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悪役令嬢エリザベス

12. クラスメイトたちの悲鳴は届かない

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 翌朝、クリストフからエリザベス宛に手紙が届けられた。
 そこには、昨夜のうちにイーリスとの婚約破棄が社交界に向けて通知されたこと、イェルクとエリザベスの婚約が成立したとの内容が記されていた。イェルクとの婚約の公表は見合わせているとのことだが、人の口に戸は立てられない。
 もしかしたら、学園で噂になるかもしれないが、そのときの対応は基本ふたりに任せるとのことだった。何かあれば公爵家としてフォローするそうで、最後に殿下によろしくと締められていた。

 ミミィに手渡された新聞に、大々的に『第二王子殿下、フェーマス公爵令嬢と婚約破棄』『破棄の原因はなんと第二王子殿下の予算横領』と見出しが打たれてはいたものの、エリザベスがレオナルドから聞いた不貞の件は一言も書かれていなかった。
 平民向けには、これで十分なのだろう。だって、イーリスがレアーヌとよく一緒にいたのは一昨日の舞踏会に参加していた貴族であれば誰でも知っていることなのだから。


 いつもどおりに教室に入り、挨拶を述べるも誰も反応を返さなかった。いや、どう話しかけて良いか分からないといった感じだろうか。
 イェーレはまだ来ていないようで、珍しいなとエリザベスはぼんやり思う。

 自席について、授業の準備を進めているとふと隣に誰かが立ったのに気づいてエリザベスはそちらを見上げた。


「ごきげんよう、エリザベス」
「ごきげんよう、ヴィクトリア」


 にこり、といつもの笑みを浮かべてそう答えれば、ヴィクトリアは逡巡してからようやく口を開く。


「第二王子殿下と婚約破棄された、と」
「ええ。一昨日の舞踏会の後、お言葉を頂戴いたしまして正式に・・・
「…あなた、変わったわね」


 ポツリと呟いたヴィクトリアの言葉は、思ったよりも室内に響いた気がした。
 おそらく、室内にいる誰もがエリザベスとヴィクトリアのやり取りに耳を傾けているからだろう。

 そうね、とエリザベスも言葉を返す。


「以前のわたくしだったら取り乱してたでしょうけれども…最近は破棄されると思っていたから、それが早まっただけじゃないかしら」
「そう…あまり気にしていないようで良かったわ」


 ホッとした様子で話すヴィクトリアに、エリザベスは笑みを返す。
 きっと一昨日の舞踏会から心配してくれていたのだろう。エリザベスはあの場を「気分が悪い」と退出したから、ショックを受けたと思われたのかもしれない。

 ヴィクトリアとのやり取りを聞いていたのだろう、クラスメイトの令嬢たちがエリザベスに近づいてきて、お加減は大丈夫ですか?などと声をかけてくる。それに笑みを返して大丈夫と応えていると、授業の予鈴が鳴る。
 皆、自席に戻る中エリザベスはイェーレの席を見たが、彼女の荷物はまだない。


(…どうしたのかしら、エレン)


 昼休み、一緒にイェルクを迎えに行く予定になっていたはずなのだが。
 結局、イェーレは午前中姿を見せることはなく、授業を欠席し続けた。



 昼休みとなり、周囲からの昼食の誘いをやんわり断りながらエリザベスは上級生のクラスが配置されている3階へと向かう。途中、周囲からの視線を気にしないようにしながら廊下を歩くと、何やら目的のBクラスが騒がしいことに気づいた。
 なんだろう、と恐る恐る近づいてみれば、Bクラスの入り口付近にレオナルドがいることに気づく。


「殿下」
「…ああ、エリザベス嬢か」


 やや疲れた様子で、一瞬レオナルドはエリザベスを見やってから、また視線をもとに戻す。その先に何があるのだろう、とレオナルドの隣に歩み寄って視線の先を見てエリザベスは固まった。


