彼が選んだ結末は

かわもり かぐら(旧:かぐら)

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本編

5 〜 白蛇ヴァイス

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 ヒノモト公国の中でも秘匿された場所。
 マリア枢機卿、補佐する上級神官2名。公主であるミズチしか知ることができない場所に、それはあった。

 山岳の神マオと治水の女神エリスの像。
 大神殿や小神殿にも設置されている像よりも精巧なそのふたつの神像は泉の中心にある小島に設置されており、周囲は木々に囲まれている。

 上級神官のうち、1名をルミナ上級神官としてくれたのはマリア枢機卿の配慮だろう。
 彼女はマキがこの世界に招聘しょうへいされてからずっと補佐として傍にいて、常に味方であった。
 無論、ヴァイスもこの場にいる。
 マキに加護が授かるのを見守るのと、自身の選択を主であるエリスに伝えるために。

 久々に神官服を身に着けたマキは、ゆっくりと泉に素足で踏み入れた。
 湖の水深は小島が近くになるにつれ深くなっていく。
 マキの身長は160cmほどだが、泉の縁と小島の間半分のところで胸元まで水が浸かった。
 そこでマキがそっと両手を組んだのを見て、マリア枢機卿が祝詞を口上する。

「天におわします我らが女神、エリスよ。あなたの聖女が参られました。どうか、あなたの加護を彼女に与えたまえ」

 マリア枢機卿の祝詞に呼応するかのようにエリスの神像が光り始める。
 マキは目を瞑り、両手を組んで祈っている。

 いつ見ても幻想的な光景だとヴァイスは思う。

 エリスの神像から溢れた光はいくつもの球体となって、不規則な動きをしながらマキの体に吸い込まれていく。
 やがてマキの体の周りが光り始め、泉へと光が伝わっていく。
 泉が全て光に覆われると、エリスの神像がより一層光り輝いた。

 ふわり、と泉の上に誰かが降り立った。

「―― 長かった。ようやく会えたな、マキ」

 マキが目を開けて、見上げた。
 濡烏ぬれがらすのような美しい黒髪、夏の青空を思い起こさせるような碧眼。
 ややふっくらとした体型に纏っている白い衣服は一枚布でできたドーリス式のキトン。

 彼女こそ、治水の女神エリスと呼ばれる存在。

 エリスが両手を下から上に持ち上げれば泉に浸かっていたマキの体がふわりと持ち上がった。
 そのまま、エリスと同じように泉の上に立つと、水に浸かっていたマキの衣服がふわりと乾く。

「すまなかったな。色々と巻き込んで、怪我まで負わせてしまって…」
「い、いえ…。ヴァイスやバチス様をはじめとする皆さんに色々と助けていただいて、逆に感謝したいぐらいです」

 ゆっくりとエリスに手を引かれて、マキは何度も目を瞬かせながら、水面を歩く。
 そうして岸辺で待っていた皆の前にたどり着き、マキの足が陸地に着くとヴァイス以外の全員がエリスとマキに向かって跪拝していた。
 ヴァイスは右手を胸にあて、軽く腰を曲げて頭を下げる。

「ヴァイス、よくやった」
「有難きお言葉です、尊き御方」
「して、決めたか?」
「はい」

 ヴァイスが顔を上げる。
 マキは何が何やらといった困惑した表情で、エリスとヴァイスを交互に見ていた。

 ひとつ、深呼吸して。


「―― 暇をいただきたく思います」
「何の力もない、ただの白蛇になりたいと?」
「はい」


 そのやり取りを聞いたマキの目が大きく見開かれる。
 マリア枢機卿たちは跪拝したままだが、動揺したのが見て取れた。

「な、なん…なんでヴァイスが」

 マキが狼狽えながらそう尋ねたが、ヴァイスは答えずただ左目を伏せるだけだった。
 説明するつもりはない。
 眷属であるにも関わらずマキを怪我させた責任を取るという姿勢を見せておけば、彼女はエリスに縋り、エリスからの返答で納得するだろう。
 案の定、マキはそう勘違いしてエリスに縋る。

「エリス様、違う、違うんです!ヴァイスは悪くありません!」
「うん?」
「私を怪我させたことによってヴァイスが責任を感じてるのなら、それは違うんです!私がちゃんと、できなかったから…」
「それは前にも話したが、マキのせいでもヴァイスのせいでもない。どちらかといえば妾たち神側の責任だ」

 マリア枢機卿たちの様子に思い至ったエリスは彼女らに「直って良い」と言いながら、マキと視線を合わせる。

「妾から離れるというのであれば、引き留める理由はない。すでにヴァイスは千年妾に仕えておる。十分忠義は尽くしてもらったからな、ヴァイスの希望であれば叶えてやりたい」
「で、でも…っ」
「なんだヴァイスのやつ、説明しておらなんだか。意外と意気地がないな」

 笑うエリスに、マキはきょとんとした表情を浮かべる。

(意気地なしで良いのです、尊き御方)

 元よりこの身は白蛇。
 彼女と結ばれるなど、ありえないことだとヴァイスは思う。

 本当はただの人であれば良かった。
 そうすれば彼女と結ばれる道もあっただろう。
 だが、ただの人であれば彼女と会うこともなかった。

 本当はただの白蛇であれば良かった。
 そうすれば彼女に身を焦がすような恋慕を抱くこともなかっただろう。
 だが、ただの白蛇であれば大瘴気を払う手助けはできなかった。

 手の届かぬところで彼女の幸せを見守るしかないのであれば、ただの白蛇として彼女の幸せをすぐ隣で見届けたい。
 例え、彼女が別の誰かを愛し、子を産んだのならばヴァイスはその子も見守ってみせるつもりだ。
 この生命が尽きるまで。

「ヴァイス」
「はい」
「明日のこの時間、暇を出そう。それまでにきちんと身の回りを整理せよ」
「はい」
「ではな、マキ。困ったことがあったら呼ぶといい」

 そう言うないなや、エリスの姿は光に包まれ霧散した。
 きらきらと、その残滓が水面に吸い込まれていく。

 沈黙が続く。
 沈黙の原因と自覚していたヴァイスはひとつため息を吐くと「戻ろう」と声をかけた。
 その声がけにマリア枢機卿がホッとしたような表情を浮かべる。

「ヴァイス」

 マキの声に、ヴァイスは振り返った。
 彼女は真剣な表情だ。

「夜に時間を作って。話したいことがあるの」

 この後、マキは聖女としてのお披露目があるので夜まで時間がない。
 マキとヴァイスが面と向かって話せるのは今夜が最後だ。

「…わかった」

 苦しいと叫ぶ心を抑え込み、ヴァイスは静かにそう答えた。
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