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悪役令嬢エリザベス

15. 変化

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 翌日は家族からも暖かい祝福をもらって恥ずかしかったエリザベスであったが、イェルクの番になれたことはそれ以上の喜びだった。
 ゆっくりと公爵家で過ごして、夕方寮に戻る。留守番だったミミィにイェルクと番になったことを告げれば我が事のように喜んでくれた。


 翌日。おはよう、とクラスメイトたちと挨拶を交わしながらエリザベスは自席に座る。
 イェルクと番ったが、本当にあのレアーヌからの誘惑を防げるのだろうか。一抹の不安がエリザベスの胸に残るものの、あとはもうイェルクの言葉を信じるしかなかった。


「おはようございます、エリザベス」
「おはよう、エレン」


 いつものお下げ髪のイェーレだ。
 ふと、イェーレがなにかに気づいたかのように「あら」と声を零す。それから腰を屈めて、そっとエリザベスの耳元に口を寄せて囁く。


「おめでとうございます。無事、番われたのですね」
「っ、え」
「大丈夫です。分かるのは私と兄、それからイェルクだけですから」


 つまりは、精霊族の血を引いていれば分かるのではないか。
 段々と頬を染めていくエリザベスの様子にイェーレはわずかに口角を上げて「今日の反応が楽しみですね」と呟いた。その表情が意地悪く見えてしまったのは、気の所為ではないだろう。

 日中の変化はほぼなかった。
 変化があったのは放課後である。

 帰り支度を始めていたエリザベスの耳にざわりとクラスがざわめいた様子が届いた。
 顔を上げて教室の入り口を見れば、顔色が良いイェルクが微笑んで手を振っている。先週とは全く違うその様子に、番った効果が出たのだとエリザベスは気分が高揚した。


「エル」
「リズ、迎えに来たよ」


 さぁ行こう。手を差し出されて、エリザベスはこくりと頷いてイェルクの手を取ろうとした、そのときだった。


「イェルク様!」


 イェルクの背後から声をかけてきたのはレアーヌだった。
 イェルクの微笑みがすっと消えて、小さくため息を吐く。その表情はとても面倒くさいとでも言いたげで、エリザベスがイェルクのそんな表情を見たのは初めてだった。

 いつも表面上は取り繕うイェルクが、そのままの表情でレアーヌに振り返る。


「なにか?」
「先週末お約束したじゃないですか。今日の放課後、訓練してくださると。お話が違います!」
「私は君と約束した覚えはないよ。放課後も練習した方がいい、とは言ったけどね」
「そんな…」


 まるで信じられないものを見るかのような目でレアーヌはイェルクを見つめる。イェルクはそんな彼女から不意に顔をそらすと、エリザベスへと向き直った。その表情は先ほどエリザベスに向けられていた穏やかな笑みだ。


「さぁ、行こうエリザベス。今日は街に降りてデートしないかい?」
「それなら、わたくし外出届を…」
「もうミミィ殿にお願いしてある。このまま行こう」
「いつの間に…」


 腰をそっと抱き寄せられて思わずエリザベスが頬を染める。エリザベスに用があったのであろう、錬金術クラスからこちらに向かってきていたのか廊下にいたヴィクトリアは令嬢らしからぬぽかんとした表情をしている。エリザベスはヴィクトリアに「ごきげんよう」と告げて、イェルクに促されるまま歩き出した。
 ちら、と後ろの様子を窺えば、レアーヌは酷い形相だった。

 そもそも、彼女はどうしてイェルクに言い寄っているのだろうか。
 そんな疑問がふと頭を掠めたが「どこか行きたいところは?」とイェルクに質問されて、その疑問は頭の片隅に追いやってしまった。


 イェルクとのデートはとても楽しいものだった。

 思いついたのは昼休みにレアーヌを指導している時間帯だったらしく、指導しながらミミィに精霊魔法を使って精霊にメモを持たせてエリザベスの外出届けを出すよう頼んだらしい。
 「デートプランも何もないけど」と言いながらもイェルクは街中をエスコートしてくれた。
 カフェに入ってまったりと会話を楽しみ、ウィンドウショッピングをして互いに身につけたり着てほしいものを言い合う。購入したりするのは今度にして、次に買いたいと思うものをゆっくり探すのは楽しかった。

 エリザベスは家にお抱えの商人を呼んで、その中から選ぶというスタイルである。多くの高位貴族がそうであろう。だからあんなにたくさんの店を見ながら、たくさんの商品を見ていくのはとても新鮮だった。
 前の婚約者だったイーリスは第二王子ということもあって、外でデートらしいデートはしたことがない。楽しくて、楽しくて、エリザベスはいつまでもこんな時間が続けばいいのに、と思う。


 楽しい気分で一日を終えた、翌日の昼休み。

 教室があるここ東棟にも中庭があり、西棟に比べてきちんと管理されているそこはオープンテラスとなっている。そこで昼食をとる生徒も多いが、エリザベスやイェーレはひと目のつかない西棟の中庭を好んでいた。

