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空虚な言葉を上げ連ねば、どこかに穴があるのは自明の理。
外装を強固にしても中が空なら、そこには穴ができるものだ。
そういうのは外からみた人間には分かるようで、それは報復を願う者には絶好の機会であろう。
彼女が消えるならば、そこには穴があって、今の僕にもそれは同様に言えることである。
僕が今、彼らの前に倒れて、見下ろす彼らの顔に悦楽といった表情が張り付いていることも実に単純明快なこと。
3カ月という期間は長くも短い。
それは僕自身が一番分かっていて、しかしながら特に関心もなかった。
こうも自分を追い詰めていた人間に対して無関心でいれるものかと今となっては飽きれてものも言えないが、これもまたしょうがない。
僕の心は彼女にあって、ここにないからだ。
こういった場合、残された人間はどうしたらいいのだろう。
ある人を代替案として受け入れるのか?それとも、一生その影を追う生活を送るのか?
僕はどちらかといえば後者に近い。
ああ、もうすぐ蹴りが飛んでくるなと僕は目を閉じて、歯を食いしばる。
それは、日常に戻ったことを意味するのか?
いや、これでは弱くてニューゲームみたいなものだ。
ああ、泣けてきた。
自分の無力さと、その現状を打開する力を持ち合わせていながら、面倒だと放り投げてしまう無気力な自分に。もういいじゃないか。
もう彼女はいなくて。
この先、生きる意味はないのだから。
谷さんと仲直りをしてからは、平凡な毎日だった。
いい加減、飽きてきた。
この骸のような体を無理やり動かして、空虚な生活を送る日々に。
今も谷さんは隣で彼女の中の本田 冴子を語る。
僕の言葉から谷さんが想像する彼女だ。
この人は何を聞いていたのだろう?
冴子さんはそんな聖人君子のような人物ではない。そんな弱い人間を助けて悦に浸る人間でもなければ、弱い自分を自衛して、殻にこもって救いを求める臆病者の姫でもない。
彼女は良くも悪くも自分に正直な人間だった。
しかし、それを訂正しようとも思えない。
もうどうでもいいことだからだ。
彼女はどこかで救いを求めていながら、現状を変える努力を忘れてしまった自分に似ていた。
そんな僕らが二人で作った世界は現状の打開を狙ったものだったかと問われれば、なんとも言えない。
それすらどうでもいいといった姿勢を感じながらも、どこかで救いを求めてさまよい、その果てに正解にたどり着いたと言われれば、まあその通りだと納得するだろう。
自然にそうなったのか?と問われれば、それは違うが、あながち間違いでもない。
僕らはそうして独自の世界を作り、冴子さんは先に抜けていったに過ぎないのかもしれない。
それは思考して判断できる範囲での話だ。一つ残ったのは馬鹿な僕の感情。
消化できない感情が心に溜まって消えないのは僕の単なる思い込みなのだろうか。
そんなどこまで行っても辿りつけない問いを無駄に考え、消費するのが人生ならば、こんなバカげたことはない。
僕は大手を振るって声高々に言ってやろう。
無駄だから、いい加減死ねって。
僕のもとに停学が解けた金城が来るのは想像できた。
それは、当たり前のことだろう。
報復に来ることは予想できた。鼻の骨を後追いで粉砕した人間に恨みを持つのは人として当たり前のことだ。
彼に校舎裏に呼び出され、同じことを言ってやったら彼は激高し、僕に殴りかかってきた。
ああ、まだ分からないか。
もう震えもない。
恐怖のかけらもない。
今の僕は前の時の僕より人間として欠陥品だ。
ただ、苛立って彼の腕を払いのけ、殴りつける。
そこには鬱陶しいといった怠惰な理由だけがあり、それ以外に思いつかない。
彼はやはり驚愕の眼でこちらを見ている。
彼は攻撃特化型なのかもしれない。防御力はないに等しい。殴られれば、ひるむし、よろける。
僕はそんなにやわではない。
もう殴られ過ぎて、飽きたんだ。
彼の頭を横から、上から殴り飛ばし、ため息がこぼれる。
彼を見下ろして悦に浸るでもなく、諦観のこもった落ち窪んだ瞳がそこにある。
これは良いことではない。
しかし、他に対処の仕様がない。
それを僕に教えてきたのはお前だろう?
