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第一部ヴァルキュリャ編  第一章 ベルゲン

庭の薔薇

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 黒く硬い石で建造されたソルベルグ家邸宅。
 その中には、稀少な白系統の石を使用して造られている部屋がある。
 そのうちの一つの部屋のドアを、武骨で厚い手がノックしていた。
 
 
「ローサ……」
 
 
 ドアの前に立った長男カーヴェルは、部屋の中の相手に確実に聞こえるようにと、ドアに顔を寄せる。
 
 
「アセウス達の送別会を兼ねた宴席が始まる。お前の気持ちも分からないではないが、来て遺恨なく送り出してやらないか」
 
 
 部屋の中からは、すすり泣く音がかすかにもれるだけ。
 カーヴェルはしばらく無言で待っていたが、諦めを悟ると静かに立ち去った。
 
 カールローサはベッドの上で身体を震わせて泣いていた。
 中庭からカーヴェルに運ばれて来てから、ほぼずっと泣き通しだった。
 こんなにも泣き続けることができるのかと、ローサ自身、頭の片隅で驚いていた。
 そう考えられる自分がいるということは、少しは落ち着いてきたのだろうか。
 それでもまだ、涙が止まらず溢れてくる。
 泣いても、泣いても、とめどなく、尽きることがない。
 
 身体の震えが止まらないのは、泣いて高ぶっている感情のせいなのか。
 それとも、あの・・恐怖が未だにその身を苛んでいるのか。
 あの瞬間とき、カールローサは死んだ。死んでいた。
 今まで知る機会のなかった、「死」という真っ暗闇な世界を見た。
 恐ろしくて、身体全体が震えて、動けない。
 瞳に焼き付いた「黒い殺意」が、今でも目を閉じるとすかさず襲ってくる。
 瞳から離れないそれ・・に飲み込まれないように、目を開き、目の前の視覚情報を送り続け抗うのが精一杯だ。
 
 
「ジトレフ……ランドヴィークって言いました?」
 
「言った、が何か」
 
 
 カールローサが初めて顔を会わせたのは、アセウス達がベルゲンにきて二日目の昼食時だった。
 アセウスはホフディと出掛けていて、エルドフィンは二日酔いでずっと寝ていて、居なかった。
 
 
「オッダ部隊のランドヴィークってっっ、あなたがっあの・・ランドヴィーク家の剣士?!」
 
「さすがアセウスと言うしかないな! なぁ、ローサ。凄い男を友に連れている! ハッハッハッ」
 
「本当だわ! お兄様、ぜひお手合わせ頂いては?!」
 
「ローサ! いや、いや、いや、子どものごとです。お気になさらないでください。私など、とてもじゃないが力不足だ」
 
「都合の良い時だけ子ども扱いよね。ねぇ、ジトレフ! 私も剣の腕を磨いているの。もし良ければ、滞在中稽古をつけてくださらないかしら!」 
 
 
 ジトレフ・ランドヴィーク、オッダ部隊の分隊長を担う剣士おとこ
 オッダ部隊といえばランドヴィーク家、と広く知られる程、その卓越した武芸で部隊を支えてきた一族の血筋。
 噂に名高い剣豪との邂逅を素直に享受しよう、とカールローサは思った。
 中庭で何度も剣を交えた。
 隙のない佇まいにわくわくした。
 どこから攻めこもうか、どう崩したら隙を生むことが出来るかと心は踊った。
 だが、あの時・・・だけは違った。
 隙とかそういう問題以前の圧倒的な威圧感。
 彼から放たれる圧にカールローサの全身はがんじからめになり、動くことすら出来なかった。
 
 
「力の差を分かっていながら、一本取れると思っていたのか? だとしたら、私がお前を傷付けないと目論んでのことだろう」
 
 
 稽古中ほとんど口をきくことのなかった彼にしては意外にも、饒舌だった。
 
 
「確かに私はこれまでの稽古で受けと返しのみに徹していた。私から攻撃することがないのであれば、自らしくじりさえしなければお前は負けない・・・・。粘ることで一度くらい勝機が狙えると計算したか」
 
 
 
 低く震える刃鉄はがねのような声は、カールローサの図星を突き刺した。
 彼女は・・・読み間違えた・・・・・・のだ。
 それは既に明らかだったが、戻る道はなかった。
 恐ろしい圧を振り払い、力の限り、挑むのみだった。
 そして、無残に切り捨てられる。
 あの、悪魔のような殺意に。
 
 カールローサは自分の甘さを痛感した。 
 彼らをある意味軽んじていたと恥じた。
 初めて向けられた強烈な殺意に、ただ震えるだけの自分が情けない。
 目の前の、手の中のなんの変哲もない地面が、彼女を現実世界へととどめていた。
 消えてしまいたいほどの居たたまれなさに耐えていた彼女に、今一度重低音が響く。
 
 
「もしそうならその熱意は評価する。ただの稽古試合であれば、目論み通りに進んだかもしれない。だが、お前は真剣勝負を望んだ。何故それで私が攻めないと思った? 真剣勝負とは……戦場とは、本来命をり合う場だ。実力では勝てないお前は、むしろ下劣でも私を陥れる手段を駆使するべき場だった。それをしない時点で、お前にはまるで・・・覚悟が・・・欠けている・・・・・
 
 
 ジトレフの言葉は容赦なくとどめを刺した。
 その瞬間から彼女の全神経は、爆発しそうに激動する感情を殺すことだけに注がれた。
 激越が押し上げてくる涙を決して許してはいけない。
 彼らの前では泣けない。
 カールローサの最後の矜持きょうじだった。
 
 手の中が地面から寝具へと変わり、涙をこらえる必要がなくなっても、同じことだ。
 自分の愚かさが悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。
 恥ずかしい、悔しい、恥ずかしい、悔しい。
 考えれば考えるほど、誰もが協力的だったのに。
 一人だけが間違えて・・・・いて、わずかな可能性すら台無しにした。
 それは、自分・・
 彼らの前に姿など出せる筈がない。
 カールローサは溢れる想いと感情を涙にのせて、泣き疲れ眠るまで、ただひたすらに泣き続けた。
 
 
 
 
 
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