「うまく詠唱魔法を扱えなくて…わたくしは詠唱魔法の扱いを修行したいのに、精霊たちが勝手に力を貸してくれているような状態なのです。精霊たちと交流はしていて、反応はとても良いのですけれど…」
「そうですねぇ…まあ、彼らは見る限りあなたのことがとても・・・好きみたいだから、もう少し根気強く話し合わないとどうにもならないかと…」


 なぜ、レアーヌがイェルクと会話しているのか。
 イェルクは昨日と違って黒髪のままだが、レアーヌは臆している様子はない。


「根気強く、とは…?」
「精霊たちは根が純粋ですから、言葉通り受け取ることが多いんですよ。交流を深めていくとひと同士で話し合うのと同等のレベルで会話が可能ですが、そこまでに到達するにはまず彼らが幼い子どもと同等である、と認識することが大事です」
「つまり、彼らは純粋な子どもであるから、まずは直接的な言葉で伝えるべきであると」
「直接的すぎるのもどうかとは思いますが、まあ概ねは」
「ありがとうございます、殿下!もうすぐ3年に進級するのに、実技の詠唱魔法がうまくできなくて困っていたんです!」
「私なんかの助言であなたの道が拓けるのであれば、喜ばしいことです」


 彼女とイェルクは接点がないはずだった。いや、いまの会話からすると精霊魔法に関する質問をしに来たのだろう。レアーヌは精霊の愛し子だ。精霊族の皇族であるイェルクなら、精霊魔法に関してはこの学園で右に出る者はいないはずだ。


(いや)


 楽しげに会話するふたりの様子に、エリザベスの顔から血の気が引いていく。
 イーリスのときと同じではないか。最初はイーリスもあんなふうにレアーヌに対して他人行儀で話していた。けれど、時が経つにつれイーリスは口調を親しい者向けに変え、愛しげにレアーヌを見つめるようになっていた。


(いや、いや、いや!)


 イーリスのときとは違い、焦燥感に駆られる。
 イーリスのときの経験があるからかもしれない。でもそれ以上に、エリザベスはイェルクの隣は自分のものだと強く思う。あの、イェルクのルビーの瞳に映るのは自分だけで良い・・・・・・・と。

 もうそう思ってしまったら止まらなかった。
 その場から室内に駆け込むと、がばりとイェルクの腕に抱きついた。目の端で驚きこちらを見るレアーヌの顔が見えたが、構わずエリザベスは抱きついた腕の主であるイェルクを見上げる。
 彼もまた、驚いたように目を丸くしていた。


「約束通り迎えに来たわ、エル・・
「…あ、ごめんリズ・・。時間かかってたみたいだね。今から食堂に行っても間に合うかなぁ?」
「ええ、大丈夫よ」
「良かった。では、ダンフォール嬢。がんばってくださいね」


 にこり、と外向けの笑みを浮かべたイェルクは、騒然とするクラスメイトを放ってエリザベスを抱きつかせたまま教室を出る。入り口付近にいたレオナルドも珍しく驚いたような表情を浮かべていたが、ふは、と笑うとひらりと片手を上げた。


「食堂にある個室をエルの名前で抑えてある。メニューは共通だから、今日はそっちを利用してくれ」
「助かるよレオ。あ、そうだリズ。そうやって腕を絡めてくれるの嬉しいけど僕、手を繋ぎたいなぁ」


 は、とエリザベスは我に返ってイェルクの腕から慌てて手を離した。段々と顔に熱が集まり、真っ赤になっているのが自分でも分かるほど。

 思い返せば、エリザベスのあの行動は王子妃教育を受けた淑女の行動ではない。
 感情のおもむくままに行動するなんて、と思わず制服の上衣を握りしめて俯いていると、すっとその手を優しく取られる。
 視線をあげると、イェルクが優しい眼差しで見つめていた。