何故にそんな泣きそうな悲痛な顔でこちらを見るのか?理解に苦しむなとその顔が見えないようにもう一度、殴りつけた。
しかし、その瞬間、後頭部に痛みを感じる。
それは、他の人間によるものだ。
取り巻き達も呼んでいたのか。
それは誤算だった。取り巻きたちはもうこんな人間には関わりたくないと逃げるだろうと思っていたんだが。
僕はその思いもよらぬ一撃で、その場に倒れこみ戦意は喪失する。
もう面倒臭い。殴るなら殴ればいい。その代わり、次にはお前らが考えもつかない報復でお前らを迎える。
俺は躊躇しないと告げる。
一瞬たじろいだが彼らは思うところもあるのだろう、僕の腹を蹴りつけた。
しかし、こちらは力ない虚ろな眼で彼らの目から視線を外さない。
彼らから徐々に蹴る力が失われる。
僕が突然、顔に笑みを漏らしたからだ。
僕はそのままボーッと彼ら一人一人の顔を凝視していると彼らは去っていった。
それはそうだ、殴っている相手が一切苦悶の表情も見せずに、笑ってこちらを見てきたら不気味だし、気持ちが悪い。
初手の悦楽といった表情は姿を消し、奇奇怪怪なものでも見るような怯えた表情であった。
彼らが去った後、僕はまだそこに倒れていた。
笑いが止まらない。
なんて馬鹿なことをしているのだろう。
喜劇にも満たない阿呆な姿だ。
何をしていても忘れられない。
馬鹿の相手でもしていたら気が晴れるかと思った。だが逆効果だ。憂鬱な思いが加速して、押しつぶされそうだ。
鬱屈とした感情と、傷だけが残った。
彼女が消えたのに、僕はまだこんなことをしているのかと自分を恥じる。
もう何をしたらいいのか分からないんだ。
だって何も過去にはなっていないから。
寝ても覚めても頭にこびりついて離れない。
彼女の笑った顔や、馬鹿なジョークを飛ばして照れた顔、怒った顔が離れない。
声が、その仕草が離れない。
ただ空虚な笑い声だけが校舎に響いて、その時何かが切れたように涙が溢れてくる。
狂ったようにその場で泣く。
自分を恥じて泣いたことはなかった。
しかし、彼女を想えば簡単に心は潰れそうになり、視界は歪んだ。
「なんで勝手に消えるかな。こんなに好きだったのに。」
何もない空に向かって問いかけた。
「ごめん分からなかった。私のためだと思ってたから。」
これは幻聴だろう。僕は涙で目も開けられない。
「私のためだって。こんな幽霊の私に愛をささやいて、成仏してもらおうとしてると思って。同情だって。」
「そんなことはない。僕は君が好きだったんだ。」
「うん。今は分かる。ちゃんと見てきたから。嬉しい。ありがとう。こんなに愛してくれて。」
これは僕の単なる妄想だ。
もう彼女はいない。
それはこの目で確認して、何度も自分の脳に思い込ませてきた。
もういい加減、諦めてしまおう。
もういい加減、こんな妄想はやめろ。
「でも、こんなになるとは思わなかった。私は亮介の人生の邪魔をしていると思っていたから。」
「いや、違う。それは違う。僕は君に恋して生きたいって思えたんだ。」
「そっか。なんかjpopのサビみたいなこと言うね。」
おい、妄想よ。そんな答えは求めていない。
今は少しやけになっていたとしても、こんな意味の分からない笑いは求めていない。
なんだその馬鹿なジョークは。
ジョークは?