 ただ、今日はヴィクトリアとの約束がある。
 彼女はしょっちゅうエリザベスとイェーレの教室にいることが多いが、彼女は錬金術科の生徒だ。クラスが異なるため、本来であればああもエリザベスたちの教室に入り浸ると移動に時間がかかるが、もとより錬金術科は女子生徒がほぼいないに等しい。
 つまり、ヴィクトリアは男子生徒に取り囲まれるのを避けるためにエリザベスたちの教室に来ているのである。

 イェーレと一緒に、待ち合わせ場所であるオープンテラスに向かうために廊下を歩いているときだった。


「どうしてですか?!」


 悲鳴に近い声。その声は知っている声で、エリザベスがイェーレの方へ振り向けば、彼女もこくりと頷いた。急ぎ足で声のした方に向かう。

 中庭のとある一角、大きな噴水前に腕を組んだイェルクとそれに対峙しているレアーヌがいた。イェルクがレアーヌに向ける眼差しは侮蔑の色を含んでいる。対してレアーヌは、困惑したような様子であった。
 エリザベスとイェーレは物陰に隠れてそっと様子を窺う。レアーヌの悲鳴にも近い声に何事かと遠巻きで様子を窺っている生徒がちらほらといて、それらにちょうど紛れる形となった。


「なぜです…訓練をもう終わりにしようだなんて!私はまだ!」
「私が君に精霊魔法を教え始めて2ヶ月になろうとしている。精霊たちとの関係性も改善されているようだし、私が口出すことはもうないんだよ」
「そんなことありませんわ!たしかに、精霊たちとの関係は改善されて、詠唱魔法もうまくいくようになりました。けれど私はもっと精霊魔法について学びたいんです!」
「…先ほども伝えたはずだが。それはこの学園の教師がやることだ。
 私はたしかに学園長から『精霊の愛し子だからか、うまく制御できない子がいるので力を貸してほしい』と依頼はされた。精霊魔法の担当であるリーゼル先生は精霊の愛し子でもなんでもない、ただの契約者だ。
 普通であれば契約もしていない精霊と交流すること自体がない。だから契約せずとも数多の精霊に好かれる君に交流方法を教えるのは無理だった。勝手が違うからね」


 淡々とした口調で告げるイェルクの表情はほぼ無だ。
 この学園で過ごす彼をエリザベスは遠目で見たことがある。期間限定とはいえ、学友と楽しげに話していたそのときの様子とは全く異なる雰囲気で、思わずエリザベスは見惚れた。
 伴侶となった副次効果なのだろうか。自分に向けられないであろうその表情にどうしてもときめいてしまう。場違いなのは、分かるのだけれども。


「それに私は、この学園には学びに来たのであって教壇に立つつもりはない。精霊魔法を教えるリーゼル先生と何度か議論を交わしたが、あの方の精霊魔法に関する知識の豊富さ、伝える言葉選びには頭が下がるほどだ。
 関係性が改善した今の君なら、リーゼル先生指導のもと、より良い精霊魔法の使い手となれるだろうさ」
「イェルク様…なんで…?先週までは、あんなに親身になってくださっていたのに…」


 瞳を潤ませ、レアーヌは肩を震わせる。その姿は憐憫を誘うもので、思わず味方になりたくなる雰囲気である。

 たしかに親身になってくれていた相手が突然、手のひらを返したかのような態度を見せられたら驚くし、悲しいだろう。
 だが、今までのレアーヌの立ち振舞いを見てきた者はどう思っているだろうか。同じ精霊が見える者同士とはいえ、ボディタッチなどのスキンシップをしたり昼食も常に一緒に摂ろうと強請っていたという。

 淑女の振る舞いではない、とエリザベスは思った。
 

「エレン」
「お供します」


 背筋を伸ばし、噴水の方へと視線を向けたエリザベスは颯爽と歩き出す。

 エリザベスに気づいた生徒たちがざわめきながら、エリザベスとイェーレに道を作っていく。だんだんと視界がひらけ、最終的にはイェルクとレアーヌが対峙しているところまですんなりと辿り着けた。
 イェルクはエリザベスに気づくとやや目を見開いて、それから今までの無表情が嘘だったかのようににこりと微笑んだ。


「ごきげんよう、エル、ダンフォール様」
「やぁリズ、イェーレ嬢」
「…ごきげんよう、フェーマス様、ライズバーグ様。何かご用ですか?」


 一瞬、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたレアーヌではあったが、次の瞬間には淑女らしく微笑みを浮かべた。
 この変化を他人に悟らせてしまうのはよろしくない。淑女たるもの、よほどのことがない限り表面上は変わらないようにしなければならない。心の内を悟らせないのも武器のひとつだからだ。

 周囲にいる野次馬も数人は気づいたであろうが、今は目の前のことを対処するのが先である。


「いえ、廊下を歩いていたわたくしたちのところまで騒ぎが聞こえて、少し心配になりましたの。ダンフォール様が、わたくしの婚約者・・・に何か言いがかりをつけているようでしたから」
「ただ認識の違いで……婚約者?」
「ええ。そうですよ」


