ると同時に、執事長のメルセデスに嫡男であるバックスを執務室に呼ぶように伝えた。

 執務室の椅子に腰を掛け、深く息を吐く。
 これからすることは国への裏切りだ。だが、もう見過ごすことはできない。

「失礼します…お呼びですか、父上」
「ああ…」

 バックスは今年で二十四になる。
 私の後継で、宰相になるため下地として文官を務めていた。文官は国内政治を担う官僚。まずはそこで経験を積み、宰相補佐官となって最終的には宰相を務めるのだ。
 それは私も例外ではない。城内の政局を敏感に感じ取って経験を積むには、文官がちょうどよい。

「城内の王妃殿下の評価はどうだ」
「…芳しくありませんね。なまじ、彼女の公務を処理する能力が高いばかりに下落しています」
「普通そこは喜ぶべきことだろう」
「同感です。…あと、非常に報告しにくいことなのですが」

 眉根を寄せて、バックスは一度口を閉ざした。
 じっと待っていれば、ひとつため息を吐いて…とても、頭が痛くなる報告をくれたのだ。

「上官たちが、こぞって己の仕事を王妃殿下に押し付けています」
「なんだと」
「告発しようにも、その告発先も同様のようです。下級文官たちも仕事がおざなりになり始めました」

 ああ…なんということだ。
 思わず顔を顰めて頭を抱える私に、バックスは報告を続ける。

「カタリナ様こそ本来の王妃であるべきなのだから、横入りした悪女にはこのぐらいの罰は当然だとの声があちこちから上がっています。王妃付きの護衛騎士もまともに仕事していないようでして、王妃殿下の部屋の前にはいないことも多いです。…父上の訴えは、悪女が父上を取り込んだためだ、とも」
「……反吐が出る」
「我が侯爵家への侮辱ですね…どうしますか」
「…バックスはどうする?お前は次期侯爵だ。まずはお前の考えを聞かせてくれ。どんなものでも構わん、不問にしよう」
「国を捨てます」

 ばっさりと、迷いなくバックスは切り捨てた。
 その潔さに思わず呆気に取られていると、バックスは苦笑いを浮かべた。

「常々思っていたんです。我々が国に忠義を立てて、王家を守ってきた…どうして、我々が犠牲にならなければならないのかと」

 それは私も若い頃考えていたことだ。
 私は疑問を持ったまま当主の座を引き継ぎ、そこで初めて目にした記録と体験した出来事に大層驚き―― 理解した。いつかはこの役目から解き放たれると分かったから、私も、ウォレット当主もカリスト当主も忠実に役目を果たしているのだ。
 恐らく、当主を引き継いだ暁にはバックスも私と同じように考えるだろう。特に、バックスの世代で終わりだと分かっていることだったから。

「実は、イグニスとピエールも同じ考えなんですよ」
「…ウォレットとカリストの倅か」
「ええ。先祖や父上たちが賢明に、王室がまともになるよう努力されてきたことは存じています。ですが ―― 国たる民すらも愚かに成り果てたのであれば、我々の代でもう手を引こうと」

 深呼吸をして、椅子の背もたれにより掛かる。

 …国を捨てるということは普通は容易ではない。家に雇われている使用人たちをどうするか、結婚や婚約している場合は相手の家にどう説明するか、領地を経営している場合は領民たちはどうするか。

 ―― そう、普通ならそれで思い留まる。普通なら。

 それに、お役目を放棄するのはいかがなものかと小賢しい者たちは叫ぶだろう。
 だがそれに関しては既に

「…我が家も、ウォレットもカリストも宮廷貴族だったな」
「はい」
「お前の母でもあり私の妻であるイリーナの実家はすでに没落済みで、どことも繋がりはない」
「イグニスの母君はお亡くなりになっており、母方の実家とは絶縁状態。ピエールのところはご存命ですが、仮面夫婦なのでいつでも離婚できる状況のようです。そして各家の子息・子女はいずれも婚約していません」
「……ははは、婿入りや嫁入りの際に国への忠義を立てさせるのに渋っていたからな。我々の家から嫁や婿を出しても大抵は家訓を意識した生き方は変えられん。敬遠されていたため歴代婚姻には苦労していたが、それが良い方に働くとは」