「え?」
目の前には冴子さんがいた。
そのままの姿で。
透けてはいない。初めて見た姿で。
長い髪をなびかせて、姿勢の良い長い足を伸ばして僕を見下ろしていた。
夕日が照り付け輝きを放つは彼女の髪のみ。本当に彼女がそこで笑っていた。
しわのない制服に身を包んで、こちらにかがんで哀愁のある表情に懐かしさを感じた。
「え…………なんで?」
「消えれなかったの。でもあの時に消えないと恰好つかないでしょ。だから消えたふりをしていたんだけど、駄目ね。私、本当は嘘の恋だと思っていたの。だから今まで流されたふりをしていたんだよ。でも、こんなことになっちゃうなんて。」
冴子さんは僕の傷に触れて、その憂いを帯びた瞳を閉じた。
「未練ってなんなのかなって。ずっと考えてた。」
「未練?友達と遊びたいってことじゃないの?」
「多分そうだと思ってた。でも違うのかもしれない。」
「え?」
「あの写真。卒業アルバムの男の子の写真を見たときにちょっと心が揺れた。本当は生前に好きだったのかもしれない。でも。」
「え。そんな、よその男への恋心を知らしめるために化けて出たの?」
「化けてないでしょうが。黙って最後まで聞きなさい。」
そう言うと、彼女は僕の口を塞いだ。
「だから、本当は告白したかったのかなって。でもその人の動向を聞いても何も思わなかった。その人が今、幸せなら別にいいやって。でも一つ、心配なことが残っていたの。」
「なに?」
僕は彼女の手をつかむと、そのまま問う。
「貴方のこと。この人はこの先、大丈夫なのかって。亮介はこの先、幸せになれるのかなって。心配になった。」
「だから、僕のいじめをやめさせようとしたの?」
「うん。でも、それは未練とか関係なくてただ心配だった。」
「でも、それが答え?」
「うん。私は好きな人に告白したかったんだ。それは今は違う人だけど。」
「そっか。」
「そう。」
僕は立ち上がると、彼女の手を引いて抱きしめる。
「好きだよ。冴子さん。」
「うん。私も亮介が好き。」
その瞬間、彼女の姿が透けていく。
「いつもおどけていて、寂しがり屋で、泣き虫な貴方が好き。」
「それはそっくりそのままお返しするよ。」
「ううん。多分、それは無理だよ。私の方が亮介のこと好きだもの。遊園地も水族館でもいつもあなたのことを見てたもの。」
「僕の方が丼一杯分の愛が勝ってるよ。」
「なにそれ?それだけ?」
「じゃあ世界をかけて」
「貴方に世界を言い表すほどの器はないわよ。あなたを好きな私が言うのだからきっとそうよ。」
「じゃあ、このキスでもって証明する。」
僕はその細い肩を抱いて、キスをする。そして僕の唇は空に触れる。
彼女の姿はもう半分も残っていない。すべてが宙に混じり合っていく。
「変なことを言ったから、未練のストックがなくなったじゃない。」
「未練ってストック制なの?」
「どうかな?でも、声は聞こえるでしょ?それにちょっと顔も見えるでしょ?」
僕は少し笑ってしまう。でも、その表情とは裏腹に涙があふれる。
目頭が熱くて、心が熱くてその声に耳を澄ます。
今、ここに。
今、目の前に彼女がいるのにもう捕まえることは出来ない。
もう二度と会えないかもしれない。
そう考えると心が締め付けられて、苦しくてその場に倒れそうになる。
僕は、最後の抵抗にある質問を彼女に投げかける。
「僕が今、死んだら冴子さんに会えるかな?」
「それは絶対ダメ。ちゃんと生きて。」
うん。もう分かってる。
ちゃんと理解している。
でも、それはあまりに切なくて、悲しいじゃないか。
「好きな人にそう言われたら生きるしかないね。うん。」
「そうよ。それで、もしいつか。いえ、いつか会った時に…………お互いの話をするの。いつまでも。ずっと。ずっと一緒に。」
「泣いてる?」
「泣いてない!断じて!」
「そっか。でも、それは……………………。いや、それは幸せだね。」
彼女の鼻声は聞こえていて、鼻をすする音まで聞こえてくる。
「うん。今までも幸せだった。これからも。でもね。…………でも」
彼女のちゃんと泣いた顔は初めてみた。それはお世辞にも綺麗な顔ではない。涙でボロボロで、目も真っ赤で可愛い顔だった。
「でも、やっぱり消えたくないなぁ。もっと一緒にいたいな。」
「そうだね。」