 エリザベスはイェルクの隣に歩み寄ると、そっとその胸に手を添えて、頭を肩に寄せる。
 イェルクも心得たようにエリザベスの腰に手を回した。
 レアーヌが驚愕の表情を浮かべる。


「エルは、わたくしの婚約者です」
「は…?!」
「ねぇ、エル?」
「そうだね。私とリズは婚約している」


 レアーヌは驚愕の表情を浮かべ、周囲の野次馬はざわめいた。
 確かに、公式では発表しておらず、あの夜会でダンスをし、親しく愛称を呼び合う様子から婚約者候補となっているのではと噂はされていた。

 まさか、本当に婚約まで進んでいたなんて。それがレアーヌや周囲の反応である。


「あ、あなたはッ、イーリス様のことを愛していたのではなかったの?!」
「あら…その言葉、そのままダンフォール様にお返しいたしますわ」


 真名まで呼び合っていた仲のくせに、彼を見捨てるだなんて。

 言外にそのような意味合いを含ませれば、レアーヌは拳を握り、歯を食いしばるように表情を歪める。


「以前もお伝えしたつもりでしたけれど、お忘れになられたようですから再度申し上げます。
 淑女たるもの、男性に馴れ馴れしく接するのはお止めになった方がよろしいかと。ましてや婚約者がいる男性になんて」
「馴れ馴れしく?ただのクラスメイト、友人として接しているまでですわ」
「友人…?」


 ぴくり、とエリザベスの眉が動く。
 この女は本当に淑女教育を受けてきたのだろうか。

 ちらりとイェルクの方へと視線を向ければ、彼も彼で呆れたような表情を浮かべていた。ひとつため息をついて、冷ややかな視線をレアーヌへと向ける。


「私は君と友人になったつもりはないんだけれども」
「……え?」
「どちらかというと教え子かな。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「…な…なん…」


 真っ青な表情を浮かべるレアーヌを一瞥し、時計を見やる。もうヴィクトリアとの待ち合わせ時間が過ぎてしまっている。そろそろ行かねばならない。
 時計を見たことに気づいたのだろう、イェルクは「待ち合わせ?」と首を傾げた。


「ヴィクトリアとエレン・・・とお昼を一緒にする約束でしたの。ヴィクトリアを待たせてしまっているわ」


 イェーレのことを敢えてエレンと呼べば、レアーヌの瞳が零れんばかりに見開かれた。
 一方、イェーレの方はといえば相変わらずの無表情である。エリザベスと視線が交われば、イェーレはぺこりと頭を下げた。


「じゃあ私も一緒にいいかな?それとも邪魔?」
「ふふふ、婦女子しかいませんがそれでもよろしくて?」
「私は別に。ただ、クランク嬢が嫌がられたら仕方がない」


 真っ青なままのレアーヌに向かい、エリザベスはにこりと笑みを浮かべる。


「人を待たせてしまっているのでここで失礼しますわ。ごきげんよう、フェーマス様」
「…ぁ、イェルク、様…」


 レアーヌの手が伸びる。だがイェルクはそれを一瞥して「では」と一言だけ残してエリザベスと共に踵を返した。
 その様子にエリザベスはこっそりとほっと安堵の息を吐いた。先ほどまでの様子からして大丈夫だとは思っていたが、少し心配だったのだ。

 ふと少しだけ振り返れば、イェーレが何かレアーヌに言っている。
 イェーレの言葉に驚愕の表情を浮かべたレアーヌは、今度はイェーレを睨みつけていた。けれどそれを気にする様子もなく、イェーレも踵を返して歩き出す。

 レアーヌのその形相は、恐ろしいと思うほど、歪んでいた。



 ヴィクトリアは遅れてきた上に予定外の人物であるイェルクを連れてきたことに驚きこそすれ、咎めることはなかった。中庭のあの騒動がここまで届いていたのだという。


「大変ですわねぇ、殿下も」
「ははは」
「でも、ちょっと心配しておりましたのよ。たまに見かけたときですらあのご令嬢と触れ合う度、顔が青白くなっていっていましたから。むしろよく今日までと思うぐらいに」
「ええ、リズのおかげでだいぶ楽になりました」


 ニコニコと笑みを浮かべて答えるイェルクの言葉に、エリザベスはほんの少しだけ顔を赤らめた。だって、その内容はこの前の交わりのことだからだ。
 それに目ざとく気づいたヴィクトリアは「あら」と呟くと、イェルクを見やる。それからまたエリザベスを見て、肩を竦めた。


「そういうこと」
「ええ、そういうことです」
「ああ~、羨ましいこと。わたくしにも愛しいと思える殿方に早く逢いたいわ~」
「…ヴィクトリア様なら、良い殿方とめぐり逢えますよ、きっと」


 ぽつりと呟いたイェーレにヴィクトリアは目を瞬かせると「ありがとう」と微笑んだ。
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