「リズ、食堂まで案内してくれる?」
「…ええ、もちろんよ」


 頷いて、手を握り返せばイェルクは嬉しそうに笑った。
 ひらひらと手を振って見送るレオナルドに軽く頭を下げたエリザベスは、イェルクの手を引いて食堂へと向かう。



「なん…なんで、なんでエリザベスが隠しキャラのイェルクと愛称を呼び合ってるのよ…?!」




 食堂はカフェテリアのように個々人が好きな席に座る形式だ。だが、貴族階級も通うこの学園ではゆっくり静かに食べたい、という要望が多く個室をいくつか設けている。
 レオナルドが予約したという個室もそのうちのひとつ。メイドが配置され、彼女らは給仕のため控えてくれるが、イェルクが不要だと命じれば邪魔しないように退室していった。

 ふたりきりで食事をして、他愛もない話をして。
 穏やかな時間を過ごしていると、さきほどイェルクとレアーヌの様子を見て感じたモヤモヤが落ち着いていくのが分かる。
 イェルクがエリザベスに向けてくる瞳の熱はレアーヌには向けられていなかった。それがエリザベスに安心感を与えている。

 昼休みもそろそろ終わる時間となり、教室に戻ろうと個室を出ようとした直前に、エリザベスはくいとイェルクの服の裾を引っ張った。


「どうしたの?」
「あ、の…ごめんなさい。わたくし、教室でエルと呼んでしまったわ…」


 クリストフからの手紙には婚約は公表していないと書いていたではないか。いま思い返せば、あの行動は噂されるのには十分な言動だった。
 婚約破棄されたエリザベスが、イェルクのことを愛称で呼び、イェルクもエリザベスのことを愛称で呼び返した。それだけで周囲はイェルクとエリザベスが親しい関係であることを察する。

 イェルクはヴェラリオン皇国第一皇子。たった3ヶ月しかいないとはいえ、その間に何か変な噂でも立てられたら外交問題に発展するかもしれない。

 そんなことを考えていたエリザベスの頭が、優しく撫でられる。


「そんなこと?僕は気にしてないし、嬉しかったよ」
「…ほんとう?」
「うん。それにもともと僕は公式の場以外はリズって呼ぼうと思っていたから」


 エリザベスの髪をひと房とって、イェルクはキスを落とす。
 その光景に顔を赤くしたエリザベスにイェルクはふと笑みを浮かべると、キスをしても?と静かに問うた。エリザベスはびくりと肩を震わせたが、やがて小さく頷いてイェルクを見上げる。

 近づいてくるイェルクの顔に思わずぎゅっと目を瞑った。かわいい、と囁かれて身構えていれば、ふわりと唇が重ねられる。

 すぐに離れていったそれにエリザベスが恐る恐る目を開けると、思ったよりもまだイェルクの顔が目の前にあって体を震わせて驚いた。ふふ、とイェルクは笑うと、ちゅ、とエリザベスの額にキスを落とす。


「今すぐにでも連れて帰りたい。かわいい」
「…が、がくえんは…そつぎょう、したいわ…」
「うん。それくらいは待つよ。ただ、そう思ったのを口にしただけだから。じゃあ、教室に戻ろうか」


 イェルクに手を繋がれて、エリザベスはそっと握り返す。
 教室に戻るまでには赤くなっている顔は戻っているといいな、と思いながら、エリザベスたちはようやっと個室を出た。


 イェルクにエスコートされて教室に戻ると、黄色い悲鳴やらなんやらが響いて騒然とした。ヴィクトリアなんか両手で口を覆って驚いていたし、ようやっと現れたイェーレも目を見開いてこちらを凝視していた。

 またねリズ、とイェルクが繋いでいた手に軽くキスを落としたのにエリザベスはまた顔を赤らめ、そんな様子を見たイェルクはエリザベスの頭を優しく撫ぜる。離れていく手が名残惜しかったが、エリザベスは笑みを浮かべてイェルクに手を振って教室に戻る彼の背を見送った。