「うん。一緒に大学行って。お互いの将来とか話し合って。卒業したら一緒に住んで、結婚して。子供も出来たりして。年老いたら二人でコタツに入って色んなことを話して。また、マンガなんか読んで。ずっと一緒に。ずっと。ずっと。」
「うん。…………うん。そうだ…そうだね。」
「なんで死ななきゃいけないんだろう。生きて亮介と会いたかった。なんで…………。」
「なんでだろう。なんで…………でも」
「そうだね。でも一旦お別れ。」
「うん。お別れだ。またいつか。いつか必ず。」
「うん。いつか。それまでちゃんと生きるの。ちゃんと生きて、私と違って良かったって笑いながらいくの。」
「分かった。ちゃんと理解した。」
「じゃあ、バイバイ。またいつか。」
「バイバイ。」
彼女は消えていった。
そうして宙に溶け込んで、見えなくなった。
そうして、僕の涙だけがそこに残った。
僕は地面に落ちていた指輪を拾ってポケットに入れた。
僕が彼女にあげた指輪だ。
その指輪はなぜだか暖かくて、切なくて。
触っていると溶けて消えてしまいそうだから、ポケットの中でしっかりと握り締めた。
「あ、言い忘れてた。ありがとう。好きだったよ。」
そんな言葉が不意に空から降ってきて、僕は笑ってしまう。
それはもう幾度となく聞いたよ。
何度も聞いてきた。いろんなところに行くたびに想いは強くなっていった。ちゃんと聞こえていたよ。
「うん。ありがとう。好きだったよ。」
僕はその言葉を宙に投げると、向こうで誰かが笑った気がした。
もうすぐ夜になる。
誰もが眠る町に変わる。
誰も境界線を越えて、次の日を夢見る夜になる。
僕は安心して、明日を夢見る。
僕は彼女と見た夢に向かって歩き出した。
しっかり地面を踏みしめて歩き出したんだ。
桜の花を見て、在校生の歌を聞いて校舎を出て。
校門に集まる卒業生の顔を見て、またその父兄を見て、僕はある処に行った。
そこは始まりと終わりの場所。
彼女と僕の世界だ。
しかし、旧校舎は取り壊すことが決まっていた。
それはあの経年劣化した建物だ。馬鹿が入ったら困るだろう。
むしろ今まで何故、撤去されなかったのか不思議なくらいだ。
もしかしたら、まだ人がいるかもしれない。
死んでる人かもしれないが。
僕はボーっとその旧校舎の工事用のブルーシートを見ていた。
風に揺られて、はためく様を意味もなく眺めていた。
この場所は心地良くて、穏やかな気持ちになれるから。
「こんなところにいた。なにしてるの?」
「ああ。なんでもない。」
谷さんが僕を呼びに来た。なんでも一緒に写真を撮りたいとのことである。
「あ、そういえば、橘君、七不思議の最後の怪談って知ってる?」
谷さんが不意に僕に質問する。
「七つ目ってこと?」
「そうそう。」
「ああ。知ってるよ。」
「そうなの?何?良かったら教えて?」
「駄目だよ。七不思議の七つ目を知ったら呪われるって言うから。秘密。」
これは僕と彼女だけの秘密だ。
七つ目は単純明快。
それは、皆が知らない新たな世界。
それは、彼女と僕の世界。
終わりはあまりにあっけなく。それゆえに次が楽しみになる。
谷さんは眉を下げて、こちらを睥睨して納得できないって顔をしている。
でも、怪談ってのはそういうものじゃないか?
外装を強固にしても中が空なら、そこには穴ができるものだ。
そういうのは外からみた人間には分かるようで、それは報復を願う者には絶好の機会であろう。
彼女が消えるならば、そこには穴があって、今の僕にもそれは同様に言えることである。
僕が今、彼らの前に倒れて、見下ろす彼らの顔に悦楽といった表情が張り付いていることも実に単純明快なこと。
3カ月という期間は長くも短い。
それは僕自身が一番分かっていて、しかしながら特に関心もなかった。
こうも自分を追い詰めていた人間に対して無関心でいれるものかと今となっては飽きれてものも言えないが、これもまたしょうがない。
僕の心は彼女にあって、ここにないからだ。
こういった場合、残された人間はどうしたらいいのだろう。
ある人を代替案として受け入れるのか?それとも、一生その影を追う生活を送るのか?
僕はどちらかといえば後者に近い。
ああ、もうすぐ蹴りが飛んでくるなと僕は目を閉じて、歯を食いしばる。
それは、日常に戻ったことを意味するのか?
