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第一部ヴァルキュリャ編  第三章 ロンダーネ

けもの道

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「私はトロン、ここから少し南に下ったフルショーエンの民です。物の売り買いを生業なりわいにしていて、ロンダネにも良く来るのですが。この辺りの森は安全とは言えないので仕事仲間と行程を共にしていて……そこの太い松の前を右に入ります!」
 

 ジトレフは周囲を警戒しつつ林の中を右方へと進む。
 その後ろをアセウス、トロン、俺と早足で続く。


「いつものように山道を登っていたらオーレが……連れの一人が、何か聞こえるって言いましてっ。言われるままについていくと、崖下に大型の獣と、泣き叫んでいるような少女が見えたのですっ。獣は二匹、私達は四人。二人がそれぞれ囮となって獣を引き離し、その隙に残りの二人で少女を助け出せるんじゃないかってっ」

「今向かってるのはその崖下か?」

「エルドフィンっ」

「あ、やべっ。ごめんなさい。全部話して貰うまでは口を挟まない方がいいんだっけ」

「いえ、私は全然、すみません、その右側のシダが密集しているところを上に……上れるところがないか」

 
 ほぼ壁のような急な斜面に生えたシダが、ちょうど人一人分程、へし折られて筋を作っていた。
 ヒポグリフに追い迫られ、滑り落ちたのだろう。
 ジトレフはシダに触れ何やら考えた後、俺を通り過ぎ後方へ戻った。
 そして踵を返したかと思うと、シダに覆われた斜面に向かって駆け出した。
 ジャンプ?! 無理だろ。
 と思ってるうちに、斜面の上からジトレフが身をかがめて手を差し出していた。
 マジかよ……。斜面を蹴ってジャンプで上りやがった。
 え? 二メートルくらいあるよな?
 できるもんなの?
 アセウス、トロン、俺と順番にジトレフに引き上げられ、難なく斜面を上った。
 本当に便利な奴。
 文句のつけどころがねーじゃねぇか。


「……ジトレフ、悪ぃな。 口挟むなって言われてたのに、俺、つい挟んじまって」

「問題ない。問答による状況把握は情報が偏りやすいから、一通り叙述させるのが望ましいだけだ。口を挟んだからと言って、支障がある訳ではない。それより先を急ごう。想定より距離がありそうだ。間に合わないことだけは避けたい」

 
 ジトレフはそう言うと、また先頭へと戻った。
 歩むペースは更に速まっていた。
 そういや、ジトレフこいつは人の安否が関わると熱くなる奴だっけ。
 いつぞや、アセウスの身を案じていた時のジトレフを思い出し、俺は一人納得していた。
 間に合わないことは避けたいと言った最後だけ、語気が強く感じたのは、俺の気のせいではない。
 

「トロンさん、続きをお願いします」

「はいっ、えーと、どこまで……あぁ、そう、私達は二手ふたてに分かれました。私ともう一人が、獣を引き付けるべく崖の上に。残りの二人は崖の下へ。そして、私は崖上から石を落としたのです。注意を引き付けながらその場を遠ざかるつもりでした。それが、こちらに気づいて、睨み据えられたと思うと、翼を広げて飛び上がってきたのです。なんて恐ろしい……気付かなかったんですっ! 魔物の可能性も考えはしましたが、まさかヒポグリフだったなんて!!」

「それから?」


 感情的になったトロンをたしなめるようにジトレフの低音が響く。
 今のところ、ギリ、セーフラインだ。
 トロンの仲間と女の子やらを連れて逃げおおせれば、このハプニングは問題なくクリア出来る。
 

「私は必死に逃げました。少し計画とは変わってしまったけれど、囮としての役割は果たせた。後は仲間に任せるのみ、と眼下を見納めた時です。恐ろしいものを見ました。飛び上がる一体と入れ違うように、もう一体、どこからともなく下り立つのが見えて、あ、そこのひらけたところから、えぇと、少し左斜め前に進んでください。そうです、そのまままっすぐ進むと崖沿いに出ますっ」
 

 いよいよか。
 後先考えず早足で来たせいで、既に呼吸が荒い。
 ぶっ通しで話しながらなトロンは流石地元民というべきだろう。
 口を挟まないようにしてきたのは、体力の面でも有益だったな。
 高地に慣れているトロン主導で話して貰うことで、俺達の消耗が抑えられている。


「三体目の姿を目にして、私は大変なことをしてしまったと思いました。そして何か大変なことが起こっているとも思いました。だってそうでしょう?! この地で守り神といわれるヒポグリフが、人間の、しかも少女を襲うなんて考えられない! しかも三体が、隙を見せぬよう立ち回ってまでってっ。仲間の三人を案じながらも、私は守り神の鉤爪かぎづめに捕らわれることのないよう、必死に逃げましたっ。そして、貴方方に出会った。これで全てです。ご質問があれば」

「そうすると、さっきのヒポグリフやつは俺達より先に戻ってる可能性があるってことだよな」

「そうです」


 アセウスもジトレフも何も言わない。
 下草をかき分ける足音だけが続いていた。
 トロンの説明は十分だった。
 俺達が取るべき行動の目標も決まっている。
 今、どうなっているかだけが分からず、それが分からなければ何も始まらないのだ。
 

「私達は守り神の邪魔をしてしまったことになりますよね……どうしたらいいんでしょうか」


 沈んだ声で、トロンが呟いた。
 聞こえていないのか、誰も答えない。
 俺だったら、人命がかかってりゃあしょうがねぇだろと答える。
 それより、もし、辿り着いた場所さきで四人とヒポグリフ三体が顔を合わせていたらどうしたらいい?
 あのスペックの魔物モンスター三体の前から、戦わずして人間四人を逃がしきるなんて出来る気がしねぇ。
 戦うにしたって、もっとお話にならねぇ。無駄に犠牲が増えるだけだろう。
 ゴンドゥルの力を使えばヒポグリフも倒せるかもしれない。
 けど、これだけ人の目があっては、呼べるのかって話になる。
 そもそも、ヒポグリフを倒したら、どんなツラでオーネ家を訪ねたらいいのか。

 俺は考えた。
 考えに考えた。
 でも良い考えは浮かばない。
 唯一俺が思い到ったのは……。
 俺の目は、前方の、頭一つ飛び出る長身の、後ろ姿を見ていた。
 その頭がくるりと振り返る。

 
「崖近くまで来た。出来れば直近まで誘導して貰いたいが」


 人が作ったと見られるけもの道がうねうねと横に走っていた。
 どうやら崖に沿って続いているようだ。


「崖沿いに赤いカエデを探してください! 無事ことが済んだら落ち合う約束をした場所です」


 カエデ?
 甘くないのもめしあがれ~って。
 それは赤じゃなくてスカーレットか。
 DeNAやってくれるよなぁ~。あのヘルメット被らされる選手の気持ちは俺には計り知れねぇが。
 カエデって紅葉みたいなやつか?
 探すもののイメージがはっきりとしないまま周囲を見回すと、あった!
 鬱蒼うっそうとした木々のなかに一本、カナダ国旗と同じ真っ赤な葉が刺された松が。
 ドクンッ
 心臓が重く動いた。
 
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