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本編
3-2 〜 白蛇ヴァイス
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ヴァイスは、はじめの頃を覚えていない。
気づけば治水の女神エリスと山岳の神マオの傍で暮らし、エリスとマオを尊敬し、エリスを主と仰いだ。
マオを主としなかったのは、マオがエリスの尻に敷かれていたからだ。それを当時は情けなく思っていたが、お互い愛情があってそうしているのだと今は分かる。
いつの間にか眷属と呼ばれる存在になり、二柱が庇護する国々を巡りながら、人間を観察したりしていた。
時にはややこしい聖者・聖女の補佐に入ったりしていたのも影響していただろう。
だからヴァイスは彼らに特別な感情を持ったことはなかった。
聖者・聖女の補佐に入ったときは多少イラつくことはあったものの、こうして聖者・聖女の心を欲することなどなかったのだ。
…今まで、問題があった聖者・聖女しか相手にしていなかったから、ということもあるのかもしれない。
ヴァイスがマキの補佐についたときの彼女への感想は「多少扱いやすい存在」だけ。
真摯にこの世界のことを学び、ヴァイスの助言にも素直に従う彼女に感心した。
ユーゲン領にあった小神殿で初めて通常の瘴気払いをしたとき、上手く処理できずに泣きそうになった表情を見た。そのとき、ヴァイスの感情に変化が起こった。
笑っていてほしいと、思ったのだ。
そこから転がり落ちるのは早かった。
ヴァイスは常にマキの傍にいて、マキの護衛騎士に任命された男の神殿騎士に嫉妬したりもした。
マキの笑顔が、ヴァイスだけに向けられればいいと思ったのだ。だからこうやって人に変身するなどもした。
最初は驚き、戸惑っていたマキもいつしかヴァイスに外向きの笑顔ではなく、身内に見せるような柔らかな笑顔を見せてくれたときのヴァイスの内心が歓喜に震えたのも記憶に新しい。
(おふたりよりも大切だと、思ってしまった)
ヴァイスはエリスの眷属である。
神々が自身を信仰していると認めている人間を傷つけることは、人間側が罪を侵さない限りはできない。それは眷属も同じだ。
だからヴァイスは暴徒と化した民衆から、マキを守れなかった。
それが悔しい。
自分がただの人であれば、彼女を守れたのではないかと思ってしまうほどには。
でも今は。
敵と認定された神を信ずる彼らには。ヴァイスはなんだってできるのだ。
---------- >
マキがヒノモト公国に住居を移してからすでに2ヶ月。
ひとしきりギルディア王国から人々の移動が終わり、それらを一旦ヒノモト公国は受け入れた。
元が同じ二柱を主神とする国同士なので、祈りに関する慣習が同じなのは大きい。
ただ、ヒノモト公国独自の慣習もあり、それに馴染めない者は別の国々への移民手続きを許可されているのもあるだろう。
ヒノモト公国も、ギルディア王国の慣習のうち良いと思ったものは取り入れ始めているらしい。
食文化の違いはあれど、ヒノモト公国の慣習を受け入れて住もうという人々は着々と地盤を固め始めている。
ここヒノモト公国と、ギルディア王国の距離はかなり離れている。
転移陣がない限り来ようと思っても来れないほどの距離だ。
速度補助魔法を施した馬車、船を乗り継いで3年以上かけてようやく来れるといった位置関係にある。
マキいわく「地球だとヒコウキ使わないと無理だね」とのことだ。
ある日、白蛇の姿でマキの枕元でとぐろを巻いて眠っていたヴァイスは不意に意識が浮かんだ。
繋がった感覚にエリスから念話が来たのだと理解する。
『ヴァイス』
(…はい。尊き御方、我が主エリス様)
『マキの回復はどうだ?時折見ているが、いつもベッドに座っている様子ばかりでな』
(体内の魔力の巡りも良くなってきたのであと数日もすれば歩けるようになるでしょう)
『そうか…』
安堵した声色にエリスもこの状況に心痛めていることが分かる。
『マキの体調がよくなったら、改めて加護を授けたい』
(お伝えいたします)
『それで。お前はどうする?』
「え?」
『ヴァイス、お前の役目は加護を与えることが叶わなかったマキを補佐するため。加護を与えられるのだから、お前の役目は終わりだろう?』
思わず声が出るほどに動揺したヴァイスに、エリスがそう告げた。
確かにそうだ、とヴァイスは思う。
ヴァイスの役目は聖女の補佐。
しかも今回は聖女側の事情ではなく、エリス側の事情によって加護が与えられなかったことによるものだ。
加護が与えられれば、ヴァイスの力は必要ない。
戸惑うヴァイスに、穏やかな声でエリスが続ける。
『長年仕えてくれた褒美としてお前に選択を与えよう、ヴァイス。妾の眷属を続けるか、聖女の傍で生涯を終えるか』
眷属を続ける場合はマキの傍を離れる必要がある。
マキの傍にいる場合は眷属として享受していた様々な力や寿命はなくなるだろう。
おそらく、人の身に変身する力も、会話する力も。
ただの白蛇としてマキの傍にいるか。
眷属としてエリスとマオの傍に戻り、遠い場所から彼女を見守るか。
『加護を与える日まで、考えるがよい』
「……はい」
ふ、と繋がりが消える。
ヴァイスは持ち上げていた頭を下ろし、眠るマキを見つめた。
しばらく見つめたあと、ゆっくりととぐろを巻き直して意識を閉じていく。
(申し訳ありません、尊き御方)
意識が完全に閉じる前、ヴァイスはそう思った。