いや、これでは弱くてニューゲームみたいなものだ。
ああ、泣けてきた。
自分の無力さと、その現状を打開する力を持ち合わせていながら、面倒だと放り投げてしまう無気力な自分に。もういいじゃないか。
もう彼女はいなくて。
この先、生きる意味はないのだから。
谷さんと仲直りをしてからは、平凡な毎日だった。
いい加減、飽きてきた。
この骸のような体を無理やり動かして、空虚な生活を送る日々に。
今も谷さんは隣で彼女の中の本田 冴子を語る。
僕の言葉から谷さんが想像する彼女だ。
この人は何を聞いていたのだろう?
冴子さんはそんな聖人君子のような人物ではない。そんな弱い人間を助けて悦に浸る人間でもなければ、弱い自分を自衛して、殻にこもって救いを求める臆病者の姫でもない。
彼女は良くも悪くも自分に正直な人間だった。
しかし、それを訂正しようとも思えない。
もうどうでもいいことだからだ。
彼女はどこかで救いを求めていながら、現状を変える努力を忘れてしまった自分に似ていた。
そんな僕らが二人で作った世界は現状の打開を狙ったものだったかと問われれば、なんとも言えない。
それすらどうでもいいといった姿勢を感じながらも、どこかで救いを求めてさまよい、その果てに正解にたどり着いたと言われれば、まあその通りだと納得するだろう。
自然にそうなったのか?と問われれば、それは違うが、あながち間違いでもない。
僕らはそうして独自の世界を作り、冴子さんは先に抜けていったに過ぎないのかもしれない。
それは思考して判断できる範囲での話だ。一つ残ったのは馬鹿な僕の感情。
消化できない感情が心に溜まって消えないのは僕の単なる思い込みなのだろうか。
そんなどこまで行っても辿りつけない問いを無駄に考え、消費するのが人生ならば、こんなバカげたことはない。
僕は大手を振るって声高々に言ってやろう。
無駄だから、いい加減死ねって。
僕のもとに停学が解けた金城が来るのは想像できた。
それは、当たり前のことだろう。
報復に来ることは予想できた。鼻の骨を後追いで粉砕した人間に恨みを持つのは人として当たり前のことだ。
彼に校舎裏に呼び出され、同じことを言ってやったら彼は激高し、僕に殴りかかってきた。
ああ、まだ分からないか。
もう震えもない。
恐怖のかけらもない。
今の僕は前の時の僕より人間として欠陥品だ。
ただ、苛立って彼の腕を払いのけ、殴りつける。
そこには鬱陶しいといった怠惰な理由だけがあり、それ以外に思いつかない。
彼はやはり驚愕の眼でこちらを見ている。
彼は攻撃特化型なのかもしれない。防御力はないに等しい。殴られれば、ひるむし、よろける。
僕はそんなにやわではない。
もう殴られ過ぎて、飽きたんだ。
彼の頭を横から、上から殴り飛ばし、ため息がこぼれる。
彼を見下ろして悦に浸るでもなく、諦観のこもった落ち窪んだ瞳がそこにある。
これは良いことではない。
しかし、他に対処の仕様がない。
それを僕に教えてきたのはお前だろう?