 もちろん、クラスメイトたちは「一体どういうことですの?!」「第一皇子殿下といつの間に!」「フェーマス様が!顔を赤らめた!!」と騒然となった。
 ヴィクトリアからは意味ありげににっこりと笑われたし、イェーレは「わたくしが…不甲斐ないばかりに…」と床に両手をついて崩れ落ちたのにエリザベスは慌てて椅子に座らせたりなんだりしている間に教師がやってきて「なんですか騒がしい!授業始めるから席につきなさい!」と怒鳴り声が響いた。


 今日の授業がすべて終わり、あとは帰るばかりとなった頃。
 帰る準備をしているエリザベスにヴィクトリアが声をかけてきて、エリザベスは手を止めた。


「わたくしに教えてくれたって良かったじゃないの。いつヴェラリオン第一皇子殿下とお知り合いになったの?」
「そうね…3ヶ月くらい前かしら。でも実際にお会いしたのは先日の舞踏会がはじめてよ」
「ああ…お父上が外交長官ですし、手紙のやり取りか何かしてらしたのね。…ねぇエリザベス、もしかして、今回の婚約破棄をさほど気にしていなかったのって殿下の件もあったのでなくて?」


 昼休みの件はすでにヴィクトリアの耳に届いているらしい。エリザベスはにこりと笑みを浮かべて無言で答えた。

 つい先日まで自覚していなかったが、ヴィクトリアの指摘通り婚約破棄にあまりショックを受けなかったのはもうそのときにはすでにイェルクに心惹かれていたのだろう。だから肯定もしないし、否定もしない。

 ふ、と息を吐いたヴィクトリアは、これ以上尋ねてもエリザベスは答えないと分かったのだろう。くるりと顔をイェーレに向け、にこりと微笑んだ。


「で、イェーレ?あなた、今日は珍しく髪を下ろしてるのね」
「…気分です」


 遅れてきたイェーレは、いつものゆるい三編みをせずに髪をそのままにしていた。いつも結んでいるからだろう、藍色の髪にはゆるくウェーブがかかっている。
 気分ねぇ、と瞳を細めたヴィクトリアは、自身の首右側を指差すと「見えてるわよ」と告げた。なんのことか分からないエリザベスが目を瞬かせていると、イェーレがバッと首の右側を手で抑える。

 表情は相変わらずだが、じわじわとイェーレの頬が赤く染まっていく。


いい人・・・がいたのね」
「…そういうわけでは」
「そう?とてもあなたに執着してるように見えるわよ」
「ヴィクトリア、何の話?」


 そう首を傾げるエリザベスに、イェーレはなんでもありません、と答えるがヴィクトリアは逃す気はないらしい。


「イェーレのことをすごーく好きな人がいるみたいで、イェーレも少なからず嫌とは思っていないようよ」


 イェーレへと視線を向ければ、イェーレはエリザベスから顔を背けている。けれど髪の合間から見える耳は赤く染まっており、照れていることが分かった。

 もしかして、とエリザベスは思い返す。
 たしか、エリザベスがイェルクに対する想いに戸惑っていたときにこう言ったのだ。


『最初は戸惑うものです。私も戸惑いました。拒絶しました。でも、最近はちょっとは認めようかな、と思っています』


「イェーレ」
「はい」
「わたくしも、あなたのこと応援していますわ」


 エリザベスのその言葉にイェーレは大きく目を見開いたあと。
 恥ずかしそうに、ありがとう、と小さな声で答えた。

―― あの人形令嬢が恥じらった、と室内にいたクラスメイトたちに衝撃が走る。

 エリザベスの婚約破棄、イェルクとエリザベスの親密な様子、と俺たちは今日だけで何度驚かせられるんだという彼らの悲鳴は、エリザベスたちには届かなかった。
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