 椅子から立ち上がり、窓に向かう。
 早く帰宅できたからこそ、見れた夕焼け。海の向こうに沈んでいく夕日を眺めながら、告げた。

「ウォレットとカリストに連絡を取る。我が太陽は沈んだ、と」
「はい。実施はいつ頃にしますか」
「お前たちは準備ができ次第、視察という体でシェザーベルに行きなさい。あそこには私の従兄弟一家がいたはずだ」
「…父上はいかがなさるのです?」

 脳裏に浮かぶ、ステファニー様の悲しげな微笑み。

「……ステファニー様を見捨てるわけにはいかん。あの方は国のために尽くしてくださっている。せめて、あの方がこの国から逃げられる手筈を整えてからだ」
「……分かりました」

 できるはずがない、という言葉を飲み込んでそう返してくれたバックスを見て成長したなと思う。
 この国では王と王妃の離婚は特殊な理由があれば可能だと公表されているが、実際には離婚はどんな理由であれ認められることはない。王や元老院が許可するはずがない。

 姑息な手だ。
 法律原文には【特別な事由があれど認めない】と書かれている。その【特別な事由があれど】の文章にはその意味を表す黙字が薄く、書かれているのだ。…その黙字を外すと【特別な事由以外は】という意味になる。
 国や国際機関に提出する法律書は原文からの複製印刷だ。印刷すると、その黙字が消える。
 つまり、国際機関や他国のみならず国民までをも騙し、王妃を縛り付ける法律となっている。元老院は原本を元に判断を下すので、元老院も知っていることだ。

 私が気づいたのは、「トゥイナーガ」という翻訳に関しては世界的権威を持つ者が出版した【国際条項と各国の法律】という本のおかげだ。
 まだ宰相補佐官だった頃に何となしにヴァット語版を読んで気づいたのだ。黙字が印刷されていないことに。
 慌てて当時宰相であった父に掛け合い、事態を重く見た父も元老院で進言したものの「そんなもの、翻訳した者が見落としただけであろう」と取り合わず。それなら尚更、翻訳者に修正を依頼しなければならないというのに「面倒だ」で満場一致し、何もしないことになったのだ。
 他国にも影響する法律ならまだしも、自国の王と王妃に関する法律だからというのが元老院の弁だったが…他国にも影響する部分だろうに。過去、王家に他国から嫁いできた王妃がいた事例もあったのだから。
 思えば、その時点でもう元老院は腐っていたのだろう。

 幸いにも、王家は我が家を手放すことはできない。私が何を言っても宰相を罷免されることはない。
 だから私は妻と息子、移動できる使用人たちをシェザーベルに視察と言う名の亡命をさせ、必要最低限の使用人たちと国に残った。




 エインスボルト王国に招待され、おひとりで行かれて帰ってこられてから数日後。
 ステファニー様から差し出された法律改正案に、目を丸くした。

「…こ、れは」
「エインスボルトでも採用されている法律よ。女王陛下からお聞きしたのだけれど、ここら一体や山向こうの国々も採用している法律のようなの」

 王妃が何らかの理由で公式行事に出席出来ない場合は、側妃を代理とする。
 従来の法律では側妃は代理を務めることができなかった。これが通れば、ステファニー様の負担も減るだろう。

 しかし。

「…失礼ながら、これでは」
「わかってるわ。だからこそ、出すのよ」

 書類から視線を上げると、ステファニー様と目が合う。
 決意を秘めた眼差しに面食らっていると、彼女は口角を上げた。


 …ああ。この方は、国を捨てる覚悟を決められた。


「……承知しました。内容に不備もないようですので、陛下に奏上しましょう」
「ありがとう」

 恐らく陛下は添付資料を一切読まずに、案を読んだだけで押印するだろう。

 記録にあった今までの王たちは、王太子までは賢く、立派であった。
 王になってから愚かではあったが、自ら傀儡になろうとする王はいなかった。自らの意思で人の上に立ち、自らの考えで民を幸せにしようという考えを持つ者しかいなかった。
 例え王だとしても、懸命に臣民を幸せにしようと努力を続けていたのだ。

 先王の子は陛下だけ。
 先王は呪いに蝕まれようともまさしく王族であった。だが今代の王は、努力すらしない王族とは思えぬ男であった。
 

 ―― ああ、本当に。我が太陽は、沈んでしまったのだ。
  

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