何故にそんな泣きそうな悲痛な顔でこちらを見るのか?理解に苦しむなとその顔が見えないようにもう一度、殴りつけた。
しかし、その瞬間、後頭部に痛みを感じる。
それは、他の人間によるものだ。
取り巻き達も呼んでいたのか。
それは誤算だった。取り巻きたちはもうこんな人間には関わりたくないと逃げるだろうと思っていたんだが。
僕はその思いもよらぬ一撃で、その場に倒れこみ戦意は喪失する。
もう面倒臭い。殴るなら殴ればいい。その代わり、次にはお前らが考えもつかない報復でお前らを迎える。
俺は躊躇しないと告げる。
一瞬たじろいだが彼らは思うところもあるのだろう、僕の腹を蹴りつけた。
しかし、こちらは力ない虚ろな眼で彼らの目から視線を外さない。
彼らから徐々に蹴る力が失われる。
僕が突然、顔に笑みを漏らしたからだ。
僕はそのままボーッと彼ら一人一人の顔を凝視していると彼らは去っていった。
それはそうだ、殴っている相手が一切苦悶の表情も見せずに、笑ってこちらを見てきたら不気味だし、気持ちが悪い。
初手の悦楽といった表情は姿を消し、奇奇怪怪なものでも見るような怯えた表情であった。
彼らが去った後、僕はまだそこに倒れていた。
笑いが止まらない。
なんて馬鹿なことをしているのだろう。
喜劇にも満たない阿呆な姿だ。
何をしていても忘れられない。
馬鹿の相手でもしていたら気が晴れるかと思った。だが逆効果だ。憂鬱な思いが加速して、押しつぶされそうだ。
鬱屈とした感情と、傷だけが残った。
彼女が消えたのに、僕はまだこんなことをしているのかと自分を恥じる。
もう何をしたらいいのか分からないんだ。
だって何も過去にはなっていないから。
寝ても覚めても頭にこびりついて離れない。
彼女の笑った顔や、馬鹿なジョークを飛ばして照れた顔、怒った顔が離れない。
声が、その仕草が離れない。
ただ空虚な笑い声だけが校舎に響いて、その時何かが切れたように涙が溢れてくる。
狂ったようにその場で泣く。
自分を恥じて泣いたことはなかった。
しかし、彼女を想えば簡単に心は潰れそうになり、視界は歪んだ。
「なんで勝手に消えるかな。こんなに好きだったのに。」
何もない空に向かって問いかけた。
「ごめん分からなかった。私のためだと思ってたから。」
これは幻聴だろう。僕は涙で目も開けられない。
「私のためだって。こんな幽霊の私に愛をささやいて、成仏してもらおうとしてると思って。同情だって。」
「そんなことはない。僕は君が好きだったんだ。」
「うん。今は分かる。ちゃんと見てきたから。嬉しい。ありがとう。こんなに愛してくれて。」
これは僕の単なる妄想だ。
もう彼女はいない。
それはこの目で確認して、何度も自分の脳に思い込ませてきた。
もういい加減、諦めてしまおう。
もういい加減、こんな妄想はやめろ。
「でも、こんなになるとは思わなかった。私は亮介の人生の邪魔をしていると思っていたから。」
「いや、違う。それは違う。僕は君に恋して生きたいって思えたんだ。」
「そっか。なんかjpopのサビみたいなこと言うね。」
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「え?」
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「未練ってなんなのかなって。ずっと考えてた。」
「未練?友達と遊びたいってことじゃないの?」
「多分そうだと思ってた。でも違うのかもしれない。」
「え?」
「あの写真。卒業アルバムの男の子の写真を見たときにちょっと心が揺れた。本当は生前に好きだったのかもしれない。でも。」
「え。そんな、よその男への恋心を知らしめるために化けて出たの?」
「化けてないでしょうが。黙って最後まで聞きなさい。」
そう言うと、彼女は僕の口を塞いだ。
「だから、本当は告白したかったのかなって。でもその人の動向を聞いても何も思わなかった。その人が今、幸せなら別にいいやって。でも一つ、心配なことが残っていたの。」
「なに?」
僕は彼女の手をつかむと、そのまま問う。
「貴方のこと。この人はこの先、大丈夫なのかって。亮介はこの先、幸せになれるのかなって。心配になった。」
「だから、僕のいじめをやめさせようとしたの?」
「うん。でも、それは未練とか関係なくてただ心配だった。」
「でも、それが答え?」
「うん。私は好きな人に告白したかったんだ。それは今は違う人だけど。」
「そっか。」
「そう。」
僕は立ち上がると、彼女の手を引いて抱きしめる。
「好きだよ。冴子さん。」
「うん。私も亮介が好き。」
その瞬間、彼女の姿が透けていく。
「いつもおどけていて、寂しがり屋で、泣き虫な貴方が好き。」
「それはそっくりそのままお返しするよ。」
「ううん。多分、それは無理だよ。私の方が亮介のこと好きだもの。遊園地も水族館でもいつもあなたのことを見てたもの。」
「僕の方が丼一杯分の愛が勝ってるよ。」
「なにそれ?それだけ?」