もう後戻りができないほどに、心はマキに傾いていたのだ。
気づけば治水の女神エリスと山岳の神マオの傍で暮らし、エリスとマオを尊敬し、エリスを主と仰いだ。
マオを主としなかったのは、マオがエリスの尻に敷かれていたからだ。それを当時は情けなく思っていたが、お互い愛情があってそうしているのだと今は分かる。
いつの間にか眷属と呼ばれる存在になり、二柱が庇護する国々を巡りながら、人間を観察したりしていた。
時にはややこしい聖者・聖女の補佐に入ったりしていたのも影響していただろう。
だからヴァイスは彼らに特別な感情を持ったことはなかった。
聖者・聖女の補佐に入ったときは多少イラつくことはあったものの、こうして聖者・聖女の心を欲することなどなかったのだ。
…今まで、問題があった聖者・聖女しか相手にしていなかったから、ということもあるのかもしれない。
ヴァイスがマキの補佐についたときの彼女への感想は「多少扱いやすい存在」だけ。
真摯にこの世界のことを学び、ヴァイスの助言にも素直に従う彼女に感心した。
ユーゲン領にあった小神殿で初めて通常の瘴気払いをしたとき、上手く処理できずに泣きそうになった表情を見た。そのとき、ヴァイスの感情に変化が起こった。
笑っていてほしいと、思ったのだ。
そこから転がり落ちるのは早かった。
ヴァイスは常にマキの傍にいて、マキの護衛騎士に任命された男の神殿騎士に嫉妬したりもした。
マキの笑顔が、ヴァイスだけに向けられればいいと思ったのだ。だからこうやって人に変身するなどもした。
最初は驚き、戸惑っていたマキもいつしかヴァイスに外向きの笑顔ではなく、身内に見せるような柔らかな笑顔を見せてくれたときのヴァイスの内心が歓喜に震えたのも記憶に新しい。
(おふたりよりも大切だと、思ってしまった)
ヴァイスはエリスの眷属である。
神々が自身を信仰していると認めている人間を傷つけることは、人間側が罪を侵さない限りはできない。それは眷属も同じだ。
だからヴァイスは暴徒と化した民衆から、マキを守れなかった。
それが悔しい。
自分がただの人であれば、彼女を守れたのではないかと思ってしまうほどには。
でも今は。
敵と認定された神を信ずる彼らには。ヴァイスはなんだってできるのだ。
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マキがヒノモト公国に住居を移してからすでに2ヶ月。
ひとしきりギルディア王国から人々の移動が終わり、それらを一旦ヒノモト公国は受け入れた。
元が同じ二柱を主神とする国同士なので、祈りに関する慣習が同じなのは大きい。
ただ、ヒノモト公国独自の慣習もあり、それに馴染めない者は別の国々への移民手続きを許可されているのもあるだろう。
ヒノモト公国も、ギルディア王国の慣習のうち良いと思ったものは取り入れ始めているらしい。
食文化の違いはあれど、ヒノモト公国の慣習を受け入れて住もうという人々は着々と地盤を固め始めている。
ここヒノモト公国と、ギルディア王国の距離はかなり離れている。
転移陣がない限り来ようと思っても来れないほどの距離だ。
速度補助魔法を施した馬車、船を乗り継いで3年以上かけてようやく来れるといった位置関係にある。
マキいわく「地球だとヒコウキ使わないと無理だね」とのことだ。
ある日、白蛇の姿でマキの枕元でとぐろを巻いて眠っていたヴァイスは不意に意識が浮かんだ。
繋がった感覚にエリスから念話が来たのだと理解する。
『ヴァイス』
(…はい。尊き御方、我が主エリス様)
『マキの回復はどうだ?時折見ているが、いつもベッドに座っている様子ばかりでな』
(体内の魔力の巡りも良くなってきたのであと数日もすれば歩けるようになるでしょう)
『そうか…』
安堵した声色にエリスもこの状況に心痛めていることが分かる。
『マキの体調がよくなったら、改めて加護を授けたい』
(お伝えいたします)
『それで。お前はどうする?』
「え?」
『ヴァイス、お前の役目は加護を与えることが叶わなかったマキを補佐するため。加護を与えられるのだから、お前の役目は終わりだろう?』
思わず声が出るほどに動揺したヴァイスに、エリスがそう告げた。
確かにそうだ、とヴァイスは思う。
ヴァイスの役目は聖女の補佐。
しかも今回は聖女側の事情ではなく、エリス側の事情によって加護が与えられなかったことによるものだ。
加護が与えられれば、ヴァイスの力は必要ない。
戸惑うヴァイスに、穏やかな声でエリスが続ける。
『長年仕えてくれた褒美としてお前に選択を与えよう、ヴァイス。妾の眷属を続けるか、聖女の傍で生涯を終えるか』
眷属を続ける場合はマキの傍を離れる必要がある。
マキの傍にいる場合は眷属として享受していた様々な力や寿命はなくなるだろう。
おそらく、人の身に変身する力も、会話する力も。
ただの白蛇としてマキの傍にいるか。
眷属としてエリスとマオの傍に戻り、遠い場所から彼女を見守るか。
『加護を与える日まで、考えるがよい』
「……はい」
ふ、と繋がりが消える。
ヴァイスは持ち上げていた頭を下ろし、眠るマキを見つめた。
しばらく見つめたあと、ゆっくりととぐろを巻き直して意識を閉じていく。
(申し訳ありません、尊き御方)
意識が完全に閉じる前、ヴァイスはそう思った。
もう後戻りができないほどに、心はマキに傾いていたのだ。
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