「じゃあ世界をかけて」
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「じゃあ、このキスでもって証明する。」
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目頭が熱くて、心が熱くてその声に耳を澄ます。
今、ここに。
今、目の前に彼女がいるのにもう捕まえることは出来ない。
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そう考えると心が締め付けられて、苦しくてその場に倒れそうになる。
僕は、最後の抵抗にある質問を彼女に投げかける。
「僕が今、死んだら冴子さんに会えるかな?」
「それは絶対ダメ。ちゃんと生きて。」
うん。もう分かってる。
ちゃんと理解している。
でも、それはあまりに切なくて、悲しいじゃないか。
「好きな人にそう言われたら生きるしかないね。うん。」
「そうよ。それで、もしいつか。いえ、いつか会った時に…………お互いの話をするの。いつまでも。ずっと。ずっと一緒に。」
「泣いてる?」
「泣いてない!断じて!」
「そっか。でも、それは……………………。いや、それは幸せだね。」
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「うん。今までも幸せだった。これからも。でもね。…………でも」
彼女のちゃんと泣いた顔は初めてみた。それはお世辞にも綺麗な顔ではない。涙でボロボロで、目も真っ赤で可愛い顔だった。
「でも、やっぱり消えたくないなぁ。もっと一緒にいたいな。」
「そうだね。」
「うん。一緒に大学行って。お互いの将来とか話し合って。卒業したら一緒に住んで、結婚して。子供も出来たりして。年老いたら二人でコタツに入って色んなことを話して。また、マンガなんか読んで。ずっと一緒に。ずっと。ずっと。」
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「そうだね。でも一旦お別れ。」
「うん。お別れだ。またいつか。いつか必ず。」
「うん。いつか。それまでちゃんと生きるの。ちゃんと生きて、私と違って良かったって笑いながらいくの。」
「分かった。ちゃんと理解した。」
「じゃあ、バイバイ。またいつか。」
「バイバイ。」
彼女は消えていった。
そうして宙に溶け込んで、見えなくなった。
そうして、僕の涙だけがそこに残った。
僕は地面に落ちていた指輪を拾ってポケットに入れた。
僕が彼女にあげた指輪だ。
その指輪はなぜだか暖かくて、切なくて。
触っていると溶けて消えてしまいそうだから、ポケットの中でしっかりと握り締めた。
「あ、言い忘れてた。ありがとう。好きだったよ。」
そんな言葉が不意に空から降ってきて、僕は笑ってしまう。
それはもう幾度となく聞いたよ。
何度も聞いてきた。いろんなところに行くたびに想いは強くなっていった。ちゃんと聞こえていたよ。
「うん。ありがとう。好きだったよ。」
僕はその言葉を宙に投げると、向こうで誰かが笑った気がした。
もうすぐ夜になる。
誰もが眠る町に変わる。
誰も境界線を越えて、次の日を夢見る夜になる。
僕は安心して、明日を夢見る。
僕は彼女と見た夢に向かって歩き出した。
しっかり地面を踏みしめて歩き出したんだ。
桜の花を見て、在校生の歌を聞いて校舎を出て。
校門に集まる卒業生の顔を見て、またその父兄を見て、僕はある処に行った。
そこは始まりと終わりの場所。
彼女と僕の世界だ。
しかし、旧校舎は取り壊すことが決まっていた。
それはあの経年劣化した建物だ。馬鹿が入ったら困るだろう。
むしろ今まで何故、撤去されなかったのか不思議なくらいだ。
もしかしたら、まだ人がいるかもしれない。
死んでる人かもしれないが。
僕はボーっとその旧校舎の工事用のブルーシートを見ていた。
風に揺られて、はためく様を意味もなく眺めていた。
この場所は心地良くて、穏やかな気持ちになれるから。
「こんなところにいた。なにしてるの?」
「ああ。なんでもない。」
谷さんが僕を呼びに来た。なんでも一緒に写真を撮りたいとのことである。
「あ、そういえば、橘君、七不思議の最後の怪談って知ってる?」
谷さんが不意に僕に質問する。
「七つ目ってこと?」
「そうそう。」
「ああ。知ってるよ。」
「そうなの?何?良かったら教えて?」
「駄目だよ。七不思議の七つ目を知ったら呪われるって言うから。秘密。」
これは僕と彼女だけの秘密だ。
七つ目は単純明快。
それは、皆が知らない新たな世界。
それは、彼女と僕の世界。
終わりはあまりにあっけなく。それゆえに次が楽しみになる。
谷さんは眉を下げて、こちらを睥睨して納得できないって顔をしている。
でも、怪談ってのはそういうものじゃないか?
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